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器楽奏者が指揮者に転向する例は枚挙に暇がない。そして、大抵はファンをがっかりさせる。指揮者として成功するか否かではなく、その楽器の演奏が聴けなくなってしまうから。ゼロではないにせよ、機会はグッと減る。録音もグッと減る。

トマス・ツェートマイアーもそうした演奏家の一人ではないだろうか。

この人は随分前から活躍してはいるが、自分が、「お、この人凄いな」と意識したのは、ムジークフェラインで聴いたブロムシュテットとのベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲だった。正統派とも言える質実剛健なブロムシュテットの伴奏に対して、鋭く自由奔放な演奏を披露してくれた。カデンツァなんか変なことやりまくっていて、今まで聴いたことのないようなベートーヴェンになっていた。超個性派。たぶん、こういうのを怪物と言うのだろう。

これは3年程前の話。じゃぁ、その前は?と言うと、これは録音でしかわからないんだけれども、カメラータ・ベルンとの『四季』を聴く限り、やっぱり一筋縄ではいかない演奏家だったようだ。モダン楽器での演奏だけれども、ピリオド楽器でのそれと比較しても一歩も引かぬほど自由奔放。もちろん、アーノンクールと共演するなど、ピリオド奏法には否定的ではないだろうし、少なからぬ影響もあるだろう。それにしたって、やりたい放題。

そんなツェートマイアーなんだけれども、最近は、指揮者としての活躍ばかりが目立つ。今年で52歳。まだまだヴァイオリンの演奏が聴きたいぞ。えっと、ま、あんまりCD持っていないけど…。

そんなわけでツェートマイアーの新譜。ラヴェルとドビュッシーの管弦楽曲集。オーケストラはパリ室内管弦楽団。指揮者じゃん、とがっかりするなかれ、1曲目にツィガーヌを演奏してくれている。もちろん、ソリストはツェートマイアーだ。目当てのヴァイオリニストの協奏曲を見つけたら、そのヴァイオリニストは指揮者で、聞いたこともないヴァイオリニストがソロを務めていた…なんて、ありがちなトラップは仕掛けられていない。

で、このツィガーヌがなかなか凄いのだ。冒頭の無伴奏で演奏される部分からして、強烈。この曲の持っている民族的な部分を強調しているわけではないんだけれども、何とも濃い味わいの導入である。リズムも何ともスムーズにいかず、ぎこちなく刺激的な響きによって音楽が進められていく。リズミカルで踊りたくなるような部分でも、簡単には躍らせてもらえない。ツェートマイアーのヴァイオリンが鋭く刻みつけてくる。こんなツィガーヌって…あ、いや、これがツィガーヌのあるべき姿なのかも…と言う心地よい錯覚を覚える。

のっけから驚かされるが、以降のオーケストラ作品は、清冽だったり美しかったり、冷静で分析的だったり…なかなかの名演。ヴァイオリンの演奏活動を控えすぎない程度に指揮者でも頑張ってくれればと思う。

それにしてもジャケットの写真…レスラーか?(笑)実際、デカいしパワフルな見かけな人だけどね。片手でリンゴは潰せそう。

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イギリス近代作曲家は弦楽合奏の曲を多く作曲したイメージ。では、その弦楽の中心的存在であるヴァイオリンの作品はどれくらいのものがあるのだろうか。あまり気にしたことはなかったのだけれども、イギリス近現代のヴァイオリン作品を集めたCDがリリースされたので聴いてみた。

演奏は、タスミン・リトルとサー・アンドリュー・ディヴィスが指揮するBBCフィルハーモニック。演目は、モーランのヴァイオリン協奏曲とディーリアスの伝説曲、ホルストの夜の歌、エルガーの朝の歌、夜の歌、愛の挨拶、ヴォーン・ウィリアムズの揚げひばり。

CDのタイトルは揚げひばりだが、収録時間的にはモーランのヴァイオリン協奏曲が約半分近くを占め、メインと言うことになるだろう。モーランのこの曲は聴いたことがなかったと思うが、一時期シンフォニエッタをよく聴いていたので作曲家には馴染みがある。ヴォーン・ウィリアムズやホルストの流れを汲み、イギリス民謡に強く影響された作曲家だが、モーランの歌い回しは独特なものがある。イングランドではなくアイルランドの系統だったことが影響しているのだろう。このヴァイオリン協奏曲でも、モーラン節の哀愁をたっぷりと味わうことができる。

