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秋も深まってきて、だいぶ寒くなってきた。寒い日に暖かい部屋で厚手の布に包まる至福。そして、音楽を聴く。ふと思い浮かべるのは、雪のウィーンザルツブルク…そして、ドレスデンだ。朝、ホテルの部屋のカーテンを開けて、眺めた銀世界、寒々とした空に鳴り響くフラウエン教会の鐘の音。氷点下のオープンカフェでビールを飲んでいるドイツ人たち…冬のドレスデンは観光シーズンではないが、なかなか風情があったと思う。

そのドレスデンは音楽の都である。と言うことは、よく知られているんだけれども、じゃぁ、代表する作曲家は?と言うと、今日ではリヒャルト・ワーグナーとリヒャルト・シュトラウスと言う2人のロマン派の大作曲家の名前を挙げる人が多いと思う。それと…なんか、バロックの作曲家たちと認識できていれば、上々。バロック時代の作曲家の名前を挙げられるのは、少しは古楽に興味のある人だろう。有名なのは、ゼレンカ、ハイニヒェン、ハッセと言ったところだろうか。ライプツィヒにJ.S.バッハがいたので、インパクトに欠けるかもしれないけれども、ドイツ・バロックの中心地と言ってもいいところだったようだ。

さて、そのドレスデンのバロック作曲家たちの中にピゼンデルと言う人がいる。ドレスデンの宮廷楽団(シュターツカペレ・ドレスデンの源流)で楽師長を務め、ヴァイオリンの名手として知られていたと言う。寺神戸氏の『シャコンヌへの道』の記事でも紹介したけれども、J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータはピゼンデルのために作曲されたと言う説があるし、作曲にあたってはピゼンデルの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタに影響を受けているとも言われている。また、ヴィヴァルディやアルビノーニがピゼンデルのために作品を書いている。

ただ、作曲家としては、寡作だったらしく、今日伝えられている作品は決して多くはない。バロックの作曲家の多くは多作で、残された作品が少ない作曲家の多くは、紛失してしまっているだけの場合が多い。ピゼンデルの場合はどうなんだろうか。宮廷楽師長の仕事に集中していたために、作品が少なくなったとも考えられているようだ。そのため、当時いくら有名なヴァイオリニストだったとは言え、バロックの作曲家としては、今日さほどに知られた存在ではなくなっている。

そのピゼンデルの貴重な作品を収めた1枚をループで何回も聴いている。アントン・シュテックとクリスティアン・リーガーによるヴァイオリン・ソナタ集。1曲目のニ長調ソナタから一気に引き込まれる。軽やかで流麗な1楽章、哀愁漂うメロディアスな2楽章、開放的で技巧的な3楽章。とにかく美しくって、馴染みやすい魅力的な作品なのだ。一度聴き始めると止められない。その後、無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ イ短調、ホ短調ソナタ、ハ短調ソナタ、ト短調ソナタと一気に聴き切ってしまう。5曲中、4曲が短調と言うことで、バロックとしてはずいぶん落ち着いたイメージ作品が多いが、メリハリがあるので、冗長になることはない。シュテックの演奏も流石。素晴らしい表現力で曲の陰影も見事に描かれている。

ドレスデンの写真でも見ながら、冬の夜を過ごそうか…。あ、まだ秋だ(汗)。


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古本祭りのディスク・ユニオンで入手した廃盤CD、ゲーベル&ムジカ・アンティクァ・ケルンのビーバーのロザリオ・ソナタを聴いている。最近、どっぷりとはまっている曲。バロック時代のヴァイオリン音楽の凄さを2時間掛けて堪能できる名曲。

技巧的な音楽なんだけど、中でもスコルダトゥーラと言う技法を多用していることで知られている。これ、何かと言うと途中で調弦を変えるという、めんどくさい技法なのだ。普通、ヴァイオリンの弦は左からGDAEと並んでいる。これが、例えば、ソナタ第2番では、AEAEと言う調弦になる。15曲のソナタと1曲のパッサカリアで構成される曲なんだけど、ソナタ第1番とパッサカリアのみが、通常のGDAEで、ほかは全て変則的な調弦になっている。楽譜には、それぞれの曲の冒頭に、調弦が指示されている。第11番では、D線とA線を駒の手前でクロスさせて張らなければいけない。実際の演奏会では、どうするのか。これは、楽器を何台か用意する以外に手はない。おいらは、一度シューマンのピアノ四重奏曲でチェロを持ち替えるのを見たことをあるが、ロザリオ・ソナタは、それを慌しくやっている。まぁ、聴いている分にはどうと言うことはない。頑張れ、ヴァイオリニスト。ちなみに、第11番のソナタでは楽譜にforteとか、pianoとか、バロックには珍しく強弱の指示が書かれている部分がある。fやpじゃなくて、forte、pianoと言うのが、面白いけど。他のソナタではさらっと見た限りない指示だった。

曲は、タイトルの通り、宗教色が濃いものだ。15の秘蹟をそれぞれのソナタが演奏する。パッサカリアは、まぁ、おまけ。ビーバーは、もちろん意味を持ってくっつけたんだろうけど、真意は不明のまま。それぞれの楽譜の冒頭に版画が載っていて、一応、パッサカリアにも天使が子供の手を引いている版画が載っている。そんでも、不明なものは、不明。不明と言えば、実を言えば、この曲、表紙が紛失しているので、本当のタイトルがわからない。しかし、表紙の次のページと思われる部分は残っていて、キリスト教の15の秘蹟に基づいて作曲したと書いてあるし、版画もあるので、曲の主旨は解る。それで、秘蹟のソナタ、カトリックでは、その秘蹟をロザリオの秘蹟と呼ばれていることから、ロザリオ・ソナタと呼ばれている。要するに通称だ。

