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シュターミッツ一族と言えば、18世紀を代表する音楽一家として高名だけれども、バッハ一族のヨハン・セバスチャンやカール・フィリップ・エマニュエル、ヨハン・クリスティアンのような後世になっても人気の衰えない作曲家がいない。そのせいで、カールだの、ヨハンだの言われてもピンとこない。これはシュターミッツ一族と同じボヘミア出身のベンダ一族にも同じことが言える。個人と言うよりも、ざっくり○○一族なんだよなぁ、さほどはまっていない人にとっては。

と言う前振りがあって…今回は、ヨハン・シュターミッツ。最近リリースされたヴァイオリン・ソナタ集を聴いている。

ヨハンは、シュターミツ一族の長ともいうべき人物。ボヘミアに生まれ、プラハで音楽教育を受け、後にマンハイムの宮廷楽長に迎えられている。当時のマンハイム宮廷は、プファルツ選帝侯カール4世フィリップ・テオドールの下で、各地から優秀な音楽家が招聘されており、当時のヨーロッパにおいて最高水準の宮廷楽団であったと言われる。こうした恵まれた環境の中で、ヨハンはその才能をいかんなく発揮し、活躍した。演奏の面では優秀なヴァイオリニストとして、そして、作曲家としては、マンハイム楽派の創始者として知られることとなる。

ヨハンが創設したマンハイム楽派は古典派の初期において、もっとも影響力のある一派とされている。例えば、古典派の交響曲は、器楽曲において一般的だった急-緩-急にメヌエットが加えられているが、これを始めたのはマンハイム楽派である。ヨハンの交響曲は必ずこの形になっている。また、ソナタ形式の確立にも大きな役割を果たすなど、その存在感は大きい。モーツァルトも就職活動を目的にマンハイムに訪れ、その場で少なからぬ影響を受けている。

このように交響曲の発展に大きな寄与をしたヨハンであるが、今回は、前述のとおり、ヴァイオリン・ソナタ。作品6に収められた6曲が収録されている。いずれの作品も、アダージョ-アレグロ-メヌエットの形を取っている。少し変わった形だが、メヌエットが入っているあたりに古典派らしさを感じる。そして、決まりきったことをきちんとやる。変なことをしない安定感。これって、古典派が安心して聴ける要因であり、退屈感を感じさせる要因である。こんなこともマンハイム楽派由来なのかもしれない。

曲はいたって、優雅。バロック(歪んだ真珠)からの脱却を強く感じさせる。まったりとした貴族の居間の雰囲気が、部屋いっぱいに広がる。クラシック=オシャレを楽しみたい人には、何気に向いているような気がする。つっても、結構マニアックな世界だけれども。

奏者は、ムジカ・アンティクァ・ケルンでコンサートマスターを務めていたこともあるシュテファン・シャルト。モダン楽器とオリジナル楽器を弾き分ける両刀使いだけれども、当然今回の録音ではオリジナル楽器を使用している。出身楽団を見るととても、落ち着いた演奏をしそうにないんだけれども、曲の持っている優美な響きを大切にした演奏だ。レーベルはMDG。お得意のSACDハイブリッド盤。SACDの装置を未だに持っていないのって、やはり良くないなぁ。



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無伴奏ヴァイオリンのための24のカプリースと言えば、パガニーニの名曲。名盤も多い。しかし、つい先日、フランスの若手ヴァイオリニスト、ガブリエル・チャリックの演奏でリリースされた無伴奏ヴァイオリンのための24のカプリースは、なんと、ロカテッリのものだ。

ロカテッリの24のカプリースは、ヴァイオリンの技法op.3に収められた12のヴァイオリン協奏曲のためのカデンツァ集である。ヴァイオリンの名手として知られたロカテッリのヴァイオリン協奏曲には、ヴァイオリンの独奏による長めのカデンツァが第1楽章と第3楽章に含まれている。12曲あって、それぞれに2つのカデンツァ、12×2=24のカプリースと言うことになる。バロック期の曲集はなぜ、12曲でまとめられているのだろう?と言うこの曲固有ではない疑念はあるものの、これで数字は納得がいく。12のヴァイオリン協奏曲+24のカプリースだから13曲じゃない?と言う細かい突込みはなしだ。

