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ケッヘルと言えば、モーツァルトの作品番号で有名な人。そして、ケッヘル○○番と言えば、モーツァルトの作品のことである。モーツァルト自身は知らないことだけれども、クラヲタならずとも、ある程度、モーツァルトを知っている人ならば、「常識でしょ?」と言うレベルだと思う。

しかし、ケッヘル番号を使う人が、もう一人いるのだ。ヨハン・ヨゼフ・フックスである。モーツァルトと同じくオーストリア出身の作曲家である。1660年ころ、グラーツを州都とするシュタイアーマルク州のヒルテンフェルトの農家の家に生まれ、カール6世の宮廷楽長にまで登り詰めた当時の大物である。長きにわたって皇帝の信頼を得、オペラやオラトリオをはじめ、あらゆるジャンルの作品を数多く残し、没後は生前の名声に反し、あっという間に忘れ去られた。典型的なバロックの作曲家である。特に、“あっという間に忘れ去られた”という点は、あまりにもバロック(汗)。ケッヘルはこの人の研究も行っており、その作品は、ケッヘル○○番で整理されている。と言うわけで、ケッヘル○○番と言われたら、「誰の?」とちゃんと聞き返すようにしよう(笑)。

さて、このフックス楽長のCDをちょっと前にはじめて買ったので、紹介しておこう。グナール・レツボール&アルス・アンティクァ・オーストリアによるパルティータ集である。レツボールはオーストリアとその周辺のバロック音楽の紹介に力を入れているバロック・ヴァイオリニスト。アルス・アンティクァ・オーストリアは、レツボールが結成したバロック・アンサンブルである。シンフォニアやチャレンジ・クラシックにあまり知られていない作曲家の作品を録音して、高い評価を得ているコンビ。

パルティータ集…ってなんの?って感じだが、ジャケットの写真がレツボールであることからも判るとおり、バイオリンを主役においた作品集である。オペラをガツガツ作曲していた宮廷作曲家が、こういう編成の曲を書いていたことは意外な感じがする。しかも、抒情的、かつ、技巧的な曲だったりする。え?何気に凄い曲じゃんか、と思ってしまったら、レツボールの術中にめでたくはまったと言うこと。もっとオーストリア・バロックを聴いてみたいと思ったら、レツボールとしては、してやったりと言ったところだろう。

もちろん、そうなるには演奏がよくなくてはいけないんだが、レツボールとアルス・アンティクァ・オーストリアの演奏は、なかなか素晴らしい。レツボールの音色は、バロック・ヴァイオリニストにありがちな、尖っている感じじゃなくて、土俗的と言うか、人間臭いと言うか、そう言う印象を受ける。んで、技巧的で早い部分は軽くぶっ飛ばしてくれる。この辺はさすが、近頃のバロック・バイオリニスト。全体的に、フックスの持っている抒情性を表現力豊かに演奏してくれている。珍しい作品をこのレベルで演奏してくれるとは有り難い限りだ。

良い曲、良い演奏。タワーレコードのワゴンセールで見つけたんだけどね(汗)。売れるようなもんじゃないでしょうなぁ。

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ピアノと言う楽器は、クラシックを聴かない人には、まるでクラシックを代表する楽器のように思われていることがある。あれはなんなんだろう?確かに、音楽を習う人にとっては、基本的な楽器なんだけれども、オーケストラに入っているわけでもないし、オペラに入っているわけでもない。時代的に言えば、古典派以降に登場した楽器だから、バロック以前の音楽ではアレンジもの以外では、無縁の存在である。そんなだから、レパートリー的には、出番はヴァイオリン、チェロには及ばない。リスナーとしてのおいらにとっては、ピアノは、あくまでも数ある楽器の一つだ。妙なショパン人気がピアノ=クラシックをイメージ付けているのだろうか。

で。好きか?嫌いか?と言われると、別にそう言うのはない。ピアノの音色を活かした素敵な曲も多いと思っている。しかし、ショパンはあまり好んで聴かない。おいらごときが、ショパンのような偉大な音楽家を批判するわけにはいかないが、なんか、心に入ってこないんだよね。華麗で盛り上がるし、すげぇと思うんだけれども、どこか虚ろに感じてしまう。たぶん、これは相性の問題。まぁ、いつか、好きになる日が来るかもしれない。

で、どの曲が好きなのか。あまり、ピアノのCDを積極的に買っていないのだが、シューマンの『謝肉祭』は好きな曲である。作曲家が好きな人の名前の綴りだか、イニシャルだかを、楽譜に織り込んだと言う、お洒落なのか、きm(略)いのか、判らない小技を駆使している。それは兎も角として、各曲の可愛らしさは格別だ。

今まで聴いていたのは、ミケランジェリのもの。ドイツ・グラモフォンの旧盤も、EMIの新盤もあるが、よく聴くのは後者。ミケランジェリのお陰で好きになったようなものだが、ほかの演奏も聴いてみたくいて、有名どころの演奏家の録音による数枚の同曲異盤を持っている。

