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一般的なクラシック愛好家に猛烈に「邪道だよ!」と非難されそうな企画ものが好きである。例えば、ヤナーチェクの歌劇『利口な女狐の物語』をアニメ化したケント・ナガノのDVD。舞台上でハリボテ着ていい年こいた男女が、ピーチク、パーチクやっているのより全然面白かった。立派な絵本つきのスラットキンのチャイコフスキーの3大バレエは値段が高くて買わず終い。未だに悔やんでいる。結構高かったもんなー。味気ない廉価盤になっちゃってガッカリ。って、おいら、なんだか、商業戦略に乗っけられている感たっぷりだな。まぁ、面白ければいいんである。

つーこって、買ってみた。ラトルの『くるみ割り人形』(全曲)。声優さんが、ナレーション入れている盤。絵本つき。これは「ナレーションが邪魔くせー!」と言う決まりきった感想で終わることがあらかじめ決まっているようなもの。そんなわけで、発売がアナウンスされた時は「ほら、おいらクラヲタだから…音楽は音楽で純粋に楽しみたい」とか言って、このブログでも消極的な姿勢を見せていたが、まぁ、話のネタにでもなるかと、発売初日に買ってみた(←結構勢い余ってる(笑))。たぶん、この企画がなかったら、こんなベタなCDは買わなかった。あ、いや、最近、ネット見ていると一部の間でラトルの評判が芳しくないみたいだけど、おいらは嫌いじゃない。付録のDVDにつられて買ったブラームスの交響曲全集も悪くなかった。だけど、ね、メジャーレーベルが食傷気味な今日この頃。あまりにもマイナーレーベルが魅力的なもの出してくるもんで。

さて、内容なんだが、これ、結構、良いんじゃないか?以前、小澤&ボストン交響楽団のメンデルスゾーン『真夏の夜の夢』に吉永小百合がナレーションを付けたことがあった。図書館から借りて、少し聴いた記憶があるんだけど、まるで昔話を語っているかのようでつまらなかった。クラシック=古典と言う一側面だけをとらえれば、そう言う語り口もあるだろう。だけど、おいらはクラシックは歴史を持っていると言う意味では古典でもあるけど、今、活き活きと躍動している音楽だと思っている。だから、老人が子供に聴かせるような語り口調はただ退屈なだけにしか感じない。それでこそ、「ナレーション、邪魔くせー!」ってな感想。

今回の『くるみ割り人形』は、バレエ音楽に強引にナレーションを入れたと言う無理は確かにある。しかし、流石に声優さんはその道のプロなので、よく合わせている。吉永小百合みたいな退屈感はなく、この物語にあるファンタジックな面を強烈に意識させてくれる。女声の釘宮理恵さんの声はキューティフルでクララによくあっているし、男声の石田彰さんは、8人の役を演じ分けているんだが、これはこれで凄い芸当だ。釘宮さんの方も4人を演じ分けているんだが…あれ?クララがもう何人かいるぞ、と…。

ラトルの演奏は、ベルリン・フィルゆえ、ぼってりと重苦しくなってしまうんじゃないかと、懸念したけれど、杞憂だった。舞うような、とは言えないまでも、従来の輝かしい音色は損なわず、柔らかさも加わわり、十分楽しめるものだ。意外と歌心もあって◎。雪のワルツなんか、美しくって惚れ惚れしてしまう。以前から、ラトルの演奏って冷たさを感じることがあって、それがゆえに、魅力的だったり、なんか引き込まれない部分があったんだけど、今回の演奏は、それが幻想的な色合いになって、成功しているようにも思う。もちろん、各パートのソリストは、さすが、ベルリン・フィル、最強。

最後に、絵本なんだけど、中綴じの、まぁ、あんまりしっかりした作りとは言えないもの。おいら的には、なくても良かったかな。でも、子供を持つ親には良いかもしれないなぁ。CDそのものも子供から大人まで楽しめるものだし、クリスマスにはちょうどいい贈り物だ。子供のクリスマスプレゼントにゲーム・ソフトをプレゼントして、それから、ゲームばっかやっていないで、こんなものも聴いてみたら?と言って、このCDを渡してみるのもおしゃれでいいかもしれない。って、X‐BOXで戦いつつ、呟いてみる(汗)。あー、勝てねー。


