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今年は、『春の祭典』初演から100周年。この演奏会の乱闘騒ぎは、20世紀音楽のハイライトのひとつとして、あまりにも有名だ。実際には、サクラが混じっていて、「ヤラセ」的な部分も大きかったのだろうけれども、それでも、ロマン派から抜け切れていなかった当時の聴衆には衝撃的なサウンドであったことには違いないだろう。

いや…今日においても、ポップスを聴きなれた耳には、衝撃的かもしれない。だから、「ハルサイとか聴いてるヤバい奴はクラスで俺だけ。」と言う中二病ネタにもなってしまうんだろう。実際には、この世界じゃ、古典になっちゃっているんだけどね。中二病から脱出して、高二病に達したクラヲタは、「ハルサイ?普通じゃね?」と上から目線で語る。どっちにしてもイタい。

さて、そんなわけで、初演100周年の今年、録音も多いのかな?と思ったけど、そうでもない。古い録音の焼き直しは多いみたいだけど。そんな中ちょっと注目を集めているダニエレ・ガッティ&フランス国立管弦楽団のCDを入手。ソニー・クラシカルからのリリースだからにして、広報の力が…ってだけじゃなくて、以前リリースしたドビュッシーが好評だったため。カップリングは、ペトルーシュカ。何とも密度の濃いCDだ。録音は、2011年で、今年じゃない。録音場所は、フランス国立管弦楽団の本拠地であり、『春の祭典』初演の地、シャンゼリゼ劇場!と言いたいところだけれども、パリとしかクレジットされていない。何かと100周年記念盤としては、割り切れないシチュエーション。

ちなみに、解説書の裏にはシャンゼリゼ劇場の絵が載っている。なのに違うのか…。ちなみに、シャンゼリゼ劇場には、昨年行ったけれども、コンサートホールとしては、こじんまりとして古くさい印象だった。伝統あるホールの重みもあんまりなくて、何となく古い。椅子だけは可愛らしい。とは言え、20世紀に刻んできた歴史はなかなかのもの。録音には向いていないと言うことで今回は使われなかったのだろうか。うーん。それにしたって、普通は録音場所は書いてあるものなんだけど、パリってだけなのはいただけない。

演奏の方は、なかなかのもの。もちろん、一昔前の爆演系の演奏ではない。すっきりと整った余裕の中に、生々しい迫力を感じさせるもの。併録の『ペトルーシュカ』も名演。100年前の聴衆が、この演奏を聴いたらどんな反応をするだろう?やはり、暴れだすのだろうか?そして、当のストラヴィンスキーはどんな顔をするのだろうか?

せっかくの100周年記念盤、そんなことを妄想しながら楽しみたい。


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Mossi…Messiじゃなくて、Mossi。作曲家の名前である。Giovanni Mossi、ジョヴァンニ・モッシ。その名から安易に想像がつく通り、イタリアの作曲家である。ちょっとマイナーな作曲家でイタリア人…となると大抵は、バロック。モッシもバロック。1680年頃の生まれ、生地は不明。ヴィヴァルディとほぼ同年代と言っていいと思う。ヴェネツィアを中心に活躍したヴィヴァルディに対し、モッシの活躍の場はローマ。今でこそ音楽の都と言えば、ウィーンだが、この当時は、ローマが音楽の都だった。モッシは、そのローマでコレッリの薫陶を受け活躍していた。コレッリと言えば、バロック器楽の重鎮的存在であり、その流れを汲むモッシは、音楽界のど真ん中で活躍していたことになる。

しかし、時の流れとは残酷なもので、モッシの名前は一部のマニア以外には知られることのないものとなってしまった。作品も多くが散逸してしまい、半数の作品だけが今日に伝わっている。演奏される機会も少なく、録音されるにしてもコレッリをメインにしたCDの片隅に収められているだけの場合が多い。今世紀後半になって、再興の動きが活発になり、一気にメジャーに躍り出たヴィヴァルディとは雲泥の差である。もっとも、良い時代になったもので、今日、ヴィヴァルディに限らず、様々なバロックの作曲家を再評価する動きは、盛んなので、今後、録音が出てくることも期待できないわけではない。

前置きはこれくらいにしておこう。今回ご紹介するのは、モッシのヴァイオリンとヴィオローネ、またはチェンバロのためのソナタ集 作品1よりソナタ第1番、同第2番、同第5番、同第9番、同第10番、同第12番を収めたCD。たぶん、モッシの作品だけを収めたCDで現在容易に入手できるのは、このCDだけ。レーベルはPANCLASSICS。

