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古楽は無限の宝庫だ。自分が今まで信じて疑わなかったちっぽけな音楽の常識が、いとも簡単に、心地よく覆される。古いのに新鮮な世界。古典派以降の世界とはまったく異なる、別次元の音楽世界が広がっている。そして、それはまだまだ研究の途上であるというのだ。あらゆる事象が解明されているような白けた今日に、これほど未知への好奇心を駆り立てる音楽があることを、どれほどの人が知っているのだろうか。クラシックが過去の研究され尽くされた音楽というのなら古楽はクラシックではない。もっと、J.S.バッハ以前の音楽が世に広まることを祈念したい。

さて、今日もそんなわけで、ちょっと面白い企画のCDを。

Ciacconas,Canzonas&Sonatas-
Violin music from the Collection "Partiturbuch Ludwig"(1662)

Ciaccona(チャッコーナ)はイタリア語で、ドイツ語だとChaconne(シャコンヌ)。3拍子の舞曲で、バロック期にはオスティナート・バスによる変奏曲の形式として盛んに用いられた…とウィキペディアに書いてある。オスティナート・バスは音楽的なパターンを続けて何度も繰り返すことで、執拗反復とも言う…とこれもウィキペディア。バロック期においては、パッサカリアと明確に区別して使われてはいなかったと言う。だから、ビーバーのパッサカリアが、J.S.バッハのシャコンヌに影響云々かんぬんと言う話が出てくる。

Canzona(カンツォーナ)は、カンツォーネからも想像できる通り、歌曲を意味する。ただし、ここで言うカンツォーナは、フニクリ・フニクラを歌いだすわけではない。16世紀のフランスのシャンソン等を模倣した器楽曲のことで、当時の流行の歌曲等を主題に用いている。ウィキペディアは便利、と。

Sonata(ソナタ)は、古典派以降のソナタとは意味が少し異なる。ソナタ形式なんてものが、誕生するのは、ずっと後のこと。ここで言うソナタは、カンターレ(歌う)を語源としたカンタータ(声で歌う作品)に対して、ソナーレ(響かせる)を語源としたソナタ(楽器で響かせる作品)と言う意味である。ぶっちゃければ、器楽曲程度の意味。

Partiturbuchはドイツ語でスコア集とでも訳せば良いだろうか。Ludwig(ルードヴィヒ)は宮廷音楽家のヤコブ・ルードヴィヒと言う人のことで、パトロンであるアウグスト・フォン・ブウランシュヴァイク公爵の83歳の誕生日のためにこのスコア集を編集して、献呈したと言う。このスコア集には100曲以上の様々な作曲家の曲が収められているのだけれども、このCDには10数曲が選ばれて収められている。出てくる作曲家は、ニコライ、ベルターリ、シュメルツァー、クレメンティス、あとは作者不詳の曲が5曲。

1662年は、アウグスト・フォン・ブウランシュヴァイク公爵が83歳になった年なのだろうか。あるいは、この曲集を編集した年だろうか。いずれにせよ、この年代は初期~中期初頭バロックの音楽であることを示している。

さっくり、語彙的な部分を簡単に調べて、さて、音楽の方だが、時代が時代なだけあって、純粋にバロックと言うだけでなく、どことなく、ルネサンス的な香りが漂っている。感情が奔走しきらずに、どこか冷めたような崩れ切らない部分がある。故に、闊達でありながら仄暗い陰があって美しい。

お勧め、と言うか、おいらが好きなのはベルターリのチャコーナ。このメロディを使ったチャコーナはファルコニエーリとメールラの作品もCDで持っているけれども(他にもあるかも。覚えていない。よく使われている)、ベルターリのチャコーナが一番、長く楽しめる(笑)。J.S.バッハのシャコンヌからは想像も付かないようなリズミカルで、調子のいい爽快な音楽が飛び出してくる。小躍りしたくなるような音楽だ。他の音楽も盛期バロックとは、異なり度を越えてはしゃぎ過ぎない、落ち着いた音楽だ。それがなんとも心地よい。

演奏は、フローリアン・ドイターとアルモニー・ウニヴェルセル。ドイターは、ムジカ・アンティクァ・ケルンにも在籍していたバロック・ヴァイオリンの名手。残念ながら、おいらはこのCDがはじめて…のはず。ムジカ・アンティクァ・ケルンにはずいぶんお世話になっているけれども。で、彼の元に集まった古楽器の名手たちで結成したのが、アルモニー・ウニヴェルセル。ドイターのヴァイオリンは生命感溢れる瑞々しさと切れ味鋭い響きが魅力的。アルモニー・ウニヴェルセルの伴奏もいい。彼らの響かせる、古の古雅な音楽。これがね、堪らんのだよ。

こういう音楽を、もっといろんな人に聴いてもらったら、古楽ってもっと人気出るんじゃないか。レーベルは、古楽の名門、ACCENT。ACCENTにしては、おしゃれに頑張ったジャケット。ヴァイオリンを削って花が咲いたようになっている美しい写真を用いている。