しかし、最近の人のものを持っていない。これは良くない!と言うわけでもないんだけれども、ネルソン・フレイレの録音が、若干安めで出ていたので買ってみた。まぁ、何だ、現役とは言え、「最近の人」と言うには、ちょっと大御所過ぎるだろうか。

演奏は、とても素晴らしい。兎に角、このクラシックと言うジャンルでは(でも)、過去崇拝ってのはすごくって、素晴らしい演奏はすべて過去のものだと言う風潮があるけど、そんなわけがあるはずもなくって、フレイレも現在素晴らしい演奏をしているのだ。とにかく、音が綺麗だし、表情も豊か。テンポは揺れるんだが、それが心地よく決まる。力強くもあって、聴き手を飲み込んでしまう。このCDに収められているのは、3度目の録音だと言うから、フレイレにとっても十八番の曲なんだろう。この演奏が、円熟と言うのならば、若いころはどんな演奏をしていたのか。ちょっと気になるところ。

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HMV Onlineにお気に入りリストと言う機能がある。買おうかどうか迷っているソフトを取り敢えず放り込んでおくもの。購入が決定したら、カートに入れてポチッとすればよい。このお気に入りリストに200以上のソフトが入っている。どんだけ迷っているんだか…(汗)。古いやつは改めて見てみると、さほど興の湧くもんじゃないんだが、一度、気になったCDだけに簡単に消し難いのだ。ものによっては、もう廃盤になってしまったりして…これはもう消すべきなんだろうけど、ひょっこり復活したりするので、やっぱりほっといてしまう。弊害がないのなら、別にいいんだけどね。

先日、ここにしばらく置いてあって、遂に、カートに移動したCDが届いた。ずーっと欲しいままだったCDなんだが、入荷までの日数が、大変なことになっていたので、購入に踏み切れなかった。それがひょっこり見てみると、在庫ありになっていたので、試しにカートに移してみたのだ。“試しに”と言うのは、HMVの“在庫あり”表示は当てにならないと言うこと。検索結果表示→お気に入りリストまでは、“在庫あり 24時間以内に出荷”になっていても、いざカートに移すと、“入荷まで○○日”と変化する。だから、今回も“試しに”カートに移してみたのだが、“在庫あり”のままだったので、そのままポチッとなった。

で、それが何かと言うと、ゲーベル&ムジカ・アンティクヮ・ケルンによるフルート四重奏曲集。2004年の録音だが、2007年に30余年にわたる活動を休止したムジカ・アンティクヮ・ケルンの最後の録音である。

フルートと言うと、今や、金管楽器になってしまったあのフルートを思い浮かべるんだけれども、ここで言うフルートは、ちょっと違う。縦笛のリコーダー(ブロック・フレーテ)、若しくは、フラウト・トラヴェルソである。フラウト・トラヴェルソのトラヴェルソはフランス語で、「横向きの」と言う意味なので、現在のあのフルートにかたちは似ている(と言うか、原型)。リコーダーは、あの小中学校で使うもののまんまである。当然プラスチック製ではなくって、木製。フラウト・トラヴェルソも木製。現在のフルートが木管楽器と言われる由縁である。

と言うわけでここで言うフルートは、ざっくり笛と言う意味。オーボエも登場する。そして、四重奏である。と言っても、ロマン派以降における、四重奏曲とは、ちょっと違う。ロマン派の作品で、協奏曲を聴く時と四重奏曲を聴く時は、まったく異なった編成の音楽を聴く覚悟が必要だが、バロックでは同じようなノリで聴いても問題ない。ちょっと編成が小さいぐらいに思っておけばいい(厳密に言えば色々あるだろうけど)。特に、時代考証がなされた古楽器での演奏では問題ない(適当過ぎるか…)。

CDの内容は、「もっと早く買っておけばよかった」と後悔させられるもの。曲も演奏も素晴らしい。ゲーベルのテンポの良い演奏が、テレマンの音符を切り裂いていく。フルート四重奏曲と言っても、フルートはさほど主役を担っているわけではなくって、激しい合奏の合間を揉まれるように流されていく。木管楽器のフルートたちの温もりのある響きも魅力的だし、ベテラン古楽奏者たちを相手に、若い奏者たちも大健闘している。そんな演奏が、カッコ良かったり、美しかったり。テレマンの音楽って、演奏によっては、とても退屈になると思うんだけど、こう言う音楽を聴くと、放っておくにはもったいない作曲家だなと思う。当時は、J.S.バッハよりも人気があったらしいんだけれども、今では、評価は真逆。古楽運動の中で大分、録音も揃ってきたし、再評価されていると思うんだけど、もっと聴かれてもいいんじゃないかと思う。

まぁ、そんな作曲家はたくさんいて、全てが「もっと聴かれる」状態になることはあり得ないんだけれども(汗)。

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13世紀、日本では鎌倉時代、西洋音楽史的には、ルネサンス音楽の登場までに100~200年もの長い長い年月を待たねばならない中世音楽の時代。この時代の世俗的な詩集が、ドイツ南部バイエルン州のボイレン修道院から見つかった。1803年のことである。この詩集には、ネウマ譜によるメロディが付されている詩がいくつかあり、20世紀後半、その復元に古楽演奏家が挑戦した。中でも知られているのが、ルネ・クレマンチッチとクレマンチッチ・コンソートによる録音だろう。活き活きとしたリズムの中に、古の時代の若者たちの怒りや欲望が混沌と渦巻いている様は、人間臭くて生命感に溢れている。