2曲目に入っているディーリアスの伝説曲は、このCDの中でも特に美しい曲だ。ディーリアスの作品は、茫洋としていて掴みどころがないと感じる人がいるみたいだが、この曲のこのメロディを聴いてみれば、思いを改めるのではないだろうか。どこか東洋風の懐かしい感じのする音楽だ。

朝の歌、夜の歌、愛の挨拶はエルガーの小品3連発と言うことになる。愛の挨拶は言わずと知れた名曲。ヴァイオリンを習い始めた人が弾いてみたい曲に挙げることの多い曲。朝の歌、夜の歌もなかなかの佳作。

最後は、タイトルの揚げひばり。こちらもイギリス近代を代表する名曲として知られている。リトルは2度目の録音のはず。1度目もサー・アンドリュー・ディヴィスとの共演だった。

リトルの演奏は技巧的なものとは違うけれども、イギリス音楽のスペシャリストだけあって、愛着を持って丁寧に、美しく歌い上げている。とってもイギリスローカルな感じのするヴァイオリニストだけれども、イギリス音楽好きには欠かせない存在だ。ずっとローカルでいて欲しい(笑)。



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ピアノ曲と言うのをあまり聴かない。「クラシックを聴きます」と言うと、なぜだか、真っ先に上がってくる作曲家はショパンで、「あ、私もショパンなんかを…」ってなるんだけれども、もう、ね…。反応しきれないのだ(汗)。世の中のショパンのメジャー度がせめて、ヘンデルくらいになってほしい。ショパンがオサレと言う意識もなくなってほしい。もっとも、自分が聴く曲が偏っているのは、自覚しているんだけれども、それは、趣味でしょうがないと、全く反省はしていない(笑)。世の中がショパン=クラシックならアンチ・クラシックで良い、と捻くれてみる。別にそこまでショパンを否定したいわけじゃないんだけど(汗)。

そんなわけなんだけれども、新譜が出てくるとついつい手に取ってしまうピアニストがいる。アレクサンドル・太郎…いや、タローだ。この人のCDは一筋縄ではいかない拘りがある。どのCDもタローらしい筋の通った美感が感じられる。

今回の新譜は、『オートグラフ』と題されたアンコール用小品集。実際、タローがコンサートで、アンコールに演奏することが多い作品を収めたもの。こういう企画をすると単にどこかで聴いたことのあるメロディの小品をズラリと並べて、それにちょっと自分好みの作品を加えた、商業主義的+ピアニストの自己満足と言うプログラムになりがちなんだけれども、そこは流石タローで、捻りの効いた洒脱なプログラムになっている。

最初は、J.S.バッハの前奏曲ロ短調(BWV855より)からはじまり、最後はやはりJ.S.バッハのアンダンテ(BWV979)で締めくくる。このJ.S.バッハの間に、フォーレ、ラモー、グルック、ラフマニノフ、チャイコフスキー、グリーグ、シベリウス、スクリャービン、メンデルスゾーン、ショパン、クープラン、シャブリエ、スカルラッティ、ビゼー、セルヴァンテス、ストラノワ、プーランク、モンポウ、タイユフェール、サティと実に20人もの作曲家の作品が登場する。J.S.バッハ以外は同じ作曲家の作品が2度登場することはない。

これだけの数の国も時代も異なる作曲家が並ぶと、収拾がつかなくなりそうだけれども、それを70分の一つのまとまりのあるCDにしてしまうのだから、プログラミングの妙である。どの曲も前後の曲に違和感がないから、気持ちを切り替えないでスッと聴けてしまう。これは見事。

演奏も、極上だ。この人のピアノは、繊細なようでいて、時に力強く、表情が豊かだ。通俗名曲であっても、鮮烈で綺麗な響きが至福の空間を作ってくれる。捻りの効いたプログラムの中で、ショパンは『子犬のワルツ』が選ばれているのだけれども、これがまた透徹された響きで、実に美しいのだ。プログラムの中盤で、少し息抜きしたいところで、この『子犬のワルツ』は、実に効果的だ。

小粋で綺麗な小品集に仕上がっていて、やっぱ、タローは期待以上のCDをリリースしてくれるなぁ、と感心。ちなみに、レーベルはいつの間にかエラート。

 

