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3大メロディメーカーを挙げるとするならば、チャイコフスキー、ドヴォルザーク、メンデルスゾーン。3大なんとかってあんま興味ないんだけれども、これだけは、ドンピシャだろうと思っている。自分で勝手に考えたんだけれどもね(汗)。異論があればどうぞ。

メロディメーカーと言えば、初心者向け感満載。クラシック聴きたい?じゃー、チャイコフスキーとか、ドヴォルザークとかってなる。だけど、なぜか、メンデルスゾーンには行かない。なんでかそんな気がする。気のせいかもしれないけれども。

とは言え、メンデルスゾーンのメロディメーカーっぷりは、他の2人に引けを取るものではない。特に、甘いメロディを書かせたら、ロマン派随一と言っていいと思う。交響曲ではそうでもないけれども、室内楽は甘く綺麗なメロディのオンパレードだ。

中でも、個人的には、チェロとピアノのための作品集は逸品だと思っている。メロディに溺れたいときは、これ。チェロの音色がメンデルスゾーンの作り出す世界にピタリとくるのだ。ブラームスのチェロ・ソナタで醸し出される渋い燻し銀の様な雰囲気とは全く別の歌心溢れる世界。

今聴いているのは、気鋭のチェリスト、ダニエル・ミュラー=ショットの演奏。ピアノ伴奏はジョナサン・ギラード。1曲目の協奏的変奏曲から丁寧な音楽作りに好感が持てる。メンデルスゾーンの持っている勢いよりは、音楽の美しさに耳を奪われる演奏。ミュラー=ショットの演奏はこの録音がはじめてだけれども、とても綺麗に楽器を響かせる演奏家だ。特に「無言歌」や「歌の翼に」の耽美的な世界は見事。冒頭から勢いよく飛び出していくメロディが印象的なソナタ第2番も、やや落ち着いた雰囲気で、冷静に音楽を作り上げていく。畳み掛けてこないメンデルスゾーン。こういう演奏もありだろう。

ミュラー=ショットは、1976年生まれと言うから、今年で38歳。ミュンヘン出身と言うこともあってか、OrfeoからCDをリリースしている。既にメジャーな作品の多くをリリースしているが、今後楽しみなチェリストの一人だろう。

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以前から気になっていたクーベリック&ウィーン・フィルの『わが祖国』がタワーレコードのオリジナル企画でCD化されたので、買ってみた。以前からたまにCD化はされていたのだけれども、何とはなしに見送っていたのだ。

で、なんで気になっていたかと言うと、クーベリック×ウィーン・フィル×『わが祖国』と言う、とっても名演が生まれてきそうな組み合わせだから。でも、数あるクーベリックの『わが祖国』の中では、今一つ、話題に上がってこない。なんなのだ…。

録音されたのは、1958年4月、ウィーンのゾフィエンザール。クーベリックにとって2度目の『わが祖国』の録音である。1度目は、1952年のシカゴ響との録音。こちらはモノラルだった。ステレオとしては、初となる。その後、ボストン響(1971年)、バイエルン放送響(1984年、ライヴ録音)、チェコ・フィル(1990年&1991年、ライヴ録音)と録音を繰り返し、計6種類の演奏を残している。録音場所のゾフィエンザールは、当時、DECCAがウィーン・フィルを録音するのに使っていたホールで、数年前に解体されたようだ。ムジークフェラインが録音に向かないとかで使われていたようだが、その音響レベルには疑問が残る。

演奏は無難。何と言うか…無難。他の5種類、すべてを聴いているわけではないんだけれども、聴いたことのある録音は、もっと熱い思いが溢れていたように思う。クーベリックはライヴで燃えるタイプだと聞いたことはあるけれども、それにしたって、無難に収め過ぎている。ウィーン・フィルらしい美感は損なわれていないんだけれども、それだけだったら、なにもクーベリックである必要はない。

録音は、ステレオ初期っぽい感じ。貧弱っていうのかな、奥行きがあまりないと言うのかな。そんな感じ。最近の録音に慣れてしまうと、せめて、1970年代以降の録音レベルで音楽を聴きたくなる。もっとも、そんな録音状態でも、良い演奏は、感動を呼ぶものではあるけれども。