さて、んでんでんで、この曲、妙に神秘的なときもあるんだが、言われなきゃ、宗教がらみの曲だとは思えない。そもそも、この手の音楽で宗教曲って珍しい。ビーバーはザルツブルクの宮廷楽長で、この曲も大司教マクシミリアンに献呈するために作曲されているんだが、どういう場面で演奏することを想定していたんだろうか。宗教的なのに舞曲がちょいちょい混じってくるあたりもなんだかよくわからない。とにかく、この曲はなんだか、よくわからない。曲は凄い。それは間違いない。それと併せて、こうしたミステリアスな部分も、中二病の心をちょいちょい突いてくる。

作曲年代は、1670年代の後半とされている。J.S.バッハとヘンデルが生まれたのが、1685年。ヴィヴァルディが生まれたのが、1678年。彼らの生まれる前に、こんなヴァイオリン曲が書かれていたと言うこと、これ、実は、J.S.バッハ以前の音楽に興味のない人が知ったらびっくりすると思う。

編成は、ヴァイオリンと通奏低音、パッサカリアだけは独奏ヴァイオリンのための曲。通奏低音はお任せ。マンゼ&エガー盤では、チェンバロ&オルガンだが、大抵は、様々な楽器を使っている。ゲーベル&ムジカ・アンティクァ・ケルン盤は、チェンバロ&オルガンに、チェロとリュートが加わる。リュートは、ユングヘーネル。この人はおいらでも知っている有名人。もちろん全てピリオド楽器による演奏だ。つか、これ、モダン楽器による演奏ってあるんだろうか。ネットで調べるとラウテンバッハー盤が1962年の録音らしいけれども、これはモダンか、ピリオドか。

演奏は、ゲーベルだからにして、切れ味鋭い。快刀乱麻。クセがあると言えば、その通り。この曲の持っている神秘性とか、宗教性とか、そういうのは、あんま気にしないで、バッサバッサ進んでいく。でも、そんな演奏が逆に神々しくなったり、神秘的に響いたり。もちろん、舞曲でも、本領を発揮したり。好き嫌いはあるだろうけど、これは名演。

ロザリオ・ソナタはバロック・ヴァイオリンの傑作だからにして、バロック・ヴァイオリニストの録音は多い。ミナジ、マンゼ、ホロウェイ、ベズノシウク、ゲーベルと揃えて、次に聴きたいのはレツボール何だが、これも廃盤なんだよなぁ。何とかして、ディスク・ユニオンで見つけ出したい。安いから(笑)。

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秋晴れ!ってほどスカッとした空模様ではなかったんだけれども、なんとなく心地よい気候だったので、夕方からふらっと神保町へ。欲しい本もあったし、久しぶりにディスク・ユニオンもチェックしたかったんだけど、この日はまずかった。古本祭り絶賛開催中。落ち着いた雰囲気の神保町が好きなのに、人がゾロゾロッとね。

神保町の駅を出たらすぐにパンフレットを配る人、受け取りたくって、集まる人でゴチャッとした感じ。すずらん通りには、食べ物を売るブースが出ちゃったり、路上でご飯を食べていたり。祭り気分で訪れる分には、良いんだろうけど、お散歩気分で出かけた身には残念な雰囲気。人ごみを逃れるように、ディスク・ユニオンに入り込む。

さて、ディスク・ユニオンは音楽ソフトのほかにも、少しではあるけれども、書籍がおいてある。ここで書籍を物色したことはないと思うんだけれども、今日は何とはなしに気になって、何冊か手に取ってみた。その中に、よくテレビに出てくる某女流ヴァイオリニストの書いたクラシック入門書があった。どんなことが書いてあるのか、気になって、ヴィヴァルディのページを見てびっくりした。ヴィヴァルディが古典派だと書いてある。で、その項のあとの方では、バロック音楽では…と書いてある。何なんだろうか?深く読み込んだわけじゃないけど、1つの項目は大変短く出来ていたので、簡単に前後の流れは把握できた。この文章を読む限り、この人は、古典派とバロックを混同しているように見えてしまう。

もちろん、本当にこの人の知識レベルがそんなものだとは思えない。中学校レベルの音楽史のお話だ。たぶん、何らかの意味を込めて、古典派と書いたのだろう。しかし、これからクラシックを聴こうと言う人に、読ませたら勘違いしてしまうだろう。テレビでこの人はいったい何を話しているのだろうか…?見てみたくなった(笑)。

秋晴れ…からは程遠い、愚痴っぽい話になってしまったけど、CDの方は、なかなか良い収穫があった。探していた廃盤のCDもお安い値段で見つかったし、興味深いCDがいくつもあった。Amazonだけじゃ駄目なんだよねぇ。時折チェックしておきたいディスク・ユニオン。

その中の1枚、ブリュッヘンのモーツァルトを聴いている。交響曲第31番『パリ』、同第35番『ハフナー』、同第36番『リンツ』、『皇帝ティートの慈悲』を収めたお腹一杯の1枚。中古だけど未開封の良品。どっかの在庫余りが流れてきたのだろうか。とりあえず、ブリュッヘンのモーツァルトを聴いてみたかったので試しに、と買ってみたもの。