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レコードアカデミー賞…あんまり興味のある話題じゃないんだけれども、これまでこのブログでちょいちょい書いたことがある。と言うことはおいらにとっては、多少は気になる程度というか、ネタ的な存在なんだろうか。自分のセンスに合わないもんだから、文句ばっか言っているような気もする。国内盤が基準はおかしいとか、なんとか。

今年もめでたくこの賞が発表された。さっと見て思ったんだけれども、案外に過去中毒をこじらせていないセレクトだ。HMVの売上とはあまりリンクしない。過去の演奏こそ偉大であると考える人からしてみれば、おいら以上に納得のいかないものかもしれない。まぁ、それでも未だに、オペラ部門あたりにカラヤンが君臨していたりするわけだが。

それで、と。今年は、おいらの買ったCDが1枚だけ選ばれていた。音楽史部門でレツボール&アルス・アンティクァ・オーストリアのビーバーのヴァイオリン・ソナタ集。ちなみに、去年は、大賞にミンコフスキのハイドン、銀賞にラトルのシェーンベルクが入っていて、妙においらと好みのあった年だったと思う。しかし、今年は、1枚だけ。しかも、これ、随分前に買ったような気がしていたんだけれども、国内盤の発売は2011年の12月。今年の受賞。輸入盤は半年くらい前に発売されているので、人によっては凄い時間差攻撃を食らった感じだ。この違和感がねぇ…。それと、音楽史部門って、どうなんだろう?古楽部門とかにしたほうが良いんじゃないか?

と、おっと愚痴になってしまった。ブログのネタになっているだけでも感謝しておこうか。

さて、このレツボールのビーバー、どうなのかと言うと、文句なしに面白い。この人のロザリオ・ソナタは相当面白いということだけれども、残念ながら廃盤中(Youtubeで一部視聴可能)。ARCANAのCDなんで、今後、復活するかどうかは、よくわからない。ちなみに、2003年には日本でもロザリオ・ソナタを披露したらしい。聴いた人、羨ましい…。

そんな訳で、レツボールのビーバーをたっぷり楽しみたい人には現在は、このCDがベストと言うことになる。何つっても、2枚組みだし!収められているのは、8つのヴァイオリン・ソナタと描写的なソナタ。メインは、8つのヴァイオリン・ソナタで、90分ほどかかる。ジャケットには1681年と書かれているが、これは作曲年だろうか、出版年だろうか。いずれにせよ、ロザリオ・ソナタが1670年代に作曲されたと考えられているので、それより後のもの。ビーバーらしい革新的な音楽だ。今聴いたって随分革新的に聴こえるんだけれども、聴衆に拒否反応を起こさせるものではない。

演奏は相変わらずの、レツボール節。熱気と言うか、狂気と言うか(笑)。濃厚でリズミカルな演奏だ。間違いなく、汗は飛び散っている。古楽の演奏は、最前列で聴きたいが、この演奏なら、5列目くらいでも良い。だけれども、決して雑って感じじゃないのが、一流の証。案外歌う。技巧的にも凄くって時々、拍手をしたくなる。小気味がいいほどの切れ味だ。ビーバーの曲って、精緻な感じがしなくって、荒削り感満載でそれがまたなんとも言えず魅力的なんだけれども、レツボールの演奏スタイルにも合っていると思う。なお、バックには、ミヒャエル・オーマンもヴィオラ・ダ・ガンバで参加している。

音楽之友社とともにおいらも推したいCDだ。

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メリィィィィィィ・クリスマァーース!!

そんなテンション高いわけじゃないんだけどね。つか、なんで日本のクリスマスはこんなに浮かれているのだ?そんなことを言うと、楽しめないやつの僻みに聞えるかもしれない。しかし、クラヲタってガチのクリスマス音楽に触れることが多いわけで、そうするとやはり違和感を覚えるのだ。ヨーロッパでも、サンタさんがフィンランド軍の制御を振り切って、子供にプレゼントを渡すんだろうけれども、お祈りしたり、ミサを歌ったりと敬虔な面もずいぶんあると思う。なのに、日本は何なのだ、けしからん、と言いつつ、自分も祈るわけでもなく、クリスマス関係のCDをポチポチしていたりする(汗)。

と言うわけで、クリスマスのための音楽のお話。前述の通り、このジャンルはクリスマスのための音楽が多い。そしてそれは大抵、宗教的に敬虔で荘厳で穏やかだ。情緒的でもないし、キャッキャウフフもしない。毎度お勧めなのが、フィンジのカンタータ『降誕祭(クリスマス)』なんだが、この曲にしたって、その範疇からは外れない。

