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バラキレフの交響曲を聴いている。なんだか、懐かしい。だいぶ昔にハイローテンションで聴いていた曲だ。演奏は、スヴェトラーノフ&ロシア国立交響楽団、こればかり。いつの間にか聴かなくなっていたんだけど、CDのデータ化をしていて、気軽にクリックで聴けるようになったのでまた聴いている。

いつ聴いていたのか、具体的にはよく覚えていないけど、何となく、あるじゃんか、若い頃にロシア音楽にハマる時期って(ないか?)。ショスタコーヴィチとか、ロシア5人組とか言って喜んじゃう時期。軽く中2病臭がするんだけど、まぁ、そうなのもしれない。成熟したロシア音楽ファンと言うより若気の至り的な。大学の管弦楽団なんか、ショスタコーヴィチが“革命的”に持てはやされていたりする(うちだけだったのか)。ロシアの爆発的なパワーが若い血潮を湧き立たせるのだろう。おいらが、バラキレフに出会ったのはそんな頃だった。つっても、中学校からのクラヲタだったので、大学時代は、既に中2病的ロシア音楽への熱狂は生意気に卒業していて、「ふ、ショスタコーヴィチか…若いな」と冷めた目で見たいた。ものの見事に高2病。

このバラキレフはそんな10代の頃の青き記憶を蘇らせてくれる(あ、今でも十分青いんだけど。つか、最後まで青く生きていくつもりなんだけどね)。民族臭を容赦ないパワーで炸裂させたかと思うと、郷愁漂う美しいメロディが涙を誘う。感情の起伏が激しくって、躊躇しない音楽運びが若い心にストレートに訴えかけてくる。10代でヴォーン・ウィリアムズの田園交響曲とか聴いて、「ショスタコ?シンドイよ」とか言っていた痛々しいおいらも、こんな曲を好きで聴いていた。何となく、ホッとする。

もちろん、今、聴いてもこの曲は素敵に心を揺さぶってくる。ロシア民族交響曲とでもいいたくなるような、土臭い音楽だが、なかなかもって、馬鹿にしていては損な曲じゃないだろか。叫びたくなったら、今でもこの曲は有効だ。共にスピーカーの前でShout!!

ちなみに、スヴェトラーノフは2度録音があるけど、フィルハーモニア管弦楽団との新盤は大人しくって面白くない。Shoutするなら手兵の旧盤に限る。


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昨日のド・ラランドからフランス・バロックつながりと言うことで、ラモーの組曲『アカントとセフィーズ』、組曲『エベの祭典』を聴いている。ちょい前にタワーレコードで、Glossaレーベルのセールをやっていたので試しに買ってみたもの。演奏はブリュッヘン&18世紀オーケストラ。おいらは度量が狭いので18世紀オーケストラが18世紀以外の時代の曲を演奏していると「なんでだよ!」と突っ込みたくなるが、ラモーはバリバリの18世紀音楽。モーツァルトが生まれてからもしばらくは生きていたくらい。

さて、曲なんだが、何とも楽しい。他のフランス・バロックの作曲家同様、ラモーはこれまで全く聴いてこなくって、強いて言えば、ドビュッシーのピアノ曲に「ラモーを讃えて」っつうのがあったなぁ、ってくらいのイメージの作曲家だった。そのせいで、ラモーに持っていたイメージって印象派ちっくなものだった。バロックの作曲家が印象派っぽい曲なんて、考えてみりゃ、ありえない話なんだけど。それが、いざ、興味を持って聴いてみると何とも、明るいバロック音楽。頭を抱えて深刻に悩みたいドイツ・ロマン派から見たら、表面的でバカバカしい音楽。それが許せるなら、ノリよく楽しめばいい。正に音“楽”。「さぁ、楽しい音楽の時間です!」と言うならこういう音楽じゃないと。

もちろん、バロックつっても、フランス・バロックはイタリアやドイツのそれとはまた一味違う。『アカントとセフィーズ』序曲や『エベの祭典』ロンド風のタンブランのようなドンチャン騒ぎは、ヴィヴァルディやJ.S.バッハでは絶対出てきそうにない発想だ。むしろ、ジュスマイヤーのトルコ交響曲を思い出してしまった…。

