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ベルリン・フィルの後任は誰か?と言う話になると、一昔前は、如何にもしっくりきそうな人がたくさんいた。この人じゃないか、あの人じゃないか…なんて話をしていても、好みの差はあるにせよ、どの人も違和感なく「できそうだなぁ」と言う感じがしたものである。ところが今は、「強いて言えばティーレマンかな?」程度。消去法でしか頭に浮かんでこない。何と言うか、「大物感」がないんである。

じゃぁ、良い指揮者がいないのかと言うとそんなこともなくて、何となく、ベルリン・フィルのトップに立って、音楽界の中心になる、ってタイプがいないだけなのだ。「俺は俺の道を行く」って感じで、好みのタイプのオーケストラと自分の好きな仕事をする指揮者が多いように見える。既存の権力に阿ることがないと言うか、個性派が多いと言うか…それは言いようかもしれないけれども。何でもかんでも多様化する時代にあって、クラシック音楽も多様化しているんだから、そういう指揮者が多いのは時勢と言うべきなのかもしれない。

そんなことを偏見と思い込みで考えつつ、また新しい指揮者を聴く。パブロ・エラス=カサド。1977年生まれと言うから、今年で36歳。ドゥダメルなんかに比べると遅咲き感があるけど、このくらいの年齢で、頭角を現すことが出来れば、とっても将来有望。

今聴いているのは、最近、ハルモニア・ムンディからリリースされたメンデルスゾーンの交響曲第2番『賛歌』。まだCDは少なくて、ハルモニア・ムンディからは、これが2枚目。ほかはドミンゴの伴奏を務めた1枚がソニーからリリースされているのみ。オペラの映像作品も1つある。HMVで検索するとこれしか引っ掛からない。ただ、既にベルリン・フィルにデビューを果たすなど、欧州では徐々に評価を高めているらしい。

で、さて、『賛歌』。メンデルスゾーンの交響曲なら、有名な『スコットランド』、『イタリア』、『宗教改革』のどれかから始めればいいのに…なんてお節介をよそに、『賛歌』で見事な演奏を聴かせてくれる。

オーケストラは、バイエルン放送交響楽団なんだけれども、このオーケストラこんな瑞々しい音出すんだ、と感心。切り口から爽やかな果汁が飛び散ってきそうな、そんな音楽だ。第1部のシンフォニア、第1楽章は神々しさを清純な響きで聴かせてくれる。第2楽章のアレグレットは、実に美しい。こんなに、優しいメロディが溢れていたのか、と改めて感心してしまう。第2部のカンタータは、弾けるようなリズムと柔らかくスマートな響きが何とも魅力的だ。第7曲の合唱「夜は過ぎ去ったのだ」は、この曲の聴きどころの一つだと思うが、メンデルスゾーンらしい勢いを失わずにスマートな音楽作りになっている。クライマックスの第10曲、終末合唱も素晴らしい。

この『賛歌』と言う曲、大規模でありながら、交響曲なのかカンタータなのか判らない中途半端さ、何とも居心地の悪い管弦楽曲と合唱曲のバランスのせいか、メンデルスゾーンの交響曲では、若書きの第1番と並んで地味な存在だけれども、エラス=カサドは魅力的に聴かせてくれる。ちょっと目立たない曲かもしれないけれども、こんないい曲なんだよ、と言わんばかりの演奏はある意味、名刺代わりになりうるのかもしれない。

なお、ハルモニア・ムンディのデビュー盤は、フライブルク・バロック・オーケストラを振ってのシューベルトだった。あー、もうなんだか、既に、ベルリン・フィルの音楽監督には合いそうにないタイプっぽい予感がしてくる。ベルリン・フィルが変わるべき、なのかなぁ?