そんな中で、何を選ぼうか。クリスマスは何つっても宗教行事なので、宗教曲、要するに、声楽曲が多い。器楽曲を探すのは、難しいとは言わないが、豊富とは言いがたい。特に宗教を意識した器楽曲と言うのは少ない。が、ここは敢えて器楽曲で行ってみようか。ヴァイオリン好きとしては、ビーバーのロザリオ・ソナタから第3曲『キリストの生誕』と言うのもありだ。ロザリオ・ソナタは、極めて宗教色の強い作品で、器楽では希少な存在と言える。だが、まぁ、器楽と言えば、素直にコレッリのクリスマス協奏曲を選ぶのが妥当だろう。何つっても、今年は、コレッリの没後299年なのだ。来年は、没後300年になる。来年のクリスマスに騒いでも、あっつう間に終わってしまうので、今年から備えておくのが吉。

そんなわけで、勝手に語りだす。

クリスマス協奏曲と呼ばれているこの作品は、コレッリの合奏協奏曲集 作品6の8番にあたるもの。作品6と言うとずいぶん若書きの作品のように見えるが、実はこれ、コレッリの作品番号では最後のものなのだ。1から4までがトリオ・ソナタ、5がヴァイオリン・ソナタ、そして、6が合奏協奏曲である。コレッリは12曲ごとまとめて曲集として出版していて、それが作品6までと言うこと。要するに72曲しかない。これに加えて、コレッリ作と判明している曲が数曲残されているので、実際には80余りの作品が今日に伝えられている。名声に比して、非常に少ない。CDにしたらせいぜい15枚くらいなもんだろうか。もちろん、もっと多くの曲を作曲したには違いないんだけれども、多くが本人の手によって破棄されている。イタリアの作曲家は国のイメージに反して、時々、妙にめんどくさい奴がいる。残念だ。

クリスマス協奏曲は、そんなコレッリの貴重な作品の一つ。心して聴こう。で、なんで、この曲がクリスマス協奏曲と呼ばれているかと言うと、最終楽章に「主の降誕の夜のために」と書かれていたからだ。全般的に荘厳で穏やかな曲だが、特に、この終曲のパストラーレの敬虔な雰囲気は、後世の音楽では得られない、バロックの、いや、コレッリならではの、美観が満ち溢れていて、感動的だ。時々、現れては消える、人々の喜びを表すような心温まるメロディも魅力的だ。

今聞いているのは、キアラ・バンキーニ&アンサンブル415によるもの。1687年にローマのスペイン広場で、コレッリ自身により行われた演奏会の様子を忠実に再現したもの。古楽器らしい軽やかさに加えて、曲の持つ柔らかさや穏やかさを十分に味わえる演奏だ。安心のハルモニア・ムンディ・フランスからのリリース。

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BEST OF 2012-HMV ONLINE 年間ランキングが発表された。こちら。クラシック総合のトップはバーンスタイン&イスラエル・フィルのマーラーの9番、2番目がシューリヒト&ウィーン・フィルのブルックナー、3番目がトスカニーニのボックスもの、4番がクレンペラーのメンデルスゾーンとシューマン、5番目がワルターのマーラー…もう良いか。

BEST OF 2012…だよな。27位のブリュッヘンのベートーヴェンで漸く、「だよね、今、2012年だよね!」と“今”を確認できる。HMV ONLINEと言うのは、日本のクラヲタの典型的な人たちが利用しているお店だと思う。だからこそ、これが日本のクラヲタの評価であるといっていいのかもしれない。過去こそ偉大。巨匠時代が終わって今はたいした演奏家がいない、いや、出るわけがない、と言う感じなんだろうか。昔は良かった、か。過去にもいい演奏はたくさんあっただろうけど、今も素晴らしい演奏は多い。過去中毒こじらせ過ぎ。ちなみに、ヨーロッパにこの発想はないみたい。何で日本はこーなった(涙)。まぁ、おいらも、クラシック聞き始めの頃は、過去こそ偉大だと洗脳されていたけど(汗)。

ちなみに、この27位より上位のCDでおいらが買ったのはホグウッドのモーツァルトだけだ。27位のブリュッヘンのベートーヴェンと共に確かに素晴らしいCDだった。

さて、今日は…なんとなく買ったカシュカシアンのブラームスのヴィオラ・ソナタ集を聴いている。1996年の録音。16年前程度では古く感じない、まぁ、それはそれで悪いことじゃないとは思うんだけれどもね。

さて、ヴィオラ・ソナタ。これはそもそもクラリネットのための曲で、ヴィオラのために作曲された曲ではない。それを作曲家自身がヴィオラ用に編曲、更にヴァイオリン用にも編曲した。と言っても、通常、ヴァイオリン・ソナタ全集にこの曲は入ってこない。と言うわけで、はじめての曲だ。ブラームスだからにして、マイナーな作品ではないけれども、接する機会がなかった。ヴィオラ…だからかな。ヴィオラのための曲って、ヴァイオリンに比べると圧倒的に少ない。楽器の存在がこういっては何だけれども、地味なせいだろう。