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チェコの音楽が好きである。つうことで、ってわけじゃないけど、最近気になる作曲家の1人がビーバー。ビーバーと言ってもあのネズミっぽい…あ、このネタは以前にも使ったか…汗。出身地はチェコになるんだけど、中期バロック音楽に強烈なチェコ色はない。チェコらしさを求めるならば、国民楽派の台頭を待たねばならないだろう。ビーバーの活躍した時代から、150年ほどの時間を待たなければならない。そんなわけで、ビーバーはチェコの作曲家と言うよりは、ざっくり、ドイツ系バロック音楽の作曲家。

今回の購入したのはロザリオ・ソナタ集。一番の有名曲じゃないだろか。ヴァイオリンを習っている身としては、真っ先に購入するべきビーバーの曲である。演奏は、アンドルー・マンゼ&リチャード・エガー。無難そうと言うことでファースト・チョイスに選んでみた。

で、聴いてみて、これは凄いと思った。J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータが作曲されるずっと前にこんな作品があったとは…。ビーバー自身、ヴァイオリンの技巧に優れ、ヴァイオリン作品に定評があるが、なるほど、この時代に、これほどのヴァイオリン曲を作曲するとは凄い。この時代は、王侯貴族向けの曲が多く、割とノウテンキと言うか、軽快な作品が多くって、例えば、ビーバーの作品でも技巧的で楽しい合奏音楽もどちらかと言うと聴いていて心地よいノリがあったと思う(まぁ、タイトルからして何のそれだ)。ところが、このロザリオ・ソナタ集はどうだろう。味わい深い美しさ、ヴァイオリンの美しさをとことん魅せつけてくれる技巧の数々。音楽の深さ…と言うのは曖昧な表現だが、「バロックなんて、同じメロディの繰り返しで単調。J.S.バッハ以外は聴く価値もない」と思っているとロザリオ・ソナタ集でガツンとやられてしまうだろう。もちろん、おいらのような古楽に惹かれつつ人間にも衝撃を受けてしまうような作品だ。

編成は、ヴァイオリンとチェンバロ若しくはオルガンという組み合わせ。主役はあくまでヴァイオリン。チェンバロ、オルガンは通奏低音。オルガンが轟音を立てて鳴りまくることはない(笑)。通奏低音なので、演奏によっては色々な楽器が使われるみたいだけど、それは演奏者の解釈次第。マンゼ盤はチェンバロとオルガンを選んだってだけだ。

なお、ロザリオのタイトルの通り、この曲は宗教的な意味合いがあって各曲のタイトルに信仰的な言葉が並んでいるんだけど、ま、あんま気にすることはないと思う。ただ、残響の長い教会で演奏すると引き立つ曲ではあるんだろなぁ。

ロマン派のヴァイオリン・ソナタばかりじゃなくて、こういうのもいいなぁ。いや、良すぎるかも。もっといろんな演奏を聴いてみたい…と思ったところ早速、ゲーベル盤は廃盤だな…涙。


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「TVで言っていた」

魔法の言葉である。びっくりするようなニュースや、これまで常識だと思っていたことを覆される情報を得て信じられないと言う顔をされたら、この言葉を告げると、あっつう間に疑念は絶対的真実に変化する。この魔法が、より強くかかる場合、現実すら否定してしまうようになる。例えば、TVで「黒」と言う情報を得たとする。しかし、実際は「白」で、現実に「白」を見せられても、どこかに「黒」があるはずだ、いや、「白」に見えるが実は「黒」なのだ、とまで思い込むようになる。そうして、なかなか「白」と言う事実を受け入れられない。TVで言っていたことこそ真実なのである。まぁ、この魔法が通じない邪教徒もいるが、そう言うやつは、「あいつは変な奴だ」で済ませればよい。

まぁ、そんなわけで、とりあえず、「TVで言っていた」と言っておけば、なんでも信じてもらえる。おいらは今後、この魔法を濫用することにする。

さて、話は変わって。今日、エイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団のヴィヴァルディの協奏曲集を買ってきた。いつものように、データ化してPCに保存して、ほかのCDから順に聴いていた。で、次、このCDを聴こう、と再生したとたん、びっくりした。音質があまりにも素晴らしいのだ。楽器の一つ一つが実に鮮明に浮かび上がってくる。素晴らしい音楽の空間。目を瞑れば、そこは演奏会場だ。と、一瞬で思い出す。そうだった、これLINNのCDだった、と。マジでここのCDは半端なく音が良い。おいらのような、オーディオ素人でもすぐに、「あ、違う」と判ってしまう。確か、以前、TVでも言っていた。