 

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大雪で中止になった先日のスノーシューツアーのリベンジで乗鞍高原と上高地へ行ってきた。土曜午後から乗鞍高原散策、日曜日は一日かけて釜トンネルから河童橋まで歩く上高地散策と言う行程。現地ツアーで松本駅までの送迎付き。

天気予報は良好。しかし、前回だって、想定外の天気となったわけで、まったく天気予報は信用していない。

土曜日の乗鞍高原ツアーは、晴天のもと、凍りついた善五郎の滝や牛留池を歩き回る。善五郎の滝は凍っているとは言え、一部は解けていて独特の風景。そこそこ近付けて迫力も満点だ。あとは林の中をうろうろ。スノーシューを履いたのは10年振りくらいなので、良い練習になる。

翌日の上高地は、晴天の予報に反して、雪嵐。暗い釜トンネルを抜けて、表に出ると粉雪が舞っている。午後遅くから崩れると言う予報だったので、「もうか…」と、うんざり。上高地のバスターミナルに着くころには、風も強まって、嵐の様相。河童橋の写真もそこそこに、Uターン。

上高地帝国ホテルの軒先を借りて昼食を摂った後、田代池に向かうが、ここの風雪と言ったら、なかなかにエキサイティングで(汗)。ブリザードが猛スピードで節減を駆け抜けていく様、正に自然の脅威。リベンジのつもりが見事に返り討ちにあったような(笑)。

とは言え、往きと帰りの両方で、サルの群れに癒されたのは、良かったかな。スノーシューで歩けたのも楽しかった。冬は山方面の活動流行っていなかったけれども、スノーシューでゆるーく楽しむのも良いかもしれない。本格的な雪山は何度か行って「もういいや」と言う結論だけど。

写真は上から、雪面の樹の影、上高地のサル、善五郎の滝(クリックで大きくなります)。
 
 



 

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プルハール&ラルペッジャータの新譜『束の間の音楽』を聴いている。「束の間の音楽」と言うのは、パーセルの劇音楽『オイディプス王』の中にある曲のタイトル。と言うわけで、今回はパーセルの作品集。サブタイトルに“Improvisations on Purcell”とあるように、即興性を重視した音楽作りを目指したCD。バロックの「自由さ」を徹底的に活かしていくプルハール得意のお題だ。本来意味しているところとは違うとは言え、このCDに『束の間の音楽』と言うタイトルはぴったりだ。このタイトルを見ただけで、期待が高まってしまう。

選ばれた音楽は、パーセルのオペラや劇音楽などの声楽曲から17曲。歌っているのは、フィリップ・ジャルスキー、ヴィンチェンツォ・カペッツート、ドミニク・ヴィスの3人のカウンターテナーとソプラノのラケル・アンドゥエサ。ジャルスキーはラルペッジャータの常連だけれども、ヴィスは珍しい…と思ったら1分程度の曲を1曲歌っているだけだった。基本的にはジャルスキーが中心になっている。

さて、1曲目、’Twas within a furlongが流れ出して、ふと思う、「あれ?ジャズのCD買ってしまったかな?」と。軽快なギターに続いて、カウンターテナー登場。相変わらずのノリの良さ。そして、自由(笑)。バロック×ジャズてな感じ。あれ?これってクロスオーバーじゃないのか?と定義付けたくなっちゃうんだけれども、本人たちはそんなこと気にしないで、「楽しければいいじゃん!」と音楽を楽しんでいるように聞こえる。

3曲目のStrike the violもノリノリだ。愁いを帯びた古雅な響きが、スタイリッシュなカッコいい音楽になる。原作改編だ!なんて言うと、プルハールに余裕の笑みを返されそうだし、パーセルには、「いいんじゃない?」と言われそう。とても違和感がないし、パーセルの魅力を充分に引き出している。バロックって、下手にお堅くやればやるほど、魅力が失せていくし、本来持っている音楽の力が無くなっていくように感じる。パーセルの提供してくれたネタをもとに、あれやこれやと今風のテイストを交えながら楽しい音楽を作り上げていく。バロックの醍醐味だ。

その後も、その場限りで消えていく、「束の間の音楽」が続く。こんなに楽しい音楽を作り上げられるのは、やはり、プルハールの才能なんだろうなぁ。

初回限定盤かどうか知らないけれども、今ならDVDも付いていて、4曲だけだけれども、全曲を映像で見ることが出来る。このDVD、一部だけならば、Youtubeで見ることが出来る→こちら。こういう演奏会行ってみたいなぁ。500人くらいの会場で。