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ヴェラチーニの名前をはじめて知ったのは、大方の人と同じかもしれないが、ラルゴを聴いた時だった。グリュミオーの小品集の中に収められていたのだけれども、あの甘く切ないメロディは数ある名曲の中にあって、特に耳に残った曲の一つだった。

そこで、ヴェラチーニに興味を持って、CDショップなんかをうろついたんだけれども、古楽に興味のなかった頃で、大した収穫もなく「一発屋かな?」くらいで終わってしまった。

もちろん、古楽を知るようになれば、ヴェラチーニを一発屋呼ばわりをするわけにはいかない。特に、ヴァイオリン好きであれば、尚更だ。だけれども、なぜか、それほど執着するでもなく、今まで過ごしてきた。ラルゴ好きだったのになぁ…。

で、さて、やっぱり、改めて聴きなおしてみるとヴェラチーニは好きな作曲家である。ここ数日手に入れたばかりのこの作曲家のCDをよく聴いているんだけど、バロックらしいノリの良さと、独特のメロディアスな響きが何とも魅力的なのだ。あのメロディラインは、聴きようによっては、バロックらしからぬ気もするんだけれども、どうだろうか。他のバロックの作曲家と比べるとメロディがはっきりとしていて、ドラマチックだ。

そんなわけで、当然、演奏者はラルゴを除けば、バロック・ヴァイオリニストが多いんだけれども、モダン楽器でも十分映える作曲家だと思う。

今聴いている前述のCDは、バロック・ヴァイオリニストのリュディガー・ロッターと彼の創設したバロック・アンサンブル、リリアルテによるもの。このコンビと言えば、ビーバーのロザリオ・ソナタをライヴ録音すると言う暴挙(?)に出たことで印象に強い。もちろん、演奏も素晴らしかった。また、今回の録音では、ブロックフレーテにオベルリンガー、チェロに、フライブルク・バロック・オーケストラの首席チェリストを務めるフォン・デア・ゴルツが参加している。

タイトルは、The Enigmatic Art of Antonio and Francesco Maria Veracini。謎めいているのか、ヴェラチーニ。ちなみに、ヴェラチーニと言うと、一般的にはフランチェスコ・マリアだが、彼の叔父であるアントニオも、音楽家であり、フランチェスコ・マリアの師匠だった。このCDには、タイトルからもわかるとおり、アントニオの作品も収められている。フランチェスコ・マリアがアントニオから多大な影響を受けていたことがわかる内容だ。

ロッターは、ゲーベルの弟子だが、師匠ほどスリリングなことはしてこない。ロザリオ・ソナタでもそうだったけれども、流麗で音が綺麗だ。ヴェラチーニの歌心を満喫するには、この上ない響き。古楽器奏者らしい闊達さもあって、一気に聴き切ってしまう。ジャケットのロッターの写真もなんだか、雰囲気があって、良い感じだ。安いんだか高いんだかわからないレーベルOEHMSからのリリース。ヴェラチーニ入門には最適な1枚。

 

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どんどん寒くなってきている、と言うのに、『真夏の夜の夢』を聴いている。重厚なドイツ・ロマン派にありながら、通俗的で軽妙なイメージの曲かもしれない。しかし、これが良いんである。メンデルスゾーンの颯爽たる美感が満載で、この作曲家好きなら堪らない…と思う。

で、今聴いているのが、シューリヒト盤。バイエルン放送交響楽団との共演で、1960年の録音。コンサートホール音源の復刻版で、タワーレコードとDENONが協力してリリースしたシリーズの一つ。カップリングに、『フィンガルの洞窟』、『美しいメルジーネの物語』、『ルイ・ブラス』の3つの序曲を収めている。序曲のうち『フィンガルの洞窟』は、南ドイツ放送交響楽団(現在のシュトゥットガルト放送交響楽団)、後者2曲は、南西ドイツ放送交響楽団(現在のバーデン=バーデン&フライブルクSWR放送交響楽団)との共演。南ドイツの3つの放送交響楽団を振り分けた格好のCDだ。

音質は決して良いとは言えない。これはコンサートホール音源なので止むを得ない。しかし、演奏は、極上だ。シューリヒトの演奏は、まったくくどくない。無駄に引っかからないし、重厚に鳴り響くこともない。ベートーヴェンの演奏なんかでもそうなんだけれども、シューリヒトの演奏は、一見あっさりしている。質実剛健、鈍重な演奏がもてはやされた時代に、こんなさっぱりとドイツ・ロマン派を演奏してしまう指揮者がいて、高い評価を得ていたのは少し意外ですらある。だけど、ただあっさりでは終わらないのがシューリヒトの凄いところで、案外、聴いている方は、「あれ?熱くなっている…」と言う幻惑に陥るのだ。これがメンデルスゾーンの曲には案外うまいアクセントになっている。