ところが、これがなかなか良いのだ。しっとりとした落ち着きは、ヴァイオリンにないものだと思う。ブラームスの作風に良く合う楽器じゃないだろうか。地味な曲と言ってはそれまでだが、第1番にも第2番にもappassionatoと指示されている楽章があるとおり、時折、内に秘めた情熱を感じさせる。カシュカシアンの演奏は、派手さはないけれども、程よい歌心があって、ヴィオラの魅力を存分に引き出したもの。枯れた美しさっていうのかな?寒い冬、暖炉の前で聴いたら最高の空間になりそう。

レーベルがECMと言うのも嬉しい。クリアな音質、シンプルだけれども洒落たジャケット―。購買意欲の付くレーベルだ。

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ドメニコ・スカルラッティと言えば、バロックにおける鍵盤楽器音楽の大家である。バロック音楽が過小に評価されていた時代においても、名ピアニストたちが、レパートリーにしており、録音にも恵まれている。

そんな録音の一つ、ホロヴィッツのレコードを聴いて、スカルラッティに夢中になった音楽家がいた。テディ・パバヴラミと言うヴァイオリニストである。そう、ヴァイオリニスト…であって残念ながら鍵盤楽器奏者ではない。彼は、12歳のときに件のレコードに出会って、それから遊び半分でヴァイオリンでスカルラッティの鍵盤楽器音楽を弾いていたと言う。やがて、プロのヴァイオリニストとなってそれなりに名前が売れるようになって(残念ながらおいらは知らなかったが)、この子供の頃からの遊びに本格的に取り組み、それをレコーディングした。なんと、伴奏なしで、である。10本の指で摘む出される音楽をたった4つの弦、5本の指で演奏してしまおうと言うのだ。

なんというか…無茶しやがって…。

と言いつつ、そんなCDを見つけたら、欲しくなるに決まっている。マイナーレーベルに日本語訳をくっつけて、ばか高い値段で売っているマーキュリーのCDだが、ディスク・ユニオンで見つけたのは、ラッキーだった。レーベルはaeonと言うフランスのレーベルで、パパヴラミはここから何枚かの録音をリリースしているようだ。

スカルラッティに挑むと言うと、バロック・ヴァイオリン奏者か?と思ったんだけれども、モダン楽器奏者である。バロック・ヴァイオリン奏者ならば、無伴奏に編曲する場合でも、オーセンティックに気を使っているものだけれども、パパヴラミは、純粋に編曲もの、要するに、自分の表現の欲求のために演奏している。バロック・ヴァイオリニストたちのそれとは少し意味合いが違ってくる。モダン楽器奏者らしい立ち位置だ。ちなみに使用楽器は、2006年製のもの。弓は、19世紀初頭のものを使っている。録音は2006年6月なので、出来立ての楽器だ。弾き込みとかしなくて良いのか…?

さて!その成果は?と言うと、これがなかなか面白い。不勉強にして、スカルラッティの作品はあまり聴いたことがないんだけれども、それでもこの録音は楽しめる。「あー、こりゃ、鍵盤楽器のための曲だなぁ」と感じさせつつも、飽かず聴けると言うのは、編曲が良く考えられているからだろう。多少の違和感も、新しい響きと感じることが出来るものだ。これに比べると、J.S.バッハのトッカータとフーガの無伴奏ヴァイオリン版って、違和感ないよなぁ。若しかすると、ホントに無伴奏ヴァイオリンのために書いた曲なのかも…と疑いたくなる。

スカルラッティの鍵盤楽器音楽の新たな一面を切り拓いたこのCD、面白がりの人には良いだろう。ヴァイオリン好きなので、スカルラッティにはあんまり縁のない人も、何かのきっかけになるかもしれない。まぁ、今後、スカルラッティを弦楽器一挺でやろうなんて思う奏者もいないだろうけど、ね。

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作曲家別所有CDをカウントしてみた。全部のCDをカウントしたわけでもないし、複数の作曲家を収めたCDの分別については客観性に欠けるところもあるけれども、まぁ、大勢は変わらないと思う。で、その結果…

1位 モーツァルト
2位 ハイドン
3位 ベートーヴェン

なんと言う、ウィーン古典派3巨匠偏愛…。そんなつもりはなかったんだけどなぁ。ハイドンはフィッシャー兄の交響曲全集が効いている。一発で33枚。聴き切れるのか、これ、とかそんな細かいことは気にしない。興味のわいたときに聴いていけばいい。最初から全部聴くなんていうストイックなことをしたって何も面白くはない。

で、また、買ってきてしまったのだ、ハイドンの交響曲全集。それで、仮の順位とは言え、ベートーヴェンを一気に抜き去った。今回買ったのは、ホグウッド&エンシェント室内管弦楽団のもの。正確に言うと、全集ではない。時代考証的な見地から色々と考察して、フィッシャー兄の全集に迫る32枚組みになったんだけれども、パリセット以降が殆ど収められていない。要するに、ハイドンのメジャーな交響曲はあまり聴くことができないのだ。残念と言えば、これほど残念で消化不良なセットはない。

