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ベートーヴェンの交響曲第8番が好きである。人気の7番と最後の大作9番に挟まれた息抜き的な作品だとか、古典派にやや後退した作品だとかと言う人も多いんだが、なかなか侮れない作品だ。もちろん、ちょっと評価されていない作品を評価することによって通ぶるつもりはない。むしろ、8番はその地味な存在感とは裏腹にシンプルでノリの良い作品で、クラシック初心者向けの作品だと思っている。演奏時間も短いし、ゆっくりした楽章もなく一気に突っ走っていくわけだから、「クラシックの長さ」が苦になり難い。

さて、この8番誰の演奏を聴くべきか。もちろん、名演は多いんだが、遅ればせながら最近になって漸く聴いた、パーヴォ・ヤルヴィ&ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンの演奏が特に素晴らしかったのでここのところよく聴いている。簡単に言うとピリオド奏法を取り入れた目の覚めるような切れ味鋭い響きが心地よい快演。ヨーロッパの音楽界ではこうしたピリオド奏法を取り入れた演奏は、珍しいことではないのだが、それにしても、これほどまでに、ピリオド奏法が効果的に決まったベートーヴェンは珍しいのではないか(あまり多くは聴いていないけど)。20世紀的なベートーヴェンとは一線を画す、無駄のないすっきりとした突っ走るベートーヴェン。クライバーに録音がないことが悔やまれた曲だが、これがあれば、ま、いっか…。

ちなみに、この演奏、DVDが出ているので、映像でも楽しむことができる。冒頭、オーケストラが恒例のチューニングをしないのは何で何だろう?楽屋でやっとけばいいじゃんと言う効率主義なんだろうか。楽団員に続いてさっさと指揮者が登場するので、待たないコンサート(笑)。映像も素晴らしいんだが、BDではないのが残念。CDはSACDハイブリッド盤なので高音質で楽しめる。メジャーレーベルで、SACDは最近こそ増えてきたが、この録音が出たばっかの頃は珍しいかも。

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音楽史には興味があるんだが、西洋史は相当疎い。しかし、それでも、古楽を聴くときには、当時の為政者との関係を無視することはできない。18世紀以前の音楽家は、王侯貴族なしには、語ることができず、良くも悪くもその影響を大きく受けているのだから。例えば、ダウランドやヒュームの庇護者だったクリスティアン4世、タリスとバードに印刷の許可を与えたエリザベス1世、モーツァルトとの関係で知られるヨーゼフ2世、ゼレンカやハイニヒェンが宮廷楽長を務めたアウグスト2世、自らも作曲、フルート演奏をし、C.P.E.バッハが仕えていたこともあるフリードリヒ大王などなど枚挙に暇がない。こうした王侯貴族との密接な関係があったが故に、ロマン派とはまるで違う音楽になっている、とも言える。

そんな音楽家に影響を与えた王侯貴族の中でも、楽派を構成するまでに至った王が2人いる(ほかにいるかもしれないけど、おいらがパッと思い出したのは2人…(汗))。マンハイム楽派のバイエルン選帝侯カール・テオドールとヴェルサイユ楽派(フランス古典派)のフランス王ルイ14世である。モーツァルトに少なからぬ影響を与えたマンハイム楽派、リュリ、シャルパンティエ、クープラン、ドラランド、ラモー、マレと言ったバロックの大物をずらりと揃え、豪奢な音楽を展開したベルサイユ楽派、どちらも18世紀の音楽シーンで重要なポジションを占めている。

さて、今回は…フランスの方、しかも、太陽王ルイ14世の後継者で曾孫のルイ15世の時代にテーマを絞ったCDを聴いている(と言っても、ラモーだけなんだが(笑))。ルイ15世は、5歳で王位を継ぎ、奔放な生活を送った王である。政治には興味がなく、結局、ルイ16世によるフランス王の滅亡の遠因を作った人だ(と解釈している)。

演奏しているのはサヴァールとル・コンセール・デ・ナシオン。サヴァールは、こうしたテーマを付けてCDを作るのが好きである。古楽、特に音楽史好きにはたまらない手法で、高いALIA VOXのSACDをついつい買わされてしまうわけだ(汗)。フランス王をテーマにしたのは、ルイ13世、ルイ14世に続く3作目である。