まぁ、古楽ではドメジャーな楽団で演奏も最高に素晴らしいのだが、このCDはこの録音があってこそのものである。いや、それはエイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団に対して失礼なんだが、それくらいの価値があると思うのだ。以前、テレビで激讃されていた、マッケラスのモーツァルトの後期交響曲集も、その評価の高さはLINNの録音によるところが大きい。オーケストラでもその真価は存分に発揮されるが、小編成のバロック音楽でも魅力は十分。いや、むしろ、バロック音楽こそLINNで聴きたい!かもしれない。ちなみに、LINNのCDはバロック音楽が多い。

え?上記の文で「TVで…」と言うのはホントかって?嘘。ごめんなさい。TVがこんなん取り上げるはずないよね…。


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『遠くからの愛~愛と喪失の中世の歌~』と言う乙女チックなタイトルのCDを買った。ジャケットのデザインは、釘でハート型に形どられた薄ピンクの毛糸の写真。右の一端が千切れていて、喪失をさり気なくあらわしているものの、とってもラヴリー。とってもキュート。大の男が、がっつり掴んでレジに持っていくには少し気恥ずかしいような気すらする。とは言え、このラヴリーなジャケットに釣られて、女の子にお勧めしようなんて思ってはいけない。中身は、オクシタニアとスペインの宮廷や村などでトルバドゥール、トルヴェールたちが歌った「中世の歌」。ラヴリーさの欠片も感じない。ガチヲタ向け。

つっても、トルバドゥール、トルヴェール…要するに吟遊詩人たちの歌っていた歌は、いわゆる世俗歌。がっつり構えて聴く必要はない。まぁ、ガチヲタじゃない人がこのCDに辿りつくことがあるかどうかは知らないが…。

演奏は、アンサンブル・ジル・バンショワと言う団体。バンショワと言うくらいなんだから、中世の音楽がレパートリーの団体なのだろう。1曲目のクァンタス・サベデス・アマル、アミーゴのぞくぞくする様なエキゾチックな古雅な響きからずずいと吟遊詩人のサウンドに引き込ませてくれる。美しい。続く、2曲以降のプログラミングも見事…なのだろう。中世音楽にそれほど慣れていないおいらにも、飽かずに、あっという間に集中して1枚のCDを聴き切らせてくれる。このジャンルでは名の知られた楽団だそうだが、なるほど、演奏も素晴らしい。

ところで中世の音楽はバロック以降の多感で表情の豊かな音楽に比べると、やや能面のような冷たさがあるのは否めない。しかし、その一見無愛想な音楽が放つ響きの魅力には抗いがたいものがある。淡々とした飾らない表現が、率直に心に訴えかけてくるのだろうか。そうした魅力もこのCDは確りと表現してくれている。

…って、これ、クラヲタが聴かなければ「民族音楽…だよね?」と言われそうである。まぁ、世の中の多くの向きは、ジャンル分けをはっきりとさせたがる傾向があって、「これはクラシック」「これはポップス」と、はっきり区別するんだが、実はそう言う線引きと言うのは非常に難しい。敢えて行おうとすれば、残念ながら、どこかしらで誤解を招くものになってしまうだろう。

で、中世音楽なんだが、これは確かに西洋民俗音楽である。つか、クラシックと呼ばれている有象無象の音楽全般が西洋民俗音楽なんである。で、このクラシック、特にロマン派の手法は、今日のポップスまで繋がっていく。これは詳細は語るのがめんどいから割愛するが、西洋音楽史と言う大きな視点で眺めれば、ジャンル分けと言うのは便宜上あるものの、大した意味はないのだと理解することができる。我々は西洋民俗音楽に“世界征服”されてしまったのである。諦めて、その原点、中世音楽を聴いてみよう!

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¥高€安が止まらない。びつくりするほどなんだけど、まったく円高還元セールがない。前に円高になった時は石丸なんかで輸入盤のセールを大々的にやっていたんだけど、昨今はどうしちゃったのか。そこでふと思い出したのが、ベルリン・フィルのデジタル・コンサート・ホール。今申し込むと、とってもお得。今年の初めころは、20,000円近かったのが、今は、16,000円を切りそうだ。4,000円もお得になるんじゃ、今入るに限る。どうしようのう…。悩みどころだ。

