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朝からホーチミン廟を目指す。見学するためには入り口から長い列に並び、途中でカメラを預け、軍隊に監視されながら進んでいかなければならない。ホーチミン廟は無機質で巨大な建物だ。中に安置されたホーチミンの周りを数人の軍人が拳銃を抱えて微動だにしない。各国の観光客が自由に闊歩し、日本の資本も流入しているこの国で、リアルに政治的なベトナムを感じられる場所と言えるかもしれない。

ホーチミン廟の次は、世界遺産タンロン遺跡へ。ここは修学旅行生がほとんど。たまにいる観光客の殆どは日本人だ。街中にいる観光客は、多種多様な国籍の人たちだが、ここは圧倒的な日本人率だ。遺跡としては大した景色ではないのだが、世界遺産という付加価値に日本人が寄ってくる(自分も含めて)。どうも日本人はほかの国の人たちに比べると世界遺産という言葉に弱いようである。

タンロン遺跡のあとは、ソイ・ガーを食べて、昼食とする。ソイはおこわのこと。ガーは鶏肉。要するに鶏おこわ。もち米の上に、蒸した鶏肉を割いたものが乗っている。味付けは魚醤ベースの甘辛いたれ。これが結構美味しいのだ。メジャーではないがハノイの隠れた名物料理だ。その後はスーパーマーケットを見たりお土産屋さんを見たりと、街歩きを楽しむ。日中は暑いせいかバイクも少なく歩きやすい。

夕食は日本人に人気のベトナム料理何でもの料理屋へ。店内はほぼ日本人オンリー。味付けも日本人向けで食べやすい。強烈なインパクトはないが、本場過ぎるベトナム料理が苦手な人には助かる一軒ではないだろうか。

個人的にはこれだけでは面白くないので、ホテルの近くにある人気のフォー・ボーのお店へ。ベトナム人が並ぶ、白人も並ぶ。席の半分は路上。カオス!フォーは、ベトナムうどんと言う人もいるけど、うどんではない。米の麺。同じ米の麺のブンとは違い細いきしめんのような形状の麺だ。ベトナム料理の中ではもっとも有名なものではないだろうか。本場はここハノイ。牛肉の乗っているフォー・ボーと鶏肉の乗っているフォー・ガーがメジャー。

フォーの後は前日に引き続きホアン・キエム湖へ。日曜とあって人では更にすごい。汗だくで帰ってきてシャワーを浴びた後は実に気持ちがいい。水分補給を欠かさないようにして、楽しむようにしないと…。

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じっとしていてはいけないゴールデンウィーク。飛び石連休もなんのその。5月3日は出国のピークだそうで…。とはいえ、早朝だったせいか、羽田空港国際線ターミナルはさほどの混雑をしていなかった。

目的地はベトナムの首都ハノイ。ベトナムはこれで3回目となるが、北部は初。羽田発のANAの直行便が3月から就航したと言うことで、早速これを利用してみたのだ。南部のホーチミンよりはだいぶ日本寄りなので時間は短くてすむだろうと思っていたのだけれども、羽田の出発便が多く、なかなか飛び立てなかったのと、向かい風が強かったせいで、5時間半ほど掛かってようやく、ハノイ・ノイバイ空港に到着。ANAの国際線は始めて搭乗したのだけれども、国内線と何も変わらず。そりゃ、当たり前なんだけれども、このまま高知空港にでも到着してしまいそうな緊張感のなさ。この日常感が落ち着くと言えば、そうなのだが。

ノイバイ空港は首都の空港としては小さめで、現在新ターミナルが日本の協力のもと、建設が進められている。

空港からハノイまではタクシーが手っ取り早い。ぼったくりタクシーが多いので、ホーチミンでもよく見かけたマイリンを探してハノイのホテルに向かう。空港を出てからしばらくは平和な道路が続く。バイクも少ない。しかし、市内に入ってくると一気にカオスの度合いが増す。接触ぎりぎりにエキサイティング走行、バイクの割り込み、鳴り止むことのないクラクション…ああ、ベトナムだな、と言う街の風景だ。