作品1と言うこともあってか、コレッリの影響が多大にみられる作品。12のソナタ(当時のソナタは後世のソナタ形式とは無関係で単に器楽曲の意)からなり、前半の1~6は急→緩→急→緩と言う楽章構成、後半の7~12はアッレマンダ、コレンテ、サラバンダ、ジガの4つの舞曲で構成される。これ、まんまコレッリの様式。独自の様式で人気を博したヴィヴァルディとは正反対。故に、後世においても、コレッリの陰に隠れてしまうような立場になってしまったのだろうか。とは言え、後期イタリア・バロックらしい軽快な音楽は放って置くには惜しい。転がっていくようなリズムの曲あり、しっとりと歌う曲ありでなかなか聴き応えがあるのだ。なお、このCDでは、1番→9番→2番→10番→5番→12番という風に、前半の曲(ソナタ第1~6番)と後半の曲(ソナタ第7~12番)が交互に演奏される。作曲家の意図とは少し違ってしまうのかもしれないが、楽しく、心地よく音楽が楽しめる構成だ。

演奏しているのは、ライラ・シャイエークと言うスイスのバロック・ヴァイオリニスト。若そうに見えるが、女性の年齢は極秘なので、謎。解説書にも言及はない。ジョン・ホロウェイにも師事しているが、キアラ・バンキーニの門下として多大な影響を受けている。もちろん、バンキーニ率いるアンサンブル415にも参加。

5番目のソナタはリッカルド・ミナジの録音があるが、比べてみるとシャイエークの方が、断然おとなしい。ミナジの吹っ飛んだ演奏は大好きなんだけれども、シャイエークの歌いまわしも悪くない。バンキーニの演奏に近いんだろうなぁ。ほかの曲も、飛ばしすぎないほどに、楽しく丁寧で綺麗な演奏。このレベルで未知の曲が聴けるのは嬉しい限り。


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レツボールの新譜を少し前に入手。J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ。パルティータの方もリリースされそうな感じなんだが、取り敢えず、ソナタだけ。レーベルは、レコードアカデミー賞を取ったビーバーと同じく、PANCLASSICS。
 

解説でレツボール自身も言及していることなんだけれども、これまで秘曲発掘を活動の中心にしていたレツボールの無伴奏はちょっと意外だ。前作のJ.S.バッハのヴァイオリン協奏曲集に続き、一気にメジャー路線に躍り出てきた。

しかし、ふと振り返ってみると着実に布石は打ってきている。これまでリリースしてきた、ビーバーのロザリオ・ソナタ、ヴェストホフの無伴奏ヴァイオリンのための組曲、フィルスマイアの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータは、J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータへと繋がっていくもの。ピゼンデルの録音があったかどうかは記憶にないが、レツボールは、音楽史に突如として現れた孤高の作品としてではなく、バロック期におけるヴァイオリン作品の流れの中で、この作品の立ち位置を捉えたかったのではないだろうか。そういう意味では、ピゼンデルの作品を併録したベイエ盤の企画をさらに壮大にしたもののように感じる。

これは期待せざるを得ない。もちろん、どんな音楽が出てくるのか、想像がつきそうで、まったく付かないのがレツボール。そういう意味で思い切り、期待通りのことをやらかしてくれた。

音楽が流れだしてすぐに「あ?え?」となる。響かない。ヴァイオリンの生の音が直接的に鳴り出す。この響き、そう、ヴァイオリンを弾いている人ならすぐにピンとくる。奏者の耳に響いてくる音なのだ。ヴァイオリンを弾かない人ならば、楽屋や個人宅でヴァイオリンを弾いた時の響きを想像してもらえれば、それに近いものだと思う。実際に録音場所は、レツボールの自宅なのだ。ホールや録音スタジオ、或いは教会での演奏の音響に慣れてしまっている耳には、あまりにも斬新な音響だ。録音は、演奏会場にいるような雰囲気を醸し出すものだが、この録音は自分の部屋でレツボールが弾いているような空間を作り出す。

レツボール曰く、「私は自分の人生すべてが、このヴァイオリンという自分の楽器の音にかかりきりになっている人間です--できるかぎり時間を作って、この楽器の音の可能性を広げようと、極限まで神経をすりへらしながら生きています。そうやって追い求めている音の気高さというものが、レコーディング時のちょっとした操作ひとつでどうにでもなってしまうとしたら、あんまりではありませんか。」(解説書より抜粋)と言うことらしい。仰る通り。しかし、こんな荒業ができるのも、商業主義に走り過ぎない小さなレーベルだからできることではないだろうか。上手くなったらメジャーレーベルに移籍する、そこで売れる録音のために何でもやる…レツボールはそういう奏者ではなくて、自分の表現したいことを全力でやってくる。そのためにレーベルを選ぶ。メディアに踊らされるだけでなく、そういうことをする人が、評価されていく時代。良いんじゃないでしょうか?