演奏されているのは、ラモーのオペラからの管弦楽組曲。18世紀までの音楽界では、オペラでの成功こそ音楽家最大の名誉だった。冒頭に述べた、王侯貴族と音楽家の密接なつながりは、政治にも多分に利用された。その一つが、膨大な費用のかかるオペラ制作だった。ド派手な舞台を作り上げ、関係者に「すげー!」と思わせることが大切だったのである。だから、モーツァルトも、必死になってオペラを書きまくった。今日、オペラと言うと、モーツァルトを除けば、ほぼ19世紀に作曲されたものだが、オペラの全盛期は17世紀~18世紀だったのである。

ラモーもご多分に漏れず、オペラをたくさん書いた。ただ、ラモーのオペラは管弦楽のド派手さで有名であり、今日でも、オペラから管弦楽だけを抜粋した組曲がよく演奏される。今回、サヴァールがこのCDに収めたのはその中でも特に代表的な4曲である。『優雅なインド』、『ナイス』、『ゾロアストル』、『ボレアド』…まぁ、代表的と言っても、今日的には、マイナーな作品かもしれない。しかし、バロック・オペラ=マイナーとして放っておくには惜しい作品だ。とにかく、オーケストラがド派手で楽しい。軽薄と言えば、軽薄で、ロマン派からみたらありえないほど、哲学のない音楽だ。故に、19世紀以降全否定されるわけだけど、これほどに楽しく、浮かれた音楽だってあっていいんじゃないか。ベルサイユ宮殿どんだけ浮かれまくっていたんだろう?!楽しすぎる。リュリやシャルパンティエは優美な陰影があったりして、『ベルサイユのばら』の需要に多少は応えられるだろうけど(しかし、イメージ通りではないだろうな…)、ラモーやドラランドは、もう、ね(笑)。

演奏は、難しい研究を重ねてから行われたもの。古楽の「ホントはこういう音楽でした」的な上から目線を批判する向きを批判する人の気持ちもわからないではないが、こうした研究を重ねる努力は音楽史的には重要な作業で、評価されるべきだと思う。結局それが正解であるかどうかは、今となっては判らないんだけど、探究心とそこから出てくる意欲的で新しい響きには、惹かれずにはいられない。それで今回は、何がどうなったのかはわからない。ラモーの音楽はやっぱり楽しくって、サヴァールの指揮もぶっ飛ばない程度にエキサイティング。オノフリやミナジも参加しているんだが、イル・ジャルディーノ・アルモニコにはならない。

さて、このCD、ルイ15世が聴いたらどんな顔をするだろう?いつもの演奏だな、って思うのか、まだまだテンションが足りない!って思うのか、はたまたもっと優雅に構えてよ…と思うのか。それにしても、ロマン派以降なら「この演奏、作曲家に聴かせたら…」と思うのに、ね。ホント、バロックとロマン派は同じジャンルの音楽じゃない…。

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リートや古楽で着実に評価を高めているテノール歌手、マーク・パドモアの新譜を買う。収録曲は、ブリテンのテノールとホルンと弦楽合奏のための『セレナーデ』、『ノクターン』、フィンジの『降誕祭』。レーベルはハルモニア・ムンディのUSAプロダクション(ハルモニア・ムンディ・ドイツがあるのにハルモニア・ムンディ・フランスにUSAが出来て、ハルモニア・ムンディは更に複雑になった(笑))。オーディオ・マニアにも嬉しい、SACDでのリリースである。伴奏するのは、ブリテン・シンフォニア。ジャクリーヌ・シェイブと言うコンサート・ミストレスが指揮も兼ねている。

さて、冒頭にも書いたとおり、パドモアは、リートと古楽で評価の高い歌手である。リリースされている録音は、シューベルトやシューマンのリート、クリスティ&レザール・フロリサンをはじめとする有名古楽演奏者たちと共演したバロック音楽など、そのレパートリーはなかなか玄人好みである。同じテノール歌手でもイタオペで華やかに活躍している人たちとはあまりにも印象が違う。パドモアを聴いた後で、アラーニャを聴くと実に、チャラい(失礼)。まぁ、そういうチャラいのも結構好きなんだけど、ね。