どうやら、商業的に大失敗で、頓挫してしまったらしい。そりゃね、ハイドンの初期交響曲なんて、そんなに売れないよ…。手堅くロンドン・セット、パリ・セットあたりを押さえてから、徐々に初期交響曲に持っていけばよかったのに。たぶん、ホグウッド先生の拘りがあったんだろうなぁ。オリジナル楽器での初の全集になるはずだったんだそうだ。そして、未だに、オリジナル楽器での全集は出ていない(はず)。モダン楽器の全集が、複数出ていることは、よく考えてみると凄いことではあるけれども。ちなみにこれが完結していれば、ホグウッドはウィーン古典は3巨匠の交響曲を全部録音した唯一の指揮者になることが出来た。たぶんだけど、今後しばらくは、この偉業を成し遂げるどころか、挑戦する人も出てこないと思う。

もちろん、全部聴いたわけではないけれども、演奏は流石に、特上。アーノンクールのように、エキセントリックでもエキサイティングでもない。イギリス古楽演奏家らしく、変なことはしないで、活き活きとした音楽を紡ぎ出している。純粋にハイドンの素晴らしさを体験できる。完結していれば、決定的な全集になったことは間違いないだろう。76番以降で収められているのは、第94、96、100、104、107、108番。第107、108番はともかくとして、後期交響曲を聴けば聴くほど、パリ・セットとロンドン・セットの収録を待ち望みたい。今のオワリゾールがやるとは思えないけれども。

お値段は、7,000円前後のところが多い。お買い得。なお、ハイドン・イヤー2009年(没後200年)にリリースされ、話題になったデニス・ラッセル・デイヴィスの全集も近々再発売されるそうだ。限定的なものなので、やはりこれも買っておかなければならないだろうか…。凄く評判いいし…だけど、ハイドンのボックスがいくつもあってもねぇ。

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作曲家と言えば、男性。男尊女卑社会だったんだからしゃーなし、で、片付けてもいいんだけれども、未だに女性作曲家と言うのは多くはない。じゃぁ、ま、諦めておくか、と言うのでは面白くない。クララ・シューマンやファニー・メンデルスゾーン、アルマ・マーラーと言った、大作曲家の周辺の女性でなくたって、探せばいる。アメリカのエイミー・ビーチ、フランス6人組のジェルメーヌ・タイユフェール、現代作曲家のソフィア・グヴァイトゥーリナあたりは有名なほうだろうか。このくらいの作曲家だとCDも何枚か手に入れることが出来る。女性がどんな曲を書くのか、興味のある方は試し聴いてみるといい。

さて、今日は、エリザベス・ジャケ・ド・ラ・ゲルと言うバロック期の女流作曲家のお話。バロック期といえば、男尊女卑の時代で、女流作曲家なんて珍しい!と言うのが、当たり前。ジャケ・ド・ラ・ゲル以外では、ジュリオ・カッチーニの娘、フランチェスカ・カッチーニとセッティミア・カッチーニ、それにバルバラ・ストロッツィが、少し知られている程度か。

ジャケ・ド・ラ・ゲルの経歴をウィキペディアを参考に簡単に紹介してみよう。1665年、パリに楽器職人の家系ジャケ家の娘として誕生。クラヴサンの演奏で、幼少期より神童として知られる。1684年にマラン・ド・ラ・ゲルと結婚し、ジャケ・ド・ラ・ゲルと言う姓を名乗るようになる。この時代のほかのフランスの作曲家同様、ルイ14世の寵臣として仕えており、ヴァイオリンとクラヴサンのためのソナタ集(1707年)が直々の謁見の場で賞賛されている。広いジャンルにわたりかなりの数の作品を残しているらしい。

さて、最近入手したCDは、このルイ14世に直々に賞賛された、ヴァイオリンとクラヴサンのためのソナタ集である。演奏しているのは、バロック・ヴァイオリニストのフローランス・マルゴワールと彼女の主宰するアンサンブル・レ・ドミノ。マルゴワールと言えば、ジャン=クロード・マルゴワールが有名だが、フローランスは彼の娘で、父の主宰する王室大厩舎・王宮付楽団をはじめ、レザール・フロリサン、ルーブル宮音楽隊、ラ・シャペル・ロワイヤル、レ・タラン・リリークと言ったフランスを代表する古楽楽団で活躍。2003年にアンサンブル・レ・ドミノを結成している。そんな彼女が同郷のバロック女流作曲家に注目したのは、ごく自然な流れじゃないだろうか。

曲は、ソナタとあるけれども、ロマン派の常識で聴かないほうがいいような代物だ。兎に角、構成と言い、音楽と言い、当時としてはだいぶ自由な発想で書かれている。ルイ14世の賛辞も「他のなにものにも似ていない」と評してのものだった。例えば、当時の器楽の常識であったコレッリの形式も参考程度にしかされていない。つまり、遅い楽章から始まり、早い楽章が続き、再び遅い楽章があって、最後に早い楽章で終わる、と言う形には捉われず、プレスト→アダージョ→プレスト→プレストと進んだりする。楽章数も、6曲ある曲に統一感はなく、4楽章編成から8楽章編成まで様々だ。長さも、5分以上かかる楽章があったかと思えば、1分もかからない楽章もある。これだけ見ても、なんとも自由な音楽に見えてきてしまう。