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テレマンの『ターフェル・ムジーク』全曲をぶっ通しで聴いている。合計4時間13分。まぁ、オペラ観ると思えば、ちょい長いくらいなんだが、器楽曲でこれだけ長い曲は珍しい。いや、正確に言えば、1曲とは言えなくって、曲集なわけなんだが、何れにせよ長い。まぁ、バロックにはこの手合いの長い曲はゴマンとあるんだが、それは需要に合わせたものだからじゃないかな。ターフェル・ムジークの場合は、貴族様のお食事、またはパーティ的な祝典のための音楽だから、短いわけにはいかない。実際には、場合に応じて、この曲集から何曲か演奏されただけかもしれないけど…。

で、そんな曲にいっちょ、まともに付き合ってみようと思って、全曲ぶっ通しで聴いているんである。こういう時に、CDのデータ化は威力を発揮する。自然とディスクチェンジしていくので、まったく違和感なく次の曲、次の曲と進んで行ってくれる。複数のCDをセットできるCDプレイヤーだって、交換するときは少し間が開く。

それにしても…終わんねー。いくら長い曲に慣れているクラヲタでも、4時間オーバーは長い。おいらは、それほどバロック慣れをしているクラヲタじゃないし。しかし、退屈と言うことはない。交響曲のように脈絡のあるものじゃないので、それが逆にいいのかも。テレマンの色んな曲を聴いていると思えばいいのだ。

演奏は、ゲーベル&ムジカ・アンティクヮ・ケルン。ゲーベルは最近よくお世話になる演奏家だ。バロックをまったく退屈感なく聴かせてくれる、古楽器の名演奏家だ。ムジカ・アンティクヮ・ケルンは、残念ながらリーダのゲーベルの惜しい事情で解散してしまったが、長らく古楽の都ケルンを支えてきた楽団だ。

ターフェル・ムジークでも、彼らの切れ味の良い演奏は素晴らしく、楽しく聴かせてくれる。食卓の音楽と言う曲名の通り、バックミュージック、サロンミュージック的な印象も拭いきれないターフェル・ムジークだが、ここで聴く音楽はそんな退屈な印象とは程遠いものだ。低音もよく鳴り、鮮烈な音楽が鳴り響く。正にBGMの範疇を大いに逸脱した充実の音楽。曲により様々な楽器のソロが大変よく活躍する曲集だが、ヴァイオリンのゲーベルだけではなくその他の各ソリストの演奏も清々しく素晴らしい。こんな演奏、食卓で聴いたら…音楽に集中しちゃって、食事の味見れない…(笑)。

この素敵なCDが最近出たコレクターズ・エディションで何と2,000円台で買える。ワォ!これはお買い得。間違いなくお勧めできる名盤。

 
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ぼんやり日曜日。ふらっと秋葉原。外国人観光客が写真パシャパシャ。あー、おいら、どんだけ外国人観光客の思いでのひとコマになってるんだろなー。A-Boyちっくな格好して行った方がいいのか。せっかくの思い出のひとコマなんだし。つっても、最近、いかにもな人ってそんなに多くないような気が…。

さて、今日は石丸でレイチェル・ポッジャーのヴィヴァルディを買って、家帰ってひたすら聴いている。ポーランドのアルテ・デイ・スォナトーリと言う古楽器の合奏団との共演。ヴィヴァルディのCDはピリオド演奏ばかりが増えていく。今更、モダン楽器での録音なんてそんなに多くはない。イ・ムジチこそ、ヴィヴァルディの権威だった時代は、遠い過去へ。一時期は、『四季』をフィリップスに録音しまくっていたけど、最近は全くきかない。日本でも流行っていたんだけどなぁ。

しかし、一般人からすれば、あのイ・ムジチの優雅なスタイルこそが、高尚な貴族音楽であるバロックを代表するヴィヴァルディ像(後世の人によって歪められたものだと思う)なわけで、お上品に嗜みたい人には、ピリオド演奏は向かない。もちろん、バロックの頃演奏されていた本当の姿はピリオドの方が正しいんだけど…。