そんなパドモアがブリテン&フィンジである。一瞬、「え?」ってなるんだが、良く考えてみると系統的には、間違っていないような気がする。あと、パドモアはイギリス生まれのイギリス育ち、生粋のイギリス人だからイギリス音楽には造詣が深い。あまり目立ってはいないが、これまでも、イギリス・リートやダウランドを録音していたりする。今回の録音に収録された2人の作曲家も実ははじめての録音ではない。イギリス音楽はパドモアの裏の十八番と言っていいのかもしれない。

で、このCD、おいらが何で買ったかと言うと、やはり、フィンジである。この『降誕祭』と言う曲、すっごく素敵な曲なのだ。これまでは、ボストリッジとマリナー&アカデミー室内管の演奏で楽しんでいたのだが、パドモアの録音が出たということで、「これは買わねば!」となった(そう言えば、ボストリッジとパドモアってレパートリーが結構被っているなぁ。結構、特異だと思うんだけど)。ちなみに、ナクソスからグリクリストも録音を出しているんだが、こちらは興味を持ちつつ、未だに買っていない。買わねば。

『降誕祭』は、カントリーライフを過ごしていた田園作曲家とも言うべき、フィンジの長閑な曲だ。長閑と言っても、退屈でなくって、どことなく蔭があり、叙情的。こんな曲が、シェーンベルクだの、ストラヴィンスキーだのと言った現代音楽の旗手が、頭をこねくり回していた1920年代の作曲とは、さすが、イギリス。ボストリッジは、この曲を情感たっぷりに歌い上げた。対して、パドモアの歌は、自然体で構え過ぎずに美しい。実に心地の良い歌である。伴奏は、ちょっとあっさりしすぎている感じもするが、こういうのもありなのかな。

なにはともあれ、この名曲に新たな名盤が加わったことは、嬉しい限り。ブリテンの方はちょっとしか聴いていないんだけど、こちらもなかなか良かったと思う。

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シューベルトの『未完成』を聴く。あまりよく聴く曲ではない。シューベルトの交響曲を聴くとなると、『グレイト』の方が多くなってしまうんだよね。ポピュラーさでは、『未完成』に軍配が上がるんだが、聴き応えは、『グレイト』の方があると思う。完成しているしね(笑)。

今回引っ張り出してきた演奏は、ジンマン&チューリッヒ・トーンハレ管のスタジオ録音。これ買った時以来なんだろうな、『未完成』を聴くのは。Arte Novaに録音したベートーヴェンで名を上げたコンビで、その後、マーラーやR.シュトラウスで好評を得ている。最近ではブラームスの交響曲全集もリリースされた。ってことは、ロマン派が好きなんだな。レパートリー的には奇を衒わない。従来の巨匠たちと思い切り被る。ラトルみたいにグレインジャーやウォルトンはやらない。で、次はシューベルトの交響曲に着手したということだ。2年ほどかけて全曲を録音するらしい。

さて、シューベルトの交響曲全集第1弾となった、『未完成』だが、これはなかなか刺激的な演奏だ。レパートリーは従来の巨匠たちと被るが、演奏スタイルはまるで違う。ジンマンは、マーラーでも分析的な演奏をしていて、録音する際に、ライブ録音は熱くなり過ぎて、テンションを維持するのが難しいと言うようなことを言っていた(ブラームスはライブ録音なんだが、そこは深遠な考えがあってのことだ…ってことにしておこう)。シューベルトでも同じ考えなのだろうか。1楽章は全く歌わない。そして、テンポが早い。熱くならず、情に溺れずに、曲を冷静に眺めている。感情も揺らがない。これがスタジオ録音の魅力だとジンマンは言っているのだろうか。一見するとそっけない演奏だ。感情の爆発がないから、ロマン派にしてロマンチックでもない。歌曲王シューベルトの歌心を無視してどうするんだ!と思わないじゃないんだが、そうすることによって、この曲の新たな魅力を見せてくれる。ジンマンはピリオド奏法を取り入れているんだけれども、その影響も大きいだろう。えもいわれぬ独特な美感があるように思う。

2楽章もテンポは速めだが、1楽章ほど徹底した分析的ではないようだ。やや冷めた感じは、相変わらずだが、シューベルトの歌心は、多少尊重する気になったようだ(笑)。なかなか綺麗な演奏である。感情移入が激しい演奏より、綺麗と言えば、綺麗かもしれない。カップリングのヴァイオリンと管弦楽の作品も魅力的な演奏。