シューリヒトとメンデルスゾーンってなんとなく結びつかなかったんだけれども、なかなか相性がいいようだ。序曲3曲も聴いているうちに惹き込まれてしまう。歴史が浅く、ドイツ色が強く出過ぎない放送オーケストラは順応性が高く、いずれの楽団も好演している。

ジャケットは、古い録音にありがちな白黒のシューリヒトの写真。最近のCDのジャケットと比べると、写真家のセンスも異なっている。演奏も変われば、写真も変わる。このシリーズは、大体こんな感じのジャケット。それはそれでいい。演奏も良い。結構貴重なシリーズだ。



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古楽を聴く、バロックを聴くと言っても、器楽、特に、バロック・ヴァイオリンに偏りがちなのは、個人的には、良くないな、と思っている。ヴァイオリンを習っているので、そっちに興味が向いていくのは致し方がないんだけれども、そのせいで、聴く音楽の幅が狭くなると言うのは、褒められたことではない。バロック期の音楽について言えば、器楽曲が増えてきているとは言え、音楽の中心は声楽曲だった。そもそも、バロック音楽の誕生=オペラの誕生なのだから、声楽を抜きにしては語れないのだ。

と言うわけで、バロック期の声楽曲を聴いている。「ギーズ家のためのモテット集」をテーマにしたマルク=アントワーヌ・シャルパンティエの作品集。ギーズ家は、シャルパンティエがローマへの留学からパリに戻って以降、仕えた(または、「気に入られていただけ」という説も)貴族で、シャルパンティエは音楽好きのギーズ侯爵マリー夫人のために、相当な数の宗教曲を作曲した。シャルパンティエがローマから帰ってきたのが1667年で、1688年頃までギーズ家との関係が続いたことを考えるとその期間は約20年間にもなる。

この間、太陽王ルイ14世に気に入られて、王室の音楽関係を取り仕切っていたのは、ジャン=バティスト・リュリであり、シャルパンティエは、リュリとは仲が悪かった(と何かの本で読んだ記憶)。シャルパンティエがパリで活躍するためには、ギーズ家と言う大きな後ろ盾が必要だったのだろう。特に、シャルパンティエは、リュリと当時敵対関係になっていたモリエールと仕事をしていたので、リュリから音楽活動の邪魔をされたことは想像に難くない。ちなみに、リュリ自身もギーズ家の一族の者にその才能を見いだされて、出世の糸口をつかんでいる。

さて、今聴いている「ギーズ家のためのモテット集」は、そのタイトルの通り、上記の20年間に作曲されたモテットの一部を収めたもの。ミゼレーレ H.193、Annunciate superi H.333、それにこのCDのメインタイトルになっている聖母マリアのためのリタニ― H.83が収められている。また、それぞれの曲間には、器楽曲のアンティエンヌ H.526と序曲 H.536が演奏されている。有名なテ・デウムとは、まったく異なる静謐な作品揃いだ。

演奏は、セバスティアン・ドゥセ率いるアンサンブル・コレスポンダンス。ハルモニア・ムンディ・フランスからのリリースで、これがこのレーベルでのデビュー盤となる。それまでは、Zig-Zagから何枚かCDを出している。

今回のプログラムは、祈りの音楽だが、彼らの演奏は透明感があり、実に美しい。純粋な信仰心を持つ響きが、部屋の空気を震わせる。ココロ、洗われる。パリを訪問した際、シャルパンティエの活躍したギーズ家の邸宅だったスーピーズ館も見てきたのだが、その室内の様子を思い出しながら聴くのも、個人的には一興である。もちろん、シャルパンティエをイヤホンで聴きながら館内を巡ったんだけど、ここには貴重な公文書が展示されており、ナポレオンの自筆の文書などを見た記憶。音楽好きなら、パリを訪れる機会があったらぜひ寄りたい場所だと思う。

ちょっと話がそれたけれども、たまにはこういう落ち着いた、と言うか、綺麗なバロック期の音楽も良いなぁ…と思った、寒い寒い秋の夜…。

 