で、ポッジャー盤に話を戻そう。曲目は協奏曲集“ラ・ストラヴァガンツァ”。12曲からなっていて、CD2枚を要する。ヴィヴァルディらしい軽快なリズムに乗ってポッジャーとその仲間たちが生き生きと駆け回る。と言って、ヴィオンディのように挑発的なものではなくって、より爽やかに楽しくヴィヴァルディを歌いあげていく。それでも、優雅なモダン楽器を聴きなれた人には少し刺激的かもしれない。ピリオド演奏だからにして、結構切れ味鋭いしね。でも、ピリオド演奏には慣れていった方が、ヴィヴァルディは絶対に楽しめる。モダンの優雅な演奏は、おいらはすでに退屈に感じちゃう方だ。聴いていてワクワクするヴィヴァルディ、カッコいいな!って感嘆するヴィヴァルディはピリオド演奏のヴィヴァルディ。ポッジャーの演奏もそんなヴィヴァルディの一つだ。

これが今ならチャンネルクラシックス創立20周年記念盤とかで、2枚組1,000円台半ばで買えてしまう。とてつもなくお買い得。買って損はないCDだ。

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「クラシックを聴きます。いや、クラヲタです」―おいらは、クラヲタを隠さないんだが、一見お堅いと思われている某新聞社の発行する雑誌のホームページに、「クラシックを聴くと言うとクラシックを全く聴かない人からは、「お高くとまっている」と思われるし、マニアからは「何も知らないくせに」と軽蔑される」と言うようなことが書いてあった。んな、馬鹿な。クラシックを全く聴かない人の事情は知らない。おいらは結構聴く人だから。でも、無邪気に「好きな音楽はクラシックです!」と言われて、たとえ、おいらより全然知識がなくたって、おいらは嬉しい。ゴビ砂漠を放浪していて、オアシスを見つけたくらい嬉しい。少し話したくなる。軽蔑するなんて、どんだけ性格歪んでいるんだよ…。おいらだって、知識的にはまだまだだと思っているから、こういう人がいたら嫌だな、と思う。こんなこと有名新聞社の名前を負って書かないで欲しいもんだ。ますますクラヲタのイメージ悪くなるじゃないか。

もっとも、鼻に付く感じで「クラシックしか聴きませんの。他の音楽は私様の耳には合いませんの」と言われると、ちょっといじめたくなる。返り討ちにあったとしても…だ。

ところで、クラヲタ以外で、好きな音楽はクラシックだと言う人に好きな作曲家いますか?と聞くと、ショパン若しくは、モーツァルトと返ってくることが多い。ショパンは、まぁ、全く聴かないこともないんだが、あんま得意な作曲家ではないので、適当に合わせるだけになる。しかし、モーツァルトとなるとそう言うわけにはいかない。啓蒙活動を始めようとしてしまう。ヲタクの悲しき性質だな(汗)。とは言え、せっかく、モーツァルトに興味があるんならもっと知って欲しいと思うのだ。それが、のだめの影響でクラシックに少し興味を持っただけで、勢いでモーツァルトと言ってしまったとしても。

そんなわけで、一般人にも大変人気のある作曲家モーツァルト。レコード、CDの売上枚数もモーツァルトに勝てるアーティストはどのジャンルにもいないと言う。しかし、だ。最近ふと思うんだけれども、モーツァルト人気は、ホントにモーツァルト個人に対するものなのだろうか。

どういうことかと言うと、モーツァルトが好かれているのか、それとも古典派の代表的作曲家としてのモーツァルトが好かれているのか、と言うことである。もちろん、マニア以外でモーツァルトが好きだと言う人は、古典派がどうのと言うことは関心がない。また、、古典派でモーツァルト以外の作曲家なんて聴いたことがないのが普通だと思う。それは、意識がないにせよ古典派のすべてがモーツァルトになっちゃっていると言うことだ。ハイドンだって有名だけど、あの人、結構聴かれていないんだよね…。

と言うことは、若しかするとモーツァルトって言うか、古典派様式が実は人気なんじゃないか?と言う仮説もあっていいと思うのだ。これ、古典派の音楽をしばらく聞いていて湧き上がってきたものなのだ。

確かに、モーツァルトは古典派の作曲家の中で、図抜けて凄い音楽を書いた人だ。軽い古典派音楽を蔑視した19世紀の西洋音楽界においても、多少軽んじられた時代があったとは言え、延々と演奏され続け今日に至っている。ロマン派の面々も脱帽した数少ない古典派の作曲家なのである。しかし、モーツァルト以外の古典派の作曲家は偉大なるロマン派の大先生方の偉大なる音楽によって掃討されてしまった。聴くに値しない軽い音楽として。