で、この詩集をもとに、20世紀の作曲家、カール・オルフがカンタータに仕上げた。ま、これの方が有名だし、いちいち語るほどもない名曲だろう。1曲目と終曲の「おお、運命の女神よ!」は様々な場面、例えば、格闘家や野球選手の登場シーンなんかでも使われているので、多くの人に知られている。録音も多くって、古くはヨッフム盤が、最近のものでは、プレヴィン盤が名盤として知られている(のかな?)。ドロドロとしたリズムとメロディが躍動する、不気味テイスト満載の曲だと思うんだけれども、プレヴィンは随分とすっきりとした新しいタイプのカルミナ・ブラーナを聴かせてくれた。

名曲だけあって、プレヴィン以降もハーディング、ラトル、ティーレマン等、有名演奏家がCDをリリースしている。どれも評価は高い。イメージ的には、ドゥダメルなんかも録音しそうだ。

さて、そんな新しいカルミナ・ブラーナにもう1つユニークな新盤が加わった。クリスチャン・ヤルヴィ&MDR交響楽団がソニーに録音したもの。クリスチャン・ヤルヴィは、以前もこのブログで紹介したことがあるけど、ネーメの次男、パーヴォの弟。ビッグネーム2人のプレッシャーは…全く感じさせない独自の活動に好感が持てる。MDR交響楽団は、中央ドイツ放送交響楽団のこと(はず!)。昔は…東ドイツ時代は、ライプツィヒ放送交響楽団と名乗っていた楽団。ケーゲルとかシェルヘンとかアーベントロートとか…古い録音に詳しい人ならお馴染みの楽団だろう。クリスチャンは、今シーズンからこのオーケストラのシェフに就任。ライプツィヒのもう一つのオーケストラに期待が集まっている。

カルミナ・ブラーナの録音は、就任の前に録音されたものだが、就任披露コンサートでもこの曲が披露されると言う。クリスチャンの指揮は、無駄な贅肉が落ちたような筋肉質の演奏だ。ドロドロした不気味成分は、控え目。スマートで先鋭的。一つ一つの楽器が確り聴こえてきて、グチャグチャしないすっきりした演奏だ。現代的。1970年代には、絶対演奏されないタイプの演奏だ。「天秤棒に心を掛けて」でのソプラノの独唱も十分に美しい。Venus!Venus!と叫びながら、終曲に突っ込めば、テンションも上がろうと言うもの。

ヤルヴィ(次男)、今後も、新譜のリリースが楽しみな指揮者だ。もっと名門楽団との共演も聴いてみたいけれども、やりたいことがやれるオーケストラで好き勝手しているのも、悪くない。自己が確立される前に、有名楽団の指揮台に上がり過ぎると実力はあっても、案外、無難なところに収まってしまう可能性がある。ハイティンクなんか、コンセルトヘボウの呪縛が解けたのは、1980年代も後半になってからじゃないだろうか。そう言う意味では、有名どころを振りまくっているドゥダメルがちょっと心配。

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無伴奏と言う言葉には、妙な魅力がある。例えば、ピアノやギター(またはリュート)の作品に無伴奏と言う言葉が付くだろうか。英語ではSoloと表記されるんだけれども、Sonata for Solo Pianoと表記されることはない。ところが、J.S.バッハのあの有名な曲は、英語でSonatas and Partitas for Solo Violin、日本語で無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータだ。寡聞ながらSoloも無伴奏もヴァイオリンとチェロでしか使っているのを見たことがない。何故に、敢えて、Soloなのか、無伴奏なのか。多くの場合、ヴァイオリンもチェロも何かしら伴奏が付く。オーケストラであったり、ピアノであったり、ギターであったり。4つの弦だけでは、複雑な音楽を奏でるのは難しい。だから伴奏が付く。

この辺までは、色んな本の受け売り込みの話。で、なんで、魅力を感じるか。難しい、が、無理ではないからだ。J.S.バッハのヴァイオリンとチェロの無伴奏曲はなぜあれほどまでに、人気があるのか。それは、無伴奏だから故である。たった一人、ステージの上に楽器一本を持って現れる奏者。いつもは仲間と騒いでいる奴が、たった一人で音楽に挑む。奏でられる音は、ピアノやギターのソロとは比較にならないほど、孤独を感じさせる。それは凄まじい集中力と技術力を要しながらも、実に純粋な音なのだ。これはヴァイオリン音楽の究極だと思う。

しかし、クラシック音楽とほぼ≒になるであろう、ロマン派の時代においては、無伴奏ヴァイオリン、チェロの作品はほとんど作曲されることはなかった。ヴァイオリンは音楽の中心でありながら、無伴奏では魅力のない楽器とされていたのだろうか。それとも、J.S.バッハに挑む気にならなかったのだろうか(もちろん、J.S.バッハの作品の完成度の高さは神懸かっているけれども)。お陰で、ほかには、イザイやパガニーニの作品が多少知られているだけで、すっかり、特殊な存在となってしまった。