で、さて、ロカテッリのヴァイオリン協奏曲だけれども、ヴァイオリンの技法op.3では、コレッリ形式の緩-急-緩-急ではなく、ヴィヴァルディ形式の急-緩-急の形式を取っている。バロック後期の作曲家であり、ヴァイオリンの技法op.3が1733年に出版されたことを思えば、一般的な形式と言えるのだろう(多分)。で、第1楽章と第3楽章にカデンツァ、要するに急楽章用なのだ。と言うことは、このカデンツァ、全部早い!パガニーニの24のカプリースだってゆっくりした曲があるというのに…。

しかも、だ。今日の技術をもってしても、演奏困難な部分がある上に、当時の楽器では、弾くことが出来ない高音が使われているなど、超絶技巧に加えて、謎が多い曲なのだ。

この難曲中の難曲、カプリースだけで演奏されることは多いものの、全曲を完全な形で録音したヴァイオリニストはいなかった。今回のチャリックによる演奏は、世界初となる貴重な試みだ。こういうチャレンジャー精神に充ち溢れているのは、古楽奏者に多いが、チャリックはモダン楽器での挑戦となっている。それに、バロック音楽がオリジナル楽器で演奏されることが一般的になった今日ではこういう珍しいバロック音楽をモダン楽器で演奏すると言うだけで、どこか斬新なような印象を受けてしまう。

演奏技術はさすが。高音でもしっかりとした音程で凛とした響きを持って弾き切っている。心地よくきりきり舞いさせてくれる。この研ぎ澄まされた感覚、今後も期待できる若手ではないだろうか。と、持ち上げつつ、マンゼの演奏で聴いてみたい、なんて、失礼なことを思ってしまったりする(笑)。巨匠崇拝が抜け切らぬとは情けないものだ(汗)。でも、これがきっかけになっていろんな人の録音が出てきたら、間違いなく嬉しい。バロック・ヴァイオリンでも聴いてみたいよね。



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ニコラス・アクテン&スケルツィ・ムジカーリが、ドイツ・ハルモニア・ムンディにデビュー。これまでは、αレーベルを中心にリリースしていたこのコンビが、古楽レーベルの雄に移籍して、どんな企画を進めるか、とっても楽しみ。DHMならお財布にも優しい。

さて、今回のデビュー作だけれども、タイトルはIl Pianto d'Orfeo、サブタイトルにor The birth of Operaとなっている。『オルフェオの嘆き』(またはオペラの誕生)と言ったところか。オルフェオ伝説を題材にしたイタリア初期バロックの作品集だ。この時代の作品は、オペラの誕生と重なる。バロックの始まりは、オペラの始まりであり、それはイタリアから始まったのだ。そして、モンテヴェルディのオペラ『オルフェオ』に代表されるようにオルフェオを題材にした作品が多かったようである。

CDで聴き始めて、ふと気が付く。「ん?聴いたことあるぞ…」このマニアックな選曲、とてもほかのCDで聴いていて覚えているわけないよなぁ。なんて暢気なことを考えていたんだけれども、実は夏のヨーロッパ音楽旅行でこのプログラム聴いているんだった(汗)。そりゃ、知っているわ。フランクフルトから近郊電車で30分、バッド・ソーデンと言う駅から更に2㎞ほど離れたところにある閑静な住宅街の一角にある小さな教会で、このプログラムのコンサートを聴いた。

アクテンの柔らかく優しい歌声が小さな空間に広がっていく至福。時折外の騒音に邪魔されたけれども、それもまた一興。テオルボを抱えて歌うその姿は、まさに現代のオルフェオとでも言いたくなるもの。

夏のあの日のあのコンサートの思い出を収めたCD…あ、これは完全に個人の感傷なんだけれどもね(汗)。それは別にしても、アクテンの歌声、それにコルソンのコルネットをはじめとするアンサンブルは素晴らしい。まだまだ若い団体だけに今後が楽しみだ。来日は…あるのかなぁ?