悪い演奏じゃない、時代を考えれば悪い録音でもないのだろう。だけれども、クーベリックの『わが祖国』としては、6種類も揃っている中で、目立たない存在になってしまっているのは、止むを得ないような録音かもしれない。スタンダードな演奏でウィーン・フィルの『わが祖国』を聴きたいんだと言うのならば、良いかもしれない。殊更民族色を強調しているわけでもないので、過剰な思い入れなしには聴けるだろう。
 
ちなみに、同時期にクーベリックは、やはり、ウィーン・フィルとブラームスの交響曲全集を録音しているのだが、同傾向の演奏なのだろうか。興味はあるんだけれども、やはり後年のバイエルン放送響との演奏を持っていれば、特に必要ないようなものなのだろうか。

 

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ベルリン・フィルの後任は誰か?と言う話になると、一昔前は、如何にもしっくりきそうな人がたくさんいた。この人じゃないか、あの人じゃないか…なんて話をしていても、好みの差はあるにせよ、どの人も違和感なく「できそうだなぁ」と言う感じがしたものである。ところが今は、「強いて言えばティーレマンかな?」程度。消去法でしか頭に浮かんでこない。何と言うか、「大物感」がないんである。

じゃぁ、良い指揮者がいないのかと言うとそんなこともなくて、何となく、ベルリン・フィルのトップに立って、音楽界の中心になる、ってタイプがいないだけなのだ。「俺は俺の道を行く」って感じで、好みのタイプのオーケストラと自分の好きな仕事をする指揮者が多いように見える。既存の権力に阿ることがないと言うか、個性派が多いと言うか…それは言いようかもしれないけれども。何でもかんでも多様化する時代にあって、クラシック音楽も多様化しているんだから、そういう指揮者が多いのは時勢と言うべきなのかもしれない。

そんなことを偏見と思い込みで考えつつ、また新しい指揮者を聴く。パブロ・エラス=カサド。1977年生まれと言うから、今年で36歳。ドゥダメルなんかに比べると遅咲き感があるけど、このくらいの年齢で、頭角を現すことが出来れば、とっても将来有望。

今聴いているのは、最近、ハルモニア・ムンディからリリースされたメンデルスゾーンの交響曲第2番『賛歌』。まだCDは少なくて、ハルモニア・ムンディからは、これが2枚目。ほかはドミンゴの伴奏を務めた1枚がソニーからリリースされているのみ。オペラの映像作品も1つある。HMVで検索するとこれしか引っ掛からない。ただ、既にベルリン・フィルにデビューを果たすなど、欧州では徐々に評価を高めているらしい。

で、さて、『賛歌』。メンデルスゾーンの交響曲なら、有名な『スコットランド』、『イタリア』、『宗教改革』のどれかから始めればいいのに…なんてお節介をよそに、『賛歌』で見事な演奏を聴かせてくれる。

オーケストラは、バイエルン放送交響楽団なんだけれども、このオーケストラこんな瑞々しい音出すんだ、と感心。切り口から爽やかな果汁が飛び散ってきそうな、そんな音楽だ。第1部のシンフォニア、第1楽章は神々しさを清純な響きで聴かせてくれる。第2楽章のアレグレットは、実に美しい。こんなに、優しいメロディが溢れていたのか、と改めて感心してしまう。第2部のカンタータは、弾けるようなリズムと柔らかくスマートな響きが何とも魅力的だ。第7曲の合唱「夜は過ぎ去ったのだ」は、この曲の聴きどころの一つだと思うが、メンデルスゾーンらしい勢いを失わずにスマートな音楽作りになっている。クライマックスの第10曲、終末合唱も素晴らしい。

この『賛歌』と言う曲、大規模でありながら、交響曲なのかカンタータなのか判らない中途半端さ、何とも居心地の悪い管弦楽曲と合唱曲のバランスのせいか、メンデルスゾーンの交響曲では、若書きの第1番と並んで地味な存在だけれども、エラス=カサドは魅力的に聴かせてくれる。ちょっと目立たない曲かもしれないけれども、こんないい曲なんだよ、と言わんばかりの演奏はある意味、名刺代わりになりうるのかもしれない。

なお、ハルモニア・ムンディのデビュー盤は、フライブルク・バロック・オーケストラを振ってのシューベルトだった。あー、もうなんだか、既に、ベルリン・フィルの音楽監督には合いそうにないタイプっぽい予感がしてくる。ベルリン・フィルが変わるべき、なのかなぁ?