でも、モーツァルトの音楽様式って間違いなく古典派そのもの。バロックの中でJ.S.バッハがちょっと特異な存在だったのとは違う。モーツァルトはバリバリの古典派作曲家。だから、ほかの古典派の作曲家の作品を聴いているとモーツァルトに似た響きを聴くことは多々ある。特にミズリヴェチェクやJ.C.バッハなんて、「これ、実はモーツァルトが若い頃に書いた作品なんですよ。最近見つかったんです」なんて言われたら、大抵のクラヲタは信じてしまうだろう。

マニアじゃなければ、なおさらである。と、言うことで、もっと古典派の作品が広く聴かれるようなると、モーツァルトの評価もまた少し変わるような気がする。決して、評価が下がるんじゃなくて、「古典派の中の一人の作曲家」として、よりモーツァルトの個性に光が当たるんじゃないだろうか。そして、古典派の曲には駄作も山盛りだが屈託のない明朗な響きに魅了される人も多いのではないだろうか。


そんなこんなで、面白い取り組みをしている1枚のCDを紹介しよう。

ラインハルト・ゲーベル指揮バイエルン室内フィルハーモニーによる「イタリアのモーツァルト」というCDだ。モーツァルトのイタリア時代にスポットライトを当てて、その頃関係した作曲家たちの作品とモーツァルトの作品を収めたもの。

モーツァルトが古典派の中にすっぽりはまっていたことがよくわかる1枚だ。もちろん、その輝かしい才能は明白だけれども、モーツァルトだって、色んな作曲家の影響を受けていたのだ。

中でも、注目したいのがトーマス・リンリー。モーツァルトと同じ年に生まれたイギリスの作曲家で、モーツァルトがイタリアに滞在していたとき、やはり天才少年として、リンリーもイタリアに滞在していた。モーツァルトとリンリーはすぐに仲良くなり、別れ際には涙を流したという。残念ながら、リンリーは22歳と言う若さで没してしまい、モーツァルトのように後世に名を残す作曲家にはなれなかった。しかし、若いモーツァルトとリンリーの短いながら深い交流はお互いの音楽に少なからぬ影響を及ぼしたのではないだろうか。

このCDで聴けるのはヴァイオリン協奏曲1曲のみだが、技巧的ながら流麗で小気味のいい響きから、モーツァルトの響きに通じるものはないか、探りながら聴いてみるのも一興だと思う。

ちなみに、ゲーベルはこのほかに「パリのモーツァルト」というCDも出しているので、セットで買うのが吉。共に素敵な演奏だ。ゲーベル、ムジカ・アンティクヮ解散しちゃったのは残念だけど、こういう面白い企画を続けてくれるとありがたいなぁ。

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折角、生の演奏で聴くことができたんだから…と言うことで、アーノンクールのモーツァルトのポストホルン・セレナードを買ってみた。お買い得感溢れる、安心の廉価盤、ワーナー・クラシックス・ベスト50モア。国内盤でたったの¥1,000。ワォ!って、ホントは全然驚かない。当たり前化しちゃっている今日この頃。ドイツ・グラモフォンが国内盤で¥1,000盤を出して、話題を呼んだ頃が懐かしい。今更感たっぷりの古い録音ばかりで、安っぽいジャケットだったが、それでも結構凄いことだった。それが、このワーナー・クラシックス・ベスト50モアが出てからも8年が経っている。消費者的には良い状況なんだが、レーベルには潰れないでほしい…。

さて、それはともかく、ポストホルン・セレナードである。CDは、手兵コンツェントゥス・ムジクスではなくて、世界最古の楽団シュターツカペレ・ドレスデンを起用。先日の演奏会に比べると、正直、大人しい演奏だ。手兵の方が好き勝手にアーノンクール節を炸裂できるのだろうか。とは言え、ところどころアゴーギクに仕掛けてくる様は素晴らしかった演奏会を思い出させてくれる。確かに、こんなことやっていたな、とか、この響きは楽しかったな、とか。また聴きたいなぁ…つっても、もう、ウィーンに行くしか…。

そう言えば、コンツェントゥス・ムジクスとは、ちょっと前に、モーツァルトの初期交響曲集を録音していた。これはどうなんだろう?でも、ちと高いんだよなー。どっかで安くして売ってないかな。はっ!やっぱ、廉価盤に慣れ過ぎちゃっているな、おいら。素晴らしいものにはそれなりの対価を払おう。