なぜ、こうなったか。もちろん、作曲家自身の才能もあるんだけれども、時代背景もある。ソナタと言うジャンルの曲は、イタリア発祥のもので、17世紀初頭には既に登場していて、その後、ドイツ、オランダにまで広まった。しかし、フランスでは、独自の音楽に誇りを持っていて、イタリアの音楽を受け入れようとしなかった。そのため、フランスの作曲家はソナタを書こうとしなかった。それでも、17世紀末になると、時代の流れに逆らえず、徐々に受け入れられていく。ただ、単に受け入れるのではなく、フランス独自のエッセンスを入れて独自のものにしようとしたがった。それがアルマンドなどの舞曲だ。ジャケ・ド・ラ・ゲルの活躍した時代は、ようやく、フランスがソナタを受け入れ始めた時代で、わりと自由な形で作曲することが許容された時代。だから、こうした独創的な曲を書くことが出来たわけだし、ルイ14世もその独創性を評価したのだろう。

編成は、ヴァイオリンとクラヴサンのためのと言うタイトルなんだけれども、クラヴサン=通奏低音と言うことで、通奏低音には、クラヴサンに加えて、ヴィオラ・ダ・ガンバとテオルボ若しくは、バロックギターが参加している。曲の印象は、イタリア・バロックのようにエキサイトすることはあまりない。イタリアのソナタを受け入れた音楽とは言え、音楽そのものは、ベルサイユ楽派の響きを受け継いでいるようだ。マルゴワールもバロック・ヴァイオリンとは言え、ガツガツ攻めて来ず、丁寧に歌い上げている。優美な美しさと、メロディが魅力的。古楽に疲れたときの、一休みに、お勧め。

ちなみに、このCD、リチェルカールからのリリース。日本語解説の付いているものを買ったんだけど、お高い…。タワーレコードの微妙なセールで若干安く買えた。

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久しぶりに新宿のディスク・ユニオンへ。中古とは言え、高いものは高い。下げ止まり感があるものの、低価格で安定してしまっている再発売物の新品とどちらを買うべきかは慎重に検討する必要がある。それでも、廃盤になってしまったものや、未開封だったり、状態が良いもので安いものも結構あるので放っておけないのだ。

新宿のディスク・ユニオンは新宿三丁目の駅から地下道で直結しているビルに入っているので、新宿の喧騒を避けて店まで行くことが出来る。素晴らしいアクセス。品揃えも豊富。音楽関連書籍の取り扱いもあるので、見応え十分。ディスク・ユニオンからタワーレコード新宿店までそんなに遠くないので、この2店舗を巡るのが、今の東京での最強のクラヲタ散策コースだと思う。今回も、ディスク・ユニオンからタワーレコードに回ったんだけれども、こちらも久しぶりの訪問。いつの間にか、リニューアルされてクラヲタコーナーが10階になっていた。1フロア全て、クラシック。半分ほどオフィスになっていたので、以前に比べて広くなったと言う感じではないけれども、100%1ジャンルと言うのは、それだけでなんだか居心地が良い。

今回は、財政的に非常に厳しいことに、面白そうなCDがたくさんあった。結局、購入したのはビーバーとヴィヴァルディの作品ばかりだけれども、ディスク・ユニオンにあったコシュラーのドヴォルザークの交響曲全集をスルーしたのは正しかったのか。10,000円だもんなぁ。そりゃぁ、簡単に手が出ない。つっても、昔はCD5枚組み、6枚組みはそれくらいの値段が当たり前だった。なんてな。納得しちゃいかんか。一応希少盤と言うことで、値段が高く設定されていたらしい。あと5回行ってまだあったら考えよう。新宿は基本的に行動圏外なので、そんなには行かないだろうし。

タワーレコードでは、ハルモニア・ムンディ・ゴールドのセール中。HMV Onlineよりはお安い価格。新品での比較ならばAmazon.co.jpよりも大方安いんじゃないかな。そんな価格だからお買い時。まとめ買い推奨。あとは国内廉価盤と新譜をさっくり見てまわるのが、決して安いとは言えないタワーレコードのおいらの歩き方。

CDショップを巡るのは、ポチポチするだけのネットとは別の魅力があって、こうやって時折、散策するのは楽しいものである。デジタル・データが普及し、CDそのものが過去の遺物と化している今日、こんなことをやっているのは、頭が古いんだろうか。