 

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プルハール&ラルペッジャータの新譜『束の間の音楽』を聴いている。「束の間の音楽」と言うのは、パーセルの劇音楽『オイディプス王』の中にある曲のタイトル。と言うわけで、今回はパーセルの作品集。サブタイトルに“Improvisations on Purcell”とあるように、即興性を重視した音楽作りを目指したCD。バロックの「自由さ」を徹底的に活かしていくプルハール得意のお題だ。本来意味しているところとは違うとは言え、このCDに『束の間の音楽』と言うタイトルはぴったりだ。このタイトルを見ただけで、期待が高まってしまう。

選ばれた音楽は、パーセルのオペラや劇音楽などの声楽曲から17曲。歌っているのは、フィリップ・ジャルスキー、ヴィンチェンツォ・カペッツート、ドミニク・ヴィスの3人のカウンターテナーとソプラノのラケル・アンドゥエサ。ジャルスキーはラルペッジャータの常連だけれども、ヴィスは珍しい…と思ったら1分程度の曲を1曲歌っているだけだった。基本的にはジャルスキーが中心になっている。

さて、1曲目、’Twas within a furlongが流れ出して、ふと思う、「あれ?ジャズのCD買ってしまったかな?」と。軽快なギターに続いて、カウンターテナー登場。相変わらずのノリの良さ。そして、自由(笑)。バロック×ジャズてな感じ。あれ?これってクロスオーバーじゃないのか?と定義付けたくなっちゃうんだけれども、本人たちはそんなこと気にしないで、「楽しければいいじゃん!」と音楽を楽しんでいるように聞こえる。

3曲目のStrike the violもノリノリだ。愁いを帯びた古雅な響きが、スタイリッシュなカッコいい音楽になる。原作改編だ!なんて言うと、プルハールに余裕の笑みを返されそうだし、パーセルには、「いいんじゃない?」と言われそう。とても違和感がないし、パーセルの魅力を充分に引き出している。バロックって、下手にお堅くやればやるほど、魅力が失せていくし、本来持っている音楽の力が無くなっていくように感じる。パーセルの提供してくれたネタをもとに、あれやこれやと今風のテイストを交えながら楽しい音楽を作り上げていく。バロックの醍醐味だ。

その後も、その場限りで消えていく、「束の間の音楽」が続く。こんなに楽しい音楽を作り上げられるのは、やはり、プルハールの才能なんだろうなぁ。

初回限定盤かどうか知らないけれども、今ならDVDも付いていて、4曲だけだけれども、全曲を映像で見ることが出来る。このDVD、一部だけならば、Youtubeで見ることが出来る→こちら。こういう演奏会行ってみたいなぁ。500人くらいの会場で。

なお、今回のCDは、Eratoからのリリース。今まで、ラルペッジャータはVirginと契約していたんだけれども、最近のレーベルの統廃合でEratoの演奏家と言うことになった。以前はαレーベルやnaiveからリリースしていたんだけれど、いつの間にやらEratoの演奏家になってしまった。不思議。最近は、マイナーレーベルの方が動きが活発なので、αレーベルに戻っていっても良いんじゃないか、なんて余計なことを考えたり(汗)。

折角、メジャーレーベルにいるなら、もっといろんな人に聴いてもらうような広報活動をしてもらいたいなぁ。ラルペッジャータって絶対に大衆ウケするから、マニアだけが聴いているのはもったいない。

 

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映画と言うものは、あまり見る方じゃないんだけれども、洋画の中には作曲家を題材にした興味深い作品がちょいちょいある。大抵、作曲家と言うと肖像画と堅苦しいバイオグラフィでしかその人物を知ることはないんだけれども、映画となると一歩踏み出して、よりプライベートな素顔を描こうとするので、題材となった作曲家をより親しんで見ることができるようになる。その人物像が必ずしも正しいものとは限らないけれども。