なお、今回のCDは、Eratoからのリリース。今まで、ラルペッジャータはVirginと契約していたんだけれども、最近のレーベルの統廃合でEratoの演奏家と言うことになった。以前はαレーベルやnaiveからリリースしていたんだけれど、いつの間にやらEratoの演奏家になってしまった。不思議。最近は、マイナーレーベルの方が動きが活発なので、αレーベルに戻っていっても良いんじゃないか、なんて余計なことを考えたり(汗)。

折角、メジャーレーベルにいるなら、もっといろんな人に聴いてもらうような広報活動をしてもらいたいなぁ。ラルペッジャータって絶対に大衆ウケするから、マニアだけが聴いているのはもったいない。

 

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■ 四日市へ

野暮用で三重県の四日市に行ってきた。

名古屋から近鉄の特急で30分。急行でも45分程度と言うことなので、名古屋へは通勤圏内と言っていい。名古屋のベッドタウンとして発展云々…と言いたいところだけれども、四日市と言えば、工業地帯だ。中京工業地帯を代表する都市。

と言うことで、観光地ではない。これと言った美味しいものもない、はず。強いて言うならば、鈴鹿山脈が近いので、遠景にその山並みを望むことが出来る、くらいの観光かな?三重で観光をするとなるとやはり伊勢神宮や鳥羽になるんだろう。両方とも言ったことないけれども。

じゃぁ、工業都市として元気いっぱいなのかと言うと、これがそうでもない。県庁所在地の津よりはいくぶんか栄えているのだけれども、かつての繁栄はないらしい。

東京にドカッと座っていると、実感できないんだけれども、日本中どこ行ってもそんな話ばかりだ。「昔は寂れていたんだけど、今は元気いっぱい!」と言う話よりも、「昔は栄えていたんだけど、今はねぇ…」って話ばかり聞く。東京一極集中はまずいと思うんだが…。

さて、そんな四日市。自分が着いたときは、なんと、雪が横風に煽られて、市街地を舞っていた。夕方に到着したんだけれども、翌朝にはしっかり積もっていた。通行の障害になるほどじゃなかったけれども。太平洋側だし、そんなに雪が降るイメージのある街ではないんだけれども、鈴鹿山脈があるせいだろうか。その鈴鹿山脈は、確りと雪化粧していて、ちょっとしたアルプスの様な風貌を見せていたのが印象的。

登ってみたい!とは思わないけれども(汗)。

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6大メジャー(Deutsche Grammophon、EMI、DECCA、Sony Classical、RCA、PHILIPS)の時代は終わった。そんな話は、今更語るまでもない。それでも、どうしても、染みついた常識はなかなか引っくり返らない。そんな頭の古いクラヲタ(自分含)に、現実をまざまざと見せつけたのは、PHILIPSの消滅ではないだろうか。PHILIPSは2007年にDECCAの傘下に入り、2009年にはロゴも消滅した。

ロゴが残っているうちは、大元がどうなっても、「ま、まだまだ元気じゃん」と過去に縋ってもいられるんだけれども、ゾンビのようなロゴすらなくなってしまうと、「終わった」感にトドメが刺される。PHILIPSがなくなったときは、正にそれだった。

そして、今度はEMIとVirginが消えた。Virginはともかく、EMIは衝撃的だ。クラシック系のレーベルでは最大級のレーベルがこうもいとも簡単に消えてしまうものなのか。そして、消えて何になるのかと言うと、EMIとTELDECはWarnerに、VirginとEMI FranceはEratoになる。

え?Eratoが一気にメジャー級に?と驚くのはまだ早い。このErato、ロゴは昔のままだが、実態は昔のEratoとは何の関係もない。旧Eratoは1992年にWarnerに吸収され10年ほど活動を続けていたが、業績が悪く、既に10年以上前に活動を停止している。

今回、復活したのは、単なる集約するためのロゴに過ぎないようだ。それにしたって、EMIが消えて、Eratoが残るとはねぇ。

寂しい限りだ…と思うんだけど、いやいや、でも思い返してみれば、これまでだって、レーベルの統廃合や買収云々はたくさんあった。CBSがSony Classicalになったり、HMVがEMIになったり…これは時代の流れ、よくある変動なのだ。もちろん、CBSやHMVが活動していた頃のことなど知る由もないのだけれども。もしかするとそういう過去の変動を知っている世代の方は、案外達観していて、「今度はそうなったか」くらいにしか思っていないかもしれない。