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野暮用で甲府に行ってきた。ふと思い返してみると、山梨県には登山などでよくいくことはあるものの、甲府の街を歩いた記憶がほとんどない。もしかするとはじめて、降り立った街かもしれない。東京からは近いと言うのに。

街の真ん中に甲府城址があり、ここからは、さすが山梨と言う風景を眺めることが出来る。この日は幸い晴天で南アルプスの北部から、白根南峰、富士山などをばっちり確認することが出来た。

さて、あとは何があるのだろうか、甲府。うーん、近すぎて観光の対象としても見ていなかったような気がする(汗)。行くとすると、それでこそ、山であったり、甲府の近郊の場所ばかり。少しは調べてみてもいいかも。

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道東近辺を巡ってきた。オホーツク紋別空港からサロベツ湖を経由して、知床へ。羅臼湖、知床五湖、熊越の滝などを見て、根室中標津空港に至るルート。これで丘珠空港を除く、北海道本島の空港全てに訪れたことになる。ってことは北海道には随分と行ったことになるんだけれども、相も変わらず、全く北海道に行った、と胸を張れるほどの経験をしていないような気がしてならない。奥が深すぎるのだ。

さて、今回。ややピークが過ぎたとは言え、紅葉の見頃だったのは幸いだった。それに加えて羅臼岳の冠雪もあり、紅葉と雪と言う素晴らしいコンビネーションを見ることが出来た。去年、羅臼岳登山でお世話になったガイドさんに今年も案内してもらい、十分に満喫。

んで!根室中標津空港の近くの宿で、なんと、シマフクロウを見ることが出来た。宿の生簀にエサを取りにやってくるのだ。鳥好きならずとも憧れてしまうシマフクロウ。日本では北海道にだけ100羽程度だけが生息している。希少種中の希少種。野生のシマフクロウなんて…感動ものだ。


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唱歌 Japanese Children Songs と言うタイトルのCDがリリースされた。何となくありがちなタイトルのCDなんだが、演奏者が凄い。ディアナ・ダムラウをソリストに迎えて、ケント・ナガノ率いるモントリオール交響楽団とモントリオール児童合唱団が共演する。

西洋音楽のビックネームが本気で日本の児童用唱歌に取り組んだ一風変わった企画だ。しかも、これ、日本人向けに作ったCDではなく、あくまでも、輸入盤(国内発売用の帯はついているけど)。解説にも、日本語はない。歌詞の対訳は何故か全てひらがな。

この企画の発案者は、もちろん、ケント・ナガノ。日系アメリカ人であることはよく知られており、妻も日本人のピアニスト、児玉麻里さんだ。妻が娘のために歌っていた日本の唱歌を聴いて、この企画を思いついたのだという。随分前に思いついた企画と言うことになるが、このたび、ダムラウと言う最高の協力者を得て、漸くCDとなった。なお、オーケストレーションは、ジャン=パスカル・バンテュスと言うグラミー賞受賞のフランス人。

さて、西洋人が歌う日本の歌、どんなものだろうか。以前3大テナーが来日した折、最後に日本の歌を歌っていたのを聴いたことがあるけれども、変な発音で、取ってつけ感が漂う酷いものだった。

それが記憶にあったので、今回もあまり期待していなかったのだけれども、さすがにそんな恥ずかしいものをCDにするわけがない。ダムラウの声は、透明感と温かみがあって、とても美しい。1曲目の「七つの子」から、発音の美しさと相俟って、とても素晴らしい演奏になっている。編曲は何となくぼんやりとしていて、ディーリアスっぽい。日本の哀愁を感じさせるにはぴったりのような気もする。

私たち日本人が、幼少の頃より馴染んできたあの歌、ヨーロッパの人気オペラ歌手が歌うとこうなります、と言ういい見本。正直、綺麗すぎて、ちょっと遠い存在になってしまうのが残念なところか(汗)。こんな風には絶対に歌えません、と。



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『R40のクラシック』(飯尾洋一著/廣済堂新書/2013年)を読んでいる。読むのが遅いので、現在進行形だが、紹介してしまう。

サブタイトルに「作曲家はアラフォー時代をどう生き、どんな名曲を残したか」とあるように、有名作曲家30人の40歳前後にスポットを当てて、どんなふうに生きそこからどんな作品が生み出されたのかをわかりやすい文章で紹介してくれる。

飯尾さんの本は以前にも読んだことがあるんだけれども、はっきり言ってマニア向けではない。どちらかと言えば、「クラシックに興味があるんだけれども、どうやって入っていけばいいかわからない」と言う人が読むときっかけが掴めて、すんなりとクラシックの世界に入っていけるようにできている。そのきっかけが今回の、この本では「アラフォー」と言う親しみやすい現代語で集約されている。