そんな映画の一つに、『めぐり逢う朝』(1991年、仏)がある。サント・コロンブとその弟子マラン・マレのお話。マレとコロンブの娘の恋愛を中心に話は進められていくんだけれども、どうにも薄暗いストーリーで、正直、個人的には好きになれない。映画を芸術作品とみるならば、大変素晴らしい作品なのかもしれないけれども、娯楽とみるならば肩が凝ってしまう。バロック音楽にしてはしっとりした曲調の多いヴィオラ・ダ・ガンバの曲が中心とは言え、観終わった後に憂鬱になってしまうんだから、どうにもいけない。映画慣れしていて、真っ当に評価できる人ならば、その真価は判るのかもしれない。軽薄な自分には、一度見れば十分な映画。

とは言え、この映画、音楽的には凄いんである。なんつっても、題材がコロンブとマレ。バロック期以降表舞台から姿を消したヴィオラ・ダ・ガンバの曲を得意とした作曲家だ。この映画が公開された1991年当時、まだまだ忘れ去られた楽器だっただろうから、これを題材にするとは、なかなか斬新だったと思う。マレは、宮廷の音楽家をやっていたこともあって、それなりに知られた存在だったけれども、コロンブを世に知らしめたのは、この映画の大きな功績だろう。生々しい当時の様子が映像で見られるのも◎。決して華やかではなかった17世紀のヨーロッパの様子が映し出されている。

音楽を担当したのは、ジョルディ・サヴァール。これ、大切。彼なしではこの映画の成功はなかっただろう。そして、自分もこの映画を見ようとは思わなかっただろう(笑)。演奏が素晴らしく、サントラ盤もだいぶ売れたらしい。

内容は好き嫌いがあるかもしれないけれども、音楽的にはお薦めな映画。古楽好きには堪らない。今更な映画だけれども…サントラ盤も買ってみようか。



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ここんところ立て続けに面白そうなCDがリリースされている。財布と相談するのも億劫なくらい。しかも、最近、円安のせいか、ちょっと高くなっていると思う。それから、大量生産大量消費型のメジャーレーベルが失速し、多様化するニーズに合わせた少量生産で高価なCDをリリースするレーベルが増えてきた。過去の音源を叩き売りする昨今の潮流とは別に、もう一つの潮流を作りつつあるように見える。自分は、この新しい流れに流されつつあるので、費用がかさむ…。

でも、一昔前では考えられないような面白い企画のCDがどんどん出てくるので、クラヲタ冥利に尽きると言うものだ。

さて、そんな興味深い新譜の中から、ビオンディのものを聴いている。タイトルは、『キアーラの日記』。サブタイトルに、「18世紀のヴェネツィアのピエタ院の音楽」とある。ビオンディのGLOSSA移籍第1弾とのことだが、以前契約していたVirginでは出てきそうにない企画だ。

今更だけれども、一応ピエタ院について、書いておこう。ピエタ院(ピエタ慈善院)は、ヴェネツィアにあった孤児院で、調べてみると1346年に設立されたとある(Wikipedia)。男女問わず孤児を引き取っていたが、男子は職業訓練を終えたのち、16歳になると出ていくことになっていた。一方、女子は結婚しない限り、ピエタ院に残ることができた。運営費は、裕福な貴族や商人からの寄付のほか、ピエタ院に残った女子たちの手芸品の販売やコンサート収入によって賄われていた。このコンサートは、ヴィヴァルディが指導していた合奏団によるもので、ピエタ院の収入に大きな寄与をしていた。ちょっとヴェネズエラのエル・システマに似ている。

今回のCDのタイトルになっているキアーラはこの合奏団のスター的な存在だった人物。もちろん、ヴィヴァルディの弟子。生後僅か2ヶ月でピエタ院に引き取られ、音楽の英才教育を受け、大成した。ヨーロッパ中から彼女の演奏を聴こうとヴェネツィアにファンが訪れたと言う。