求めてもなかなかない。でも、凄い。だから、以前紹介したオノフリの『バロック・ヴァイオリンの奥義』のような企画は、ハングリーなクラヲタの心を打つのだ。挑むヴァイオリニストも相当の覚悟と自信がないといけない。特に、J.S.バッハの作品のように、多くのヴァイオリニストが演奏しているわけではないから、その挑戦は称賛に値する。

さて、ほかに誰かこう言うことをやっていないものか。探す気にもならなかったのだが、秋葉原のタワーレコードを歩いていたら、たまたま、1枚のCDを見つけることができた。タルティーニのThe Devil's Sonata and other worksと言うもの。悪魔のトリルを含む無伴奏ヴァイオリン作品集。アンドルー・マンゼがハルモニア・ムンディ・フランスに録音したもの。1997年の録音。名盤らしいけれども、おいらは知らなかった(汗)。マンゼと言えば、イングリッシュ・コンサートのコンマスで、ピノック退任後、音楽監督になった人物。バロック・ヴァイオリン奏者の大物中の大物だ。無謀に挑戦するには十分な実力者。

高度な技術を要することで有名な悪魔のトリルだが、これ、無伴奏じゃない…はず。だが!やってしまうのだ、無伴奏で。唖然とするしかない。もの凄い気迫と痛快なまでのテクニック。強靭で確信に満ちた快刀乱麻。ヴァイオリンの可能性ってこんなに深いものなのか。音色も魅力的だ。確かに、モダン楽器のような豊潤な色気はないが、なんとも言えない美しさがある。最近の古楽器は、「古楽器だから美しくないのはしょうがない」が通らなくなってきているが、マンゼはその先駆けかもしれない。美しくエキサイティングで、挑戦的なのだ。

続く運弓法(コレッリの作品5からのガヴォットによる50の変奏曲)は、10曲を抜粋したもの。こちらも素晴らしい。フランチェスカッティが、オーケストラをバックに演奏したもの(4分ほどに編曲)があって、これはこれで大変、魅力的な演奏なのだが、無伴奏ならではの孤独感がない。バロックの作品をロマン派の常識で仕立て上げるのは、そう言う時代だから故、やむを得なかったのだろうけれども、もったいない。ちなみに、これは無伴奏のための曲。マンゼの最初は切々とした演奏は、どんどんと複雑化していく。雄弁で心地よい。

あとは、ヴァイオリン・ソナタイ短調とスコルダトゥーラ・ヴァイオリンのためのパストラーレの2曲が収められている。タルティーニとヴァイオリンの妙技をたっぷりと味わえる1枚。本来、無伴奏でないものを無伴奏にしてしまうことは、原作改変であって、時代考証的ではないんじゃないか、それは古楽としてどうなのか、という疑問は、あって当然。だけど、オノフリは、演奏するにあたって「タルティーニは無伴奏で演奏するべきと考えたのではないか」と考証しているし、マンゼも同様のことを考えているかもしれない。それに、古楽って、オーセンティックに凝り固まっているとは思わないんだよね。表現の方法として、時代考証を行っているんだと思う。今回の、無伴奏演奏も違和感がないし、説得力がある。

と言うわけで、良い発見だった。激しくお勧め。ジャケットの悪魔も不気味で雰囲気十分。CDにもプリントされているのが怖いけど(笑)。タルティーニの夢に悪魔が出てきて…で、出来たのが悪魔のトリル、と言う逸話から選んだ絵なんだろうけど、インパクトあり過ぎ。おいらなら、こんなん夢に出てきたらすぐに起きる(笑)。

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バロックは、西洋音楽文化の中でヴァイオリンの地位が一気に向上した時期である。ルネサンス期は、合唱が中心で器楽と言えば、リュートや金管楽器が中心だった。それが感情豊かで、ルネサンスに比べれば仰々しい表現手法を用いるようになったバロックの時代になって、ヴァイオリンがどんどんメジャーになって行った(と解釈している)。今も知られているようなヴァイオリンの名手・作曲家と言うのは、17世紀にはじめて登場していることからもそのことは明白だ。そして、この頃のヴァイオリン曲が意外と面白いことは、知る人ぞ知る事実。

有名な人で言えば、何と言っても、ヴィヴァルディ。名手揃いだったと言うヴェネツィアのピエタ女子養育院のために、技巧的な名曲を作曲している。それから、ロザリア・ソナタで知られるボヘミア出身のビーバーもヴァイオリンの名手であり、ヴァイオリンのための素晴らしい曲を何曲も後世に残している。また、ヴァイオリンの可能性を探究するかのような様々な演奏手法が、試されており、古典派以降、演奏法の確立された作品とは違った、開拓者のチャレンジ精神に満ち溢れたような作品もある。