繁華街の中にある小奇麗なホテルに到着。若い運転手は若干迷っていた様で危うい運転だったけれども…。とりあえず、近くのブン・チャー屋で遅めの昼食を済ます。その後、ホテルでうたた寝。夕方に今度は、ブン・ボーを食べる。ブン・チャーはハノイの名物で、付け麺だ。ブン・ボーは南部の料理で、汁なしの混ぜ麺。両方とも有名なお店で観光客も多いが、ベトナム庶民的な洒落気のない内装。プラスチックの器に、安っぽい椅子、テーブルの下にはゴミ箱(ただし、床にもごみは散乱している)…如何にもな風景だ。

夕食の後は、ホアンキエム湖へ。湖を一周、湖岸にライトを張り巡らしていると言うなんとも安っぽい演出が印象的(笑)。この辺はハノイでも栄えている場所らしくて、バイクの群れが道を埋め尽くしている。写真をパシャパシャとって、ホテルに戻る。

さて、明日は何を見ようか。

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GWの中休み、一応平日の今日、出掛けたついでに、欲しいものがあったので秋葉原に寄ってみたんだけれども、平日とは思えない人ごみだった…。混雑嫌いにはシンドイ。

さて、GW。秋葉原だけじゃなくて、自分のように山に向かった人も多いことだと思う。最近はちょっとした登山ブームらしくって、ミシュランに評価された高尾山や世界遺産に登録された富士山は以前にも増して人が多いと言う。GWは富士山には登れないが、高尾山に登るにはちょうどいい時期なので、秋葉原も顔負けな混雑振りだったのではなかろか。個人的には、四半世紀ほど高尾山には足を踏み入れていないのだが、そんなにいい山だったっけな?落ち着いたら行ってみようか。

んで、こう言うブームが起きると必ずマナーの問題が起きる。のだめのクラシックブームでもいろいろ問題があったらしい。それでもコンサートはかしこまってくるからまだマシだ。開放的な気分になってしまう登山の方が問題は深刻…になってしまうはず。

他人にはあまり興味はないんだけれども、最近なんだかなぁ、と思うのが、挨拶。登山道での挨拶は、遭難時の早期発見に役に立つので、大切なんだけれども、最近は結構無視される。道を譲ったときも、当たり前のような顔をして通り過ぎていく人も少なくない。よほど疲れているのならわかるけれども、とてもそうは見えない若い人たちが、サックリ通り過ぎていく。これは、登山以前の問題では…。

ただ、ごみの問題は言われているほどのことをあまり見たことがない。高尾山や富士山では酷いのだろうか。自分が気付かないだけなのだろうか。自分の一番古い記憶は30年ほど前の山だけれども、もっとゴミが散らかっていたと思う。あまりにも幼いころの記憶で曖昧だけど。

何と言っても、まずは…自分がマナー違反しないようにしないと、だ。

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金曜日に野暮用で宇都宮へ。やけに立派な県庁が印象的だが、中に入ると節電だらけで薄暗い。何のために立派なのか…。

で、GWのはじまった昨日から今日にかけて、尾瀬に行ってきた。北関東付いている。渋滞に巻き込まれたくないので、高崎まで電車&レンタカーで移動。流石に尾瀬に車なしで行くのはきつい。しかも、シーズン前だ。

1日目は戸倉温泉でのんびり、翌朝、尾瀬、と言うか、至仏山に登ると言うスケジュール。今頃の尾瀬は、まだまだ真っ白な世界。水芭蕉まではあと1か月ほど待たないといけない。GWだけ鳩待峠までの道が開通し、山スキーの人たちや登山を楽しむ人たちがゾロゾロと入ってくる。その中の一人になって、スノーシューで至仏山に登ってきたのだ。尤も、鳩待峠まで入れると言っても、ここの駐車場は台数が少なくて、夜のうちに一杯になってしまう。なので、戸倉からタクシーでピストン。

この2日間は非常に天気がよく、下が雪とは言え、ポカポカ陽気を通り越して、暑過ぎた。春山は、雪山とは言え、天気が良くなるとこうなるんだよね。雪もだいぶ緩んでいて、スノーシューが役に立つ。もちろん、雪崩には十分注意したい。