これがなかなかの名演。鋭い響き、溌剌とした音楽運び、それでいて力強く、骨太なモーツァルト。ブリュッヘンは、ほかにもモーツァルトの交響曲を何曲か録音しているので、揃えて行ってもいいかな、と思う。あと、ツェートマイアーをソリストに迎えたヴァイオリン協奏曲集なんてのも興味津々。個性のぶつかりあいが、吉と出るのか…。

神保町散策のあとは、秋葉原にも行ってきた。今使っているイヤホンがちょっとやばい状態になっていたので、新しいのが欲しかったんだけど、今は、全部インナー型なんだよね。あんまり付け心地が好きじゃないんだけれども、諦めて買ってきた。上手くフィットすればいいんだけど…。

そう言えば、昌平橋の淡路町側のところにでっかいビルを建造中だけれども、どんなものになるんだろう。調べてみたら、こんなのが出てきた。おいらにとって役に立つかどうか、ちょっと微妙なところ…。


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アレクサンドル・タローというピアニストがいる。タローと言うと太郎っぽいんだけど、どうやら日本とはまったく関係ないようだ。とは言え、タローという名前、日本人にはインパクトがあって覚えられやすいと思う。ブニティアs(略)とかもうね、どんな良いピアニストでも、なかなか名前を覚えることが出来ない。

さて、このピアニスト前々から気になっていた。名前もさることながら、CDの企画が、なかなか興味深いものばかりだからだ。クープラン、スカルラッティ、ラモーと言ったバロック系のほか、シャブリエ、ラヴェル、サティ、ドビュッシー、シューベルトと、なかなかマニア心をくすぐってくれるレパートリーを並べているのだ。容姿も知的で端正。ハルモニア・ムンディ・フランスからリリースしていると言うのもポイントが高い。もちろん、入ってくる評判も良いものが多く、一度聴いてみたいと思っていたんだけれども、ここまでCD購入は1枚もなし。

と言うわけで、新譜を1枚買ってみた。「屋根の上の牛」と言うタイトルのCDで、副題にスィンギング・パリとある。「屋根の上の牛」と言うのはチャプリンの映画のためにミヨーが作曲した曲の名前。ミヨーは、ブラジルの大衆音楽に影響を受けてこの曲を作曲しており、このタイトルも実はブラジルの古いタンゴに起因している。で、この曲の名前を拝借したキャバレー(居酒屋)が、1922年パリにオープン。ここはフランス6人組やサティ、コクトー、シャネルと言った文化人の溜り場になっていたらしく、第2次世界大戦前のパリの粋を詰め込んだような空間だったらしい。

このキャバレー「屋根の上の牛」の雰囲気を再現しようと言う企画が今回のCD。ミヨー、ガーシュウィン、ラヴェルと言ったクラヲタお馴染みの作曲家の名前も並ぶが、ほとんどが聴いたことのない人たちの曲。副題のスィンキング・パリの通り、ジャズの色が濃厚な曲ばかりだ。先に挙げた3人にしたって、ジャズと関係の深い作曲家だ。第1次世界大戦後間もなくのパリ、ロマン派≒クラシックが終焉を迎え、次の時代への試行錯誤の中、ジャズは多くの作曲家、文化人たちに大きなインスピーレーションを与えていた。そんな時代の転換期の中で、キャバレー「屋根の上の牛」は社交の場として、少なからぬ役割を果たしていたのかもしれない。

さて、このCD、以上の話を裏切って、1曲目からお馴染みのメロディが鳴り響く。ショパンのポロネーズ、これは『軍隊』か。しかし、この曲、すぐにジャズっぽく変化していく。タイトルは、ショピナータ。この後もリストやワーグナーをジャズ風に編曲した作品が出てくる。ショピアーナの次は、ガーシュウィン。そして、どんどんスィングしていく。軽やかに、洒脱に…古きパリの粋が耳に心地よく吹き込んでくる。時には、歌や合唱、バンジョーやパーカッションも加わる。セント・ルイス・ブルースでは、ピアノがチェンバロになる。2台のピアニストのための曲ではフランク・ブラレイも参加。当時のキャバレーは喧しかったんだろうけど、この音楽を聴いていると、幻のように静かにその雰囲気が広がっていく。なんと言う小粋な空間だろう。タローの演奏も雰囲気があってかっこいい。

アレクサンドル・タローの企画も演奏も素敵なCD、ちょっと息抜きをしたいときにお勧めの1枚。

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金澤正剛著『新版 古楽のすすめ』(音楽之友社、2010年)を読み始めた。読むのは遅いほうで、まだ最初の方しか読んでいないんだけれども、著者がハーヴァード大学でチューター(指導教員)をした頃に出会った、一人の青年の話が興味深かったので、ちょっと長くなるけれども引用して紹介してみる。

「(略)学寮に、チェンバロを得意とする学生がひとりいた。フランスのロココ芸術に夢中な、極めてエキセントリックな青年であった。ある日のこと彼の部屋に行ってみると、裸になって、しきりに壁に絵の具を塗りたくっている。何をしていると尋ねると、自分の好みに合った部屋に飾り変えているのだという。裸でやっているのは、たくさんの絵の具を使うので、どうしても絵の具だらけなってしまう。裸なら、あとでシャワーを浴びれば簡単だからということだった。完成したらパーティを開いて見せてあげるから、それまでは秘密、秘密と言って、その場は追い出されてしまった。
 半月後、約束のパーティを開くからというので行ってみたが、彼の部屋に一歩入ったところで唖然としてしまった。伝統的なニューイングランドの渋い様式の外部とはまさに対照的な、華麗な別世界に足を踏み込んだと言う感じであった。その装飾は明らかに美術書などを参考にしてデザインした本格的なロココ様式で、特に寝室は雪のように淡く白いカーテンの上に、ルイ十四世朝様式の王冠を飾るという念の入れようである。」(P.14)