さて、今回購入したCDのうち、ビーバーの曲を聴いているので、さっくり、お話していこう。

寺神戸亮さんの演奏で、ヴァイオリン・ソナタ集。8つのヴァイオリン・ソナタから第5番、第6番、第8番、ロザリオ・ソナタからパッサカリアと第6番、それから描写的なヴァイオリン・ソナタを収録している。ビーバーはロザリオ・ソナタだけじゃないぜ!ロザリオ・ソナタもいいけど…と言う寺神戸さんの思いを1枚のCDにしたもの、かな。ビーバーのヴァイオリン音楽の魅力を知るためにも最適な選曲。2時間もあるロザリオ・ソナタに最初から挑むより、このCDを聴いてからビーバーに親しんでいくのが吉。

そのビーバーの魅力って何だろう。なんと言うか、自由なのだ。これは多くのバロックの作曲家に言える事なんだけれども、古典派以降のルールに縛られた音楽とは、一線を画している。変な楽譜が出てきたり、弦を張り替えたり…それ以外にも、斬新な技術を要求してくることもよくある。中でも、ビーバーは、繊細で計算され尽くされた音楽と言うのとは正反対で、自由奔放な印象の音楽が多い。荒削りながらも、これほどまでにヴァイオリンの魅力を引き出してくれる作曲家もいないんじゃないかと思わせる。

例えば、このCDに収められたソナタ第8番。解説によると2本のヴァイオリンが、演奏するかのように2段で記されている。それはソロ・ヴァイオリンで演奏しろ、と。二重奏を1人でやらなくてはいけない。単なる重音じゃだめだと、作曲家は言っているのだろう。解説で寺神戸さんは「演奏していても不思議な体験が出来ますよ」と言っている。聴いているほうも、なんだか、不思議な気分になってしまう。単に技巧的というならば後世のものの方が、難しいものも多いだろうけれども、こういう斬新さ、自由な発想と言うのは、バロック音楽のほうが多いと思う。

描写的なヴァイオリン・ソナタも奇抜な発想で作曲された曲だ。以前、マンゼの演奏を紹介した時にも書いたけれども、蛙や猫の鳴き声をヴァイオリンで表現する、それも妙にリアルに、である。音楽としてはどうなんだろ…と思うけど、寺神戸さんは、しっかりと音楽的に楽しめるように流麗に演奏してくれている。解説でも、指摘しているんだけれども、ヴィヴァルディの『四季』なんかも、描写的な音楽なので、『田園』が標題音楽のスタートではないんである。これはちゃんと頭の中に入れておくべきだと思う。

モダン楽器、オリジナル楽器の好き好きはあっていいけれども、モダン楽器全盛の時代、こうしたJ.S.バッハ以前の素晴らしい作品を、価値のないものとして看過してしまったこと、オリジナル楽器の奏者たちが発掘して世に知らしめたこと、ここのところはきちんと評価しなくてはいけないと思う。ビーバーなんてモダン楽器で演奏されることは、まずない。

そんなオリジナル楽器奏者の中に寺神戸さんのような第1人者がいるのだ。日本人としてもっと称えられてしかるべきだと思う。ちなみに、このCD国内盤で1,050円。解説もちゃんと付いている。寺神戸さんの演奏ももちろん素晴らしい。有名なパッサカリアも軽やかで繊細な演奏。美しい。お勧めの1枚。

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今日は何の話をしようか。そうそう、タワーレコードのオリジナル企画で、ユージン・オーマンディ&フィラデルフィア管弦楽団のラフマニノフの交響曲全集が出たので買ってみた。この企画でオーマンディのソニー録音がまとまって出たので、興味深く見守っていたんだけれども、その中でも、この録音は、注目の1点だと思う。

日本初発売とか、日本初CD化とか言うのは、輸入盤の多いクラシックではさほど意味のあることではないように思うんだが、交響曲全集としてまとまって出たことは、ありがたい。オーマンディ&フィラデルフィア管弦楽団のために作曲された交響的円舞曲が含まれているのもポイントが高い。これまでに輸入盤でこういう形で出たかどうかは知らないけれども、クラヲタが「おっ!」と足を止めて衝動買いしてしまうには十分な魅力を備えている。それに何つったって、本人とも録音を残すほど、ラフマニノフから信頼されていたコンビである。

CDは3枚組みで、1枚目は交響曲第1番とパガニーニの主題による狂詩曲(Pf フィリップ・アントルモン)、2枚目は交響曲第2番とヴォカリーズ(管弦楽版)、3枚目は交響曲第3番と交響的円舞曲となっている。録音は、1958年から1967年の間に行われたステレオ録音。なお、交響曲第2番は全曲版ではなく、オーマンディ曰く、ラフマニノフ本人が認めたカット版で演奏されている。1973年に収録されたRCA盤では全曲版での演奏とのことだけれども、これと比べると本盤は、8分以上短いとのことである(解説書による)。