晴天の下、景色はよく見えたんだけれども、6月くらいまでは春霞で、周囲の山々は雪と相俟ってぼんやりとした色合いになる。写真映えはしない。

無雪期は狭い至仏山の山頂だが、雪があると結構居場所がある。人が多くてもあまり苦にはならない。雪の中から少しはみ出した這松の横で宿でもらったおにぎりときゅうりを食べる。下りは、スノーシューで半分滑りながら進むことが出来た。

下山後は、宿に戻って、温泉。そして、戸倉を後にして、少し標高が下がると、桜がちょうど見ごろだったので川沿いの桜並木に寄ってみた。ちなみに戸倉はまだ桜は開花していない。梅の蕾もまだ固い。桜はGW後だろうか。ここは梅と桜と桃が一緒に咲くそうだ。

その後、高崎でレンタカーを返し、新幹線で帰京。うん、面白かった!





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ファルコニエーリと言う作曲家を聴いたのは、ダニエル・ホープの『バロックの旅』と言う企画もののCDに数曲収められていたのが最初だ。中でも、冒頭に収められていたチャッコーナは印象的で、何度も聴いた。結局、このチャッコーナは、ファルコニエーリの純粋なオリジナルではなく、当時の有名なメロディを用いたもので、バロック期の多くの作曲家がこのメロディを使って曲を作っていたのだが、この当時はそんな知識もなかった。

チャッコーナのことを色々と知るようになってくると、ファルコニエーリの名前はだんだんと頭の隅の方に追いやられていった。と言っても、忘れたわけでもなく、少しは気になっていた。

で、ある時、1枚のCDを見つけてしまった。『ナポリ王室楽長アンドレア・ファルコニエーリの第1曲集』と言う日本語タイトルが付けられたもので、原題は単にAndrea Falconieri  Canzone,Sinfonie&Fantasieとなっている。輸入盤なんだけれども、日本語訳をくっつけて、国内盤仕様、国内盤価格(涙)で販売してくれるマーキュリーの輸入販売によるもの。レーベルはPan Classics。演奏者は、アリアーヌ・モレット率いるアンサンブル・イザベッラ・デステ。20年ほど前に、スイスのベルン州にある教会で録音され、Symphoniaからリリースされていたものを、Pan Classicsが再リリースしてくれた。

さて、ファルコニエーリ。彼の生きた時代(1585年頃~1656年)は、ちょうどルネサンス期からバロック期に移行する時代だった。とは言え、ドイツ・バロック3Sと呼ばれた、シュッツ、シャイト、シャインと同じ頃に、バロック発祥の地、要するに音楽先進国だったイタリアで生まれたことを考えれば、初期とは言え、バロック様式の音楽を作っていたと誰もが思うだろう。実際、自身も多くのバロック音楽に接していた、と言う。

しかし、ここに聴くファルコニエーリの音楽は実に保守的だ。保守的、即ち、ルネサンス的である。ルネサンスが声楽の時代、バロックは器楽曲が飛躍的に発展した時代とみるならば、全曲、器楽曲のこの曲集は、如何にもバロック的なのだが、曲調があまりにも前時代的なのだ。

バロック音楽にありがちな喜怒哀楽は影を潜め、ややもすれば耽美的な形式美に捉われたようなルネサンス風の穏やかな音楽が多く、ふと16世紀の声楽曲を器楽曲に編曲したものを聴いているような錯覚すら起きてしまう。もちろん、ルネサンス期の音楽に比べれば、バロックらしい自由な音楽運びも聴くことが出来るが、裏を返せば、その程度のバロック感である。モンテヴェルディと同世代、或いはその少し後くらいの世代であれば、まだ、この過渡期的な響きは理解できるが、重ねて言うようだけれども、ファルコニエーリの時代でこれはどうなんだろう。

CDの解説によれば、これはファルコニエーリのいたナポリ王室に、その理由があると言う。

ナポリは当時、スペイン王室の統治する領土で、ナポリ准王が為政者として派遣されていた。しかし、ファルコニエーリが王室楽長を務めていた頃、既に落日にあり、王室では、古き良き時代のスペイン・ルネサンス様式の音楽が好まれた、と言う訳らしい。