そんなわけで、なかなか面白い演奏なんだが、ほかの曲でもこの姿勢を貫いていくんだろうか。5番とか、どんな演奏になってしまうんだろうか。1番と2番は既にリリースされているが、その他の曲もリリースが待ち遠しい企画である。しかし、残念なことがひとつ。マーラーではSACDでリリースされていたんだが、このシューベルトはCDでしかリリースされていない。こう言う演奏は、高音質で聴きたいもの。おいらは、まだSACDを聴ける環境を整えられていないんだが、SACDでのリリースを望むファンは多いと思う。

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パーヴォ・ヤルヴィのベートーヴェンの交響曲を聴いている。ちょっと前に勢いで買ったやつだ。今は9曲すべて出ているが、その時はまだ9番は出ていなかった。いまも、全集と言う形では出ていないので、買うならばらばらに買わないといけないんだが、おいらは全部は持っていない。

で、これが凄い演奏なんだな。一部の楽器で古楽器を使っていることからも判るとおり、相当、ピリオド奏法を意識した演奏だ。スピードも速くてそっけない。『運命』の冒頭部なんか、従来のイメージを持っていると肩すかしをくらわされたような気分になる。ジャジャジャジャーン!に浸らない。そんな風に書くと、どんだけ冷めた演奏なんだろう?と思ってしまうだろうが、冷めていると言うのはこの演奏を聴いた限りでは感じないだろう。小編成が功を奏してか、引き締まったサウンドと小気味の良いテンポで、自由闊達で活き活きとしたベートーヴェンを奏でていく。生命力が、楽譜の合間から湧き出してくるような鮮やかな演奏だ。勢いに乗った7番なんて、聴いていてワクワクしてしまう。ヴィヴラートを控えめにすることで情緒に溺れ過ぎず、こういう演奏ができるんだろう。

そう言う風だから、ひと昔前までのベートーヴェンとはまるで違う音楽になっている。重厚で、どっしりと歌うロマン派的な演奏とは完全に一線画する。フルトヴェングラーやカラヤン、クーベリック、ケンペ、クリュイタンスと言った一昔前の名演奏と比べてみるといい。そこにいるベートーヴェンはまるで別人のようだ。ベートーヴェンの曲は、あらゆる解釈が出尽くしていて、新しい演奏の出る余地がない、なんてのは、過去に依存した者の傲慢。それは、パーヴォやプレトニェフが証明してくれた。たぶん、こういうのが現代のベートーヴェン。きっとフルトヴェングラーやカラヤンの演奏は“20世紀のベートーヴェン”だったんだと思う。本当のベートーヴェンは誰も知らない。オーセンティックを主張しているように見える古楽奏者たちは実は、そのことを一番、痛感しているんだと思う。

と言いつつ、20世紀型のベートーヴェンだってバレンボイムやティーレマンによって、今も健在で、おいらはそう言う演奏も楽しみたい。実際、ケルンで聴いたバレンボイムのベートーヴェンは、とてつもなく素晴らしい演奏だった。もちろん、パーヴォの演奏とは対極的だったけれども。

さぁて、パーヴォのベートーヴェン、残りのCDも全部買わないとなぁ。大した枚数じゃないけど(汗)。

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お待ちかね!って、少し前になるんだけど、リッカルド・ミナジのヘンデルのヴァイオリン・ソナタ集を購入。ハルモニア・ムンディ・ドイツから3月新発売!ミナジなのか、ミナージなのかはよく分からないんだけど、「ー」に妙な違和感があるので、勝手にミナジにしておく(笑)。

ミナジは、1978年生まれのバロック・ヴァイオリン奏者。イル・ジャルディーノ・アルモニコで活躍すると言う凶暴な経歴を持つ(笑)。さらに、サヴァールと共演するなど着実に古楽界で経歴を積んだあと、出身地、ローマでムジカ・アンティクァ・ローマを結成。古楽界注目の若手である(ヒラリー・ハーンの1つ上と言えば、世代的にピンとくるだろうか)。