なんて、グダグダ書いてきたけど、最近買ったCDで旧6大メジャー系のCD少ない…。

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先日、野暮用で岐阜→名古屋へ行ってきた。

岐阜と言えば、高山とか、郡上八幡とか、観光地が思い浮かべられるけど、岐阜市そのものは、どちらかと言えば、名古屋文化圏。喫茶店文化も盛ん。飲み物一杯頼むと、パンやサラダが付いてくると言うあれ。岐阜ではなぜか、茶碗蒸しもついてくる。もちろん、店によって違うんだけど。

で、名古屋。今回は2泊した。東京駅から名古屋駅までのぞみで100分ほど。駅前から駅前なら一応通勤圏内。リニアが通ると45分と言うから、更にその距離は縮まる。時間的には、余裕の通勤圏内になる。と言っても、お値段がお幾らになるのやら。

名古屋と言えば、味噌煮込みうどんとか、手羽先とか、色々あるんだけれども、個人的にはどうにも惹かれない。これは個人の好み。名古屋は焼き肉のたれにまで味噌があるくらいの味噌文化、大阪はウスターソース文化…で、たぶん、東京は醤油文化。いや、東京は何でもありか。そんな感じで、東京育ちだから好みでないのかもしれない。一度二度食べる分には、お、これっていいんじゃないか、なんて思うこともあるけど。

お土産のういろうは山口のういろうと比べると庶民的な感じがする。個人的な好みを言えば、山口のういろうの方が美味しいと思う。同じういろうでも、米粉で出来ている名古屋のういろうと、わらび粉や葛粉を配合して出来ている山口のういろうはまったく別の味わいだ。

って、ことで、随分と名古屋を否定的に書いてしまったんだけれども、冒頭にも書いた喫茶店文化は結構好きだ。と言っても、コメダくらいしか行ったことないんだけれども。東京に進出する前から、コメダ東京に来ないかなぁ、と待っていた一人なのだ。

もっと広がれ、名古屋の喫茶店!

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松本に行ってきた。スノーシュートレッキング目的で、松本から乗鞍に行く予定だった。

出発したのは金曜日の夕方。すでに特急あずさは午後からの全便の運休を発表していたので、ささっと長野新幹線からスーパーしなの周りの切符を手配。この時点での天気予報では、帰りにまで影響が出るとは思えなかった。「行ってしまえば何とかなる」、そういう予報だった。

往きの電車は30分程度の遅れがあったものの問題なく松本駅に到着。

翌日のツアーも予定通り催行される予定との連絡を受けた。さすがにこれは中止になると思っていたので、驚きつつも一安心。

明けて、朝6時半に松本駅に集合。ガイドさんの運転する送迎の車に乗り込む。走り出して間もなく、乗鞍に入る道路が通行止めになったとの情報が入り、この日のツアーは中止に。翌日のツアーも見通しが立たないと言うので、キャンセルにして東京に帰るか、明日まで様子を見るか…しばらく、悩む。折角なので、明日まで様子を見ましょうと言うことになり、松本駅まで引き返し、そこで何気なく見たJRの運行情報のお知らせ…

「本日長野県内を発着するすべての電車は運休となりました」

え?全部?全部過ぎるだろ…。しかし、自分たちが帰るのは、翌日。呆然と立ち尽くす人たちの後ろを、のんびりと通り過ぎていく。同情しつつもこの時は他人事で暢気なものだった。

予約していた乗鞍高原の宿には辿り着けなかったと言うことで、この日は松本で宿を探し、沈殿。松本城は見たけれども、足元の悪い中、そうそう松本市内観光をする気にもなれず、チェックイン時間にホテルに入って一休み。

夕食の後、雪をたっぷりと冠った松本城のライトアップを楽しむ。

翌日(今日)、7時過ぎにガイドさんから電話があり、道路が復旧しないため、この日のツアーも中止となった。

じゃ、帰るか、となったんだけれども、これがままならない。松本駅で運行している電車は2本だけ。一つは南下して茅野駅に向かう列車、もう一つは北上して長野駅に向かう列車。長野新幹線が遅れながらも動いているという情報を得て、後者の列車を選ぶ。茅野方面は、その先の山梨県全域が大変なことになっていると言うことで、選択の余地もない。もっとも、長野方面も2時間に1本の運行で、それも遅延している。