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ヨハネス、と言えば、ブラームス。このドイツ圏にありがちな名前をファーストネームに持つ音楽家は、案外少ない。

ヨハネス・プラムゾーラーと言う名前をはじめて見たとき、ふと頭に浮かんだのはそんな、どうでも良いことだった。むしろ、名前であれば、プラムゾーラーと言うファミリーネームの方が気になりそうなものだけれども…。

さて、そんなわけで、今回は若きバロック・ヴァイオリニスト、ヨハネス・プラムゾーラーの新譜を聴いてみた。

プラムゾーラーは、1980年、南チロルの生まれ。レイチェル・ポッジャーの主宰するブレコン・バロックにも参加している。自身でも、インターナショナル・バロック・プレイヤーズを主宰し、徐々に頭角を現してきている。

ソリストとしてCDをリリースするのは今回が2枚目。しかも、自主制作レーベル、Audax RECORDSの第1弾となる記念すべき1枚だ。テーマは、ヴァイオリンのためのソナタ集。伴奏のチェンバリストは、プラムゾーラーと同い年で、フランスのナンシー出身のフィリップ・グリスヴァール。このフレッシュなコンビで挑むのは、コレッリのヴァイオリン・ソナタop.5-1、テレマンのターフェルムジークからイ長調のソナタ、ルクレールのヴァイオリン・ソナタop.9-6、ヘンデルのヴァイオリン・ソナタHMV.371、アルビカストロのラ・フォリア。

1曲目のコレッリから、瑞々しくも引き締まったプラムゾーラーの音色に魅了されてしまう。リズム感も素晴らしく、バロック・ヴァイオリンの魅力を存分に楽しむことができる。できれば、op.5を全曲聴きたいものだ。続くテレマンとルクレールでも、豊かで素敵な音色、技術の冴えを披露してくれる。腕自慢のバロック・ヴァイオリニストたちが録音を残してきたヘンデルでも活き活きとした演奏を聴かせてくれる。ヒロ・クロサキほど芳醇な響ではないし、リッカルド・ミナージほど過激ではないけれども、キリリと引き締まり、澄み切った響きは、この曲の新たな魅力に気付かせてくれる。

そして、〆のアルビカストロ、これが良い。ラ・フォリアは、コレッリとヴィヴァルディが有名だけれども、数多くのバロック期の作曲家が惹かれたテーマであり、謎に満ちた作曲家アルビカストロの残した数少ない作品の中にも、ヴァイオリン・ソナタがある。コレッリやヴィヴァルディに負けず劣らぬ魅力的な作品だ。この佳作をプラムゾーラーは見事にさばいていく。仄かに香る狂気、ドラマチックで影のあるバロックの響きを雄弁に、その演奏に添えていく。見事。

今回のソナタ集は、2枚目のCDとは言え、プラムゾーラーにとっては、名刺代わりの1枚となるもの。今後が楽しみなバロック・ヴァイオリニストであることを強く印象付けることができたのではないだろうか。

 

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ハイドンの歌曲を聴いている。CDのタイトルは、『イギリスとスコットランドの歌曲集』。

ハイドン、あのウィーン古典派3巨匠のヨゼフ・ハイドンである。ちょっと意外なんだけれども、ハイドンは、イギリス民謡の編集を行っている。ロンドンで活躍していた時期もあり、思い返してみればさほど不思議なことではないんだけれども、イギリス民謡と言うと、ついつい後年のイギリス近現代の作曲家たちを思い浮かべてしまう。ヴォーン・ウィリアムズやホルストとは、ハイドンは結び付きにくい。

実際、音楽そのものは、イギリス近現代とは全くの別物だ。当然と言えば、当然なんだけれども、ウィーン古典派色が濃厚。オペラのアリアを聴いているようですらある。もちろん、民謡らしい軽妙さや馴染みやすさはあるんだけれども、ここで聴く歌曲で惹かれるのは、ウィットに富んだハイドン節だ。交響曲や弦楽四重奏曲で聴いた、あの歌い回しの中に、イングランドやスコットランドの響きを含めた可愛らしい音楽だ。