この何とも言えない中途半端な音楽、それはそれで美しく、得も言われぬ高揚感のなさがとても落ち着いたものに聴こえるのだ。演奏も、瑞々しく、古楽の楽団らしいすっきりとした表現がファルコニエーリの音楽によく合っている。

一風変わったバロック時代を聴くことが出来る1枚だ。



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ヴァレンティナ・リシッツァと言うピアニストをご存知だろうか。youtubeに動画を投稿しながら、地道に活動していたこのピアニストが、録音の世界でメジャーの舞台に登場したのは、ヒラリー・ハーンの伴奏者として、ドイツ・グラモフォンにアイヴスのヴァイオリン・ソナタを録音したのが最初のようだ。2009年の録音で、2011年に国内盤がリリースされている。その後、リストの作品集やラフマニノフのピアノ協奏曲全集と言う大仕事をDECCAに残し、今日のピアノ界の檜舞台に一気に駆け上がってきた。

とは言え、ピアノ音楽にあまり強いアンテナを張っていない自分は、「名前くらいは聞いたことがある」程度の認識だった。こういう人の演奏を聴くきっかけは、よほど興味深い企画のCDが出たとか、或いは、どこかの演奏会でたまたま聴いたとか、そう言う何かがないといけない。

さて、こんなことをグダグダ書いているのだから、その「何か」があったわけだ。今回このピアニストを聴くきっかけとなったのは、面白そうなCDが出たから。マイケル・ナイマンのピアノ作品を集めた『Chasing Pianos』と言うタイトルの1枚が、それ。

ナイマンは現代音楽の作曲家の中では、人気のある方だと思うが、こうやって、正統派のピアニストが真っ向から取り組んでいる例はあまり多くはない。映画音楽が多いこともあって、どちらかと言うと大衆的な香りのする音楽だからだろうか。そんな訳で、今回のリシッツァの録音は貴重。

今回のプログラムは、映画『ピアノ・レッスン』からの作品を中心に、ナイマンが手掛けてきた映画音楽から選ばれている。有名な「楽しみを希う心」(『ピアノ・レッスン』)は、冒頭1曲目。ストレートに綺麗。高揚感を抑え、落ち着いたテンポで丁寧に仕上げている。盛り上がった演奏を聴きたいのならば、ピアノ協奏曲に編曲されたものがおすすめ。その他、「さよならモルチェ」(『アンネの日記』)、「シープ・アンド・タイズ」(『数に溺れて』)など、心にそっと沁み込んでくるようなメロディの曲は、深いことを考えずにその美しさを楽しむことが出来る。

逆に、「羊飼いに任せておけ」(『英国式庭園殺人事件』)、「ヒア・トゥ・ゼア」(『ピアノ・レッスン』)、「フライ・ドライヴ」(『キャリントン』)などの躍動感ある曲では、ナイマンのメロディを大切にしつつ、力強く歌い上げる。

「ジャック」(『ワンダーランド』)なんかもカッコ良くてお薦め。短い曲が多いが、その他にも佳作ばかりで、だらっと流しておくだけで、部屋の雰囲気が一気によくなる優れもの。下手なアロマセラピーより効くと思う(無責任)。

なお、リシッツァのyoutubeはこちらから。今回のCDの動画も見ることが出来る。なんかとっても、素人っぽい撮影だけど(笑)。こういう活動の仕方って、とっても今日的なんだけれども、やっぱり二番煎じは上手くいかないのだろうか。それともモデルになるのだろうか。

 

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祝おう!10周年!

そう、今月でこのブログも開設10周年となる。利用させていただいているブログサービスは2度ほど引越した後のものだけれども、記事そのものは淡々と10年間続いてきた。いや、なに…びつくり。エイプリル・フールは、もうとっくに過ぎていることを確認しつつ、祝う。

さて、10年。「10年ひと昔」と言うものの、このネットの世界は、短期間で転々と時代が移ろう。10年も前の話は、「ひと昔」ではとても片付けられないほど、遠い過去だ。