演奏の方も、これ、怪演と言っていいんじゃないかな。技術力は確かなんだが、器用な演奏でも、神々しい演奏でもない。兎に角、人間臭い。これ、明らかに今までの演奏家と目指している方向が違う。この名曲を神棚に祀り上げて畏怖しない。人間の手に取り戻して、時に荒々しく、時に朴訥と語る。綺麗に音楽は流れて行かないし、武骨に過ぎる響きもある。こんな無伴奏は聴いたことがない。斬新と言えば斬新なのだが、レツボールから言わせれば、これが本来あるべきバッハの響きなのだ。曰く、「たいていの人は、その楽譜上に記されている音符の長さをきちんと守って引き延ばし、さながらろくでもないオルガン演奏のような仕上がりにしてしまいました。(中略)そうやって、この作品を演奏する人たちの間には、常軌を逸しているとしか思えないような妙な慣習がいくつかできていったのです(略)」(解説書より抜粋)と言うこと。その批判の通りの演奏をここで披露してくれているのだ。

世間ではどう評価されるかわからないけれども、この名曲に新たな名盤が出てきたことは喜ばしい限り。パルティータにも期待したい。つか、シャコンヌどうなっちゃっているんだろう?!


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ピゼンデル…と言う名前に最近、滅法弱い。ピゼンデル自身の曲も魅力的ではあるんだけれども、彼のために作曲した音楽に素晴らしいものが多いのだ。J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータも彼のために作曲したと言われているし、ヴィヴァルディやアルビノーニもいくつか曲を書いている…と言うことは、このブログでこれまでも書いてきた。ちょっとしたマイブームになりつつあるのだ、ピゼンデルとその仲間たち。つっても、さほど、CDがたくさんリリースされているわけではない。バロック・ヴァイオリンを堪能するにはこの上ないテーマだと思うんだけれども。

と言うわけで、このテーマのCDを1枚紹介しよう。タイトルはPer Monsieur Pisendel。そのまま訳せば、「ピゼンデル氏のために」となるのだろうか。HMVでは、「ムッシュー・ピゼンデルが弾くために」となっている。まんま、上記のテーマに当てはまるタイトル。サブタイトルに、Six Virtuoso Violin Sonatas of the Baroqueとなっている。作曲家は、ヴィヴァルディ、アルビノーニ、そして、ピゼンデル自身である。ヴィヴァルディの作品は、“ヴィヴァルディからムッシュー・ピゼンデルのために”と言う一文が付された、RV.6とRV.2のソナタである。アルビノーニの作品は、So.32とSo.33のヴァイオリン・ソナタで、こちらにもピゼンデルのために作曲した旨、一文が付されている。これに加えて、ピゼンデルの2つのソナタ、それからヴィヴァルディかピゼンデルのどちらかが作曲した、ヴァイオリンと通奏低音のためのサラバンドが収められている。ピゼンデルを満喫するには最高のメニューだ。

演奏しているのは、バロック・ヴァイオリニスト、エイドリアン・チャンドラーと彼の創設したラ・セレニッシマ。当然、ピリオド楽器の楽団だ。2002年の録音で、これがこのコンビのデビュー盤。チャンドラーは、ガブリエリ・プレイヤーズやニュー・ロンドン・コンソートで活躍した後、この楽団を立ち上げている。サウサンプトン大学の特別研究員。と言うわけで、イギリス人。イギリスで古楽と言えば、ガーディナーであり、ピノックであり、ホグウッドである。イタリアやドイツとは、ちょっとわけが違う。穏健派と言うほどではないけれども、過激じゃない。