録音は、これまでにビーバーのロザリオ・ソナタとヴェラチーニのヴァイオリン・ソナタ集をリリース。今回のものも含めてすべて、ヴァイオリン・ソナタだけれども、バロックのヴァイオリン・ソナタはいわゆる、古典派以降のヴァイオリン・ソナタとは異なり、様々な楽器が登場する。なので、今回のヘンデルも奏者は、リッカルド・ミナジとムジカ・アンティクァ・ローマ。ヴェラチーニのヴァイオリン・ソナタもそう。ロザリオ・ソナタはビッツァーリエ・アルモニケとの演奏だ。

演奏なんだが、とにかく、上手い。改めて、古楽奏者はヘタクソなんてのは、過去の話だと思い知らされる。新しいものを批判したがる古い人たちの揚げ足取りも技術面では難しくなってきたんじゃなかろか。更に、ミナジの演奏は、エキサイティングで躍動感にあふれている。優雅に弾いたのでは退屈になってしまうバロック音楽もミナジの演奏では飽きなく聴くことができる。ヘンデルでもワクワクするような力が漲っている。音色は、シリアスなものではなくって、神秘性が求められるロザリオ・ソナタでは、それがゆえに、人によって好き嫌いがはっきりしそうな演奏だったけれども、ヘンデルでは、その明朗な音色は絶対プラスになっている。

ミナジの音楽には、古楽が主張するオーセンティックよりも音楽の楽しみがあると思う。てか、まぁ、そもそも古楽=オーセンティックに“ばかり”執着しているのは、時代遅れだと思うけど。

いやいや、それにしても、ヘンデルのヴァイオリン・ソナタがこんなにも楽しい音楽だったとは。意外な発見だ。さて、ミナジ&ムジカ・アンティクァ・ローマは次に何を録音してくれるんだろう?ヴィヴァルディを聴いてみたいけど、これまでの選曲を見ていると、一筋縄ではいかないだろうなぁ(笑)。

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あれ?クリスマス終わってんじゃん!とか言ってな。このタイミングで『くるみ割り人形』を買う。残ったケーキの叩き売りみたいなもんで、タワーレコードで安売りしているんだよね、と思って…いや、微塵も期待していなかったが、とにかく、フツーのSPECIAL PRICEで買ってきた。

演奏は、プレトニェフ&ロシア・ナショナル管弦楽団。プレトニェフがタイで捕まったのって確か、去年だったはずだけど、活動は相変わらず、続けている。つか、あの事件は風化されつつあるな。プーチンと仲が良いとか言う噂を聴いたんだけど…。いや、なんでもない!

さて、このCD。ONDINEからのリリースなんだよね。もはや、メジャーレーベルからは殆どの演奏家はCDをリリースできない。なぜか、突然、新人を発掘してきたりするんだが、それも長続きはしない。期待値はDGもHMFも変わらない。昔の価値観が通用しないのは、どの世界も同じ。懐古主義者にはなりたくない。

ところで、この『くるみ割り人形』と言う曲、超有名曲なわけなんだけれども、毎度聴く度に、「あれ?これって『くるみ割り人形』の曲だったっけか?」ってのが何曲もある。逆に言えば、街で流れていても、「お、『くるみ割り人形』!」とはならない。たぶん、聴き込んでいないせいだ(汗)。もちろん、行進曲とか、花のワルツはわかるけど。これは、『白鳥の湖』でも、『眠りの森の美女』でもそう。あ、いや、『眠りの森の美女』は全曲盤持ってないか。実は、インパクトでは、ストラヴィンスキーの3大バレエの方が強烈な気がする。

プレトニェフの演奏は、ベートーヴェンの時ほど変なことはやらかしていないけど、ファースト・チョイス向けでないのは確か。情に溺れない花のワルツ、でも、美しかったり。テキパキした行進曲、これはあまりキュートではない。濃厚なライナーの演奏を聴きなれていると斬新で面白い。

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コンサートに行かないクラヲタと言っているおいらだが、存在に気が付かず後で地団駄踏んだ演奏会は、ゴマンとある。要するに、情弱なんである(苦笑)。