9時37分松本発の電車に乗るために、8時半ころにホームに降りる。結局、この電車は、1時間18分遅れの10時55分に出発。途中、西条駅で2時間程度動けなくなり、結局、長野駅へは4時間近く遅延して、14時半頃到着。

長野駅で一斉に降りて行く人の波に流されるようにして、長野新幹線の乗り換え改札へ。しかし、長野新幹線も11時過ぎから運休となっており、17時をすぎないと復旧の見通しも立たないと言う。「見通しが立たない」と言うことは、「運行」すると言うことではなく、「運休」するかもしれないと言うリスクを多分に含んだ言い回しだ。しかも、長野駅はすでに溢れんばかりの人。再開したところで、とても乗ることができるとは思えない。

この時点で長野駅で運行しているのは、今乗ってきた篠ノ井線、それからもう一つ、信越本線のみ。この信越本線は直江津駅往きの普通列車で、電光掲示板に唯一運行時刻が明記されている。しかも、定刻。直江津と言うと東京から遠ざかるように見えるが、そこまで行けば、多少の雪ではへこたれないほくほく線が待っている。特急はくたかに乗ることができれば、1時間も掛からずに上越新幹線の越後湯沢駅に抜けることができる。上越新幹線もダイヤは大幅に乱れていて、時折止まっていると言う情報もあったけれども、本数の多い上越新幹線の方が可能性があるだろうと考え、こちらから行くことに。

とは言えこの状況ではこの信越本線の電車もどうなっているのか本当のところはわからない。駅員さんに訊いてみると、走っていないようなことを言う。しかし、時間が出ていることを伝えると「じゃぁ、動いているんじゃないですか」みたいな返事。もう、それどころじゃないと言う状況だったので、信越本線のホームで待つことにする。間もなく流れた放送は定刻通り発車すると言うもの。喜んで乗車。同じことを考えている乗客もいたようだけれども、それほど多くはなく空いていてゆったりと座ることができた。15時17分、予定通り発車。

直江津駅までは約1時間半。18時01分発の特急はくたかに乗るにはぎりぎりのタイミング。しかも、徐々に遅れ始める。次の特急はくたかは、約1時間後。他は何かないのか…調べてみると18時31分発の信越線快速くびき野がある。これに乗れば、約1時間で長岡に出ることができる。

結局、急げば特急はくたかに乗ることはできたのだけれども、当初買っていた特急あずさの払い戻しの件もあり、快速くびき野に乗ることにした。直江津駅はそこそこ大きな駅なので、ここで上越新幹線の切符もすべて手配。

快速くびき野は若干の遅れで出発したものの、長岡駅には定刻通りに到着。上越新幹線は大幅なダイヤの乱れがあるものの、運行していた。指定席の取れた列車も25分遅れで発車。ようやく、東京行きの電車に乗ることができたのは、20時過ぎのことだった。

結局この電車はさらに遅れて、上野駅に80分以上遅れて到着したのだけれども、何とか、東京に帰って来ることができたと言うわけで、長野脱出作戦は、そこそこ成功した方だと思う。

山梨県が孤立化したことで話題になった今回の大雪騒動、長野・松本も結局、他県に抜けるには、長野新幹線と信越本線しかなかったわけで、こちらもほぼ孤立しているような状態だったのだと思う。今日も長野から脱出できなかった人は多かったようで、10数時間掛かったとはいえ、東京に帰ってこれたのは、まだ運がいい方だった。実際、上野駅で見た電光掲示板では、長野新幹線は復旧したものの、1本目の電車すら上野駅には到着していない様子だった。すべての電車で座ることができたのも、不幸中の幸いだった。

 うーん…「ぜんぶ雪のせいだ」、JR東日本、上手いことを言いおる。

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映画と言うものは、あまり見る方じゃないんだけれども、洋画の中には作曲家を題材にした興味深い作品がちょいちょいある。大抵、作曲家と言うと肖像画と堅苦しいバイオグラフィでしかその人物を知ることはないんだけれども、映画となると一歩踏み出して、よりプライベートな素顔を描こうとするので、題材となった作曲家をより親しんで見ることができるようになる。その人物像が必ずしも正しいものとは限らないけれども。

