忍者ブログ
http://schunsou.blog.shinobi.jp/

カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
最新コメント
[10/07 schunsou]
[10/02 F2]
[06/26 schunsou]
[06/24 F2]
[05/19 schunsou]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
schunsou
HP:
性別:
男性
趣味:
クラヲタ、登山
バーコード
ブログ内検索
過去の記事(Since2004.4)
カウンター
カウンター
アクセス解析
[8] [9] [10] [11] [12] [13] [14] [15] [16] [17] [18]
■ [PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


ニールセンの交響曲第4番と第5番のカップリングって、ニールセンの交響曲の中では、もっともありがちなカップリングじゃなかろか。とか、思ってCD棚を覗いてみるとおいらの所有の中では案外少ない。全集の中にはいくつかあるんだが、単発のものではなかなか見つからない。「ニールセンのとりあえず、有名どころだけ録音しておくか」となると、4番だけ録音するらしい。マルティノンも、ラトルも、カラヤンも…みんな、5番まで録音しない。やっぱ、4番なのか。

そんな中、このカップリングで録音している指揮者が一人だけいる。サー・アンドリュー・デイヴィスだ。いや、もしかしてほかにあるかもしれないけど、今、気付いているのはこれだけ。もちろん、全集にはなっていない。たぶん、アンドリューのニールセンの交響曲録音もこれだけ。快挙だ!あ、そんなでもないか。

さてさて、なんでそんなどうでもいいことに気付いてしまったかと言うと、最近、このカップリングのCDがリリースされてそれを入手したからだ。しかも、デイヴィス軍団の最長老、サー・コリン・デイヴィスの演奏。アンドリューに続いてとは…因縁を感じるじゃないか(ないか(汗))。今度は、きっとデニス・ラッセル・デイヴィスが録音してくれるに違いない。あー、すっごく可能性を感じないな。たぶん、面白くない。いや、斬新なニールセンになるかも。

このコリンの録音なんだけれども、一応、全集になる予定。だから、「とりあえず、ニールセンの有名どころを録音しました」って、ものじゃないんだけれども。レーベルはLSO Live。自主製作盤。自主製作盤って、単発のライヴ録音を出してくるイメージなんだが、LSO Liveはブラームスの交響曲全集とか、ベートーヴェンの交響曲全集とか、結構、大がかりな企画をぶち上げてくる。ここまで本格的に活動している自主製作レーベルってほかにないんじゃなかろか。

で、コリンのニールセンだが、実はこれまで録音がなかったらしい。コリン自身はニールセンをリスペクトしていて、「いつかは…」と言う思いはあったらしい。だから、今回のCDは満を持してってことになるんだろう。

演奏は、雄大。とりあえず、4番『不滅』。流麗な演奏とは違って、大きくどっしり構えて、轟々と鳴らす感じだ。かと言って、カラヤンのように重量級にやり過ぎて、鈍重になってしまってはいない。テンポは早いが、無理がない。「おーわっ!はえぇぇ!」って感じがしない不思議。なんとも心地よい音楽運びだ。ロンドン響のメタリックな響きも独特な世界をつくり出す。冷ややかではあるが、活き活きとした生命感に溢れている。やっぱ、この曲は生命感を欠いてはいけない。単一楽章交響曲だが、3楽章に当たる部分の透明感も堪らない。妙にニールセンが北欧の作曲家であることを意識させられる。

やっぱニールセンっていいなぁ、と思わせてくれる名演。早く全集を完結させてほしい。つっても、ロンドン響のプログラムを見る限り、だいぶ先になりそうなんだよなぁ。

nielsen-colin.jpg








拍手[0回]

PR

ジョージ・ロンドン…この上なくイギリス人っぽい名前だ。サー、と名前の頭につけたくなるが、イギリス人ではない。ロシア移民のアメリカ人。どこにもイギリスは引っかかってこない。悔しくはないか?イギリス人的には。