さて、もう一人、忘れてはいけない人がいる(ほかにもいるかもしれないけど(汗))。イタリアのトスカーナ州、ルッカ出身のフランチェスコ・ジェミニアーニ。ルッカは、プッチーニの出身地として有名な街らしいが、古楽ファンには、ジェミニアーニの出身地として、覚えられておくべき街。

この作曲家は、アレッサンドロ・スカルラッティ、コレッリと言う、当時の器楽作曲家としては、欧州随一のビックネームに師事した後、ナポリで活躍。その後、ヴァイオリンの腕前を買われ、イギリスに渡り、更に、一時期は、パリでも活躍していたと言う。音楽理論家としても有名。

代表作は、合奏協奏曲集だろうか。コレッリの影響の強い、彼の作品は、イギリスで好評を博したと言う。しかし、今日、聴いているのは、これではない。ヴァイオリン・ソナタ作品5。元はチェロ・ソナタだが、ジェミニアーニ自身が、ヴァイオリン用に編曲したものだ。典型的なバロック音楽だけれども、多彩な表情を持つ、情熱的な作品だ。もちろん、ヴァイオリンの名手の曲だからにして、技巧的。演奏しているのは、アントン・シュテック。先日、ヴィヴァルディの作品で、触れたバロック・ヴァイオリニストである。ムジカ・アンティクァ・ケルン、コンチェルト・ケルンで活躍したが、尖り過ぎていない音色が魅力的。瑞々しく、躍動感のある演奏で、ジェミニアーニの魅力を存分に表現してくれる。伴奏は、ハープシコードのクリスティアン・リーガーとチェロのマルクス・メレンベック。ヴァイオリン+ピアノの古典派以降のヴァイオリン・ソナタよりおいらはこのスタイルの方が好きなんだよなぁ。ちなみに、ピアノ・トリオとは、全然、違うもので、あくまでも、ヴァイオリンが中心。なんか、楽しい。

余談だけれども、確かにヴァイオリンのスクロールはカタツムリっぽいよなぁ…。

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ビオンディが軽く吹っ飛んだ『四季』をリリースして、音楽ファンに少なからぬ衝撃を与えてから四半世紀近くが経つ。その後、カルミニョーラ、イル・ジャルディーノ・アルモニコ、ベルリン古楽アカデミーが、過激なピリオド演奏の『四季』を録音して、ビオンディはすっかり標準化してしまった。ビオンディが『四季』を演奏すると、古楽ファンは、「相変わらずだな」と白けた目を向ける傾向があるようだけれども、それも止む無し。逆に、ムター、カラヤン&ベルリン・フィルの演奏を聴いたりすると少し笑ってしまったりする。重厚で鈍重なヴィヴァルディ。もちろん、『四季』くらいしかヴィヴァルディは演奏しない。彼らの演奏は、今や「色もの」にしか聴こえない。それはそれで楽しいんだけれども、30年前は一般的な「名演」だったものが、今や完全に逆転した。どっちが正解と言うのはないし、個人によって好みの問題はあるんだろうけれども、状況は一変してしまった。仲間内でアンサンブルを組むことがあったとしても、モダン楽器の有名オーケストラが、指揮者とソリストを迎えて、仰々しく『四季』を録音することはなくなった。

さて、そんな常識を覆してしまったビオンディであるが、その後も、順調にヴィヴァルディの名演を世に送り出し続けている。器楽曲だけでなく、オペラの録音もだいぶ種類が揃ってきた。この間も書いたんだけれども、モダン楽器の奏者たちが殆ど手をつけなかった、バロックのオペラや声楽曲をレパートリーに入れたことは、ピリオド楽器奏者たちの大きな功績だと思う。今でこそ、演奏されるオペラはほとんど19世紀以降のものだが、本来オペラの全盛期は、バロック時代なのである。もちろん、ヴィヴァルディもオペラをたくさん書いていて、優れた作品も多い。ビオンディは、これらの作品を次々に録音しており、今月にも世界初録音となる『メッセニアの神託』の全曲盤がリリースされる。

そんなわけで、ビオンディが最も得意とするのは、ヴィヴァルディだと思うんだけれども、もう少し広い括りで言うと、イタリア・バロックがそのレパートリーの中心と言うことになる。まぁ、イタリア人だし。バロックと言うとJ.S.バッハなので、ドイツ・バロックも随分とメジャーな扱いを受けているけど、バロック~古典派の音楽の中心はイタリア。だから、ビオンディのレパートリーは、古楽では、王道。かと言って、ドイツ・バロックも全くやらないわけではなくって、J.S.バッハの録音もあるにはある。ただ、ヴィヴァルディほどのインパクトを残しているわけでもないし、ブランデンブルク協奏曲や管弦楽組曲と言ったメジャーな曲の録音でもない(管弦楽組曲はサヴァールの録音に参加してはいるが)。やはり、ビオンディはイタリア・バロック。

と言い切っておいて、新譜のテレマンを買ってみた。言わずと知れたドイツ・バロックの大物。だけど、J.S.バッハとは、別路線。気軽なバロック。イタリア・バロックのノリを持ち込んでも、違和感はないし、難しい顔をして批判されることもない。と言うわけで、軽くいつもの調子でぶっ飛ばして欲しいと言う願望は、許される。