「アラフォー」は著者の言うように、多くの作曲家にとって、成熟の時期だったり、大きな転換を迎えている時期である。これが「アラサー」だとまだ未熟で紹介するには気の引けるような作品しかない作曲家もいるだろうし、あまり年を取ってからの時期だと、変に小難しくなってしまって、マニア向けになってしまう。「アラフォー」は、あらゆる作曲家の同時期を切り取るにはちょうどいい時期なのだ。

読者の方に焦点を当てれば、「アラフォー」はクラシックに興味を持ち始める世代ではないだろうか。本当のところは別として、クラシックは、ちょっと大人な音楽と言うイメージが世に蔓延っている(と思う)。「クラシックなんてかったるくて聴いてらんないよ!」と言う若者が、「ちょっと大人の世界をのぞいてみようか」となるような、そんな感じ。その期待に応えられるような作品も多い。

こういった「アラフォー」の読者にとってみれば、「有名作曲家のアラフォー」と言うのは、ちょっと大人びていて、読んでみると親近感がわくような、そんなテーマだと思う。音楽の教室に飾ってあった、あの近寄り難い肖像画の人たちも、人間味溢れた生活を送っていたのだということが、よくわかる。天才もプライベートでは人間的な挫折をするし、努力家はコツコツと続けていたことが花開く。若かりし頃にだけスポットを当てていては出てこない人間臭さが滲み出てくる。

構成はそれぞれの作曲家ごとに、アラフォー時代の出来事と代表作、CDの紹介となっている。クラヲタであっても、30人も作曲家がいると興味のない人もいるわけで、何気に「ほー、そうなのか」と言う内容もあるし、「あ、これアラフォーか」と改めて気付かされることもある。深く掘り下げてこないが、一読の価値はあるだろう。おすすめのCDも最近のものが多く、著者の「今を聴いてほしい」と言う意図と自身の造詣の深さをうかがわせる。

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パパと言えば、作曲家ではハイドン、指揮者ではモントゥーだ。J.S.バッハが父と言われるのとは実に対照的。優しい父親を見るような尊敬と親しみを込めてこう呼ぶのだろう。

パパがパパを振るのは何となく似合いそうな気がするのだけれども、パパによるパパの録音は意外と少ない。最近はいささかネタが枯渇気味なのか、その傾向は薄れてきたけれども、ちょっと前までは、過去のライヴ録音がわさわさリリースされていたので、その中にいくつかあったかもしれない。そこは確認していないけれども、メジャーレーベルに録音された正規のものは1種類しかないとされている。1959年にウィーン・フィルと録音した交響曲第94番『驚愕』、同第101番『時計』である。

で、この録音が、タワーレコードのオリジナル企画で復活した。ヴィンテージ・コレクションと言うもので、発売当時のジャケットデザインを用いている。つっても、あんまりカッコいいもんじゃないんだけれどもね。

演奏はやっぱりぴったり。パパの演奏するパパにはどことなく、温もりとユーモアがある。ハイドンの古い録音はドイツ・ロマン派的な“曲解”があるようで、堂々としすぎた録音が多いんだけれども、パパは、それを感じさせない。もちろん、今日的な尖った演奏ではないのだが、その代表的なミンコフスキの演奏とその洒脱感を比べると面白いと思う。例えば、『驚愕』の2楽章、ミンコフスキーは本気で脅かしにかかっているけれども、パパの演奏は、いないいないばぁをしているような滋味がある。まさに、パパだ。ハイドンの音楽にあるお茶目さをよく表現してくれている。

ウィーン・フィルの柔らかい音色もこの演奏にはぴったりだ。ハイドンはウィーンの作曲家だし、ウィーン・フィルには名演が多くて当然のような気がするのだけれども、ハイドンの名盤は悉くほかの楽団に持って行かれてしまっている。これが唯一の名盤、とは言い過ぎかな?