さて、この人、有名なバス・バリトンの歌手なんだが、おいらは名前は知っていたものの、ちっとも聴いたことがなかった。実は、ジョージ・ロンドンの名を冠したコンサートのDVDは持っているのだが、ジョージ・ロンドンの引退したずいぶん後のコンサートで、彼の業績を讃えて、有名歌手が一堂に会して開いたガラ・コンサート…ってことで、ジョージ・ロンドンは歌っていない。しかし、まぁ、こういうコンサートが開かれて、DVDにまでなっていると言うことは、以下に偉大な歌手であったか、と言う証明ではあるのだけれども。

石丸のセールの勢いで、はじめてジョージロンドンのCDを買ってみた。もちろん、オペラ歌手だからにしてオペラ・アリア集…ではなくって、思いっきり変化球で『黒人霊歌集』(英題:Spirituals)。珍しい。黒人系の歌手なら良く録音しているようだが、白人歌手ではあまり見ないのではないか?

とは言え、ゴスペルのルーツである黒人霊歌は多くの作曲家にインスピレーションを与えている。ドヴォルザークはあまりにも有名だが、ディーリアスもアメリカにいた時に、随分と影響を受けているようだし、アメリカの作曲家の多くが影響を受けている…筈。

で、ジョージ・ロンドンによる黒人霊歌なんだが、これが全く黒人の魂の叫びではない。朗々とゆったりと歌い上げる。どっしりとした温もりのある低音のなんと堂々としていることか。冒頭のSwing low,sweet Chariotはそこそこ有名な曲だと思うんだが、この歌を聴くと新しい曲と出会ったような錯覚を覚える。Joshua fit de Battle of JerichoやI got to lie downなんかは、ゴスペルに繋がっていくようなノリの良さがある曲みたいなんだが、ジョージ・ロンドンの歌唱は揺るがない。立派に歌い上げる。

多分、これは異色。他に、黒人霊歌のCDって持っていないので、はっきり言えないけれども。変化球から黒人霊歌を聴いてみたい人、ジョージ・ロンドンを聴いてみたい人向け。さてと、ジョージ・ロンドンの有名なオペラ録音って何なんだろう。探して聴いてみるかなぁ。

london.jpg






拍手[0回]


メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲のCDを買う。今更感満載の超有名曲。もう何枚目だろう?演奏は、ピンカス・ズッカーマンのヴァイオリンで、カルロ・マリア・ジュリーニ&ケルン放送交響楽団がバックを務めている。Profilレーベルのライヴ盤。音質で評判の良い、レーベルだが、これはいま一つ。

さて、演奏の方だが、これが実に味わい深い。1971年の録音なんだが、ジュリーニの指揮は既にのろい。1980年代以降、年老いてのろくなったというイメージがあったが、そうではなかったのか。えーと…1970年代以前の録音、何を持っていたか、ふと思い浮かばない。印象にないってことは、おいら的にはストライクゾーンではなかったのかな。とにかく、こんなにのろく、どっしりと構えたメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲のバックは聴いたことがない。

ズッカーマンの演奏も確りした音色で、なおかつ、妖艶。のろいバックの中、ゆったり歌い上げていく。ズッカーマンの響きが十分に堪能できる。ズッカーマンの演奏は、ヴォーン・ウィリアムズの『揚げ雲雀』を聴いて、気に入っていたんだが、それ以降はあまり熱心に聴いてこなかった。名前のせいだろうか?ズッカーマン、ズーカーマン。ピンカス。何か、美しい音楽が溢れてきそうな感じがしないんだよね~。俳優とかだったら良いかも。主演、ピンカス・ズッカーマン。