演奏は、マイリ・ローソンのソプラノ、伴奏にオルガ・トヴェルスカヤがフォルテピアノを担当している。また、一部の曲にバロック・ヴァイオリニストのレイチェル・ポッジャーが参加しているのは、古楽好きにとっては嬉しいサプライズだ。チェロが参加している曲もあり、こちらは、オレグ・コーガンと言う奏者が担当している。歌曲としては、珍しい伴奏編成だが、これはこれで新鮮で面白い。

マイリ・ローソンはこれがデビュー盤。その後は、ラ・セレニッシマの一員として活躍している…って、えっと、これは意外。ラ・セレニッシマって、バロック・ヴァイオリニストのエイドリアン・チャンドラーが主宰するバロック器楽アンサンブルなんだけど、その中に、一人だけ、ソプラノ歌手がいる。なんなのだ(笑)。以前、こちらの記事で紹介した通り、ラ・セレニッシマは、イギリスの古楽アンサンブルとしては珍しく、ヴィヴァルディを得意とする楽団。マイリ・ローソンも、ヴィヴァルディの録音で何枚かのCDに名前を連ねている。今回のハイドンの歌唱では、温もりのある優しい歌声が印象的だ。

レーベルは、Opus111。中古で入手したので、実は廃盤になっていたりする。良いCDだったので、一応、感想を交えて書いてみた。

 

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台風が過ぎ去った。快晴。部屋に閉じ籠っているのもなんなので、ふらりと神保町に散策に行ってみた。今、ちょうど古本祭りをやっている。祭りとはいうものの、皆本を黙って物色しているので、基本的には静かである。なので、案外に何時もの古本街の空気感は失っていないのがうれしい。過去こそ偉大みたいな考え方は嫌いだけれども、神保町のちょっと時が止まってしまいそうな独特の雰囲気は好きなのだ。今日もそんな空気を楽しみつつ、ウィンドショッピングを楽しみ、最終的にディスクユニオンへ。古本祭りと関係があるのかないのかわからないけれども、狭い店内は結構混み合っていた。数枚のCDを購入して、外へ出ると、ひんやりとした秋の空気。ほの暗くなっているけれども、まだ電灯の下で大勢の人が、本を探していた。

さて、今日買ってきたわけじゃないけれども、こんな風情が似合う1枚のCDをご紹介しよう。

ピエール・フルニエのチェロ小品集。1964年に録音され、コンサート・ホール・ソサエティからリリースされた1枚。コンサート・ホール・ソサエティは、1970年代まで活動していたレーベル。日本でも通販で安いレコードを販売していたらしい。実在するかどうか怪しい楽団などが登場したレーベルだそうだが、日本の家庭にクラシック音楽なるものを普及するのに多大な影響を及ぼした、らしい。

ただ、中にはシューリヒトだの、ミュンシュだのと言った超大物が混ざっていたので、今でも時々、復刻が進められている。今回のフルニエもそうしたものの一つ。タワーレコードとDENONとの共同企画によるもの。

まず音が流れ出して思うのは、「古い!」と言うこと。音質も時代相応以下なんだけれども、企画とか、編成が、なんとも古臭いのだ。バロックものをやるのに、チェロの後ろでオーケストラが、鈍重に眠たげに鳴り響く。これ、今じゃ流行らない、っていうか、演奏されることのないタイプだと思う。ちなみに、バックはジャン=マリー・オーベルソンなる指揮者の率いるパリ・コンサート管弦楽団。何なんでしょうか、この楽団は(笑)。

それでも、フルニエの演奏が、すべてをチャラにしてくれる。温もりがあって、芯の強い確りとした演奏だ。もちろん、今日的な演奏を聴きなれている耳には、古い演奏手法に聴こえるだろうけれども、それはありがちな「古臭い音」ではなく、「古き良き音」なのだ。昔はよかったわけではない。けれども、忘れがたい音もある。その一つが、フルニエのチェロなのだと思う。正直、大演奏家と崇められている人であっても、今更聴く気の起きない人は多いけれども、フルニエの演奏は、時々、引っ張り出してきて、哀愁に浸りたくなる貴重なものだ。

フルニエの演奏するサン=サーンスの白鳥を聴きながら、神保町の喫茶店で一服したら、たぶん、今日と言う文明的な日を忘れることができるんじゃないだろうか。たまにはそんな日があってもいいと思う。



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ヴァイオリンは、西洋伝統音楽において最も重要な楽器の一つである。オーケストラでは、その要であるコンサートマスターをこの楽器の奏者が務めるし、弦楽四重奏のリーダーだってそう。