まぁ、個人の趣味的には、そんな事情があるんだけど、日本経済的には、ちとヤバいよなぁ…。

さてさて、話は変わって。最近、古楽にはまっているおいらだが、なぜか、モンテヴェルディには重きを置かないできた。それじゃぁ、ダメだって判ってはいたんだけど。ルネサンス音楽の先駆者デュ・ファイ、ダンスタブル、ロマン派の先駆者ベートーヴェンと同じようにバロック音楽の先駆者であるモンテヴェルディは音楽史上とっても重要な人物だ(そういや、デュファイやダンスタブルも聴いてないな(汗))。だから、モンテヴェルディを聴かずにバロックを知った風をしてはいけないのだ(多分)。ちなみに、J.S.バッハは、バロックでは特異だから、J.S.バッハ知らずしてバロックを語るのはありだと思う。

と言うわけで、モンテヴェルディを聴く。もちろん、超有名曲『聖母マリアの夕べの祈り』から…と言いたいところだが、まずは、『音楽のたわむれ』を選んでみた。9巻あるマドリガル集の合間に編まれたもの。まぁ、マドリガル集番外編みたいなもんである。

マドリガルはルネサンス期に流行した音楽様式で、この曲集を聴いても、バロックの香りはあまり感じられない。むしろ、ルネサンス、例えば、ダウランドなんかと似た響きを感じてしまったりする。しかし、ルネサンス期の音楽よりもモンテヴェルディのマドリガルには、迸る感情を感じることができる。ルネサンス期の宗教音楽のようにひたすら清澄にして美しい音楽とは、全然違うものだ。そこに、後のヴィヴァルディ等バロックのビッグネームに繋がっていくものがあるのだろう。

…とか、面倒なことを考えなくても、なかなか楽しい曲集である。中には、「おや、どこかのCDにも似た旋律の曲があったな」と言うものも。今みたいに著作権がギチギチの時代ではないので、お気に入りのメロディは自分なりに編集して使うことは多々あった。つか、中世音楽なんて、ほとんどグレゴリオ聖歌のパロディだしな~。そう考えると、今の基準では古典派ぐらいまでの作曲家は盗作だらけの悪いやつ、三流作曲家ばかりになってしまうな(笑)。

演奏者は、ジャン=マルク・エメ指揮するコンチェルト・ソアーヴェと言う楽団にソプラノのマリア・クリスティーナ・キール、バスのステファン・マクラウドが歌をつけたもの。感情的にならない明るい演奏が爽快で好印象。モンテヴェルディ入門には正解…かな?

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うわ~っちぃー。夕方から、チャリンコで散策したら隅田川の花火でも観れるんじゃないかと、考えてみたものの、クーラーの魅惑に足止めされちゃって、考えただけで終了。まぁ、そうなるとは思っていたけどさ。明日は、近所の花火大会。たぶん行かない。去年はよく頑張って行ったもんだ…。

暑い暑いってんで、クーラーの効いた部屋で音楽のながら鑑賞。「音楽には真摯に向かい合い、何かしながら聴くなんてとんでもない!」と言う、お勉強型リスナーじゃないから気にしない。音“楽”だしね。いまは、スーク&アンチェル、チェコ・フィルでドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲を聴いている。

でも、今日、一番聴いたのはビーバーのザルツブルク大聖堂ミサ曲ってやつ。3回くらいは聴いた。この曲、19世紀末に発見されて、しばらくは、ほかの人の作品だと思われていたらしいのが、よくよく調べてみたらビーバーの作品だった…って、まぁ、よくあるよねぇ、このテの話。実は、別の作曲家の作品だった、なんて話は、ほかにもありそうだ。事実は、永遠に闇の中になっちゃうのも多いだろうけど。疑いだしたらきりがない。モーツァルトの交響曲第25番、実はミズリヴェチェクの作品なのだよ…とか、言われたら信じる。

とは言え、ザルツブルク大聖堂ミサ曲の場合、ザルツブルク布教1,100周年の祝典のために書かれた作品だと言うので、当時は大々的な催しがなされたはず。それが忘れられちゃうって言うのは…時間と言うのは恐ろしいものだ。

んで、曲の方なんだが、これが随分と豪勢なのだ。ビーバーっつうと、ネズミっぽい例のあの生物を思い浮かべちゃって、なんか凄い曲を書きそうなイメージがないんだが、それは変な思い込み。53の声部からなるこの壮麗な曲は、教会で聴いたら圧倒されること間違いなし。でも、まぁ、そんな楽しい体験ができることはまずないだろう。

今回聴いているのは、ラインハルト・ゲーベル指揮ムジカ・アンティクヮ・ケルンとポール・マクリーシュ指揮ガブリエリ・コンソート&プレイヤーズの英独連合隊。どちらも、著名な演奏家集団だけど、古楽を聴く前までは全く知らない人たちだった。録音会場はイギリスのセント・ポール・カテドラル。ザルツブルク大聖堂ではないのが残念だが、十字架型の教会ならではの音響の妙は十分に楽しめる。ちなみに、ザルツブルク大聖堂での録音は、トン・コープマンが行っている。こちらも聴きたい。つか、是非是非是非、生演奏に接してみたい。ザルツブルク音楽祭とかでやらないのかな?