あ、話がずれた。演奏ね、演奏。聴きどころは、1楽章も良いが、やっぱ2楽章かな。切々と歌うあの美しいメロディ!個人的に好きな楽章なんだが、やっぱズッカーマンの音色でこのメロディは、よく酔える。泥酔。ジュリーニのどっしりとした構えは、貫禄があり過ぎるような気がしないでもないが。1楽章のラストや3楽章はあまり切れ味が良くない。この演奏を象徴しているようでもある。でも、まぁ、これもこれでありかと。ヒラリー・ハーンの快刀乱麻の演奏とは対照的な演奏だ。

ってなわけで、個性的で面白い演奏。ファースト・チョイスにはお勧めできないが、セカンド・チョイス以降ならお勧めできる範囲だ。ただ、前にも書いたけど、音質が…。1971年のライブ録音ならもう少し、状態の良いものが残っていなかったのか。なお、カップリングはドビュッシーの『海』。ジュリーニの十八番。


zukerman.jpg
 





拍手[0回]


フォン・ビンゲン生誕900年の1998年に結成された女性4人によるヴォーカル・グループ、カンティによるCDを買う。えっと、生誕900年…って凄くないか?900年前の歴史って多分、事実は不明。フォン・ビンゲンだって、ホントに1098年に生まれていたのかどうか。そんな、豪快に古い作曲家で、「生誕○○年!」なんてやっている作曲家ってほかにいるんだろか?モーツァルトの生誕250年が随分と最近のものに思えてくる。500年くらいまでやんなくてもいいんじゃないか?とか思えてしまう。

さて、それはともかく、カンティのCDである。タイトルは『カルミナ・ケルティカ』。ケルトをテーマにした企画で、サブ・タイトルに「中世と現代の祈りの歌」とあるように新旧の祈りの響きを追求したもの。レーベルはLINN。音質は、最強。

プログラムは、古いケルト音楽と、現代作曲家による祈りの音楽を交互に交えて作られている。ルネサンス以前の音楽に影響を受けた現代の作曲家ってペルトに限らず結構いて、彼らの作品とルネサンス以前の作品をプログラムに交えて企画を作ることって結構ある。なので、そう言う意味では、まったく斬新とは言えない。しかし、「祈り」をテーマにしたことが、吉となったのだろうか、見事に新旧の音楽がマッチしている。その響きは、果てしなく美しい。

エジンバラの教会で録音されているのだが、その残響に消えていく、ケルトの調べのなんと幻想的なことか。カンティの合唱の透明感は、LINNの優秀な録音と相俟って、聴く者の心の中に沁み込んでくる。カンティに限らず、ルネサンス以前の音楽を歌う人たちの高音って、全く耳触りではない。オペラでソプラノを聴くとき、慣れない人は、「キンキン声で耳触り」と言うし、おいらもそれは判らないじゃないんだけど、カンティの合唱が耳触りに感じる人はまずいないだろう。豊かに、清らかに響く、その調べを聴いていれば、心はシンと静まり、何かに祈りを奉げたくなるだろう。

合間合間に入るハープによるケルト音楽の響きも、ノスタルジックで良い。このCDに独特の味わいをもたらしてもいる。素敵なCDだ。

canty.jpg





拍手[0回]


今日の女流ヴァイオリニストの2トップ、と言うか、双璧をなす女王と言えば、アンネ=ゾフィー・ムターとヴィクトリア・ムローヴァだろう。この2人、いろいろ正反対な印象があるんだけど、古楽器演奏に対する考え方においては、徹底的に対立している。

カラヤンに重宝されたムターは古楽器演奏に対して「ばかげている」とまったく相手にしていない。それに対して、ムローヴァは積極的に古楽器奏者と組んで演奏活動を繰り広げている。否定派と肯定派…ってのもあるんだが、ムターはロマン派を中心に今のクラシックの王道レパートリーばかりを演奏しているのに対し、ムローヴァはムターのレパートリーに加えてゲンダイ音楽やバロックにまでレパートリーを広げている。結局、今日、広いレパートリーに挑戦するには、古楽を無視できない、と言うことなのだろう。その結果、ムローヴァは、ヴァイオリン曲の至高の芸術であるJ.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ全曲を録音、絶賛を得た。対して、ムターはまだこの曲を録音していない。