今回リリースされたCDは、そんなキアーラを題材にプログラミングされた企画だ。ヴィヴァルディだらけになるのかと思いきや、7人もの異なる作曲家の曲を組み合わせて当時の雰囲気を再現してくれた。ヴィヴァルディのほかに出てくるのは、ジョヴァンニ・ポルタ、ニコラ・ポルポラ、アントニオ・マルティネッリ、ガエターノ・ラティッラ、フルジェンソ・ペロッティ、アンドレア・ベルナスコーニ。ポルポラくらいは知っているけれども、ほかは知らない作曲家ばかり。ざっくり言ってしまえば、如何にもイタリア・バロック然とした音楽ばかりだ。

ビオンディとエウローパ・ガランテの演奏は、闊達でスピード感溢れるもの。相変わらずと言えば、相変わらず。低弦がズンズン鳴っていて、その上をビオンディの切れ味の良いヴァイオリンが吹っ飛んでいく。カッコいい。ヴィヴァルディを癒しから、カッコいい音楽に変えたのは、ビオンディの功績だ。実際、どう鳴っていたのか、なんてオーセンティックな話は、どうでも良いんである。癒されるように鳴ったり、カッコよく鳴ったり…ヴィヴァルディは汎用性のある作曲家である(笑)。残念ながらほかの多くのイタリア・バロックの作曲家は、モダン楽器では退屈なものになってしまったせいか、ピリオド奏法が出てきてから注目されるようになった。

やっぱヴィヴァルディって凄いのだ。

ちなみに、このCDにはDVDがついている。ビオンディの演奏と、ヴェネツィアの風景、それからキアーラに扮した女性が演じる映像。どうもこういうものを見ると、この時代って暗いイメージがついてしまうんだよね。それにやけに闊達なヴィヴァルディが合っている。不思議。

  

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最近、タワーレコードに行くたびに、推薦盤でどうにも気になるCDがあった。国内盤の新譜で高かったのだけれども、何度かお店に通っているうちに決心がついて、ついに先日購入してしまった。宣伝文句が上手いと言うのではなく、そのCDの企画の奇抜さがどうにも気になって仕方がなかったのである。ものすごくすべりそうな企画なんだけれども、ほんの僅かな可能性に賭けたい、そんなギャンブラー精神がふつふつと湧いてきてしまったのだ。

そのCD、タイトルは『SO FAR, SO CLOSE』と言う。和訳「とても遠く、とても近く」…内容はと言うと、バロック・ヴァイオリンとアコーディオンによるバロック音楽のソナタ集だ。演奏者は、バロック・ヴァイオリニストのアレッサンドロ・タンピエリとアコーディオン奏者のジョルジオ・デッラローレ。Incoerente Duoと言うコンビ名を付けている。「矛盾したデュオ」と言う意味だ。確信犯。

古楽器での演奏は、何かにつけて「オーセンティック」と言う言葉が付きまとう。「本来はこう演奏されていたんだから、こうするべき」と言う論調が、モダン楽器派をイライラさせていた。でも、最近の古楽器演奏って、オーセンティックと言っても、「バロックの音楽家って、自由にやっていたんだから、自由に演奏すればいいんじゃない?」と言う、オーセンティックと言う名のフリーダムになりつつあると思う。

で、このCDだ。いくら通奏低音に楽器の指定がないとはいえ、バロックの時代から200年から300年もあとに出てきた楽器を使ってしまおうと言う、どうにもフリーダムにすぎる発想。もちろん、「矛盾したデュオ」にも言い分はあって、スピネットが持ち運び可能なチェンバロと言うならば、アコーディオンは持ち運び可能なオルガンと言えるのではないか、と言うのがこの企画の根拠。バロック音楽とアコーディオンは確かにかけ離れた存在(SO FAR)だけれども、案外オルガンに代用して合うのではないか(SO CLOSE)と言うこと。