演目は、3つのヴァイオリンのための協奏曲ヘ長調、組曲ト長調『ドン・キホーテのブルレスカ』、ヴィオラ協奏曲ト長調、2つのヴァイオリンのための協奏曲ハ長調、組曲ト短調『風変わり』。協奏曲と組曲が、交代に収録されているので、メリハリがある。と言っても、今回収録された組曲は、一般的なバロックの組曲とは異なる。『ドン・キホーテのブルレスカ』は、序曲に続き組曲を構成するのが舞曲ではなく、ドン・キホーテのエピソードをイメージした曲だし、『風変わり』も…風変わりだ(笑)。後者は、序曲から舞曲数曲と言う形なので、形式的には典型的なのかな。CDのタイトルは、Quixotte&La Changeanteとなっているので、一応このCDのメインはこの2曲の組曲なんだろう。

で、さて、聴いてみる。何と言っても、『ドン・キホーテのブルレスカ』が面白い。ブルレスカとは、「ユーモアと辛辣さを兼ね備えた、剽軽でおどけた性格の楽曲」(Wikipediaより)と言う意味。ドン・キホーテなので、まぁ、ぴったりな音楽かもしれない。その名の通りと言うか、ドン・キホーテの滑稽さが、テレマンの力で、多彩に表現されている。馬鹿騒ぎしたかと思うと、いきなり憂鬱になる。なかなか楽しい音楽だ。ビオンディの演奏は、相変わらず溌剌としていて、アグレッシブ。テレマンの滑稽さが、弾け飛ぶ。この曲、2006年の来日公演で演奏したらしい。聴きたかった…。

『風変わりな』と他の協奏曲も、ビオンディ節炸裂の快活な演奏。協奏曲での、エウローパ・ガランテの各奏者との丁々発止のアンサンブルも聴きもの。『ターフェル・ムジーク』が長すぎて聴く気が起きない時は、この1枚でテレマンの世界を楽しもうか。

ちなみに、この録音をリリースしたのは、agogiqueと言うレーベル。いつもの、Virginじゃないのか。前述のオペラの新譜は、Virginなんだけどな…。

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渋谷のタワーレコードが改装される。フロアごとに改装スケジュールが異なるので全館閉店になることはないが、行ってみたらクラシックは今は売っていません、と言う悲しい事態に陥らないように、6階のスケジュールだけは書いておこう。営業最終日は9月7日(金)23:00、改装開店日は9月30日(日)。

ちなみに、最初に改装を始めるのが、7階で、8月31日(金)19:00に最終営業を終えている。で、おいらは、6階もこのスケジュールだと思って、「セールやっているんじゃない?」と勇んで、先週、行ってきてしまった。渋谷の街って、ゴミゴミしていて苦手だし、タワーレコードにも滅多に行かないのに…やられた…。もちろん、セールもやっていなかった。何となく、雰囲気的に、今週もやりそうにない予感。まぁ、閉店するわけじゃないしね、在庫処分しちゃったら、改装開店時にアイテムなくなっちゃうから、やるわきゃないか、な…いか。……………………今週も行くべきなのか?(汗)

さて、折角、行ったからには、ショッピングをエンジョイした(笑…汗)。行くと最近はいつも長時間滞在する古楽コーナーでナイーヴのヴィヴァルディ・エディションがセール中。一部アイテムだけだけど。そして、こういう場合、大抵、HMVでもセールをやっていて、比較してから買った方がいいのは判っているんだけど、タワーレコードの商品棚にちょんっと添えられている紹介文にすぐに騙されてしまう。HMVやタワーレコードのオンラインの紹介文って、メーカーからのものなんだけど、タワーレコードの店舗の紹介文ってオリジナルっぽいんだよね。だから、妙に生々しいし、なんか上手いんだよなぁ。で、結構、期待を裏切らない。で、で、で!買ってしまう。

つうわけで、ヴィヴァルディ・エディションを含む古楽ものを数枚購入。ヴィヴァルディ・エディションってだいぶ前から企画を進めていると思うんだけど、対象が膨大すぎて、いつまでたっても完結する様子がない。そして、内容が、とんでもなく充実しているので、次々に買ってしまう(タワーレコードの紹介文に釣られただけではない!)。たぶん、完結した暁には、100枚組1万円とかでまとめ売りされるんだろうなぁ。と思いつつ、早く手元に置いて、たくさん聴くことができる優位性に価値がある、と信じる。実際そうだと思うし。それに、ヴィヴァルディ・エディションがいくら楽しいからと言って、全部あっても…ねぇ。いいんだけど(笑)。

さてさて、購入したヴィヴァルディ・エディションのうち、1枚を紹介してみる。New DiscoveriesⅡと言うタイトル。もちろん、ⅡなのでⅠもあるんだけれども、今回のセールの対象になっていたのはⅡだけっぽかったので、とりあえず、Ⅱを購入してみた。