と言うと、おいらはムローヴァ派でアンチ・ムター派のように見えてしまうんだが、そうではない。なんつっても…ほとんどムターの演奏を聴いたことがない(汗)。一度、CDショップでモーツァルトのヴァイオリン協奏曲集を聴いたが、これは実に素晴しかった。古楽器のアプローチとは正反対のものだけど、確りとして凛とした音色は見事としか言いようがなかった(と記憶している)。けど、なんだか、気乗りがしないで買わなかった。対して、ムターは生演奏にも接しているし、CDもいくつか持っている。

と言うわけで、どっちが好きと言う比較ができるほど知識はないんだけど、バロックのレパートリーにおいては、ムローヴァに分があるのは間違いない。その証明が無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータってことになるかもしれない。

さて、ムローヴァのバロック演奏のもう一つの成果と言えば、著名古楽奏者とのヴィヴァルディの演奏だろう。最近では、カルミニョーラ&ヴェニス・バロック・オーケストラとアルヒーフに録音したものが鮮烈な演奏として、高い評価を得ている。

その前には、イル・ジャルディーノ・アルモニコともヴァイオリン協奏曲集の録音を残している。これを最近ようやく、その存在に気付いて入手した。

これ…笑いが出ちゃうくらい凄い。前述のカルミニョーラとの演奏も活気があるんだけど、これは…そのはるか上を行く。むちゃくちゃ闊達。イル・ジャルディーノ・アルモニコは相変わらず、鋭く叩きつけるような演奏で容赦なく暴れまわっている。その中をムローヴァの美しい音色が切り裂いていく。ストラヴィンスキーやバルトークで聴かせるムローヴァとは少し違うが、これはこれで素敵だ。張り裂けるリズム、メロディ…熱いヴィヴァルディ。大爆走。しかし、これぞ、ヴィヴァルディの魅力、とも言えるんじゃなかろか。名盤。ちなみに、カルミニョーラとの共演盤では古楽器を使っているが、この盤は愛用のストラディヴァリウス・ジュールズ・フォーク。ただし、バロックのボウを用いて、弦はガット弦に張り替えている。

ところで、このCDの解説書を見たら、メンバ表が載っていたので、「どうせ、誰もわかんねーだろうな。あ、オノフリいるかな?」と思ってみてみたら、オノフリはいなかったけど、ミナジは在籍中。後に、ムジカ・アンティクァ・ローマを設立した若手ヴァイオリン奏者。古楽界の注目株。

 
mullova-vivaldi.jpg






 

拍手[0回]


昔、カゴメのアンナマンマのCMにつのだたかしのリュート演奏でシチリアーナと言う曲が使われていたことがあった。強烈なノスタルジー、リュートの紡ぎだす素朴な響き…この音楽をバックに「スローフードに、帰ろう」と文字で呼びかけるんだけど、これは美しかった(Youtube)。カゴメが「スローフードに、帰ろう」なんて言っていいのかどうかわからないけど、こういうセンスのいいCMばかりだったら、少しはTVを見る価値もあるってもんだが…。今も昔もTVってやつは…と話がずれた。

このシチリアーナ(ホントはスパニョレッタと言う曲)が気に入って、間もなく、はじめて『リュートのための古い歌と舞曲』を聴いた。この曲の第3集第3曲がこのシチリアーナだった。この発見は、とてもうれしくって、ロペス=コボスのCDを買ってきて何度も何度も聴いた。