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ガーンジーと言う島を知っているだろうか?おいらは全く知らなかった。場所は、インド…ではなくって、フランスとイギリスの間の海峡に浮かぶチャネル諸島のひとつである。極めてフランスよりにあって、他のチャネル諸島の幾つかの島と併せてガーンジーと言う地域を構成している。このガーンジー、フランスに近いもののイギリス領的な位置付けである。厳密に言うとイギリス王室属領。グレートブリテン及び北アイルランド連合王国には含まれない。イギリス議会の干渉も受けず独自に議会と政府を持っている。と言って、植民地ではない。なんだかよく判らない。なんで、こんな複雑な立場の地域があるのか。いーじゃん、イギリスで。とか言うとまた戦いが始まるので言ってはいけない。ちなみに、チャンネル諸島には、ジャージーと言うやはりイギリス王室属領の地域がある。ここを発祥とする牛がジャージー牛乳で有名なジャージー種だそうだ。あと、ジャージ、あの衣類のジャージはここの漁師さんが着ていたものだそうだ。

…と、ここまではネットサーフィン、いや、主にWikipediaで入手した俄か知識。で、なんでこんなヨーロッパ・マニアっぽいことを調べたかと言うと、やっぱり元ネタは音楽なんである。

えっと…それは、ちょっと前に石丸で見つけて衝動買い(ジャケ買い、タイトル買い(?)とも…)した、“海で働く人びと”と言うCDである。副題に、“小さな島の古い歌”とあるんだけど、その小さな島がガーンジー島なのだ。ガーンジー島には、独自の伝承曲がたくさんあって、それを集めて収録した1枚。

演奏は、古楽におけるハーピストとしては圧倒的な知名度を持つアンドルー・ローレンス=キングと彼が率いるザ・ハープ・コンソート。これにソプラノのクララ・サナブラス、更にはバリトンのポール・ヒリアーも加わっちゃっている何気に豪華な陣容。

で、何でこんなマニアックな企画をしたかと言うと、ローレンス=キングがガーンジーの出身だから。タイトルの“海で働く人びと”はかつてこの地に亡命していた文豪ヴィクトル・ユゴーの小説から持ってきたもの。ユゴーはここで“海で働く人びと”“レ・ミゼラブル”などを執筆したそうだ。

さて、演奏なんだけれども、これが実に朴訥としたのどかな響きが溢れていて、心安らぐもの。海で働いている人たちの音楽だから、本来はもっと荒々しく歌われていたのかもしれないが、ローレンス=キングのハープに乗って歌われる歌は、見事に哀愁溢れる、誰もが心地よく楽しめるものに仕上がっている。かと言って、変に洗練され過ぎて本来の味わいを失っていると言うこともないようだ。北の海に浮かぶ寂しい孤島の一幅の風景画が頭に思い浮かぶような音楽だ。冷たい風に吹かれて、丘の上から遠く港を行き来する数隻の漁船を眺めながら、聴きたい音楽(その状況つくり出すの難しいな…)。

ちなみに、レーベルはハルモニア・ムンディ・フランス。ガーンジーって、やっぱフランスの影響が強いのかなぁ~。とか思うものの、実はアメリカ・プロダクション(笑)。


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音楽と政治を結びつけるのは、一見危険であるものの、その危うさが緊迫した状況を生み出し、素晴らしいものが出来上がることがある。綺麗事を言えば、音楽が政治に翻弄されるのは悲しいようにも見えるが、モーツァルト、いや、タリス、ジェズアルド…あるいはそれよりもずっと昔から、政治と音楽は密接に絡み合ってきて、その中で至高の音楽が生まれていった。それは露骨に時の為政者と繋がっていることもあれば、世情の変化による影響のこともある。

20世紀に入ってからは、録音が盛んになり、その結果、そうした音楽と政治の結びつきが、「音」として後世に残るようになった。有名なものでは、クーベリックのチェコ復帰コンサート、アンチェルの亡命直前のプラハでのコンサート、バーンスタインがベルリンの壁崩壊後に各国のオーケストラを集めて演奏したベートーヴェンの交響曲第9番、戦犯に問われたフルトヴェングラーのベルリン復帰コンサート、ラインスドルフのJ.F.ケネディ大統領追悼コンサート(ミサ…かな?)などがパッと頭に浮かぶ。