が!チャンドラー&ラ・セレニッシマは、少々事情が異なる。デビュー盤以降リリースするCDがヴィヴァルディばかり。イギリスの古楽奏者で、ここまでヴィヴァルディに執着している人っているだろうか。ヴィヴァルディのスペシャリスト。と言うことは、おとなしく収まるはずがない(笑)。イギリスの紳士なので、イル・ジャルディーノ・アルモニコやエウローパ・ガランテのようにド派手にはぶっ飛ばさない。あれ、人によっては下品に聴こえてしまう。チャンドラーは、そんなことはしない。しかし、軽快に、スリリングに駆け抜ける。ピゼンデルのニ長調のソナタの終楽章の空駆けるような心地よさ!
ホ短調のソナタの2楽章の哀愁を帯びた疾走感!綺麗だし、ノリがいいので、頭の中と言うより、体の中にスッと入ってくる。ヴィヴァルディの曲も、鮮烈だし、やたらカッコいい。さすがスペシャリスト。アルビノーニは、今まで、あまり聴いてこなかったけれども、これも素晴らしい。つか、凄過ぎる(笑)。アルビノーニってこんななのか。熱くなり過ぎずに、スタイリッシュで過激なイタリア・バロック…最高じゃないか。どの曲も良いんだけれども、このCDは演奏者に耳を奪われる。

実を言うと注文するに当たっては、企画に釣られただけで、「チャンドラー?だれそれ?」って感じだったんだけれども、あっという間に、ファンになってしまった。と言うわけで、今後要注意。レーベルは、AVIE。モニカ・ハジェットもこのレーベルだったよなぁ。ちょっと、AVIEのホームページでカタログチェックしてみようか。

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古典派ってピリオド奏法的には端境期のように見える。バロック以前の音楽は古楽器での演奏が優勢で、ロマン派以降の音楽はまだまだモダン楽器の演奏がメジャーだ。で、古典派はと言うと、どっちがメインと言うこともない。古楽オーケストラの演奏も盛んだが、モダン楽器のオーケストラもこれまで通りレパートリーとしてしばしば演奏会で取り上げ、録音もしている。もちろん、時代の流れと言うものはあって、モダン楽器であってもピリオド奏法が取り入れられていることは、今日のヨーロッパのオーケストラでは珍しいことではなくなった。

で、さて、この何とも微妙な時期をメイン・レパートリーとしている楽団が、コンチェルト・ケルンである。このブログで何度か取り上げているので、改めてくどくど書くつもりはない。古典派のマイナー作品を中心に数多くの録音を行っている楽団である、とだけ書いておこう。残念ながら、来日公演はこれまだたったの1回だけ。2回目が今年あるんだけれども、歌手の伴奏としての来日なので、コンチェルト・ケルンを満喫するって言うほどのものではない。そうじゃなければ確実に行くんだけれどもね。

と言うわけで、今日はコンチェルト・ケルンのCDをご紹介。“Mozart Concerto Koln”と言うタイトルの1枚。2006年、モーツァルト生誕250年の時のCDだから今更感満載だが、ふと気になって買ってみた。正直に言えば、発売当時は、「コンチェルト・ケルン?マイナー専門でしょ?なぜ、モーツァルト?」と気軽に考えていた。しかし、思い返してみればわかるはず。マイナーだって、この人たちの音楽は、飛び切り面白かった。メジャーな曲だって、ありきたりに終わることはない。と言うわけで買ってみた。

メニューは、『魔笛』序曲、バレエ『レ・プティ・リアン』より抜粋、グラン・パルティータから第3楽章、ディヴェルティメントK.136、『劇場支配人』序曲、アイネ・クライネ・ナハトムジーク。名曲集でありながら、ちょいちょい玄人好みしそうな演目を挟めてくるあたり、“らしさ”を感じさせる。

1曲目の『魔笛』からいきなりアグレッシブなコンチェルト・ケルン節を炸裂させる。「超名曲でも一筋縄ではいかなかったか」と言う満足感と妙な安心感。続くどの曲もハイスピードで突っ込んでいく。K.136だって優美なだけでは、許してもらえない。引き締まったリズムに乗って、キビキビと歌い上げていく。アイネ・クライネも切れ味のいい刃物でメロディが切り抜かれていくようだ。低音も良く鳴って、ノリが良くって、カッコいい。食傷気味ですらある超有名曲を、これほどまでに新鮮な響きを持って聴かせてもらえると、また違った魅力があることを思い知らされる。

なお、この録音で、コンサート・マスターを務めているのは、アントン・シュテック。ヴィヴァルディやピゼンデルの録音でも素晴らしい演奏を披露してくれている名手である。ジャケットは、新宿に迷い込んだモーツァルトの後姿。殆ど日本に来たことのない彼らのCDのジャケットになぜ新宿が選ばれたのか…謎。