『リュートのための古い歌と舞曲』と言えば、復古主義音楽家レスピーギの代表作。前述の通り第3集まであって、そこそこ長い曲になる。ただ、そのタイトルの通り、16世紀から17世紀ころのリュート曲を編曲してまとめたもので、曲順に作曲者の意図はあるにせよ、それぞれに特に脈絡はなくって小さな曲の寄せ集めと言った感じだ。もちろん、レスピーギの流麗なオーケストレーションは、流石に見事としか言いようがなく、古い音楽を実に心地よく聴かせてくれる。強烈な癒し。「クラシックって癒しだよね!」と単純に割り切りたい人にはお勧め。もちろん、こんな癒しの音楽はそんなにはないことを言い添えたいが。

さて、前振りが長くなった。昨日、新宿のタワーレコードに寄った際に、古楽コーナーで楽しそうな1枚を見つけた。タイトルは『16世紀の古いアリアと舞曲』、サブタイトルに「レスピーギ『リュートのための古い歌と舞曲』の原曲集」とある。こんな美味しそうなCDは滅多にあるまい。しかも、演奏者は、リュートにポール・オデット、ナイジェル・ノース、ヴァイオリンにジョン・ハロウェイとおいらでも知っているような古楽の有名奏者が出ている。買わないわけがない。家帰ってHMVで頼んだ方が安いかな…とか思う余地もなく、即買い。うー、損したかも。

さすがに、外れるはずもなく、とても素晴らしい企画だった。リュートに加えて、歌やヴァイオリンも入ってくるんだけど、その優しく柔らかいメロディの数々は、シンプルながら何とも美しくって、悶絶してしまう。スパニョレッタ(前述のシチリアーナ、レスピーギもシチリアーナと言うタイトルを用いている)も素敵な演奏。疲れた時、ぼんやりしたい時、あるいは、紅茶でも飲みながら本を読みたい時、この音楽を聴きながら、そっと古の優しい音楽に心を満たされてみよう。

お値段は、タワーレコードで1,700円台だったんだけど、今見たらHMV Onlineではマルチバイで1,000円切っている…。うー、やられた。まぁ、でも、3,000円出しても買う価値はあると思う。

ancient.jpg





拍手[0回]


イル・ジャルディーノ・アルモニコと言えば、イタリアのオリジナル楽器による暴走合奏団―と言うイメージなんだが、今日買ったCDは『聖母マリアの嘆き』と題したもの。暴走合奏団とは程遠い所にありそうな企画。このミスマッチの結果はどうなんだ…。

ところが、これが企画としても演奏としても素晴しい。収録されている曲は、ヴィヴァルディ、フェランディーニ、モンテヴェルディ、コンティ、マリニーニなどイタリア・バロックの作曲家たちによるお題に沿った作品。一応、イル・ジャルディーノ・アルモニコにとってはお国もの。彼らの演奏で定評のあるヴィヴァルディも良いが、つい最近までヘンデルの作品とされていたと言うフェランディーニの『マリアの悲しみ』が素晴らしい。多分、このCDのメイン。なんつっても、ジャケットにこのタイトルが書かれているのだから。

このフェランディーニの作品、ジャンルはカンタータ…あ、つうか、この企画、『聖母マリアの嘆き』と言うタイトルからして宗教曲ばかりっぽいけど、意外と器楽曲の割合が高い。で、これはカンタータ。歌手はベルナルダ・フィンク。古楽の世界で評価の高いメゾ・ソプラノだ。

曲は、カヴァティーナとアリアの合間にレチタティーヴォが挟まるスタンダードな形のカンタータなのだが、このカヴァティーナとアリアの祈るようなメロディの美しさには思わず涙腺が緩んでしまいそうになる。イル・ジャルディーノ・アルモニコのいつもの切れ味の良さは、抑制されて切々とした伴奏となっている。フィンクの歌唱も素晴らしい。特に2曲目"Se d'un Dio fui fatta Madre"と6曲目"Sventurati miei sospiri"がおいらは気に入ってしまった。一転して、レチタティーヴォは激しい嘆きの音楽となる。叩きつけるようなイル・ジャルディーノ・アルモニコの演奏が、激情溢れて聴衆に迫ってくる。フィンクも遠慮なく激しく嘆きまくる。