10年前と言うと、mixiが出始めた頃。このブログがはじまる2ヶ月ほど前にサービスを開始したと言う。隆盛を極めたのはその数年後のことだ。その後、mixiが凋落し、今度はTwitterやFacebookが台頭してくる。共に日本語版をリリースしたのは、2008年のことだそうだ。この間さまざまなSNSサービスが、泡沫のように出来ては消えていった。結局何が残るのかはわからないけれども、2002年くらいから広がり始めた(Wikipediaによる)Blogは、いくつかのSNSにユーザーを譲ってきたとは言え、根強く残り続けている。

きっとこの「音楽雑記&四方山話」だって、ほかのサービスでやっていたら10年も続かなかっただろう。Blogはある程度定着した、ネット社会のツールと言って差し支えない。ある程度以上の年齢の人から見れば若い人たちのやっている「新しいこと」に見えるBlogも、もはや、昔からの定番ツールになりつつあるのだ。TwitterやFacebookをやっている人の中には、古いものと断じる人もいるかもしれない。

そんなツールで10周年。繰り返すようだけれども、現実社会ですら10年と言う歳月はひと昔なのだ。10年前の街の様子を記録した映像をYoutubeで見てみると、何とも野暮ったい、古臭さを感じずにはいられない。ノスタルジーを感じてしまうほどだ。こんな時代もあったのだ、と。
 
そう、調子に乗って宣言しよう。老舗だと!(汗)

ちなみに、このコンテンツっぽいタイトル、実際、ホームページのコンテンツの一つだったことに由来する。実は、Blog開設前からあって、その期間をプラスするともう少しだけ、歴史は長くなる。だけど、その記事はもう公開していない。いや、それどころか、HDDのどこにあるかも判らない。だから、事実上、10周年と言っていい。無理にそこん所は、背伸びする必要もない。10周年で十分な長さだもんで(笑)。

内容は、旅行記綴ったり、写真載っけたり、至って自由な自分のためのBlogだけれども、基本は、音楽。この軸をまったく気にせず、ブレながら進めてきたわけだけれども、もう、何と言うか、修正する気も、反省する気もなく、開き直る気しかない。自己顕示欲を満たすためにだけ突き進みたい。いや、それほど閲覧数が多いわけではないか。その欲望は満たせない。じゃぁ、なんなのだ。なんなんだろう?このもやっとした目的意識のなさ。これがダラダラと続けてこられた理由かもしれない。コメントが少なくたってへこたれない。カウンターの半分は自分がまわしているものであってもへこたれない。むしろ気にしない。今日も書きたいことを書く。記事数ゼロの月がないことぐらいしか、律儀なところはない。

そんなテキトーなブログを見ていてくださった皆様!ありがとうございました&今後ともよろしく!!

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消費税増税である。クリスマスだと言ってCDを買い、年末だと言ってCDを買うクラヲタにとっては、この上ない「言い掛かり」である。しかし、買っていないのだ。全くではないんだけれども、最近は、「無」の心境でグッと物欲を抑えて、どっしりと構えて、新譜情報を漁っている。

とは言え、世の中は増税ブーム。買い溜めこそ、時代の最先端。電車の運賃も上がるので、今日は電車に乗りまくった人もいたのではないだろうか。定期券売り場も長蛇の列だ。飛行機のチケットもこっそりと上がる。今日、「沖縄まで3往復しました!」なんて強者も居そうに見えるが、こちらは購入が3月一杯なら、搭乗日が8月でも10月でも消費税は5%のままだ。もっとも、飛行機は旅割70、60、45、28、21なんてものがあって、消費税がどこまでどう影響しているのかさっぱりわからない。

この機会に大きな買い物をした人もたくさんいるだろう。自分もウォークマンを買った。ただ単に今まで使っていたポータブルプレイヤーが壊れたってだけなんだけれども…。

これがなかなかの優れもので、ハイレゾ音源も対応している。更にAndroidを搭載、動画も再生可能、写真も取り込んでみることが出来る。とってもスマホっぽい。未だにガラクタケータイを使っているんだけれども、割と真剣にスマホへの切り替えが遠ざかった。消費税も上がるし!!