あ、因みに、2月に行ったオーストリア旅行でももちろん、行っている、ザルツブルク大聖堂。ザルツブルク大聖堂と言えば、モーツァルトばかりだったけど、この曲知っていればなぁ~、聴きながら聖堂内散策したのに!!
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アノニマス4は女性4人のヴォーカル・グループである。主なレパートリーはルネサンス期以前の声楽曲。

ルネサンス期を得意とするグループってキングズ・シンガーズのように、高音域も男声でカバーしちゃったりする。ザ・シックスティーンやタリス・スコラーズ、スティレ・アンティコは男性も女性もいるけど、女性だけのグループってどんだけいるのだろうか?しかも、たったの4人。もちろん、ザ・シックスティーンのハリー・クリストファーズやタリス・スコラーズのペーター・フィリップスのような統率を取る人もいない(まぁ、4人じゃいらないだろうけど)。それでも、なかなか素晴らしいのだ。女声ならではの清澄さもあって、◎。

さて、そのアノニマス4の興味深いCDを入手した。タイトルは『GLORYLAND』アメリカ発祥のフォークソング、スピリチュアル音楽、ゴスペルを集めた1枚。

ルネサンス期以前の音楽を得意とするアノニマス4がアメリカの古い音楽を歌うのか?しかも、所属レーベルはハルモニア・ムンディ・フランスじゃんね…?と疑問符は付くが、アノニマス4のCDは実はHMFのアメリカ支店でのプロダクション。アノニマス4だってアメリカのグループなのだ。だから良い。良いと言うことにしてしまおう。

で、これが、美しくって楽しくって、なかなか聴き応えがあるのだ。ノスタルジック溢れるブルーグラスのような響きがあるかと思えば、どことなくルネサンス期の教会音楽のような響きもある。アメリカらしいノリもあるが、それはそれほど印象に強くない。アノニマス4の清澄な合唱とアメリカの響きが見事に融合した1枚だ。

ほかに『American Angels』と言うCDもある。こちらも聴いてみたい。


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しばらくHMVのお気に入りリストに入ったままだったノイマンのドヴォルザークの交響曲全集(旧盤)をちょっと前に購入。国内盤ながら、7枚組4,000円台と、まぁまぁ、お買い得。さらに、マルチバイキャンペーンかなんかで、2~3割安かったので、「そろそろ買うか…」となった。廃盤になっちゃうとあれだしなぁ。

さて、ドヴォルザークの交響曲全集はこれが6種類目だが、まず比較するべきは、1980年代にデジタル録音で収録されたノイマンの新盤だろう。改めて、新盤を聴きなおしたわけではないが、まず結論から言わせてもらおう。旧盤を持っていれば新盤を買う必要はない、新盤を持っているなら旧盤を買うべき、と言うくらい圧倒的に旧盤に軍配が上がる。まぁ、個人の好みってそれでもあるとは思うんだけど、旧盤聴いてから新盤を聴けば、「ノイマン、老いたな…」と寂寥を感じずにはいられないだろう。もちろん、新盤でもそれなりに高い水準にあるのかもしれないが、老獪に過ぎる感があるのだろうか、旧盤の前では物足りない。

洗練と言う言葉は、一般的には褒め言葉であるが、この新旧比較をするにあたっては、決してそうではない。新盤の上品な響きは、ドヴォルザークのある種土俗的な魅惑を封じ込めてしまっているに感じる。これを洗練と言うならば、洗練と言う言葉は褒め言葉にならない、と言うことだ。対して、旧盤は上品と言う意味ではなく、土俗的な魅惑を活き活きと表現しながら、歌心を横溢させた美しい名演だ。テンポは遅めだが、弛緩して聴き手を退屈させることはない。むしろ、長くドヴォルザークの歌心に浸っていられると言う意味では、幸せなテンポである。