この他の演奏も企画の良さも相俟って、とても充実している。特に、コンティの『聖ロレンツォの受難』は世界初録音と言うことで、一応このCDの売りらしい。そんなわけで、よく「アヴェ・マリア集めました。泣いてください!」って感じの企画はあるけど、収録曲を見ていただければわかる通り、このCDはそんな一筋縄でいくものではなくって、どちらかと言うと…と言うか、完全にマニア向けの内容。オムニバス的とは言っても、「バロック聴きたいんだけど…」って人にはお勧めできない。イル・ジャルディーノ・アルモニコの鋭い響きも一癖あるしな…。でも、ちょっとバロックを聴き始めたならぜひ聴きたいCD。おいら程度の古楽初心者でも十分楽しめるレベル。


maria.jpg








拍手[0回]


音楽とは、一瞬で消えていく創作物である。そう言うものであって、そうであるべきものである、と考えたのはチェリビダッケ。一期一会にすべての価値があると考えたのだろう。だから、レコーディングを殆どしなかった。ライヴ録音が没後遺族の許可を得てリリースされたが、生前はほとんど録音がリリースすることは許されなかった。ただ、大衆が広く音楽を楽しむのに、録音は大きな役割を果たしてきたのは確かなこと。音楽の本質を失うと言う考えはあったとしても、音楽の平等化、大衆化に大きな役割を果たしたことには間違いない。録音がなければ、おいらも、こんなに音楽を親しむことはなかっただろう。

当たり前のことだが、録音のなかった時代の音楽は、一瞬で消えていき今は残っていない。残せたのは“楽曲”だけである。しかし、時代を遡れば、“楽曲”すら正確に残せない、楽譜のない時代だってあった。その音楽は、本当に、一瞬で消えていく創作物だったのかもしれない。演奏者の頭の中にだけにあって、人から人へと引き継がれていくうちに形を変えていく。いや、一人の人だって、時を経て曲を変えて行ったかもしれない。“かもしれない”だらけだが、それはあたりまえだ。なにも判っていないから。

さて、先日とある1枚の実験的なCDを買った。実験的と言うとゲンダイ音楽に似合いそうな言い回しだが、このCDは古楽だ。『ポワティエ伯の歌』と言うこのCD、なんと11世紀末のギヨーム9世の音楽を再現したと言う。

ギヨーム9世は吟遊詩人(トルバドゥール)の先駆け的な人物で、多くの恋愛抒情詩を残している。彼自身はその名の通り、1国の王だが、彼を起源としたトルバドゥールは、街から街、村から村、そして城から城へ歌を歌って歩いていた。トルバドゥールのその奔放で自由な生活スタイルは、ワーグナーも魅了されたのだろうか、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』は有名なトルヴァドゥールの一人、ハンス・ザックスの物語だ。つか、この1曲のお陰で1番有名なトルバドゥールになったかもしれない。

さて、そんなトルバドゥールの音楽だが、基本的に楽譜はない。口承のみ。だって、放浪の歌手だから。それも現代の記譜法が確立される何百年も前の音楽。それでも、古楽の奏者たちは果敢にその音楽を再現してきた。そして、今回のCDなんだけど、そのトルバドゥールの起源の音楽に挑戦した。果敢も果敢、勇猛果敢(笑)。もちろん、正解ではないかもしれない。だけど、確かに感じるのだ。古の時代の淡いノスタルジーが。歴史のロマンってやつかもしれない。音楽は、一瞬で消えていく創作物であるが故に、歴史のロマンとは遠い所にあったような気がするんだが、このCDは容赦なく近付いていく。11世紀、平安時代の音楽へと誘っていく。まるで、平安時代のくすんだ屏風が、いきなり色彩に溢れ、当時の姿を取り戻したような錯覚がここにはある。