「(略)私も彼の才能を認めて、音楽会の企画を任せたことが何度かあった。例えばあるときその彼が、バッハの《コーヒー・カンタータ》を劇的な演出つきでやってみたいと言い出した。よかろうと許可したところ、さっそく愛器のチェンバロを大広間に持ち込んできた。舞台としては、大広間そのものが時代がかった雰囲気を持った部屋なのでそのまま使えばよい。正面には大きな暖炉があるが、彼はその前に骨董品の大型コーヒー・メイカーをどこからか見つけてきて、どんと据えた。そしてチェンバロを弾きながら指揮に当たるばかりではなく、歌っている歌手とパントマイムを演じた上、休憩時間にはコーヒーをいれて、聴衆に配ってまわった。」(P.15)

「(略)ぜひ一度、四台のチェンバロのためのコンチェルトを演奏してみたいという。当時はまだ、芸術の都ボストンといえども古楽の復興は始まったばかりの頃である。古楽器を四台揃えるのも大変なら、それを弾く四人を見つけることさえおぼつかない。私はできるものならやってみろと許可したものの、内心無理だろうと高をくくっていた。ところが彼は即座にチェンバロ三台を演奏者付き(四人目は彼自身)で見つけてきて、しかも実に見事な演奏を披露したのである。これにはまったく感服してしまった。」(P.15)


青年の行動力とアイデアの豊富さには驚くが、それを押さえつけないで自由にやらせてくれる学校側もなかなかなものじゃないだろか。寮の部屋をそんな風にしてしまったら、いくら芸術系の学校だって、大変な問題になるだろうに。

で、この青年、只者じゃないってことで、このあとネタばらし。ウィリアム・クリスティと名前を明かしている。ベルサイユ楽派の音楽を現代に鮮やかに蘇らせたフランス・バロック(古典派)の権威的存在である。古楽好きなら、初心者のおいらでも知っているレベルの超大物。1979年に結成したレザール・フロリサンとは、仏ERATOに数多の録音を残している。アガサ・クリスティの親戚と言う噂もあるが、真偽は確認が取れないと本文にあったので、ネットで調べてみたけれども、やはり判らなかった。

こういう誰もやらなかったことをやって、多くの人を説得してしまう人って言うのは、常識に捉われない自由な発想があって、逸話に事欠かない。狭い世界で生きて、自分の常識以外を否定するような一部の人からは悪しき異端と見られるだろうけれども、多くの人からは、敬意と羨望を得ることになる。音楽家ならばなおさらのことだろう。

さて、このクリスティ御大ととも演奏活動を行った日本人ヴァイオリニストにヒロ・クロサキ氏がいる。以前このブログでインタビューのリンクを貼ったことがあるのだけれども、寡聞にして演奏を聴いたことはなかった。レザール・フロリサンのコンサート・マスターを務めていたこともあるので、正確に言えば、聴いたことがあるのかもしれないけれども、ソロで演奏しているCDは1枚も持っていなかった。とは言え、聴いてみたいと思っていたので、廉価盤になって、お求めやすくなっているヘンデルのヴァイオリン・ソナタ集を買ってみた。通奏低音は、チェンバロかオルガン。曲によって使い分けている。演奏しているのは、クリスティ。

もちろん、バロック・ヴァイオリンでの演奏なんだけれども、尖がった感じはしない。活き活きとして流麗かつ艶やかな響きがスピーカから心地よく流れ出てくる。バロック・ヴァイオリンの響きは、疲れているときに聴くとエキサイトし過ぎて、付いていけないこともあるんだけれども、ヒロ・クロサキ氏の響きには、そういうきつさはまったく感じない、もちろん、モダン楽器のように優美に過ぎることもない。飽きない。クリスティの伴奏も素晴らしい。ソリストとの掛け合いも見事。オルガンの通奏低音と言うのも、珍しいような気がするけれども、優しい響きがなんとも魅力的である。ヘンデルのヴァイオリン・ソナタ集のファースト・チョイスにもなると思う。

ちなみに、ヘンデルのヴァイオリン・ソナタ集はミナジの演奏も、楽しいんだけれども、あまりにもエキサイティングでファースト・チョイス向けではないのかも。おいらは、それまでまともに聴いたことはなかったけれども、ヒロ・クロサキ氏の演奏を聴いてからのほうが、より楽しめたかなとは思う。なお、ミナジ盤の通奏低音は、チェンバロとチェロである。

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「昔はよかった!」…これ、クラシックの世界でも蔓延している。未だに不滅の巨匠とか、20世紀の遺産だなんて、タイトルの本がちょいちょい出ている。初心者向けお勧めCDみたいなコーナーがあると、大体勧められているのは、カラヤンだったり、バーンスタインだったりする。新しくても、1980年代の録音なんだよね。それで、そういう録音ばかり聴いていると、若くして、「偉大な巨匠たちの時代」とか言い出すようになってしまう。巨匠時代が懐かしいとか、リアルで殆ど体験していないくせに言い出してしまう。ま、これ、一部自虐なんだけど。

でも、今なんだよね、楽しんでいるのは。音楽を楽しむのに過去に固執して、「昔はよかった!今の音楽は…」なんて悲観しているのはちっとも楽しくない。実際、昔の音楽が優れていて、今の音楽が駄目になっているのなら、しょうがないんだけれども、どう冷静に見てもそういうことはない。ただ、変化はある。その変化を受け入れることが出来る柔軟性があれば、過去の音楽だけでなく今の音楽も楽しむことが出来るわけだ。音楽なんだし、積極的に楽しめる方向で対応していくのが良いと思う。