その地団駄踏まされたコンサートの中でも最大級の地団駄と言えば、ミンコフスキ&ルーブル宮音楽隊のハイドン。2009年のことだから、2年も前のことなんだけれども、これが初来日で、とんでもない衝撃を与えていったらしい。最初に「ミンコ来たらしい」って情報を得た時は、(既に終わっていたんだが)「へぇ、また来るでしょ」くらいのつもりだったんだけど、たぶん、この推測は甘すぎる。古楽の楽団ってあまり来日しないのだ。コンチェルト・ケルンですら、LFJでたった1回来日しただけ。フライブルク・バロック・オーケストラも来月が初来日。何だか知らんけど、日本では古楽はあまりうけない。優秀な演奏家は沢山いるのに…。

さて、話を戻して、ミンコフスキのハイドン。2009年の来日を逃した残念な人たちのため(?)に、ミンコフスキのハイドンのCDが出た。曲目はロンドン・セット(ザロモン・セット)。輸入盤は昨年の5月に出ていたんだけど、国内盤が先日出て、レコード・アカデミー賞を取った。輸入盤全盛の時代にこんなずれたことやっているから、レコード・アカデミー賞って…って思っちゃうんだな。でも、まぁ、そんなこともあって、おいらもさっくり買ってみた。

いやぁ~、これ、半端なく面白い…あ、いや、楽しい。ショルティとか、ヨッフムとか言った、ハイドンをロマン派至上主義的な視点で捉えた“過去の偉大な名盤”とは正反対を行く名盤。もう少し端的に言うとハイドンをロマン派=交響曲の時代に繋がる交響曲の父として捉えるんじゃなくて、古典派的な快楽性、ハイドン特融の諧謔性を重視した洒脱な演奏ってことかな。低音もブンブン鳴らしてガッツンガッツン攻めてくるのに結局オサレに決めて、観客をニヤリとさせる。カッコいいフランス人共だ。

特に、面白いのが、『驚愕』。ネタバレになってしまうが、本当に驚愕する。ホフナング音楽祭のビックリ交響曲もミンコフスキの前では大したことない(笑)。車の運転中に聴いていると事故っちゃう危険があるので、ドライブには向かない。コンツェルトハウスでのライブ録音なんだけど、観客も笑いだす有様。『驚愕』の次に入っている98番も楽しい演奏。他にも『太鼓連打』も冒頭から「え?」ってなる。ポンポコポン。これ、ハイドンが聴いたら、絶対喜んでくれる演奏だと思う。モーツァルトも、手を叩いて「お前ら、やるな!」と喜びそうだ。古典派の音楽って、ワンパターンとか、コピーだらけだとかで、偉大な人たちには叩かれがちなんだけど、快楽主義的な楽しさがあっておいらは大好きなのだ。音楽は偉大な芸術である前に音“楽”なのだから。

さてさて、ミンコフスキーさま、次はパリ・セットなんでしょ?でしょ??!!是非やってもらいたいなぁ。全集とは言わないから、それくらいは期待したっていいでしょう!!

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ホルストと言えば惑星、惑星と言えば…ホルスト、じゃないか。でも、まぁ、ホルストって言えば、組曲『惑星』で有名な作曲家であることには違いない。で、これが壮大な管弦楽曲なので、宇宙の大スペクタクルを描いたような勘違いがされているわけだが、ここで言う惑星は、そんな夢あふれる惑星ではない。ホルストと言う作曲家は、東洋かぶれのところがあって、組曲『惑星』も実は占星術にインスピレーションを受けて作曲されたのだとか。で、なんで、「快楽の神、木星」(ジュピターで有名な部分)で民謡風のメロディが出てくるのかは、謎。ホルストは民謡収集家だったのでその辺の趣味がごっちゃになっているのだろうけれども…。

さて、ちょっと前にリリースされて「買わねば!」と思っていた、とあるCDを漸く購入した。それが、ホルスト作曲の『ベニ・モラ』、『日本』組曲、組曲『惑星』を収めた1枚。演奏はアンドリュー・デイヴィス指揮するBBCフィル。『ベニ・モラ』はアルジェリア、『日本』組曲は、当然、日本、そして、組曲『惑星』は前述の通り東洋の影響を受けた曲。で、ホルストはイギリスの作曲家。要するにこのCDは異国情緒溢れるカップリング…つうか、ホルスト的東洋を感じるようなカップリングなのだ。ありそうでなかった、楽しそうな企画。