演奏者は、ブリス・デュイジと言う人。歌とフィドルを一人でこなす。明確で流麗なメロディはなく、詩の朗読に伴奏をうつけたような音楽を力強く、歌いあげていく。

 
duisit.jpg





 

拍手[0回]


以前このブログで古典派のスペシャリスト、コンチェルト・ケルンとトルコ音楽のスペシャリスト、サルバンドによる『オリエントの夢』と言うCDを紹介した。これは、トルコ音楽とそれに影響を受けた古典派の作品を混ぜて1枚のCDにする、と言うちょっと面白い企画だった。

さて、この『オリエントの夢』の続編的企画で『西洋と東洋のワルツ-法悦と神秘主義』と言うCDが出ていたので買ってみた。テーマは「ウィーン古典主義からオスマン芸術音楽へと続く、音楽の旅」。『オリエントの夢』は古典派に留まってトルコ音楽との対比を楽しめたが、このCDは古典派にとどまらず、時空移動を始める。「オリエントの夢のその後…」って感じだろうか。『フィガロの結婚』と『セビリアの理髪師』のような、後日談を聴かされているようなもの(か?)。

全部で5部に分かれているんだが、スタートはやっぱりモーツァルト。「ヨーロッパ人デデ/トルコ人モーツァルト」と題して、モーツァルトのドイツ舞曲とトルコの宮廷作曲家ハマーミーザーデ・イスマイル・デデ・エフェンディのセマイ(歌と楽器による短い曲)を交互に演奏していく。デデ・エフェンディの作品から西洋音楽、特にワルツの影響を見出し、「古典派がトルコ音楽に影響を受けていたようにトルコ宮廷音楽も西洋音楽に影響を受けていたのだ!」と言うことを立証しようとする。モーツァルトのドイツ舞曲は、まぁ、良いんだが、はじめて聴く、デデ・エフェンディの作品もシンプルながら美しくって、簡単に心を掴んでくる。「バラよ、いまひとたび」なんか、明日からの鼻歌候補になりえる。バックのコンチェルト・ケルンの演奏がまたよい。

古典派から時代は少し下って、次のお題は「ウィーンからオスマン帝国へ」。ランナーのワルツの間にアブディ・エフェンディと言うトルコの作曲家の作品を挟む。それから、次のお題、「トルコの音楽論争」へと続いていく。ベートーヴェンのドイツ舞曲とデメトリウス・カンテミール(ヨーロッパ人だが、トルコの伝統音楽の作品を書いていたらしい)の作品をめぐって、トルコで音楽論争が巻き起こったらしい。オスマン芸術音楽的には重大な出来事なのかもしれないけど、西洋音楽史的には「へぇ…そんなんあったんだ」って程度の認識かな。と言うわけで、この論争の中心にあった2人(ベートーヴェンとカンテミール)の作品が紹介される。

続いてのお題は「ドナウ河のさざなみ」。ここは、ヨハン・シュトラウス1世のケッテンブリュッケ・ワルツ、1曲だけで軽く流しておいて、最後の「神秘主義と法悦」に繋げていく。なんか、ようわからん…。音楽の旅は迷走して、デデ・エフェンディに戻ってきて、最後は「えいや!」でベートーヴェンのドイツ舞曲第12番で締めくくられる。

コンチェルト・ケルンの闊達な演奏は聴きものだが、企画ものとしては『オリエントの夢』ほどシンプルに仕上がっていないような…。西洋とトルコの音楽交流の歴史が全く理解できていないもので、少し頭を抱えてしまう。多分、音楽史とか考えないで感じるままに聴くことが大切。仕切りなおしてもう一度聴こう。

waltz.jpg






拍手[0回]


閉店間際の石丸電気にハイエナのように群がるクラヲタの一員となってCDを買う。3割引だから…って言うのもあるんだけど、もう石丸でCDを買うこともなくなるんだなぁ、と言う、少なからぬ感傷的なものもある。最初にCDを買ったのは、石丸だし、ずっと通い続けていた。やっぱ寂寥感。