そんな映画の一つに、『めぐり逢う朝』(1991年、仏)がある。サント・コロンブとその弟子マラン・マレのお話。マレとコロンブの娘の恋愛を中心に話は進められていくんだけれども、どうにも薄暗いストーリーで、正直、個人的には好きになれない。映画を芸術作品とみるならば、大変素晴らしい作品なのかもしれないけれども、娯楽とみるならば肩が凝ってしまう。バロック音楽にしてはしっとりした曲調の多いヴィオラ・ダ・ガンバの曲が中心とは言え、観終わった後に憂鬱になってしまうんだから、どうにもいけない。映画慣れしていて、真っ当に評価できる人ならば、その真価は判るのかもしれない。軽薄な自分には、一度見れば十分な映画。

とは言え、この映画、音楽的には凄いんである。なんつっても、題材がコロンブとマレ。バロック期以降表舞台から姿を消したヴィオラ・ダ・ガンバの曲を得意とした作曲家だ。この映画が公開された1991年当時、まだまだ忘れ去られた楽器だっただろうから、これを題材にするとは、なかなか斬新だったと思う。マレは、宮廷の音楽家をやっていたこともあって、それなりに知られた存在だったけれども、コロンブを世に知らしめたのは、この映画の大きな功績だろう。生々しい当時の様子が映像で見られるのも◎。決して華やかではなかった17世紀のヨーロッパの様子が映し出されている。

音楽を担当したのは、ジョルディ・サヴァール。これ、大切。彼なしではこの映画の成功はなかっただろう。そして、自分もこの映画を見ようとは思わなかっただろう(笑)。演奏が素晴らしく、サントラ盤もだいぶ売れたらしい。

内容は好き嫌いがあるかもしれないけれども、音楽的にはお薦めな映画。古楽好きには堪らない。今更な映画だけれども…サントラ盤も買ってみようか。



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家ではラジオを全く聞かないんだけれども、旅先のドライブなんかでは、時折、流していたりする。先日の宮古島でもラジオを聞きながらドライブをしていたんだけれども、たまたま葉加瀬太郎さんが出演して、最近、話題になっているゴーストライターの話をしていた。

言わずと知れた、佐村河内守さんの件。この人については、これまた滅多に見ないTVで特集をやっているのを偶然見たことがある。交響曲なんて言っているので、興味を持って見たんだけれども、なんか、自分の好きな世界と違う世界の人のような気がして、ほんの数分で見るのを止めてしまった。こんな風に書いているくらいで、記憶には残っていたんだけど、「あ~、あの時の人かぁ…」と顔を見て思い出すくらいの認識である。あとは、最近、CDショップの棚に並んでいるのを見て、「佐村 河内守(さむら かわちのかみ)」と読んで、「武士かな?」とは思っていた。TVで見た後、名前までは覚えていなかったのだ。正確には、「さむらごうち まもる」と読む。

それでこそ、葉加瀬太郎さんのようなライトな感じの音楽家なのかと思っていたんだけれども、報道を見る限り、本格的な作曲家として認識されていたらしい。実際に音楽を聴いたことがないので、その辺は何だかわからないけれども。

さて、この一件、詐欺だなんだと言う下世話な話はマスコミに任せておいて、音楽好きな人たちにとって興味深いのは、「作曲家のパーソナリティ」と「音楽そのもの」の関係である。葉加瀬太郎さんがお話していたのも正にその点で、「音楽家のキャラクターは音楽のイメージに大きな影響を及ぼす。それがない昔の作曲家の音楽って凄い」みたいなことだったと思う。細かい話をすれば、昔の作曲家だって、パーソナリティやその他の音楽外要因によって評価されることはある。例えば、さっきまでシベリウスを聴いていたんだけれども、聴き始めた理由は単純で「寒いし、北国の音楽でも聴くか」くらいのノリ。そこにあったのは純粋な音楽的な評価だけではない。

とは言え、それが評価の決定的な事項とはならない。シベリウスの曲が、実は、イタリア人作曲家によるものでした、と言うことになっても、曲そのものの評価は変わらないはずだ。葉加瀬太郎さんが言っているのはそういうことなんだろう。