内容は、そのタイトルの通り、新しく発見された作品集(偽作が真作と認定され、めでたくヴィヴァルディの作品となったものを含む)。古典派以前の作曲家の作品って、ロマン派以降の「数百年未来にも自分の作品を残してやる!」という意気込みで作曲されたものは、あまりなくって、作品は、ほぼ消耗品だったと考えていい。ヴィヴァルディだって、自分の作品が、まさか、300年以上も未来の極東の地で聴かれるとは思っていなかったんじゃないかな。そう言うわけで、多くの作品が、各地で散逸してしまった。凡才の凡百な作品も多くあって、そんなものを発掘していてはきりがないのだが、ヴィヴァルディとなれば話は、別。新しい作品が見つかれば、大騒ぎになる(※一部マニアの間で)。

2010年にも、イギリスのサウサンプトンで、『偉大なるムガール人』と題されたフルート協奏曲が発見され、2011年に再演(初演かもしれないけれども)されている。ヴェネツィアの作曲家の作品が、サウサンプトンにねぇ。ちょっと、おいらも本棚とか引き出しを探してみるか。

この『偉大なるムガール人』を含む、“新しい”ヴィヴァルディの作品を収めたCDが、New DiscoveriesⅡ。Ⅰは2000年から2007年に発見された作品、Ⅱはそれ以降に発見された作品が対象。1枚に収まるくらい新発見があるって…凄いな。収録曲は前述のもののほか、散逸してしまったオペラのアリアの一部やヴァイオリン・ソナタ、ヴァイオリン協奏曲など。ジャンルに統一性がないのは、選曲の趣旨からしてしょうがないんだが、まぁ、だからと言って、特に違和感を感じないのは、プログラミングがうまいせいかもしれない。

演奏は、サルデッリ率いるモード・アンティコ。サルデッリは、ヴィヴァルディの作品を発見したり、偽作とされていた作品を真作認定したり、散逸してしまったパートを再現したりしていると言うから、ヴィヴァルディ再興にだいぶ貢献している人だ。もちろん、古楽器での演奏。聞いたことのない作品を小気味よく、披露してくれる。ヴァイオリンのソロは、アントン・シュティック。ムジカ・アンティクア・ケルンの元メンバーで、コンチェルト・ケルンのコンサート・マスターを務めていた人。と言うわけで、当然、筋金入り。上手いし、音は華があって綺麗だし、適度にエキサイティング。ミナジにしてもそうだけど、バロック・ヴァイオリンは音が貧相だってのは嘘だよねぇ。協奏曲RV.817で、ノリの良い素晴らしい演奏が楽しめる。フルート(正確には、フラウト・トラヴェルソ)は、アレクシス・コセンコ、メゾ・ソプラノはアン・ハレンベルク。どれも、高水準の名演奏。コセンコは、『偉大なるムガール人』のソロを務めているのだが、小粋な曲を爽快に仕上げてくれている。

さて…New DiscoveriesⅢはあるんだろうか?サルデッリは、ヴィヴァルディの未知の曲はたくさんあると言っているので、期待してもいいかもしれない。ま、その前にⅠ買うか。

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ヴィヴァルディの『四季』をはじめて、生演奏で聴いたのは、イ・ムジチ合奏団の来日公演だった。毎年のようにやってくるイ・ムジチ合奏団だけれども、海外の一流楽団と言うことで、ワクワクして会場に向かった記憶がある。まだ、数回しか全曲を通して聴いたことがなかった頃だ。コンサート・マスターの楽器がストラディバリだとかで、感心していた記憶。

今は、ビオンディだの、カルミニョーラだのを知っているので、イ・ムジチ=『四季』ではないが、当時は、『四季』と言えば、イ・ムジチだった。もうすでに、ビオンディはOPUS111から最初の『四季』をリリースしていたはずなんだけれども。

今は、古楽の演奏と比較して、楽しんでいるわけなんだけれども、考えてみると、イ・ムジチのヴィヴァルディは『四季』しか持っていない。これはゆゆしきことである。と言うわけで、ヴァイオリン協奏曲集を買ってみた。ユニバーサルのClassical Choiceシリーズからお安く再リリースされた1990年代の録音。おいらが行った『四季』のコンサートでもコンサート・マスターを務めていたマリアーナ・シルブが、6曲中、4曲で活躍している。演目は、ヴァイオリン協奏曲RV.271『恋人』、同RV.582『聖母マリア昇天祭のために』、同RV.180『喜び』、同RV.253『海の嵐』、同RV.552『遠くのこだま』、同RV.362『狩り』。全てタイトルが付いているものだ。取っ付きやすい。

演奏なんだが、なんか…新しい(笑)。古楽に慣れてしまうとこのヴィヴァルディは新しい。古楽でしか聴いたことのない曲だと特にそう。こんなにもビブラートを掛けるのか、とか、音が均整で整っているな、とか。何度も、古楽系の演奏と聴き比べてしまう。優美で美しい佇まい。早い楽章でもエキサイティングしないし、優雅に歌う、歌う。部屋を支配する雰囲気は、気品のある、落ち着いた空気だ。これも、これでヴィヴァルディ。これは、もちろん、これでいいんだが、これしかないとなると、詰まらないかもしれない。エキサイティングなヴィヴァルディがあって、優美なヴィヴァルディがある。選択肢のあるということは大切。良い時代になったんだと思う。モダン楽器のヴィヴァルディは駆逐されつつあるような気はするんだけれども、まぁ、録音は残るから…。