最初の頃買っていたのは、モーツァルト、そして、ハイドン。それから、ロマン派に流れて行って、マーラーやブラームスを聴くようになったのかな。ヴォーン=ウィリアムズのCDを片手に「面白そうだけど、どんな作曲家なんだろう?」とジャケットを眺めて悩んでいたこともあった。

そして、今、買っているCDは古楽が増えた。この閉店セールでも随分と古楽のCDを買っていくことになるだろう(セールは3月27日まで)。

そんな中から1枚。ちょっと前に紹介した、レ・ウィッチーズの演奏したプレイフォードの『英国の舞踏指南』。レ・ウィッチーズ、以前紹介したとおり「魔女たち」と言う意味で、鍵盤奏者を除いて全員女性である。と言っても、女性ってことばかりを売りにした団体ではない。奏者はそれぞれ、レザール・フロリサンなど欧州各地の有名どころの古楽団体に参加している実力派集団。以前紹介した『デンマークの王宮、フレゼリクスボー城の音楽~クリスチャン4世の時代より~』もそうだがユニークな企画がヲタク心をくすぐる楽団だ。

で、今回買ったCDなんだけど、タイトルの通り、イギリスの音楽である。対して、レ・ウィッチーズはフランスの楽団。これもちょっとした変化球だ。ロマン派以降であれば、例えば、ラヴェルをビーチャムがロイヤル・フィルを振って演奏しても不思議じゃないんだが、『英国の舞踏指南』…って(汗)。

さて、プレイフォードとは何者か。おいらもよく知らない(汗)。知っていることは、プレイフォードは作曲家ではないと言うこと。出版業者、なのかな。なんか、そんな立場で、イギリス各地の伝統音楽を収集して、出版していた。アイルランド民謡とか、ケルト系の音楽も随分と集めた。CDの解説によると(輸入盤ながら詳細な解説書が付いている)、この世ではじめてのケルト音楽の収集記録を作った、と言うことになる。

さっくりジャンル分けをしたがる人なら、「これは民族音楽」と簡単に定義付けるだろう。しかし、グレインジャーを簡単に「民族音楽」と仕分けられないのと同じようにこの音楽も単なる「民族音楽」ではないんである。かと言って、クラシックかと言うと、それもまた微妙。いや、トルバドゥールを中心とした中世音楽、更に、ルネサンス音楽も少し考えれば判るけど、世間が高尚と崇めたてているクラシック音楽とは少し異なる。もっと言ってしまえば、バロックや古典派だって…と、まぁ、話を進めていくととりとめがないのでやめておくが、さっくりジャンル分けができるはずがないのが、西洋音楽史である。まぁ、ひっくるめてヨーロッパの民族音楽と言ってしまえばいいんだが。

…と話がそれた。『英国の舞踏指南』なんだが、これ、舞踏と言うだけあって実にリズミカルで心地よい音楽だ。と言っても、のうてんきで明るい音楽ではない。何とも、深い哀愁が漂う。ケルト系音楽の魅力だろう。そんな音楽をレ・ウィッチーズが上質な演奏で響かせる。もともとは村の集会所や宴の席などガヤガヤとしたところで、演奏された音楽だろうが、この演奏はとてもおしゃれに感じさせてくれる。野蛮な感じは全くしない。それでいて、音楽の内包する活力は決して損なっていない。ジャケットも美しくって、お勧め。値段はすごく高い。2,800円。石丸セールのうちに…って、おいらが買っちゃったからないかも。

dancingmaster.jpg






拍手[0回]

前のページ | HOME |  次のページ
忍者ブログ [PR]
ブログランキング・にほんブログ村へ
Powered by 忍者ブログ  Design by © まめの
Copyright © [ 音楽雑記&四方山話 ] All Rights Reserved.