で、これがまた、名演揃いなのだ。聴き手の感情移入、先入観的なものも多分にあるだろうが、それ以上に演奏家の方も多分の感情移入があるはずだ。

さて、クラヲタを続けて10余年、まったく気付かなかった、政治曰くつき名演を先日、購入。フルトヴェングラー&ウィーン・フィルによるフランク、1945年1月28日、若しくは29日のムジークフェラインでのライヴ録音である。

この演奏会の前後のフルトヴェングラーの活動状況を簡単に書いてみよう。

1945年1月22日、23日にベルリン国立歌劇場でベルリン・フィルを振ってモーツァルトの『魔笛』序曲、交響曲第40番、ブラームスの交響曲第1番を演奏。23日のコンサートでは、連合国軍の空襲により演奏が一時中断されると言う状況に陥っている。これが戦時下のベルリンでの最後の演奏会になる。2月4、5日にもベルリンでのコンサートが予定されていたが、これをキャンセルし、フルトヴェングラーは、スイスへの亡命の旅に出る。

そして、1月27、28、29日にムジークフェラインでウィーン・フィルを振って、ブラームスの交響曲第2番とフランクの交響曲を演奏。このウィーンでのコンサートがナチス政権下での最後の演奏となる(ちなみに、1月27日にアスシュビッツが解放されている)。この直後、スイスに亡命。2月12日にローザンヌでスイス・ロマンド管、更に2月23日にスイスのヴィンタートゥールのオーケストラを振ったが、これが戦時下での演奏活動の最後となる。2月20、25日にもチューリッヒ・トーンハレ管を振る予定があったが、これはキャンセルになっている。

その後、戦時中のナチスへの協力から演奏禁止処分を受けるものの、メニューイン等の尽力もあって、1947年4月6日ローマで聖チェチーリア音楽院管を振って復帰。そして、5月25日に伝説的なベルリン・フィル復帰コンサートが開かれた…。

実際には、フルトヴェングラーはナチスに協力したと言うより、ドイツに残ってナチスと闘っていたと言った方が正しく、よくまぁ、無事でいたもんだと思わせるようなことばかりしていた。ナチスもフルトヴェングラーに手を出すことのリスクを承知していたのかもしれない。結局、ナチスの敗北が決定的になるまでドイツ国内に留まって活動をしていたのだが、それが逆に戦後2年間のブランクを作ることになってしまったのである。これはこれで、連合国のミスジャッジもいいところだが…。

あ、簡単じゃなくなった(汗)。ヲタなので許してもらおう(自分勝手)。

さて、フランクだが、ナチス政権下最後の演奏会と言うことで、凄まじい緊迫感が漂っている。もはや、フランクではない。1楽章の最後なんて聴いていて、硬直してしまう。心臓バグバグ…。終楽章も容赦ない。超ドラマチック。おどろおどろしいが、これほどの魂の咆哮は…聴いていてしんどい。1953年のデッカ盤と比べると、もう全然違う。よりフランクらしいのはデッカ盤かもしれないが、よりフルトヴェングラーらしいのは、1945年盤だ。そして、よりフランクの持ち味を活かした演奏と言うのはフルトヴェングラーじゃなくてもいいと思うので、おいら的には1945年盤に軍配。「フルトヴェングラーらしいんだったら、ドイツものでいいんじゃね?」と言われると返す言葉もないが…。

まぁ、とにかく、こんな凄いフランクの交響曲は聴いたことないし、今後も出てくることはないだろう。戦時下故に出てきた演奏であるならば、今後こんな演奏がされることのないようにしてほしいものだけれども。

で、このライヴ音源、現役盤で何種類かリマスタ違いが出ているんだが、おいらの買ったのはGreen Door盤。2楽章冒頭に欠落があるとされていて、それが直っているのかどうか…まぁ、2楽章冒頭は飛ぶことは飛ぶ。ただ、指摘されている欠落がもっと大規模なものだとすれば修正されているのかも。全体的には音質は上々。鑑賞には全く支障がないし、演奏の凄まじさも十分に伝わってくる。戦時下、それも、敵軍が迫る中での敗軍の都市での演奏と言うことを考えれば、満足過ぎるほどの出来。ナチスの科学力の成果なのだろうか?