じゃぁ、音楽そのものだけで評価されない音楽は大したことがないのか、と言うとそれはそんな単純な話ではないと思う。

昔、と言っても、色んな時代があるんだけれども、ざっくり、情報技術が進んでいなかった時代と考えると、この時代では、楽譜を世に広めるのが精一杯なのであって、音楽家そのもののパーソナリティを音楽に結び付けるほどの伝播能力がなかったのではないか。であれば、有能も無能もなく、音楽家のキャラクターは音楽の評価に影響を及ぼすことが「できなかった」のではないだろうか。もちろん、権力者への売り込み方だとか、経済的な事情だとか、作曲家本人の性格や音楽外の能力に依存することはあるだろう。だけど、それは話がちょっと違う。

そして、現代。情報技術の発達、特に映像技術を伴った発達は、音楽を音楽外の要因で評価される流れを作ったように思う。アイドル歌手の容姿が典型的なもの。葉加瀬太郎さんも、そうした今日的な情報技術の発達の中で評価を高めている。

話を佐村河内さんに戻そう。彼もまたTV番組でドキュメンタリーが作られ、作曲家個人の物語を視聴者にPRし、そして、成功した。佐村河内守作曲として世に出た作品は、今回の一件で、どうなるのか。評価の大きな要因となった音楽外の「物語性」を失って、「良いものは良い」で残ることはないだろう。反面、何の「物語性」もなくなった今、音楽として評価するには面白いかもしれない。残念ながらCDは回収されてしまったようだけれども…youtubeがある!

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野暮用で沖縄へ。昨年は、野暮用後に石垣島に飛んだんだけれども、今回は、宮古島に飛んでみた。東京が雪嵐に見舞われていた頃、南国でぬくぬくと…していた…わけでもない。

いくら南国と言っても、ベトナムと同じわけにはいかない。あ、行ったところと比較しちゃうのは、しゃーなしとしてもらおう。コートは要らないけれども、長そでは必須くらいの気温。なのに、海に入ってしまったのだ。はじめてのシュノーケリングは、荒波に揺られながら凍えそうになって、終了。綺麗は綺麗だったけど(汗)。シーカヤックを先にやったんだけれども、荒波にギブアップ。酔うわ、酔うわ…。ミサゴが飛んでいたなぁ…。雨、降っていたなぁ…。

宮古島は何と言っても海が綺麗で、じゃぁ、逆に陸の上はどうかと言うと、その魅力の度合いはほかの離島、例えば、壱岐や対馬とあんま変わらない。民俗的な見どころはそれぞれに違うけれども、ね。だから海を見ないといけない。幸い、近隣の島と橋で繋がっていて、自動車さえあれば、気軽に移動できるのはありがたい。しかも、橋は美しいコバルトブルーの海の上を走るので、これそのものが観光名所だったりする。海を楽しむのにもってこいなのだ。

ちなみに、宮古島近隣の島で最大の伊良部島との間にも近々、橋が完成する予定。今はフェリーで移動するしかないが、高速船で僅か10分。車ごと乗って移動できる。

伊良部島は、サシバの渡りで有名な島。所々にサシバをモチーフにした構造物がある。隣の下地島は、伊良部島と短い橋で繋がっている。その境界にはさほど広くない川程度の海峡があるだけだ。ここの面積の大部分は飛行場に占拠されている。と言っても、営業している空港ではなく、旅客機の発着練習場になっている。タッチ・アンド・ゴーをするジャンボ・ジェット機が間近で見られるので、飛行機マニア以外の観光客にも人気のポイントだ。自分が行ったときは、残念ながら何もやっていないようだったけれども。

食事は…なんでしょう?(笑)沖縄本島とあまり変わらない沖縄料理かな?探せばいろいろ特徴的なものがあるのかも。一応、宮古そばってものはある。

さすが沖縄で、この時期でも観光客で盛況だったけれども、2月の沖縄って基本的に曇りか雨なんだよねぇ。今回も随分と雨に降られた。これまでの沖縄滞在を合計すると15日くらいになるんだけれども、晴れたのは1日だけだ…。悪い時期が多いってのもあるんだけれどもね。

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