でも、ヴァイオリンがメジャーになったのは、長い西洋音楽史の中でそれほど古い話ではない。古楽を聴いていれば、大体、17世紀の半ばから後半くらいが、ヴァイオリン音楽の本格的なスタートだったことがわかる。もちろん、ルネサンスの頃から楽器としては存在したのだけれども、重要な楽器として、アンサンブルの中心になり、作品の中心に出てくるのはこの頃だ。そして、何事においてもそうだけれども、出始めと言うのは、刺激的でチャレンジ精神にあふれている。

そんな時代の音楽を集めたCDがリリースされた。タイトルは『スパイシー』サブタイトルに、“Exotic” Music for Violinとある。この時代の作品集に付けるには、最適なタイトルだ。演奏者は、メレット・リューティとレ・パシオン・デ・ラーム。リューティはスイスのベルン出身の女流バロック・ヴァイオリニスト。レ・パシオン・デ・ラームは、リューティをリーダーとした、ベルンの新しい古楽アンサンブルである。ホームページを確認すると日本人も参加しているらしく、紹介の動画では、日本語での挨拶も聴ける。その影響か、DHMからリリースされた、この輸入盤のCDにも、日本語の解説がついている。

収録曲は、シュメルツァーの4声のための剣術学校、ソナタ『トルコ人を破るキリスト教徒の勝利』、ビーバーの技巧的で楽しい合奏から第3番と第6番、ヴァイオリン・ソロのための描写的なソナタ、フックスのパルティータ『トルコ風』。

パッと見気になるのはシュメルツァーのタイトルが異彩を放っていること(笑)。シュメルツァーだしな…しょうがない(汗)。タイトルはともかく、注目したいのは、ソナタ『トルコ人を破るキリスト教徒の勝利』。これ、ビーバーのロザリオ・ソナタの第10番をまるまるパクって変調しただけと言う代物。最後の方にオリジナルのメロディをくっつけてはいるけど、ここまで見事なパクリをすると現代人の感覚では、怒りの対象になるが、この時代はそういう意識はない。18世紀、古典派くらいまでの作曲家には、「パクリ=悪」と言う意識はあまりなかったようだ。パクっても良ければ良いじゃん、と言う何とも快楽的な発想。だから、「モーツァルトはパクリが多いからダメ」と言う向きは、現代感覚を古い音楽に押し付けているようであまり好きな論調ではない。ほぼ18世紀以前の音楽を全否定することになりかねないし(笑)。

それにしても、ロザリオ・ソナタをトルコと西洋の戦いに見立ててしまうとは…。流石、シュメルツァー、突拍子もない。ちなみに、ロザリオ・ソナタの第10番って、イエスの磔の場面なんだよね。ビーバーも苦笑ものだ。

トルコ絡みでは、フックスの作品も、そう。ドンチャンドンチャン鳴り響く、トルコの軍楽隊を髣髴とさせる。西洋史的にはちょうどこの頃、西洋とトルコが戦っていて、その影響が音楽にも出てきているのだ。後世のモーツァルトのオペラ『後宮からの逃走』なんかもその類。

この辺りが、このCDのサブタイトルのエキゾチックな部分なんだろう。では、スパイシーは?と言うと、これはビーバーが中心。もちろん、シュメルツァーもなかなかにスパイシーなんだが、刺激的で挑戦的な音楽は、ビーバーの独断場。技巧的で楽しい合奏と描写的なソナタが一気にこのプログラムをスパイシーにしている。演奏もなかなかにスパイシーだ。メリハリがあって、耳障りではないくらいに尖がっている。レツボールの熱い情熱で、暑苦しく紹介されるオーストリア・バロックも良いんだけど、レ・パシオン・デ・ラームは、もう少しだけスマート。ビーバーの演奏も、程よく情熱的だ。ちなみに、使用されている楽器のうちヴァイオリンとヴィオラはシュタイナーなんだけど、解説によれば、ビーバーとシュタイナーは、知遇があったらしく、ビーバーはシュタイナーの楽器を使っていた可能性が高いとか。この辺の拘りも、聴いているものを感心させる。
 
このCDは、レ・パシオン・デ・ラームのデビュー盤らしいが、リューティ共々、今後も楽しみにしていいアンサンブルだと思う。ちなみに、アンサンブルの名前は、デカルトの論文「魂の情念」に由来していると言う。凄い名前だな…。

 

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