うん、とんでもないこじつけ(笑)。で、これ、どうなのかと言うと、悔しいんだが妙にマッチしているのだ。アコーディオン、軽妙なオルガンになっている…。メールラのチャッコーナのような軽快な曲では、特に合うような気がする。逆に言うと思っていたほど新しい響きじゃないかもしれない。曲によっては「あ、なんかありそう」みたいな。「うわっ、なにこれ、面白い!」っていう驚きを期待して買うと裏切られたような気持になる。面白いのは、J.S.バッハの作品が一番面白い。これは「なんか違う」感が漂う。馴染みがあると言うのと、アコーディオンが代役を務めるチェンバロが通奏低音から一歩踏み出して活躍しているせいもあるだろう。

メニューは以下の通り。

カステッロ:ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ 第2番
フレスコバルディ:スピネットとヴァイオリンのためのトッカータ
ロニョーニ:パレストリーナの「春野の山は新しい愛におおわれて」によるヴァイオリンと器楽のためのディミニューション
パンドルフィ:ヴァイオリンとバスのためのソナタ「ラ・カステッラ」
チーマ:「協会協奏曲集」よりヴァイオリンのためのソナタ
メールラ:2つのヴァイオリンとバスのためのチャッコーナ
コレッリ:ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ op.5-1
J.S.バッハ:ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ第6番 BWV1019

コレッリとJ.S.バッハを除けば、バロック初期の音楽を選んでいるのがポイント。新しい時代の音楽に挑戦しているこの時代の音楽がこの企画にピッタリだと思ったとか。自由度は確かに高そう。言い換えると変なことをする隙があると言うか…。

バロック・ヴァイオリンのタンピエリ…はじめて聞く名前だけど…なんて、言っちゃいけない。この人の演奏、実は聴いたことがある、と言うことを調べてみて気が付いた。ジャルスキーの来日公演で、ジャルスキーの主宰するアンサンブル・アルタセルセのコンサートマスターやっていたんだそうだ。あの時聴いたヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲『ムガール人』でのソロ、よーくよく覚えている。あの人だったか。わかっていたらもっと早く買っていた。

オノフリの幼馴染で共演も多いそうだ。なんか、凄いなぁ。どういう幼少期だったんだろう。夢溢れる。今は、アカデミア・ビザンティナのコンサート・マスターとして活躍している。今回の演奏も好演。単なる変わった企画ものと言うだけに止まらない演奏を披露している。

なお、アコーディオンはA=415Hzに調律された特別仕様のもの。その辺はちゃんとしている、と言うのか。この企画でしか使えないじゃんね。

面白がりの人にはお勧めのCD。タンピエリの独奏CDって少ないので、その辺で興味のある人にもいいかも。

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「英国音楽?そんなものあるわけないだろう!」

ディーリアスの言葉である。ドイツ人の両親の元、イギリスはブラッドフォードに生まれ、若くして北欧を放浪、更に、フロリダでオレンジ農家を体験、その後、ライプツィヒで音楽を学び、ここでグリーグやハルヴォルセンと言ったノルウェーの作曲家に影響を受ける…こんな経歴ではディーリアスの中にイギリス音楽が存在するわけがない。ライプツィヒ後は、パリ近郊に活動拠点を置き、ミュシャ、ゴーギャン、ムンクと言った芸術家たちとも親交を結んでいる。まさに無国籍作曲家。

でも、自分の中では、ディーリアスはイギリス音楽の一部なのだ。どうしたって、近代イギリス音楽を語るとき、ディーリアスは外せないのだ。RCM(The Royal College of Music)出身の作曲家たちだって、ディーリアスの影響を受けている作曲家は少なからずいる。正統な後継者的存在と言うと誰なのかわからないけれども、ロマン派時代に音楽不毛の国と言われたイギリスから、19世紀後半になって出てきた近代イギリス音楽と言う少し国民主義にも似たテイストを持った作曲家集団の中で、ディーリアスの存在感は小さくない。

だから、こう思う。ディーリアスの中にイギリス音楽はなかったかもしれないけれども、ディーリアス自身がイギリス音楽の一端を創ったのではないか、と。それは、ヴォーン・ウィリアムズやフィンジ、ハウエルズの曲にありがちな自然賛歌、田園賛歌の中に見ることができる。

