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無伴奏と言う言葉には、妙な魅力がある。例えば、ピアノやギター(またはリュート)の作品に無伴奏と言う言葉が付くだろうか。英語ではSoloと表記されるんだけれども、Sonata for Solo Pianoと表記されることはない。ところが、J.S.バッハのあの有名な曲は、英語でSonatas and Partitas for Solo Violin、日本語で無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータだ。寡聞ながらSoloも無伴奏もヴァイオリンとチェロでしか使っているのを見たことがない。何故に、敢えて、Soloなのか、無伴奏なのか。多くの場合、ヴァイオリンもチェロも何かしら伴奏が付く。オーケストラであったり、ピアノであったり、ギターであったり。4つの弦だけでは、複雑な音楽を奏でるのは難しい。だから伴奏が付く。

この辺までは、色んな本の受け売り込みの話。で、なんで、魅力を感じるか。難しい、が、無理ではないからだ。J.S.バッハのヴァイオリンとチェロの無伴奏曲はなぜあれほどまでに、人気があるのか。それは、無伴奏だから故である。たった一人、ステージの上に楽器一本を持って現れる奏者。いつもは仲間と騒いでいる奴が、たった一人で音楽に挑む。奏でられる音は、ピアノやギターのソロとは比較にならないほど、孤独を感じさせる。それは凄まじい集中力と技術力を要しながらも、実に純粋な音なのだ。これはヴァイオリン音楽の究極だと思う。

しかし、クラシック音楽とほぼ≒になるであろう、ロマン派の時代においては、無伴奏ヴァイオリン、チェロの作品はほとんど作曲されることはなかった。ヴァイオリンは音楽の中心でありながら、無伴奏では魅力のない楽器とされていたのだろうか。それとも、J.S.バッハに挑む気にならなかったのだろうか(もちろん、J.S.バッハの作品の完成度の高さは神懸かっているけれども)。お陰で、ほかには、イザイやパガニーニの作品が多少知られているだけで、すっかり、特殊な存在となってしまった。

求めてもなかなかない。でも、凄い。だから、以前紹介したオノフリの『バロック・ヴァイオリンの奥義』のような企画は、ハングリーなクラヲタの心を打つのだ。挑むヴァイオリニストも相当の覚悟と自信がないといけない。特に、J.S.バッハの作品のように、多くのヴァイオリニストが演奏しているわけではないから、その挑戦は称賛に値する。

さて、ほかに誰かこう言うことをやっていないものか。探す気にもならなかったのだが、秋葉原のタワーレコードを歩いていたら、たまたま、1枚のCDを見つけることができた。タルティーニのThe Devil's Sonata and other worksと言うもの。悪魔のトリルを含む無伴奏ヴァイオリン作品集。アンドルー・マンゼがハルモニア・ムンディ・フランスに録音したもの。1997年の録音。名盤らしいけれども、おいらは知らなかった(汗)。マンゼと言えば、イングリッシュ・コンサートのコンマスで、ピノック退任後、音楽監督になった人物。バロック・ヴァイオリン奏者の大物中の大物だ。無謀に挑戦するには十分な実力者。

高度な技術を要することで有名な悪魔のトリルだが、これ、無伴奏じゃない…はず。だが!やってしまうのだ、無伴奏で。唖然とするしかない。もの凄い気迫と痛快なまでのテクニック。強靭で確信に満ちた快刀乱麻。ヴァイオリンの可能性ってこんなに深いものなのか。音色も魅力的だ。確かに、モダン楽器のような豊潤な色気はないが、なんとも言えない美しさがある。最近の古楽器は、「古楽器だから美しくないのはしょうがない」が通らなくなってきているが、マンゼはその先駆けかもしれない。美しくエキサイティングで、挑戦的なのだ。

続く運弓法(コレッリの作品5からのガヴォットによる50の変奏曲)は、10曲を抜粋したもの。こちらも素晴らしい。フランチェスカッティが、オーケストラをバックに演奏したもの(4分ほどに編曲)があって、これはこれで大変、魅力的な演奏なのだが、無伴奏ならではの孤独感がない。バロックの作品をロマン派の常識で仕立て上げるのは、そう言う時代だから故、やむを得なかったのだろうけれども、もったいない。ちなみに、これは無伴奏のための曲。マンゼの最初は切々とした演奏は、どんどんと複雑化していく。雄弁で心地よい。

あとは、ヴァイオリン・ソナタイ短調とスコルダトゥーラ・ヴァイオリンのためのパストラーレの2曲が収められている。タルティーニとヴァイオリンの妙技をたっぷりと味わえる1枚。本来、無伴奏でないものを無伴奏にしてしまうことは、原作改変であって、時代考証的ではないんじゃないか、それは古楽としてどうなのか、という疑問は、あって当然。だけど、オノフリは、演奏するにあたって「タルティーニは無伴奏で演奏するべきと考えたのではないか」と考証しているし、マンゼも同様のことを考えているかもしれない。それに、古楽って、オーセンティックに凝り固まっているとは思わないんだよね。表現の方法として、時代考証を行っているんだと思う。今回の、無伴奏演奏も違和感がないし、説得力がある。

と言うわけで、良い発見だった。激しくお勧め。ジャケットの悪魔も不気味で雰囲気十分。CDにもプリントされているのが怖いけど(笑)。タルティーニの夢に悪魔が出てきて…で、出来たのが悪魔のトリル、と言う逸話から選んだ絵なんだろうけど、インパクトあり過ぎ。おいらなら、こんなん夢に出てきたらすぐに起きる(笑)。

tartini-manze.jpg







 

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