音楽と政治を結びつけるのは、一見危険であるものの、その危うさが緊迫した状況を生み出し、素晴らしいものが出来上がることがある。綺麗事を言えば、音楽が政治に翻弄されるのは悲しいようにも見えるが、モーツァルト、いや、タリス、ジェズアルド…あるいはそれよりもずっと昔から、政治と音楽は密接に絡み合ってきて、その中で至高の音楽が生まれていった。それは露骨に時の為政者と繋がっていることもあれば、世情の変化による影響のこともある。
20世紀に入ってからは、録音が盛んになり、その結果、そうした音楽と政治の結びつきが、「音」として後世に残るようになった。有名なものでは、クーベリックのチェコ復帰コンサート、アンチェルの亡命直前のプラハでのコンサート、バーンスタインがベルリンの壁崩壊後に各国のオーケストラを集めて演奏したベートーヴェンの交響曲第9番、戦犯に問われたフルトヴェングラーのベルリン復帰コンサート、ラインスドルフのJ.F.ケネディ大統領追悼コンサート(ミサ…かな?)などがパッと頭に浮かぶ。
で、これがまた、名演揃いなのだ。聴き手の感情移入、先入観的なものも多分にあるだろうが、それ以上に演奏家の方も多分の感情移入があるはずだ。
さて、クラヲタを続けて10余年、まったく気付かなかった、政治曰くつき名演を先日、購入。フルトヴェングラー&ウィーン・フィルによるフランク、1945年1月28日、若しくは29日のムジークフェラインでのライヴ録音である。
この演奏会の前後のフルトヴェングラーの活動状況を簡単に書いてみよう。
1945年1月22日、23日にベルリン国立歌劇場でベルリン・フィルを振ってモーツァルトの『魔笛』序曲、交響曲第40番、ブラームスの交響曲第1番を演奏。23日のコンサートでは、連合国軍の空襲により演奏が一時中断されると言う状況に陥っている。これが戦時下のベルリンでの最後の演奏会になる。2月4、5日にもベルリンでのコンサートが予定されていたが、これをキャンセルし、フルトヴェングラーは、スイスへの亡命の旅に出る。
そして、1月27、28、29日にムジークフェラインでウィーン・フィルを振って、ブラームスの交響曲第2番とフランクの交響曲を演奏。このウィーンでのコンサートがナチス政権下での最後の演奏となる(ちなみに、1月27日にアスシュビッツが解放されている)。この直後、スイスに亡命。2月12日にローザンヌでスイス・ロマンド管、更に2月23日にスイスのヴィンタートゥールのオーケストラを振ったが、これが戦時下での演奏活動の最後となる。2月20、25日にもチューリッヒ・トーンハレ管を振る予定があったが、これはキャンセルになっている。
その後、戦時中のナチスへの協力から演奏禁止処分を受けるものの、メニューイン等の尽力もあって、1947年4月6日ローマで聖チェチーリア音楽院管を振って復帰。そして、5月25日に伝説的なベルリン・フィル復帰コンサートが開かれた…。
実際には、フルトヴェングラーはナチスに協力したと言うより、ドイツに残ってナチスと闘っていたと言った方が正しく、よくまぁ、無事でいたもんだと思わせるようなことばかりしていた。ナチスもフルトヴェングラーに手を出すことのリスクを承知していたのかもしれない。結局、ナチスの敗北が決定的になるまでドイツ国内に留まって活動をしていたのだが、それが逆に戦後2年間のブランクを作ることになってしまったのである。これはこれで、連合国のミスジャッジもいいところだが…。
あ、簡単じゃなくなった(汗)。ヲタなので許してもらおう(自分勝手)。
さて、フランクだが、ナチス政権下最後の演奏会と言うことで、凄まじい緊迫感が漂っている。もはや、フランクではない。1楽章の最後なんて聴いていて、硬直してしまう。心臓バグバグ…。終楽章も容赦ない。超ドラマチック。おどろおどろしいが、これほどの魂の咆哮は…聴いていてしんどい。1953年のデッカ盤と比べると、もう全然違う。よりフランクらしいのはデッカ盤かもしれないが、よりフルトヴェングラーらしいのは、1945年盤だ。そして、よりフランクの持ち味を活かした演奏と言うのはフルトヴェングラーじゃなくてもいいと思うので、おいら的には1945年盤に軍配。「フルトヴェングラーらしいんだったら、ドイツものでいいんじゃね?」と言われると返す言葉もないが…。
まぁ、とにかく、こんな凄いフランクの交響曲は聴いたことないし、今後も出てくることはないだろう。戦時下故に出てきた演奏であるならば、今後こんな演奏がされることのないようにしてほしいものだけれども。
で、このライヴ音源、現役盤で何種類かリマスタ違いが出ているんだが、おいらの買ったのはGreen Door盤。2楽章冒頭に欠落があるとされていて、それが直っているのかどうか…まぁ、2楽章冒頭は飛ぶことは飛ぶ。ただ、指摘されている欠落がもっと大規模なものだとすれば修正されているのかも。全体的には音質は上々。鑑賞には全く支障がないし、演奏の凄まじさも十分に伝わってくる。戦時下、それも、敵軍が迫る中での敗軍の都市での演奏と言うことを考えれば、満足過ぎるほどの出来。ナチスの科学力の成果なのだろうか?
なお、カップリングはブラームスの交響曲第2番。つっても、フランクと同日に演奏されたものではなくって、1948年3月にスタジオ収録されたロンドン・フィルとの演奏。こちらも良好な音質。早めのテンポが爽快な名演奏である。
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