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原曲主義とでも言おうか、おいらもそうなんだけれども、作曲者の指示した編成、楽器での演奏が一番リスペクトされる。大体の曲ではそうだ。一昔前、今ほど、古楽器での演奏が盛んではなかった時代、どうしてもJ.S.バッハを演奏したかった人たちが、巨大なハリボテのようなオーケストラ編曲ものを作り出したりしたけれども、結局は、J.S.バッハの良さを存分に引き出したとはいえなかったと思う(ストコフスキーさん、ゴメンナサイ)。中には面白いものもあるんだけれども、それは編曲というより、編曲者のオリジナリティが色濃く出たものである場合が多い。

やはり、作曲者はその楽器のことを考えて作曲したのだから、その楽器で演奏するのが一番良いのだ!とか何とか言って、古楽には楽器が指定されていないものも多いんだけれどもね。ホントは、そんなにこだわっていない(汗)。

さて、こんな前振りをしておいて、今回は編曲もの(笑)。J.S.バッハのシャコンヌ。無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番の最後にドテッと居座っている長大なあいつである。5曲のうちの1曲なのに演奏時間は、半分近くに及ぶ。圧倒的な存在感。内容も凄くて、無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ全6曲の中でも、特に目立つ。

そんな訳で、「あんな凄い曲がヴァイオリンのためだけだなんて…」と嫉妬(?)したほかの楽器のために、様々な編曲が作られてきた。中でも、有名なのはピアノ版だろう。

J.S.バッハの時代は、まだまだピアノはメジャーな楽器ではなく、鍵盤楽器の中心は、チェンバロだった。ところが、古典派の頃にフォルテ・ピアノが出てきて以降は、ピアノはどんどんメジャーになっていき、ロマン派の頃には、すっかりブルジョワ階級のオジョーサマのお習い事に定着した。今でも、お上品なクラシック=ピアノのイメージを持っている一般人は多い。あんまりピアノ作品を聴かないクラヲタであるおいらとしては、心外だし、大いに反論したいところであるが、まぁ、世の中そんなものである。

だから!シャコンヌもピアノで弾きたい!と言うわけで、ピアノ編曲を3つばかり集めたCDを紹介してみよう。演奏者は、エドナ・スターンと言う女流ピアニスト。1曲目にブゾーニによるものを持ってきている。これは、ど派手でJ.S.バッハの世界が華麗に吹っ飛んでいる。「こんなん、シャコンヌじゃねー!」と泣きながら走り出したい気分だけれども、詰まらないかと言うとそういうわけではない。正直、なかなか面白い。これはこれとして聴けばよし。続いて、ルドルフ・ルッツと言う作曲家が、エドナ・スターンのために編曲したものが収められている。ブゾーニに比べると地味。響きは、ちっともJ.S.バッハっぽくない。最後に、ブラームスによる左手のための作品。まぁ、もともとヴァイオリンのための作品だから、指は5本あれば事足りるんだよね。割と、原曲に忠実。エドナ・スターンの演奏も、まぁ、無難な演奏。

で、最後に、原曲を持ってきてしまう。これ、ね、あー、今までのはなんだったのか…と(笑)。「やっぱ、この曲は、ヴァイオリンが最高だな!」という落ちになってしまうじゃないか。演奏は、アマンディーヌ・ベイエ。先日、無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータの全曲録音をこのブログでご紹介した女流バロック・ヴァイオリニスト。ピアノの方は、作曲者が作曲者なだけに、全てモダン楽器だけれども、原曲版はバロック楽器で勝負を仕掛けてきた。これが、ピタッと決まる。キリッと張り詰めた、美しくも厳粛な響きが今までのピアノの邪道を糺して行く。

なんとも面白い企画CDだった。レーベルはZig-Zag Territoires。このレーベルは、ホント質の高いCDを作ってくるなぁ。お値段は高いけど。カビかかったような録音をまとめて安く買うより、こういうCDを1枚買うほうに魅力を感じてしまう今日この頃。このデフレの時代を思い切り逆行しちゃっているけど、応援したいレーベルだ。

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ちょっと前に久し振りにナイマンのCDを買った。

ナイマンと言えば、無限ループ地獄のミニマルだが、映画音楽を作曲するくらいで割とメロディアス。だもんだから、ゲンダイ音楽に苦手意識のある人でも、すんなりとナイマン・ワールドには入っていける。同じミニマルでもライヒなんかは、はじめて聴かされた人は「なんだ、これ?」と思ってしまうだろうけれども、ナイマンにはそれがない。かっこいいし、なんだか、心地よい。退屈なんだが、心地よいのだ。そして、よほどインパクトのある曲以外、「あれ?これ、なんだっけ?」と曲名が思い出せない(汗)。ナイマン節が炸裂すると、「これでいっか…まぁ、曲名とかどうでもいいや」となる。これはおいらが適当なだけか(笑)。