と言うわけで、新しい人たちの録音を…。アリーナ・イブラギモヴァとウラディーミル・ユロフスキ&エイジ・オブ・インライトゥメント管弦楽団のメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲2曲。ソリストとオーケストラの名称が、覚えにくい。オーケストラの方は、言わずと知れた古楽の名門なんだけど、未だにすらっと言えない。もうOAEでいい。ソリストのほうは、サッカー選手にイブラヒモヴィッチと言うのがいるから、知っている人は、ヴィッチがヴァに変わったと覚えればいい。「ギ」と「ヒ」については、細かいことは気にしない方向で(笑)。サッカー見て、イブラギモヴィッチと言っている人がいたら、たぶん、クラヲタ。要注意。年齢は、イブラギモヴァが20代、ユロフスキが今年で40歳。これからどうなっていくのか楽しみな2人である。

演奏は、オーケストラが古楽の楽団ということからも判るとおり、思い切り、ピリオド奏法を意識したもの。イブラギモヴァは、古楽系の演奏家と言うわけではないが、すでに、古楽器でJ.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータを録音するなど、モダンとピリオドを使い分けている。今回は、ロマン派でも、初期の作曲家と言うことで、ピリオド奏法を取り入れたのだろう。基本的に、おいらはロマン派以降はモダンの演奏を聴いているのだけれども、この演奏は違和感なく聴くことができた。

1曲目は有名なホ短調。例のあれ。通俗名曲の極みのように言われるが、これ、いい曲なんだよね。特に2楽章の美しさは半端ない。イヴラギモヴァのヴァイオリンは凛として美しく、この第2楽章も聞き惚れてしまう。若手の女性と言うと、ハーンの録音を思い出すんだけれども、あのキレキレの演奏とは、まったく違う。ピリオドアプローチと言うこともあり、決して華美ではないのだけれども、瑞々しさも失っていないし、奇を衒わず確りと構えて、じっくりと演奏に取り組んでいる。好演。

フィンガルの洞窟を挟んで、2曲目のヴァイオリン協奏曲は若書きのニ短調。13歳…若書きというか、幼ガキ書きと言ったほうがいい年齢。ホ短調に比べるとマイナーな曲だけれども、これまで録音は選択の余地があるくらいは出ているはず。おいらも聴いたことがない曲じゃないんだけれども、さほど、強い印象のない曲だった。しかし、イブラギモヴァとユロフスキの演奏は、この曲の魅力を存分に引き出してくれた。中一の書いた曲だからって馬鹿にしちゃいけない。弾けるような、それでいて、よく感情のコントロールの出来た素敵な演奏。1楽章での歌心も、2楽章での音色も、3楽章での躍動感も、どれも申し分ない。この演奏なら、この曲、もっと評価されてもいいと思わされてしまう。

と言うわけで、また1人、注目のヴァイオリニストを知ってしまった。チェックするのを忘れてしまいそうだ…。ちなみに、この録音はhyperionからのリリース。あの、マイナー曲を職人的に良い仕事をする人たちの演奏で、紹介し続けていたhyperionである。イブラギモヴァ、たぶん、スター演奏家になると思うんだが…。hyperionっぽくない(笑)。

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あ、もう10月じゃんね!なんて、わざとらしく驚いてみたり。気温も一気に落っこちて、秋真っ盛り。過ごしやすい陽気になったんだけれども、あんなに暑くってうざったかった夏が懐かしかったり、戻りたかったりする理不尽。中二病とは言え、小学生じゃあるまいし、夏にワクワクするのもどうかと思うけど。

さて、秋と言えば、芸術の秋。つっても、堅苦しい偉大な芸術は、ロマン派以降に任せておいて、また、バロックでも聴いて、気軽に秋を楽しもう。

今回は、マリオ・ブルネロ&ラルテ・デラルコによるヴィヴァルディのチェロ協奏曲集。ブルネロは、古楽系のチェリストと言うわけではないけれども、古楽器を担ぎ出して、ラルテ・デラルコを相手に弾きまくってくれた。このCD、輸入盤なんだけれども、ありがたいことに、日本語の解説が付いている。解説と言っても、ほんの1ページで、しかも、作曲の由来とか、演奏者の紹介ではなくて、ブルネロ自身による、ヴィヴァルディのチェロ協奏曲の印象を書いているもの。1曲ごとではなく、1楽章のアレグロ、2楽章のアダージョ、3楽章のアレグロについて、全曲に共通した印象を簡潔に書いている。以下に一部を抜粋して紹介しよう。

1楽章 アレグロ/…略…すべてのアレグロの特徴は、冒頭に聴かれるチェロの開放弦の音色と、ベネチアの魂とも言える、古くから、この土地で歌い継がれてきた童謡、民謡を彷彿とさせるメロディである。…略…

2楽章 アダージョ/ここでは水が音楽の、大切な要素となる。アダージョのリズムは、穏やかな呼吸の中で繰り返されるゴンドラをこぐ動作、「押して、引いて」のオールの動きから生まれる。そのリズムはヴィヴァルディの時代から変わることなく、その呼吸を繰り返す。
アダージョは舟歌、ノスタルジー溢れるセレナーデ、そしてベネチアの哀愁に溢れた瞑想曲である。

3楽章 アレグロ/コンチェルトの3楽章は演劇である。チェリストは裏の路地から飛び出して、早口のベネチア方言をまくしたて、大道芸人、人形劇の登場人物、或いは、奇妙な人物の役割を演じる。…略…