なお、カップリングはブラームスの交響曲第2番。つっても、フランクと同日に演奏されたものではなくって、1948年3月にスタジオ収録されたロンドン・フィルとの演奏。こちらも良好な音質。早めのテンポが爽快な名演奏である。


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西洋音楽1,000年を聴く!ってのが、最近のおいらの音楽趣味の傾向になってきた。つっても、1,000年間の音楽を万遍なく掘り下げて聴くことは不可能だから、こういう聴き方をすると浅く広いものになってしまう。とりあえず、これまでは19世紀ロマン派以降に重点があった傾向を、最近はもっぱら18世紀以前に傾斜して聴いていた。そうして、聴く幅を広げてきたと言えば、カッコいいんだが、まぁ、古楽がマイブームだったってだけなんだな。最近は、古楽ブームから外れて、古楽はレギュラー・アイテムになってきた。

この間、ロマン派以降の未知の作曲家の発掘はあまり進まなかったわけだが、最近、久しぶりに国民楽派の未知の作曲家に出会うことができた。それが、ヨハン・ハルヴォルセン。ノルウェーの作曲家だ。その道ではメジャーなのだろうか?ノルウェーの作曲家と言えば、グリーグとスヴェンセンが圧倒的にメジャーで、その他の作曲家なんているとも思っていなかった(ごめんなさい、オスロ)。北欧と言えば、なんつっても、スウェーデンが音楽的最強国だと思っていたし…。

で、このハルヴォルセンと言う作曲家、何者かと言うと、グリーグの姪と結婚していることからも想像が付く通り、ベタベタの北欧国民主義の作曲家である。超ナショナリズム。ってことで、おいらが買ったのは、北欧のマイナー曲を発掘するのが大好きなネーメ・ヤルヴィの振った1枚である。これを石丸で見つけて衝動的に買ってしまったのだ…。オーケストラはベルゲン・フィル。キタエンコ、いたよね?一瞬ベルリン・フィルかと思うよね?ってくらいの認識のオーケストラだけど、こういうナショナリズムワッショイの曲には、ローカルで良い。ハルヴォルセンがコンサートマスターを務めていた楽団でもあるとのこと。ネーメ+ローカル楽団+シャンドス…面白そうな香りが漂ってきちゃうんだよなぁ。

さて、聴いてみると…「あれ?グリーグ…じゃないよね?あはは、スヴェンセンだって言ってるじゃん…あ、違った、ハルヴォなんとかか…」てな感じで思い切り戸惑った。プログラムにも、3つのノルウェー舞曲、ノルウェーの旋律と、グリーグっぽい曲名が並ぶ。解説によれば「グリーグの確立したノルウェーのナショナル・ロマンチシズムを発展…」とあるんだが…いや、まんま引き継いじゃっただけじゃないか?としか思えない。森と湖がごっそり現れる。とは言え、あのグリーグの独特のメランコリックなリリシズムも引き継いでいるので聴き心地は良い。グリーグをもっと聴きたいんだ!と言って、ネーメのグリーグ全集を買っても、まだ物足りない貪欲なまでに好奇心旺盛な人向け。いや、おいら、ネーメのグリーグ全集持っていないけど。あ、グリーグっぽいからにして、ネーメの指揮に文句はない。グリーグのスペシャリストだしね。メリハリの効いた力感あふれる好演。特に交響曲第2番『宿命』(これはちょっとグリーグの書きそうな音楽ではない)での力演は爽快。

ちなみに、おいらが買ったのは管弦楽作品集Vol.2なのでVol.1も出ているはず。折を見て収容しておこう。他のCDは…HMV検索してみたけど、さほど目ぼしいものはなかった、かな。


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「ひとくちに「古い音楽」と言っても、それは一枚岩の文化として十把一絡げに語れるものではありません。人はつい、ものごとを簡略化して、大雑把なレッテルのもとに分類してしまいたがるもの―今広く認められている分類整理のあり方の裏には、“世の中には実に様々な視点があって、雑然として整理など付くはずがない…”と言う現実が隠れていることをつい忘れてしまいがちなのではないでしょうか。」(ジャン・ポール・コンベ)

古楽器レーベル、アルファの主催者の言葉である。なるほど、例えば、クラシックと言うと、ごく狭い絞られた音楽だと言う誤解が世の中に蔓延している。ルネサンス音楽も、新古典主義音楽も同じ“クラシック”と言う言葉で括って、分類する。暴挙である。