今回は、ピアノ・トリオ集。つっても、ロマン派の楽曲のようにピアノ・トリオ第何番と言うものじゃなくって、ピアノ・トリオの編成による音楽集になっている。

1曲目のPoczatekはナイマンが映画のために書いた音楽から一部を抜粋したもの。2010年の作曲なので、わりと新作。軽快なテンポに乗って、ナイマン特有の憂鬱なメロディが、浮かんできたり消えていったり。ヴァイオリンとピアノとチェロのメロディのやり取りも心地よい。

2曲目はThe Photography of Chance。2004年の作品。ユタ州の大自然を称えるために作曲したということ。うーん、大自然ねぇ、これが。ヴァイオリンがか細く囁く様は、仄暗く寂しいアメリカの田舎町の日暮れ時を思い出させる。雄大な音楽でなく、アメリカの大自然を表現しているという意味では斬新なのかも。

3曲目は、Yellow Beach。2002年の作品だが、映画『プロスペローの本』のためにナイマンが作曲した音楽の編曲ものということで、大元はずっと前に書かれた曲と言う事になる。静謐で、茫洋としたヴァイオリンが印象的な部分と、闊達なピアノがリズムを刻む部分が入れ替わりに現れる。最後は闊達に、そして、唐突に終わる。この唐突に終わるってのが、ミニマルというか、ナイマンの味である。終わりが予想できないというか、「あ、あれ?」って終わってしまうので、妙に落ち着かないというか。

最後は、Time Will Pronouce。1992年の作品。このCDの作品の中では一番古いもので、20世紀の作品。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争に由来している曲。ヴァイオリンが悲痛に響き渡る。テンポが速くなっても、ナイマンの軽快さは、冷たく、音楽を奏でていく。ふと、ライヒのDifferent Trainsを思い出させる。

演奏はフィデリオ・トリオ。はじめて聞く名前だが、現代音楽のCDをいくつかリリースしているみたい。硬質で無機的な響きが、ナイマンの音楽をメカニックに仕立ててあげている。レーベルは、MN Records。MNは、Michael Nymanの略だろう。ナイマンのためのレーベルだ。自主制作と言うことになるのかな?以前、argoから出ていた、弦楽四重奏曲集なんかも、リリースしている。このピアノ・トリオのための作品集は、2010年に録音され、昨秋リリースされているので、このレーベルのオリジナル音源だと思われる。今後どんなCDがリリースされるのか、少し楽しみなレーベルだ。

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CDが出たら必ず買いたいと思う指揮者ってのは、そんなに多くはない。今は、ビエロフラーヴェクとスラットキンくらい。彼らにしたって、演目によっては、“必ず”ではなくなるんだけれども、まぁ、大体は買っている。

さて、今回は、スラットキンの番。ラヴェルの管弦楽曲集。ナクソスからのリリース。スラットキンは、TELARC→RCA→CHANDOS→NAXOSと契約レーベルを移してきた。時によって、VOXやEMIにも録音したが、主な流れは、これで間違いがないはず。TELARKとRCAがセントルイス交響楽団時代、CHANDOSがBBC交響楽団時代、NAXOSがデトロイト交響楽団とリヨン国立管弦楽団時代、つか、今。権威主義的、と言うか、ブランド主義的に言えば、RCA時代がピークになるんだろうか。EMIにいくつか録音したのもこの時代だ。メジャーレーベルにたくさんの録音を残した、と言うことになる。

しかし、今日、6大メジャーは過去の栄華、スタジオ録音の音源なんて、よほどの大物指揮者だって、なかなか出てこない。古楽系のレーベルは活発に活動をしているが、メジャーレーベルは過去音源の焼き直しでどうにか凌いでいるようにしか見えない。そんな中、NAXOSと定期的にスタジオ録音の新譜が出てくること事態、日本のファンとしてはありがたい限りだ。ちょっと前には、リヨン国立管弦楽団と幻想交響曲をリリース、その前には、デトロイト交響楽団とラフマニノフの交響曲第2番をリリースした。