そんなわけかどうか、ディーリアスは、今日では、生前評価しなかったイギリスで人気がある。と言うか、録音するのは、イギリスの演奏家ばかりである。結局、イギリス人の感性に合う作曲家なのではないだろうか。その響きの中にどことなくイギリスの風景を髣髴とさせるのは、放浪の無国籍作曲家の心の奥に故郷の風景があったからではないだろうか。こうやって、ディーリアスを無理やりイギリスに縛り付けるのはよくないのかもしれないけれども…。

さて、そんなディーリアスの一面を切り取った面白い企画のCDが最近リリースされた。タイトルは、「ノルウェーのディーリアス」。指揮は、サー・アンドリュー・ディヴィス、オーケストラは、なんと、ノルウェーのベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団だ。

前述のとおり、ディーリアスは若いころにノルウェーの音楽に多大な影響を受けている。このCDに収められた曲は、そうしたノルウェー的なディーリアスを堪能できるものだ。イギリスの作曲家と言うことを少し忘れて聴いてみるといいかもしれない。メニューは以下の通り。

ノルウェーの婚礼の行列(原曲はグリーグ)
交響詩『頂にて』
ノルウェーの7つの歌より「王女」、「鳥の歌」
そりすべり(冬の夜)
ノルウェー組曲
春初めてのかっこうを聞いて
交響詩『おとぎ話』

北国のスケッチがないな…。とは言え、このプログラミングは素晴らしい。北国の涼しい風が吹き抜けていくような爽やかな曲ばかりだ。でも、ノルウェー的かと言うと、それはちょっとよくわからない。グリーグやハルヴォルセンにあるような、あの独特な心温まるノルウェー国民楽派の音楽とは全く違う。どうしたって、個性溢れるディーリアス・ワールドが広がってしまうのだ。もちろん、ノルウェーを題材にしているのだから、安易にイギリス音楽にこじつけてはいけないけれども、ノルウェーの作曲家はこんな曲書かないだろう。そんなことを考えなくても、ノルウェー組曲の情緒に浸りながら寒い冬の夜を過ごしてみるのはなかなか乙だ。結局は、イギリス音楽好きには堪らないCDになっている。

演奏も好感のもてるもの。ベルゲン・フィルの団員は、イギリス人の描いた祖国をどんな風に感じ演奏したんだろう。ジャケットの絵画も雰囲気が出ていて良い。



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ちょっと前の話になるけれども、タワーレコード渋谷店のクリアランス・セールに行ってきた。いわゆる、在庫処分セールだと思っていいだろう。正月一日からやっていたんだけれども、クラシックは2日から。その日の夕方にのんびり行ってみたんだけれども、人はまばら。置いてある商品は半分以上がクラシックだった。昔日の石丸電気の在庫処分セールを思い出しつつ、CDはあまり売れていないのかな、なんて思ってみたり…。

雑然と並べられたワゴンの中に宝探しの夢を追い求められれば楽しいのだろうけれども、インターネットで気軽に検索できるようになった今、何ともめんどくさい作業にしか思えない。それでもざっと見ただけでは、見逃しているものがあるように思うので、隅から見ていってみる。少しでも気になったらカゴに放り込む。で、後から見直して要らないものは、戻していくと言うやり方。値崩れのし難いレーベルのものを中心に何枚か購入。レジに表示される3千ン百円、2千ン百円引きの文字。zigzag、naive、harmonia mundi、ECM、Glossa…これらがBRILLIANT並みかそれ以下で買えたのだからお買い得感はそれなり。しかも新品だし!

これで止めておけばよかったんだけれども、せっかく渋谷まできたのだから、通常のコーナーも見ておこう、と上に上がったのは蛇足だった。

視聴コーナーでαレーベルのCDを聴き込んでしまう。マーキュリーが輸入しているレーベルの一つ。そう、高い。むちゃくちゃ高い。でも、勝てぬ、誘惑。輸入盤CD10%OFFだったんだけれども、国内盤仕様とかで対象外。

他にも、面白そうなCDがあったのでワクワク、渋々レジへ。セールに行って、返り討ちにあった気分だ。500円OFFのクーポン券とポイントを駆使して多少はお安く買ったけれども(汗)。