どうだろう?延々とそれぞれの曲に対しての解説をされるよりも、素人には、わかりやすい。なるほど、ヴィヴァルディのアダージョは、ベネチアのゴンドラのゆったりとした流れなのか…その考えに固執する必要もないけれども、ブルネロの演奏を聴くときは、頭の片隅に置いて聴くといいだろう。

で、さて、肝心の演奏なんだが、これが、なんだか、凄いことになっている。おいらが持っている、ヴィヴァルディのチェロ協奏曲集は、コワン&イル・ジャルディーノ・アルモニコ、ケラス&ベルリン古楽アカデミー…あとなんかあったっけな。まぁ、いっか。とにかく、この2種類、楽団の名前を聞いただけでも容易に想像が出来るくらい、尖がっていて刺激的。対して、ブルネロは、尖がっていると言えば尖がっているんだが、その印象よりも、なんか、カオスなのだ。汗臭くて、まったくすんなりと音楽が進まない。チェロが、力強くゴゴゴゴゴゴッと鳴る周りを伴奏がガサガサと騒いでいる。ベネチアと言うより東南アジアの市場のような力強さがある。ケラスもコワンも凄いが、ブルネロは別方向にぶっ飛んでいってしまっている。三者三様なのは当たり前だけど。

アダージョの方は、濃ゆい響きの中に、情緒を盛り込んだ演奏。これは、見事。筆の跡が強調された油絵を眺めているような感じ、とでも言おうか。あのアレグロのあとで、繊細なアダージョを聴かされても困るわけで、こってりとしたヴィヴァルディに纏め上げている。

バックのラルテ・デラルコはホグウッドと組んだ、ヴィヴァルディが手元にあるけれども、いま少しだけ聴きなおしてみると、ブルネロと演奏しているほうが、好き勝手やっていて、弾け切っている。それが正しいかどうかは解らない。ホグウッドのコントロールの仕方も、濃い味わいの中に、爽やかな味わいがあったりして、捨てがたいのだから。

ブルネロ、つい先日、パッパーノ&聖チェチーリア国立音楽院管弦楽団とドヴォルザークのチェロ協奏曲をリリースしたらしいんだけど、興味がわいてしまった。イタリアだらけのドヴォルザークなんて…あ、それだけでも面白そうだけど(笑)。ちなみに、改訂前のオリジナル版での演奏とのこと。買うか…いや…あ、いや、買うか…。

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西洋音楽史は、J.S.バッハから語られることが多い。一部の音楽愛好家たちもそうだし、わが国における学校教育でもそうだ。故に、J.S.バッハは音楽の父と崇め奉られ、ここから西洋音楽が始まったかのような誤解が生じている。もちろん、その前に、「なにか」があったことは、皆なんとなく解っているのだけれども、それは取るに足らないものであり、J.S.バッハが、それまでの音楽を革命的に「芸術」に昇華させたのだと認識してしまっている。たぶんこれは、西洋音楽を評価するに当たってドイツを中心としたロマン派至上主義が、当たり前になってしまっていることに起因するんだと思う。彼ら、ドイツ・ロマン派の作曲家は、イタリアを中心としたそれまでの音楽(バロック、古典派)を否定するに当たり、自分たちのルーツを同じドイツの作曲家であるJ.S.バッハに求め、神格化した。そして、彼こそが音楽の父であり、バロックそのものであると結論付けたのである。

これは、無伴奏ヴァイオリンの音楽でも同じことで、無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータが、唯一にして最高の曲であると思われている。確かに、この曲は大変素晴らしい。しかし、いくらJ.S.バッハが凄い作曲家だとしても、唐突にこんな曲が出てきたわけではない。バロック期の作曲家は、ロマン派以降の作曲家に比べると、果敢にも無伴奏ヴァイオリンの曲を書く人が結構いて、それらのひとつがあの大作なのである。ほかの作曲家の作品も、なかなか凄いのだが、残念ながらさほど演奏される機会は多くない。近年、古楽運動が盛んになってようやくバロック・ヴァイオリニストたちが、取り上げるようになり、その存在を知ることが出来るようになってきたのはありがたい限りである。

さて、そんなことを念頭において、つい先日購入した1枚のCDについて書いてみよう。日本におけるバロック・ヴァイオリンの第1人者である寺神戸亮さんによる『シャコンヌへの道』と題したアルバムである。寺神戸亮さんはもともと東京フィルのコンサート・マスターを務めたものの、その後、退団。シギスヴァルト・クイケンの元で研鑽を積み、レザール・フロリサン、コレギウム・ヴォカーレ、ラ・プティット・バンドと言った、有名古楽楽団のメンバーとして活躍。更に、ソリストとして、コンサートやレコーディング活動を活発に続けている。

『シャコンヌへの道』は、そのタイトルが示すとおり、J.S.バッハのシャコンヌ(無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番の例の曲、念為)は1日にして成らず!と言うことを1枚のCDで語ろうと言う企画。

まずは、バルツァーのプレリュード&「ジョン、来て、キスして」によるディヴィジョンからスタート。スコットランド民謡の変奏曲であるこの曲、解説によれば、プレイフォードの「ディヴィジョン・ヴァイオリン」に収められているものとのこと。プレイフォードと言えば、『イングリッシュ・ダンス・マスター(イギリス舞踏指南)』で有名な、楽譜出版者である。楽しく、時にメランコリックな作品の多いプレイフォードの音楽帳だが、このディヴィジョンもその中にすんなり収まりそうな作品だ。ここからシャコンヌへ…え?って感じだけど、この意外性は面白い。