なお、古い録音だが、幸いにして良質なステレオ録音で残されているので、聴き難さは一切ない。DECCAに感謝しながら聴こう。カップリングのシューベルトの『ロザムンデ』も好演。今更ながらのモントゥーだが、素晴らしいCDだ。


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昨年のGW、スコットランド独立の英雄、ロバート・ザ・ブルースとウィリアム・ウォレスの見守るエディンバラ城の麓でデモを見た。「ロンドンのルールには従わない!」みたいなことが書いてあったと記憶している。

その後、留学していた友人に案内してもらって、スコットランド国会議事堂の内部まで見ることが出来た。真新しい議場からは、いつでも独立できるんだぞ、と言うスコットランド人の覚悟が垣間見えた気がした。

とは言え、現状は厳しいわけで…観光客で訪れた自分ですら、スコットランドだけでやっていけるの?と心配せずにはいられなかった。

で、さて、ついに今日、独立の是非を問う選挙が行われた。独立は否決されるだろうけど、可決されたら、イギリスの旗からセントアンドリュースクロスは消えてしまうのだろうか。それはそれでちょっと気になるぞ。

なんか寂しくなったので、ウェールズの国旗も入れます、とかなっちゃったりして(汗)。

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ウィーンと言えば音楽の都。しかし、ウィーンが音楽の都と呼ばれるようになったのは、古典派で3人のビックネームが活躍して以降のこと。それより前の時代では、ウィーンは決して音楽先進地域ではなかった。

そんな音楽の都の前時代を積極的に掘り下げて活動しているヴァイオリニスト、グナール・レツボールが新たに興味深いCDをリリースした。タイトルはEx Vienna、サブタイトルにAnonymus-Habsburg violin musicとある。レーベルはPan Classics。輸入元のマーキュリーが日本語解説を付けてくれているお高いCDだ。この日本語解説によるタイトルは『ヴァイオリン×バロック×ウィーン』、「17世紀オーストリア、作曲者不詳の傑作8編」となっている。

これはウィーンのコンヴェンツァル聖フランチェスコ会修道院にXIV-726と言う写本番号で所蔵されていた楽譜帳に収録されていた作品のうち作者不詳の曲ばかり8編を録音したものだ。XIV-726には、これら作者不詳の曲のほか、ビーバーやシュメルツァーと言った当時の名匠の作品、さらには現在ではその詳細も定かではない作曲家の作品も収められている。作曲者不詳の作品については、なぜ作曲者の名前が記されなかったかはわからないが、レツボール自身の憶測では、もしかしたら、この写本の製作者自身ののものかもしれない、としている。

いずれにせよ、このXIV-726に収録されている曲はすべてヴァイオリンのための曲であり、しかも、ヴァイオリニストの技量をひけらかすような技巧的な作品が多いという。このCDで聴くことのできる8編にしても、なかなか一筋縄にはいきそうにない曲ばかりだ。

それにしても、このCDを聴いていて思うことは、これほどの曲がなぜ、「作者不詳」なのか、と言うことだ。この答えは、レツボール自身による解説書に事細かに書かれている。詳細は書かないが、要するにこの頃の音楽家たちは、「著作権」に対する意識が異常に低かった、と言うところに起因するらしい。例えば、ブタペストで入手した作品をウィーンに持ってきて、「これ、俺の作品です」と言ってしまえば、そうなってしまう。馬車と徒歩で移動していた時代では、都市間の人の行き来は決して多くなく、その「嘘」を見破る術もなかったというわけだ。

そういうこともあってか、作曲者の存在はいたって軽く扱われていた。音楽が良ければ誰の作曲かなんてことはどうでも良かったのだろう。

今日、例えば、ロマン派の有名作曲家の作品であれば、未熟な駄作であったとしても、録音され世界中の音楽ファンのもとに届けられる、そんな状況とは全く正反対な純粋に音楽のみを評価する時代だったと言えるのかもしれない。

そんな時代の一部を切り取ったこのCDの中で、とにかく、インパクトが強いのが第69曲 郵便馬車の角笛だ。優しいメロディと叩きつけるようなリズムが錯綜する強烈な音楽だ。この時代の郵便馬車ってどんなだったかは知らないけれども、何かが違うような気がしてしょうがない。モーツァルトのポストホルン・セレナーデのイメージがあればなおさらだ。あ、モーツァルトのもポストホルンが出てくる前後は妙に堂々としていて偉そうだな…。それにしたって、普通に考えても、こんな過激に郵便配達されたらたまらないだろう。

もっとも演奏者がレツボールだからなぁ。ほかの曲も痛快にダイナミックな演奏を披露してくれている。初録音のものばかりかもしれないけれども、相変わらず、ものすごく癖のある演奏。これしか演奏がなければこれがスタンダードになる。うはぁ…。



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