さて、そのαレーベルのニクいCDってのが何かと言うと、アレクシス・コセンコ&アンサンブル・レザンバサドゥールによるヴィヴァルディの協奏曲集。ドレスデンの楽団のための協奏曲を集めたものだ。ヴァイオリンのソロにはゼフィーラ・ヴァロヴァと言う、気鋭のバロック・ヴァイオリニストが起用されている。フィレンツェのロレンツォ&トマゾ・カルカッシ1760年製作によるオリジナル楽器を使用している。

ドレスデンと言えば、そう、ピゼンデル。このCDに収められた5曲の協奏曲(RV.569、568、562、571、574)もピゼンデルがドレスデンに持ち込み、更に手を加えたもの。1曲目のRV.569の華麗な響きから一気に惹き込まれてしまう。ホルンがバカスカ鳴るのに、相も変らぬヴィヴァルディの機動力。5曲共にホルンが加えられていて、兎に角、突っ走るだけのヴィヴァルディじゃないのだ。華やかに華麗にブッ飛ばす。ピゼンデルが絡んでるだけあって、各曲の終楽章にヴァイオリンの腕の見せ所があったりするんだけれども、それもなんだか、華麗な宴のひとコマに過ぎなくなっている。ドイツ・バロックの中心地、ドレスデンの栄華をたっぷりと味わえる半端なく楽しい一枚だ。こんな楽しくて、刺激的な演奏、たまらんなぁ。

なお、Vol.1となっているので、続編が出てしまうような予感。予算を組んで待っておくのが吉。なお、全部は読んでいないけれども、コセンコ自身による解説も興味深い。高いけれども価値のあるものだ。

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メリィ・クリスマス!

西洋の伝統行事は、西洋の伝統音楽で楽しみましょう!と言うわけで音楽を聴こう。結局はそこに行きつく(笑)。

毎度おすすめは、フィンジのカンタータ『降誕祭』なんだけれども、これはこれで、しつこくお薦めしておいて、今回は、「ミュンヘン王宮のクリスマス音楽」と言うCDを聴いている。

バロック・ヴァイオリニストのリュディガー・ロッター率いるホーフカペレ・ミュンヘンがOEHMSに録音した企画もの。そのタイトルの通り、バロック中後期の頃にミュンヘン王宮で演奏されていた音楽を集めたもの。メニューは以下の通り。

ダッラーバコ:協奏曲ハ長調 Op.5-5
ビーバー:ロザリオ・ソナタより第3番「キリスト降誕」
J.S.バッハ:管弦楽組曲第3番ニ長調 BWV.1068
ペーツ:パストラーレ協奏曲
ロイスナー:パッサカリア
トレッリ:クリスマス協奏曲 Op.8-8 ほか

トレッリのクリスマス協奏曲って…コレッリじゃないんか!と言う突込みはしないわけにはいかない(笑)。

それはともかく、心温まる音楽が多い。いや、そういう風に演奏しているのだろうか。ロッターは、もともとムジカ・アンティクァ・ケルンやコンチェルト・ケルンで活躍していた人だから、それなりに刺激的な演奏をしそうなもんだけれども、ほかの演奏でも鋭く尖がった感じはあまりしない。それにしてもこの録音では、殊更、音楽の温かみを意識しているように感じる。1曲目のダッラーバコの協奏曲からして、バロックらしいリズムの良さを失わず、それでいて、音に優しさがある。楽しく明るい音楽だ。2曲目のビーバーの作品は、全曲盤でも鋭い響きの演奏が多いが、ここでの演奏は落ち着いたものだ。ロッターは、ライヴ録音で全曲盤を出しているが、それと比べても今回の演奏は穏やかなものだ。3曲目のJ.S.バッハは、言わずと知れた超有名曲。古楽器奏者らしくしまりのある演奏だが、過激ではない。アリアも美しい。以降、パーツ、ロイスナー、トレッリと素晴らしい演奏が続いていく。

クリスマスの雰囲気ってこういうものなのか。忘れかけていたものを思い出したような、もともと知らなかった雰囲気を教えられたのか、わからないけれども、ヨーロッパのクリスマスの雰囲気を楽しめた気になるCDだ。とってもとってもお薦め。

 

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