さて、演奏。とにかく、オーマンディの指揮は、濃厚だ。濃厚なラフマニノフ。要するに甘ったるい。恥ずかしげもなく歌い上げる。フィラデルフィア管弦楽団の豪華絢爛サウンドが歌う、歌う。ラフマニノフも気に入っていたことからも、解るとおり、これこそがラフマニノフなんだろうな。変にキビキビと引き締まった演奏よりも、ラフマニノフは、とことん甘いほうが、おいらも好きだ。ラフマニノフ聴くのに、何を求めているかと言えば、どっぷりとメロディに浸って、盛り上がりたいってこと。深刻なドイツ・ロマン派の魂はここにはなくっていいのだ。と言うことで、オーマンディが正解。

何かと、批判されることが多いオーマンディだけれども、おいらは、オーケストラの魅力を一杯一杯響かせてくれる巨匠だと思っている。特に、ラフマニノフやレスピーギのローマ三部作、ホルストの『惑星』のようなオーケストラ栄えのする曲は、素晴らしい。ドイツものでは確かに、何か物足りないような気がするときもなくはないんだけれども、曲を選べば、名演と呼べる録音は多い。この人が、評価を落としてしまったのは、なんでも録音しちゃったせいってのもあるんだと思う。

今日では、こういう演奏をする人はあまり見かけないので、オーマンディの録音は何気に貴重だと思う。忘れ去られないで欲しい演奏家の1人だ。

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「普通は…」とか、「一般的には…」とか言うときは、慎重になる必要がある。それが、どこでの「普通」、「一般的」なのか。自分の中での「普通」、「一般的」をごり押ししちゃっていないか。

この「普通」、「一般的」は、何の説得力もないはずなんだが、言った本人は、それだけでまるで正論を話しているような気分になってしまうからたちが悪い。

さて、これを音楽に当てはめてみよう。「普通の演奏」、「一般的な解釈」…そんな演奏はまったく買う気が起きない。「音楽は、社会生活とは違うでしょ?」と、まぁ、そうなんだけれども、案外に「あの演奏は、普通じゃないから…」と批判しちゃうことはあると思う。音楽でこそ、「普通」なんてどこに基準があるんだか解らないもんだけれども、その自分の勝手な基準で「普通」、「一般的」と言ってしまう。「近頃の演奏では…」と、少し引いて客観的に、聴いてみる必要があると思う。それでこそ、自分たちが当たり前と思っている演奏だって、(古い音楽では)当の作曲家からしてみればずいぶん、変な演奏をしているのだろうから。客観的に見て「普通」、「一般的」と言える場合もあるので、まったく使っちゃいけない表現ではないと思うけど、主観的になっていないか気を付けた方がいいとは思う。

ツェートマイアー&カメラータ・ベルンのヴィヴァルディの『四季』を聴きながらそんなことを考えた。

1995年の録音。モダン楽器による演奏だけれども、ピリオド楽器の演奏顔負けのエキセントリックな演奏だ。まず、『春』の第1楽章、のっけから独特のアクセントを付けた響きに耳を奪われる。モダン楽器の演奏で、これほどまでに自由な演奏をしているのは寡聞にして聴いたことがない。第2楽章のヴィオラも、流れるヴァイオリンの仄暗いメロディに乗っかるような感じではなく、鋭い響きで、まるで別物のように突っかかっていく。楽譜に添えられた詩によれば、このヴィオラは犬の遠吠えを表しているのだそうだ。『夏』でも、独特の歌いまわしは影を潜めることはない。みんな大好き第3楽章の嵐でも強烈なアクセントと切れ味の鋭い響きが音楽を切り裂いていく。完全にピリオド型の演奏。『秋』も流麗にはいかない。第1楽章は、収穫を終えた小作農たちの酒の入った踊り。だからか、アゴーギグな演奏がぴったりくる。第3楽章も、単なるのどかな狩とはいかない。『冬』の第1楽章のヴァイオリンの重音は歯の震える音を表現しているのだが、ツェートマイアーの演奏は、本当に寒々しい(笑)。切迫感すらある。第2楽章の美しいメロディは、速いテンポで駆け抜けてしまう。あっという間に第3楽章の寒い世界に引き摺り出される。

ピリオド解釈の演奏だからにして、至るところで即興的な演奏を披露しているし、テンポもいいので、聴き飽きた超有名曲が、新しい音楽として耳に届くことだろう。『四季』のあとに収められた2つの協奏曲もRV.253(『海の嵐』)、RV.583も同傾向の素晴らしい演奏。

ツェートマイアーと言えば、ムジークフェラインでブロムシュテットと共演したベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を聴いたことがあるんだけれども、これも強烈だった。ブロムシュテットって、保守的なイメージがあったんだけれども、先日の来日演奏会を聴いても、案外、ピリオド奏法に理解がある。まぁ、時代の流れだからなぁ。良いことだと思う。ちなみに、ウィーンでは、ツェートマイアーの演奏で、ワサワサなっていて面白かった。隣の老婦人は、首を横に振って、半分お怒りモード。オーストリアって、聴衆は保守的といわれているのに、なんで、アーノンクールだの、ツェートマイアーだのと言った個性派が出てくるんだろう。ちょっと不思議。

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