他の全集と比較しても、ノイマンの旧盤は優れた部類に入る。ドヴォルザークの交響曲全集と言えば、まず、クーベリックであって、まず、好奇心を持ってドヴォルザークのマイナーと思われる世界に一歩踏み込むには、この全集に手を出す人は多い。最強のブランドパワーを持つイエローレーベルだから、評論家のお勧めを含めて販売能力の高さはスプラフォンの遠く及ぶところではない。しかし、はじめてドヴォルザークの交響曲全集を買う人がスタンダードとしてまず手にすべきなのはノイマンの旧盤だ。ノイマンの旧盤を聴いた後に、クーベリック盤を聴くとベルリン・フィルの圧倒的なパワーが煩わしく感じてしまう。こういうのもありだとは思うが、正攻法で名演と言えばノイマンの旧盤なのだ。クーベリックについて言えば、若い時代を除き、老衰した最晩年まで、チェコ・フィルを振れなかったことは、大いに悔やまれるところである。

デッカから出ているロヴィツキ、ケルテスの両盤もノイマン旧盤より総合力で上回ることはない。メジャーレーベルと言うアドバンテージで、販売枚数は上回っているかもしれないが…。A.デイヴィス盤、それからまともな形で入手するのが難しいので全集では持っていないのだが、コシュラー盤は結構面白い…かな。チェコの指揮者では、ビエロフラーヴェクが先輩たちの偉業を恐れずに全集を作ってくれると面白いものができそうだ。BBC交響楽団との5番、6番のライヴ盤を聴けば、ほかの初期交響曲も聴きたくなる。

それにしても、これだけ色々な種類があるのに、ヴォーン・ウィリアムズまで録音したオランダの全集野郎ハイティンクが録音しなかったのはなぜだろう…?まぁ、あってもあんまり面白そうじゃないけど。


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ジャヌカン…名前しか聴いたことなかった作曲家。でも、ルネサンス音楽では重要な作曲家らしいのだ。

と言うわけで、少し前に買っておいたCDを聴いている。ドミニク・ヴィス率いるアンサンブル・クレマン・ジャヌカンによるシャンソン集。レーベルは、ハルモニア・ムンディ・フランス。いつものようにHMFなら安心だろう…と思って買ったわけじゃない。流石に古楽オンチのおいらでもドミニク・ヴィスぐらいは知っている。3大テナーが流行っていた時に、3大カウンターテナーと言う、痛々しいパクリ企画をやっていたことがあったし(酔った勢いで出た企画だったそうだ)。時々、HMFは良く分からないことをやらかしてくれる…。

さて、シャンソンと言うと何だか、洒脱でポップな音楽を思い浮かべるかもしれないが、ルネサンスのシャンソンはそんなんじゃない。イタリアで言うところのルネサンス期のマドリガーレに近いものだ。と言っても、これと言ってルネサンス・シャンソンを規定するものはない。まぁ、なんだ、世俗歌…ってことでまとめておこう。しかし、ジャヌカンのシャンソンは世俗歌と言っても、自身が聖職者であったこともあって、教会で歌われて似合いそうな響きを持っている。世俗…とは言っても、決して、居酒屋で酔った勢いで歌いだしそうな音楽ではない。しかも、一部の曲はそれなりに鍛えられたアンサンブルが求められそうだ。

じゃぁ、教会音楽っぽいのかと言うとそれは全然違う。例えば、このCDの1曲目、タイトルが“女たちのおしゃべり”。そんなタイトルの教会音楽あるわけない。この曲、ペチャクチャとお喋りをする女性たちの様子を再現したもので、まぁ、なんとも賑やかで楽しい曲なのだ。ルネサンスのアカペラでこんな騒々しい曲って、ちょっと意外だ。このCDには収められていないけれども、有名な“鳥の歌”も同傾向の音楽。ピーチク、パーチク騒ぎ立てる小鳥たちの様子を音楽にしたもの。しかも、歌詞は全く意味のないものばかり。それから、“狩りの歌”!!これはちょっと笑ってしまう。動物のものまね(?)的な怪しい歌がちょいちょい出てくる。こんな描写的な音楽がルネサンス音楽に存在したのは、中途半端にルネサンス音楽を聴いている身にはビックリだ。

ルネサンスの時代を教会音楽とシンガーソングライター的な音楽、それに口承で伝わってきた吟遊詩人の歌だけだと思ってはいけない。まだまだ色々ありそうだ。ルネサンスの音楽探求はまだまだまだまだまだまだ続く…。


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