で、この3曲のうち、何が興味深いかと言えば、日本人としては、やっぱ『日本』組曲だろう。この曲、日本人の舞踏家がホルストに作曲を依頼したものらしく、この舞踏家の鼻歌歌唱を元に日本の民謡が随所にちりばめられている。とは言え、これはあくまでも西洋伝統音楽。笙篳篥を吹き鳴らすわけではないし、音階等、バロック以来の音楽形式を用いて作曲されているので、どことなく、西洋人が鮨を握っているような違和感がある。なんか…楽しい。和風なのに、何か、妙に西洋風に流麗だったり、弦が歌ったり。イギリスのオーケストラの団員がどんな気分で弾いているのか、話を聴いてみたい(笑)。

これと反対なのが、山田耕筰の長唄交響曲『鶴亀』。これは、もうどっぷり伝統日本音楽。日本視点で西洋音楽を取り込んでいる。これも面白い。あと、ギャグ要員でサリヴァンの『ミカド』も名前を挙げておこうか。「ミヤサマ、ミヤサマ、オンマノマエニ、ヒラヒラスルノハナンジャイナ」ってお前がなんだよ…(笑)。

話を戻して、さきほどのCD。『ベニ・モラ』もアルジェリア風と言うことで、興味深いんだが、何せ、アルジェリア風とはどんな風なのか判らない。きっと、アルジェリアってこんななんだ、と思うのは、イギリス人がフランス人に「日本人って、ワビサビなんだぜ。鮨に入っているあれ」と訳の分からない説明しているのをフランス人が納得してしまうようなもんかもしれない。だから、『日本』組曲で感じる程度の違和感を差し引いて聴いてあげれば、アルジェリアを勘違いしないで済むのかもしれない。

最後に組曲『惑星』。こちらは無難に名演。力強く、かつ、美しい。下品に叫ばず優美にパワーを感じさせる。普通にお勧めできる内容。録音も優秀。

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ピアノ曲をあんまり聴くことがなくなった。理由はわからない。古楽を聴く割合が増えたからかもしれないが、ロマン派の作品もよく聴くので、多少は聴いてもいいようなんだが…。

って状況が続いていたんだけど、最近、とあるピアノ作品をよく聴いている。シルヴェストロフのピアノのためのパガテルと言う曲だ。

シルヴェストロフは1937年生まれのウクライナの作曲家。シュニトケやグヴァイドゥーリナと同世代のロシア系作曲家同様、当初は前衛的な作品を作曲していた。しかし、色々あって1970年代後半ころから作風が変わり、美しい曲を書くようになった…とざっくり言うとこんな感じの作曲家である。

ピアノのためのパガテルは作曲家が70歳近くになった2005年に作曲されたもの。美しい静寂が仄かなノスタルジーを感じさせる作品だ。癒しと言えばそうなんだが、そんな陳腐な言葉で片付けるにはあまりにもったいない。ポロリ、ポロリと弱音で弾かれるそのメロディは、それぞれの人の心の中にある、懐かしい景色を幻想的にぼかし、理想的な風景を思い起こさせてくれる。ラフマニノフのように強烈に迫ってくるわけではないので、夜ふと目を閉じると、まるのでその景色の中に迷い込んだような錯覚を覚える。現実のものとは思えないような、透明感のある世界へと誘われていく。

21世紀にこの音楽は凄い。第1次世界大戦を契機にロマン派が崩壊し、試行錯誤が続いた20世紀後半の音楽シーンから、こんなにも独特な世界観を持った作曲家が現れるとは。ただし、これが大きな潮流になることはない。これはシルヴェストロフであってそれ以外ではあり得ない。20世紀から21世紀、混沌の音楽の時代にそっと出てきた美しい副産物なのかもしれない。もっと、出来ればピアノの作品を聴いてみたいな。いや、しばらくはピアノのためのパガテルを聴き続けておくか。

なお、聴いているCDは作曲家自身の演奏のもので、ほかの録音は今のところなさそう。カップリングは弦楽合奏のためのいくつかの作品で、こちらも素敵なものだ。作曲年代は全て2000年前後のもの。作曲家70歳の記念にリリースされたものだそうだ。演奏はポッペン指揮ミュンヘン室内管弦楽団。レーベルはECM。透明感と綺麗な残響ある録音でシルヴェストロフの美観を堪能できるもの。ECM特有のモノトーンなジャケットも音楽にぴったり。

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