続いて、ヴェストホフの無伴奏ヴァイオリンのための組曲第1番。ヴェストホフは、ドレスデンを中心に活躍したヴァイオリニストでビーバーとも並び賞されるほどの名手だったらしい。無伴奏ヴァイオリンのための組曲は6曲あって、そのうちの第1番がこのアルバムに収められている。J.S.バッハの作品に比べると、やや地味に感じられるが、ヴァイオリンの名手の作品だけあって、高い技術の求められる作品である。さらに、この6つの組曲は何れも、5線譜ではなく、8本の線によって、記譜されている。いろんな意味で、まだまだ自由だったバロックを感じさせるものだ。故にバロックは面白いんだけれども、演奏するほうとしては楽譜を読むだけでも、一苦労しそうである。ちなみに、ヴェストホフがドレスデンの宮廷楽団で活躍した時期とJ.S.バッハがヴァイマールで宮廷楽士をしていた時期が重なっていることから、この6つの組曲はJ.S.バッハの作品に少なからぬ影響を与えたのではないかと言われている。

お次、ビーバーのロザリオ・ソナタからパッサカリア。前にも出てきたが、ビーバーはバロック期における最も有名なヴァイオリンの名手である。中でも、ロザリオ・ソナタは有名な作品で、古楽運動が盛んになってから、バロック・ヴァイオリニストたちが盛んに取り上げるようになった。モダン楽器では、殆ど見向きもされていなかった作品かもだけど…ありがたいこってて。その名の示すとおり、ロザリオ信仰にちなんで作曲されたもので、15の秘跡に沿って曲は進められていく。パッサカリアは16曲目、つまり番外編である。この曲だけ無伴奏ヴァイオリンで奏でられる。なんというか、ざっくりな感想で申し訳ないが、とてつもなく美しい曲である。よし!決めた。今決めた。この曲を演奏することを最終目標にヴァイオリンのレッスンをすることにしよう(無謀)。個人的なことは置いといて…たぶん、バロックの無伴奏ヴァイオリンのための作品としては、J.S.バッハの作品に次いで演奏される機会の多い作品。寺神戸さんのライナーノートによるとJ.S.バッハの作品にも影響を及ぼしている可能性があるとか…。

続いて、テレマンの無伴奏ヴァイオリンのためのファンタジアより第1番と第7番。テレマンについては、まぁ、いいだろう。ヴァイオリンの作品に限らず、バロック期における最も有名な作曲家の1人。J.S.バッハと同時代の作曲家にして、大の仲良し。当時は、J.S.バッハよりもテレマンの方が人気があったと言う。そんなわけで、無伴奏ヴァイオリンのためのファンタジアは『シャコンヌの道』には欠かせない作品。全部で12曲あって、寺神戸さんは、後に全曲を録音している。テレマンらしい小難しくなく、親しみやすい曲調が魅力的な作品だ。12曲、CDにして2枚分だが、あっという間に聴けてしまう。うん、時間の無駄と言う意味ではない…よ…っと。

シャコンヌの前の最後の曲は、ピゼンデルの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ。ピゼンデルは、ヴェストホフと同じくドレスデンの宮廷で活躍したヴァイオリニストである。この人も名手として知られており、ヴィヴァルディやテレマンから曲を献呈されるほどであったと言う。J.S.バッハとも交流があり、ピゼンデルのために無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータを作曲したのではないかと言う説もあるほどである。作曲するに当たっても、ピゼンデルの影響は指摘されており、この無伴奏ヴァイオリンのためのソナタは、J.S.バッハの参考になったのではないかと考えられている。当然ながら、この作品も技術的には非常に難しい。派手さはあまりないが、劇的で内容の濃い作品だ。

そして、最後。シャコンヌ。それと、おまけで無伴奏チェロ組曲第6番よりガヴォットを無伴奏ヴァイオリン用に編曲して収録してある。デザートみたいなもの。ちょっとホッとする。これを最後にもってくるのって、反則じゃないか?ってくらい綺麗に決まっている。

と以上のようなプログラムなんだが、もちろん、これはJ.S.バッハ以前の無伴奏ヴァイオリンのための作品の一部であって、ほかにもたくさんの作品がバロックにはある。宝の山。寺神戸さんはその中から、見事なプログラミングで、意欲的なアルバムを作ってくれたわけだ。実に綺麗に、シャコンヌまでの道筋が見えてくる。サヴァールなんかが、好きそうな企画物だけれども、日本人でもこれだけのことができるのだと。演奏も見事な表現力で素晴らしい仕上がりだ。この演奏力があっての、この企画だと思う。マスコミが騒ぎ立てるだけのクラシックじゃなくて、こういう本当に良い仕事をしている人と言うのは、いち音楽ファンとしては、最大限の敬意を払って、出来る限り応援させていただきたいと思う。

なお、このCD、今なら国内盤で1,050円!寺神戸さんの解説も付いている(この記事を書くにあたっても参考にした)。J.S.バッハから一歩踏み出して無伴奏ヴァイオリンの演奏に興味がある人は必携。


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PCは無事復活。しかし、経済的ダメージがががががががが、がっ!Cドライブは、SSDにしてみた。256GBで15,000円。ハードディスクは、3TB×2を新調。これまでの1TBと2TBを足すと9TB以上になる。まぁ、しかし、実際に使えるのは、8TBくらいなもの。写真の容量が大きくなっていること(JPGとRAWで保存すると1枚20~25MBになる)、音楽データが多いこと、そしてそれらのバックアップと考えると、別に大きすぎる容量ではない。ハードディスクは、半分くらいは空けておきたいし。データ化社会の申し子のような状況だ。やむなし。