それはさておき、このアルファレーベルのCDに面白そうなものがあったので買ってみた。『デンマークの王宮、フレゼリクスボー城の音楽~クリスチャン4世の時代より~』と言うCD。「デンマーク?古楽的には辺境じゃね?」と思ったんだが、案外そうでもない。クリスチャン4世って、ダウランドを雇っていたこともある、音楽好きの王様だよ、ってなことを解説書で読めば、「あー、そう言えば、ダウランドって北欧の方で仕事していたな~」と思いだす。どうも、イギリスとデンマークは色々と関係あったらしく(詳細は割愛)、このCDのプログラムにもヒュームだのメイナードなど、聞いたことのある名前を散見することができる。ガーデ、ニールセンを待つまでもなくデンマークは結構音楽活動が盛んだったのかもしれない。

そんな、古き時代のデンマークのお城で響いていた音楽を再現したのが、このCDってわけだ。お城の音楽って言うと、王宮の花火のための音楽じゃないけど豪華絢爛に鳴り響く、貴族ちっくなものを思い浮かべるが、これは違う。クリスチャン4世の時代って言うのは、17世紀初頭の頃。モンテヴェルディがバロックの扉を開いたころではあるけれども、ダウランドやバードも健在でまだまだルネサンス色が濃かった時代だ。新しい音楽としてのバロックは、先進国イタリアからは大きく踏み出してはいなかった。

ここで聴く音楽も、ルネサンス音楽と言い切っていいもので、バロック音楽のように雄弁で表情の豊かなものではない。淡々と紡がれる音楽に、冷たいながらも純粋な美しさを感じさせる、あのルネサンスの響きが満載なのだ。こんな哀愁漂う音楽がお城で鳴り響いていたなんて…ドラマチックではないだろうか。古い絵巻物を眺めているような、古い物語を読んでいるような郷愁を感じさせるのだ。冒頭の引用じゃないが、王侯貴族の音楽と一口にいっても、こういうのもあるわけで、やっぱり古い王侯貴族の音楽としてひと括りにするのは無理がある。

演奏しているのは、レ・ウィッチーズと言う古楽の楽団。魔女たちと言う意味だ。クリスチャン4世の王宮の音楽とは、また、意欲的なプログラムを考えたものである。情緒ある美しい響きで、聴く者を17世紀初頭のその時代に連れて行ってくれる。魔法のように。収録場所はもちろんフレゼルクスボー城。行ってみたくなった…。

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そいえば、ルノー・カプソン&フランク・ブラレイのベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集を買った。全集じゃなくても…と言う買い方はできない。のっけから全集でリリース。全曲のマラソン・コンサートを2009年から2010年にかけてのシーズンで50回もやった挙句に一気呵成にスタジオ録音したらしい。素晴らしき暴挙である(笑)。何故そんなことをしなくてはいけなかったのか、本人たちにはそれなりの理由があったのだろうが、傍から見ると「す、すげぇな…」としか言いようがない。

因みに、録音も僅か4日間。まぁ、50回もやっているんだから、もう慣れたものだったのかもしれない。場所はスイスのラ・ショー=ド=フォン。室内楽の録音では時々聴く街だが、それ以外では全く知らない街。ウィキペディアによれば、スイス第3の街らしい。有名なのか。おいらが無知なだけなのか。

さて、この全集、まだ全部は聴いていないんだけど、まったくもって素晴らしい限り。カプソンのヴァイオリンは相も変わらず、精緻で美しい。ガリゴリ弾き荒さない。なのに、テンションは相変わらず高くって、燃焼度の高い演奏になってしまうのが実に妙なところだ。美麗と熱演は相反するところにいる、なんてのは、一見すると正論のように感じてしまうんだけれども、実はそんなことなくって、実は、同居することも可能なんだよ、ってやって見せちゃってくれている。美しさを求める人も、熱演を求める人も、十分満足できる逸品。

ちなみに、HMVの記事によれば、バッハの無伴奏をやる前にベートーヴェンのソナタをやっておきたかった、と言うことなので、そろそろ、録音されちゃうんじゃないだろうか、無伴奏。どんな、無伴奏になるか、とても楽しみなところだ。

無伴奏と言えば、そうそう、ハーンにも是非、全曲録音して貰いところだけれども、こちらはどうなんだろうか。

capucon-beethoven.jpg








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