しかし、もっと聴いてみようか、と思っても、意外と『四季』以外の録音が少ない(と言ってもそこそこあるけど)のと、あと、声楽曲を全く無視しているんだよね、イ・ムジチ。モダンの他の楽団もそうだけど。オペラの録音なんて全くない。録音するほどの価値を見出さなかったのだろうか。よくモダン楽器の演奏はロマン派的と言うけれども、前時代のオペラを否定的にとらえたロマン派の流れをこう言うところでも汲んでいると言うことなのかもしれない。オペラまで行かなくとも宗教曲なんかはやればいいのに。

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イギリスから1冊の本が届いた。amazon.co.jpで気軽に日本語で個人輸入が出来てしまう時代。もちろん、amazon.comやamazon.deでしか買えないものもあって、面倒な個人輸入もまだまだ健在なんだけれども、以前に比べればグッと「日本で手に入り難いもの」が身近になった。

さて、今回、届いたのは、Venetian Curiositiesと言うCD付のハードカバーの小冊子。ヴェネチアの…珍品と訳すべきなのか、好奇心と訳すべきなのか。英語は苦手なので読む気はしない。ヨーロッパの美術館の隅っこに飾ってありそうな絵画がふんだんに使われているので、楽しめないこともない。本文の作者はドナ・レオン。ヴェネチア在住のアメリカ人女流作家…だそうだ。和訳されているものがあったら、今度読んでみるか、って程度しか興味はないんだけれども、付録で付いているCDが魅力的なのだ。

ヴェネチアと言えば、そうそう、ヴィヴァルディ。と言うことで、ヴィヴァルディの7つの協奏曲が収められている。演奏は、リッカルド・ミナジ率いるイル・コンプレッソ・バロッコ。再び、ミナジの登場である(気にいると続けて買う傾向あり)。イル・コンプレッソ・バロッコは1992年に設立されたイタリアの古楽楽団。これまでVirginにヘンデルのオペラをいくつも録音しているほか、オペラ・アリア集やヴィヴァルディのオペラをリリースしている。しかし、HMVを検索する限り、歌ものばかりで、器楽曲の録音はないようだ。

本の附録CDなのに、この演奏陣で、この企画のために録音したという凄い代物。本の付録なら、適当な音源の寄せ集めとか過去音源の復刻とかでいいじゃん…と思わず、本気でCDを作っちゃった、と。いや、何と言うか、もったいないというか、ね、もう。ちなみに、リリースされたのは、ミナジが登場したnaiveのヴィヴァルディ・エディションよりちょっと前なので、おいらが、ミナジのヴィヴァルディを是非リリースして欲しい!と言っていた頃にはリリースされていたのかもしれない。リサーチ不足…なんだけど、なかなか、このCDの存在には気付かないよなぁ。

演目は、ヴァイオリン協奏曲『お気に入り』RV.277、チェロ協奏曲RV.398、オーボエとファゴットの為の協奏曲RV.545、ファゴット協奏曲RV.489、弦楽の為の協奏曲『マドリガル風』RV.129、オーボエ協奏曲RV.448、ヴァイオリン協奏曲RV.386。様々な楽器の協奏曲を集めたもの。ミナジはコンサートマスターで、『お気に入り』のソロも務めているが、RV.386はドミトリー・シンコフスキーと言うロシアの新進バロック・ヴァイオリニストが務めている。チェロ協奏曲のソリストはマルコ・チェッカートと言う奏者だが、楽団には、ルードヴィコ・タケシ・ミナジと言うチェリストが出ている。兄弟だろうか。マサヒデの次は、タケシ。うん。まぁ、いいや。

演奏は、期待を裏切らない出来。すんごーく、活き活きしている。もちろん、明朗。華麗に暴走してくれるヴィヴァルディってホント、カッコいい。RV.386のヴァイオリン協奏曲の終楽章の伴奏でハイスピードでゾワゾワゾワと言うあたりとか、すんごいノリだと思う。この曲、カルミニョーラも録音しているんだけど、あんまりにも印象が違って面白い。シンコフスキーのヴァイオリンも良い。出身のロシアは古楽的には辺境の地だけれども、今後、ロシア・バロックなんてものを持ち出してきてくれたりするんだろうか。つか、ロシアのバロック音楽なんて聞いたことないんだけれども。ファゴットの為の協奏曲でも、演奏は溌剌としている。主役は低音でボコボコ鳴っているのに。

こんな楽しい録音を本の付録にだけ収めておくのはあまりにも勿体ない。まぁ、本買えばいいんだけど。CDと値段変わらないし。今後も、ミナジのヴィヴァルディには、期待していきたい。取り敢えず、『四季』欲しいよなぁ。

なお、今回も、PVをちゃんと作ってyoutubeにアップしているので、こちらへどうぞ。

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