そして今回のラヴェルである。オーケストラは、リヨン国立管弦楽団。スラットキンは、2011年からこのオーケストラのシェフに就任している。リヨン国立管弦楽団は、前任者の準・メルクルとドビュッシーの管弦楽曲全集をNAXOSに録音しているが、後任者のスラットキンとは、ラヴェルの管弦楽曲全集をリリースする予定となっている。

と言うことで、今回が第1弾。何弾まであるかは知らないが、これは今後が楽しみな企画だ。第1弾の演目は、こちらを参照。のっけから、道化師の朝の歌とか、スペイン狂詩曲とか、ボレロとか…今後はどんどんマニアックになって行くしかないんじゃないのか。あんまり、ラヴェルは詳しくないけれども(汗)。

演奏は流石と言うか、スラットキン節炸裂で、ファンにはたまらない。ゴツゴツ鳴らない、スマートでカッコいいラヴェル。古風なメヌエットの透明感、スタイリッシュなスペイン狂詩曲。これはスラットキンならではの心地よさ、美感。ボレロも耳障りじゃない。盛り上がるけど、がなり立てないから、安心だ。リヨン国立管弦楽団は、超一流の楽団ではないが、フランスらしい雰囲気を持ったオーケストラ。スラットキンの指揮が、そんなオーケストラを上手く仕立てて上げていく。さすが名匠だ。なるべく、長くコンビを組んで、面白い仕事を続けていって欲しい、とは思うけど…。

それにしても、こんなクオリティの録音がNAXOSからねぇ。時代は変わった…。ジャケットが相変わらず垢抜けないのは何とかならないのか…。

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このブログ、最近、バロックのヴァイオリン曲の紹介が多くなった。偏っちゃいけないんだけど、私的流行って言うことで許してもらおう。

で、バロックのヴァイオリンの、それも通奏低音のあるなしに関わらずソロの曲を聴く上でいつも引き合いに出されるのが、J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータである。まぁ、あれだ、なんだかんだ言ってこの曲は、客観的に見て、バロック期におけるヴァイオリン音楽の至高の作品であり、終着点であると思う。他にも素晴らしい曲があるんだ!と言うことは、大いに宣伝したいんだけれども、もしこの曲を聴いていないのならば、まずは聴いてもらわなければならない。それから、バロックのヴァイオリン音楽の深い世界に…まぁ、おいらも踏み込んだばかりではあるけれども、進んでいこう。

そんな名曲だもんだから、昔から今日に至るまで、ヴァイオリンの名手といわれる人たちが、次々とこの曲に挑戦してきた。曲の内容も、要求される技術力の高さも、己が一流であることを証明するのに、これほど打ってつけの曲はない、と言うことなんだろう。これまで数々の名演が生まれてきたわけなんだけれども、難しいことが大好きなヲタクは、厳しい陶芸家のごとく、「これではない!」と首を横に振りながらディスクを割り続けてきた(たぶん)。おいらも、なんとなく気になる演奏家がいると、この曲のCDを聴いてみることが多くて、所有枚数も増えてきてしまった。

だーが!別に、増えて困ることはない。と開き直ってみる。この曲は色々な演奏を聴いてみたい。

と言うわけで、この年末も押し迫った時に、また1種類追加した。ジグ・ザグ・テリトワールからリリースされている、アマンディーヌ・ベイエ盤。ジグ・ザグはフランスの古楽系レーベル。ジャケットはオサレだし、演奏家も選曲も通好みだが、洗練されている。

今回のCDも古楽の演奏、しかも、最後に、ピゼンデルの無伴奏バイオリンのためのソナタを演奏している。こういうクラヲタがちょっと喜ぶツボを抑えているから嬉しい。ジャケットは女性の後姿だが、ベイエ自身だろうか。これはジャケ買いをしたくなる(笑)。

演奏も素晴らしい。安定した技術力には感服させられる。早い楽章での爽快な推進力も素晴らしい。複雑で計算されつくされたような幾何学模様を軽快に、しかし、的確に編み出していく。余計なヴィヴラートが抑えられているために、歌い過ぎずに、より明確にJ.S.バッハの仕組んだ音楽の凄さを実感できる感じがする。遅い楽章では仄暗い音色が魅力的に響き渡る。この大曲の見せ場であるシャコンヌは、速めのテンポで、リズム良く音を紡いでいく。さらりと進んでいくようでありながら、陰影のある響きが美しく、感動的だ。最後に収められたピゼンデルも素晴らしい演奏。J.S.バッハの後に持ってくるとどうしても意識して聴かざるを得ない。素晴らしい企画。録音は残響が多め。使用楽器は古いものではないようだ。