さて、話題転換。ちょっと寂しいお話。シュトゥットガルト放送交響楽団と南西ドイツ放送交響楽団が合併するそうだ。HMV Onlineのベルリン・フィル・ラウンジによれば、これは検討事項ではなく決定事項とのことだ。南西ドイツ放送響の方は、頭にバーデンバーデン&フライブルクと付いているので、3都市で1つの楽団ということになるのか。以前から両楽団に親しんでいる多くのクラシック・ファンは、ちょっとした驚きと複雑な想いを持たずにはいられないだろう。ドイツの放送オーケストラの多くは戦後に誕生したが、その後の本格的なレコーディング文化の中で、この両楽団の果たした役割は少なからぬものがある。

で、なぜ、合併となったのか。そもそも、シュトゥットガルト放送交響楽団は、旧称が南ドイツ放送交響楽団だったことからも判るとおり、南ドイツ放送局(SDR)の楽団だった。対して、南西ドイツ放送交響楽団は、南西ドイツ放送局(SWF)の楽団だった。それが、1998年に放送局の改組があり、SDRとSWFが合併されSWR(和訳は、南西ドイツ放送局)が発足した。この結果、SWR内には、両楽団に加えて、カイザースラウテルンSWR放送管弦楽団の3つのオーケストラを抱えることとなってしまった。カイザースラウテルンSWR放送管弦楽団は、2007年にザールブリュッケン放送交響楽団に合併されたものの、それでも、2つの世界的な楽団が並存する状態に議論があった。それに答えを出したのが、今回の合併と言うこと。

前述のベルリン・フィル・ラウンジによれば、戦後ドイツでこのクラスの楽団の合併は、初めてのことらしい。かと言って、事情が事情なだけに、今後ドイツ全土でこうした動きが広まるということはないだろう…と思いたい。なお、新楽団の発足は2016年だそうだ。残念ではあるが、よりいっそう魅力的な楽団になってくれれば嬉しい限りだ。

そんなわけで、今日は、南西ドイツ放送響の録音を。フランチェスカッティとブールによるブラームスのヴァイオリン協奏曲とセレナーデ第2番を収めた1枚。つい先日、独hansslerからリリースされたヒストリカル・ライヴ。協奏曲は、1974年、セレナーデは1978年の録音。ありがたいステレオ録音でのリリース。

前段に、いろいろ書いておきながらなんだけど…目的は、やっぱフランチェスカッティ(汗)。1974年と言えば、フランチェスカッティの活動の最後のほうであり、ややピークは過ぎた頃の録音と見られても止むを得まい。しかし、さすがに、美音は健在。明るく、伸びやかに歌いまくる。この音を聴いているだけで幸せな気持ちになれる。ブールと南西ドイツ放送響のコンビは実ははじめて聴く。情報だけでは、どうしても現代音楽のスペシャリストと言う印象が強いが、ここでは実に手堅い演奏を聴かせてくれる。無駄に自己主張してこないので、フランチェスカッティの美音をたっぷりと味わうことができる。録音は、若干こもる感じがするが、鑑賞するのに問題ないくらい。良好と言っていいだろう。フランチェスカッティのブラームスの協奏曲は、3種類目だが、総合的に見て、これが一番好みのもの。セレナーデの2番も良い。安いし、お薦め。

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うむぅ…HDDがぶっ飛んだ。恐るべし、データ依存の脆弱振り。ぶっ飛んでくれたのは、音楽データの入っている1.5TB。うっわ…音楽聴けねぇ…と、まぁ、幸いにして、ほぼバックアップがあるので被害は最小限に食い止められているんだけれども、最近、買って入れておいた20枚程度分等やり直しとなった。

ついでに、ほかのHDDも調べてみると、Cドライブの500GBのHDDがやばめ。Cかよ…。本格的に修復が必要じゃないか。メンドクサイめんどくさいメンドクサイめんどくさいメンドクサイめんどくさいメンドクサイーーーーーーーッ!!この際、CドライブはSSDなのか?そうなんだろうなぁ。それと外付けでほとんど使っていなかった2TBが完全に異常だった。5台中、3台が壊れているとか…思いやり、優しさが足りなかったのか…。まぁ、HDDなんて壊れやすいもんだしね。しゃーなしと言えば、しゃーなしだ。

ま、と言うわけで、出費。Cドライブは、SSDとして、容量によるけど10,000円~15,000円見ておこうか。ほか、2台。今は、3TBが一番コストパフォーマンスがいいらしいから、これを2台。さっくり調べてみると10,000円と言ったところ。全部で35,000円と言ったところか。ヘビーだな。

落ち着こうか。と言うわけで、J.S.バッハの管弦楽組曲。つっても、ゲーベルで吹っ飛びたい気分ではないので、ちょっと前に買ったクレンペラーの演奏で。スローペースにして、雄大。有無を言わせない風格。時代考証の結果、こうなりました…と言うお話は、クレンペラーには通じそうにない。俺がこうと言ったらこうなんだと言う、独裁者的な暴論で片付いてしまいそう(笑)。しかも、それでもみんな納得してしまいそうな、妙な説得力。古いバロック観なんだけれども、それ以上に、クレンペラーなんだよなぁ。変人だけど偉大なり。

あー、クレンペラーに浸りつつ、PC修復作業が手間取ったら音楽聴けないなぁとか…。まぁ、CDから聴けばいいんだけどね。

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