このベイエと言うバロック・ヴァイオリニスト、はじめて聴いたんだけど、こんな上手いヴァイオリニストがいるとはねぇ。今日の古楽器奏者は凄すぎる…。探してみると、次から次へとハイレベルな奏者が出てくる。

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ハイドンが好きなんである。しかし、この作曲家、知名度に反して、然程に評価されているようには見えない。なかなか演奏会もないので、引き篭もってCD鑑賞するしかない。

つうわけで、また買った、交響曲全集(笑)。今度は37枚組み。デニス・ラッセル・デイヴィスが、シュトゥットガルト室内管弦楽団を振って完成させたもの。なんと、5,000円を切るお値段でのご提供。ペットボトルのジュースより安いと言うお買い得盤ではあるが、ブリリアントではない。ソニー・クラシカル。普段はお高いCDを出しているレーベルだ。フィッシャー兄盤ですら、あまりの安さに驚いて仰け反ったものだが、その遥か上を行く。こんな安いCD他にないだろ、と思ったが、harmonia mundi franceの50年記念ボックスがあったな。HMFも普段は安くないんだが。

そもそも、この全集プロジェクトは、1999年にスタートして、2009年のハイドン・イヤーにリリースされるよう進められた。予定通り、リリースされたんだが、限定盤だったので、迷っているうちに売切れてしまった。値段は、7,000円前後だったと記憶している。それが、このたび、値下げ&復活したのだ。たぶん限定盤。飛びついたねぇ、おいらは(笑)。

1999~2009年、要するに10年がかりだったんだが、10年も掛けたと言うよりも、10年で駆け抜けたと言う印象。10年間も毎年ハイドンの交響曲を10曲も録音するって根気がいると思う。演奏家じゃないから知らないけど。

じゃぁ、ほかの、全集はどんくらいの期間で完成されたのか。調べてみると、フィッシャー兄が、1987~2001年、ドラティが、1969~1972年。ドラティ、凄いな、おい。完成されることはなかったけれども、ホグウッドは1983~1995年。D.R.デイヴィスは2番目の記録。ただし、他の全集と違うところが1点。全て、ライブ録音なのだ。拍手も入っている。録音場所は、シュトゥットガルトのメルセデス・ベンツ・センター。拍手からも察することが出来るんだが、あまり大きなホールではない。オーケストラの編成も小さめ。

演奏だけれども、モダン楽器での演奏と言うこともあって、アーノンクールのような過激なものとは、違う。しかし、今時、ピリオド奏法を無視した古典派の演奏と言うのは珍しいくらいだ。この録音でもコンサートマスターに古楽器奏者であるベンジャミン・ハドソンを迎え、ティンパニとトランペットに古楽器を使用するなど、思い切り、ピリオド奏法を意識したものとなっている。ヴィヴラートも控えめのあっさり味。その代わり、演奏に切れが出てくる。奇を衒わない解釈ながら、スッキリとした聴き心地は、“いまどき”の標準的な演奏と言えるかもしれない。

指揮者のD.R.デイヴィスは、おいらの中では、現代音楽のスペシャリストだったので、正直この全集が出たときは驚いた。ところが、最近は、リンツ・ブルックナー管弦楽団とブルックナーの交響曲全集を出したりもしている。寡聞にして、知らなかったのだが、多才な人として有名らしい。ピアニストとしてもなかなかの腕前で、CDも出ている。

シュトゥットガルト室内管は、以前はミュンヒンガーのオーケストラとして知られていた。正直言うと、ミュンヒンガー1代限りで終わったと思っていたので、D.R.デイヴィスがグラスの録音をリリースしたときは、別のオーケストラかと疑っていた。だって、あまりにもレパートリーが違いすぎるじゃないか。しかも、今回は、ピリオド奏法まで取り入れてしまっている。時代は変わったものだ。となれば、気になるのが、ミュンヘン・バッハ管弦楽団。あれ、どうなったんだろうか。1枚もCDを持っていないので、あんま詮索はしないけど。

まぁ、それはともかく。この値段で、このクオリティ、かって絶対損はしませんなぁ。しかし、聴きたい時に聴くと言っても、ハイドンの交響曲全集3種類(未完を含む)ってどうなんでしょう(汗)。いや、むしろ、ドラティを持っていないのは、なんか、バランスが悪い、とか(笑)。もういいよ…。

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