高価なもので今欲しいのは、レンズかなぁ。望遠が欲しい。自分の持っている一眼レフデジカメはAPS-Cだから、300㎜あれば、450㎜までいける。トリミングすれば良いって言われたら、そりゃ、そうなんだけれどもね。一応、トリミングは画質が落ちちゃうし、なぁ。

消費税が上がった後、どういう価格になるのか。需要を先食いして、値段が落ちるか、普通に消費税分だけ上がってしまうのか、見分けながらタイミングを見て買えたら買いたい。

ちなみに、外国を旅行していると、消費税の高さにびっくりする。ホント、もうね、価格表をみて、「こんなものか…」と思って買うと、想像以上に高い金額を請求されてびっくりしてしまう。

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3大メロディメーカーを挙げるとするならば、チャイコフスキー、ドヴォルザーク、メンデルスゾーン。3大なんとかってあんま興味ないんだけれども、これだけは、ドンピシャだろうと思っている。自分で勝手に考えたんだけれどもね(汗)。異論があればどうぞ。

メロディメーカーと言えば、初心者向け感満載。クラシック聴きたい?じゃー、チャイコフスキーとか、ドヴォルザークとかってなる。だけど、なぜか、メンデルスゾーンには行かない。なんでかそんな気がする。気のせいかもしれないけれども。

とは言え、メンデルスゾーンのメロディメーカーっぷりは、他の2人に引けを取るものではない。特に、甘いメロディを書かせたら、ロマン派随一と言っていいと思う。交響曲ではそうでもないけれども、室内楽は甘く綺麗なメロディのオンパレードだ。

中でも、個人的には、チェロとピアノのための作品集は逸品だと思っている。メロディに溺れたいときは、これ。チェロの音色がメンデルスゾーンの作り出す世界にピタリとくるのだ。ブラームスのチェロ・ソナタで醸し出される渋い燻し銀の様な雰囲気とは全く別の歌心溢れる世界。

今聴いているのは、気鋭のチェリスト、ダニエル・ミュラー=ショットの演奏。ピアノ伴奏はジョナサン・ギラード。1曲目の協奏的変奏曲から丁寧な音楽作りに好感が持てる。メンデルスゾーンの持っている勢いよりは、音楽の美しさに耳を奪われる演奏。ミュラー=ショットの演奏はこの録音がはじめてだけれども、とても綺麗に楽器を響かせる演奏家だ。特に「無言歌」や「歌の翼に」の耽美的な世界は見事。冒頭から勢いよく飛び出していくメロディが印象的なソナタ第2番も、やや落ち着いた雰囲気で、冷静に音楽を作り上げていく。畳み掛けてこないメンデルスゾーン。こういう演奏もありだろう。

ミュラー=ショットは、1976年生まれと言うから、今年で38歳。ミュンヘン出身と言うこともあってか、OrfeoからCDをリリースしている。既にメジャーな作品の多くをリリースしているが、今後楽しみなチェリストの一人だろう。

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以前から気になっていたクーベリック&ウィーン・フィルの『わが祖国』がタワーレコードのオリジナル企画でCD化されたので、買ってみた。以前からたまにCD化はされていたのだけれども、何とはなしに見送っていたのだ。

で、なんで気になっていたかと言うと、クーベリック×ウィーン・フィル×『わが祖国』と言う、とっても名演が生まれてきそうな組み合わせだから。でも、数あるクーベリックの『わが祖国』の中では、今一つ、話題に上がってこない。なんなのだ…。

録音されたのは、1958年4月、ウィーンのゾフィエンザール。クーベリックにとって2度目の『わが祖国』の録音である。1度目は、1952年のシカゴ響との録音。こちらはモノラルだった。ステレオとしては、初となる。その後、ボストン響(1971年)、バイエルン放送響(1984年、ライヴ録音)、チェコ・フィル(1990年&1991年、ライヴ録音)と録音を繰り返し、計6種類の演奏を残している。録音場所のゾフィエンザールは、当時、DECCAがウィーン・フィルを録音するのに使っていたホールで、数年前に解体されたようだ。ムジークフェラインが録音に向かないとかで使われていたようだが、その音響レベルには疑問が残る。

演奏は無難。何と言うか…無難。他の5種類、すべてを聴いているわけではないんだけれども、聴いたことのある録音は、もっと熱い思いが溢れていたように思う。クーベリックはライヴで燃えるタイプだと聞いたことはあるけれども、それにしたって、無難に収め過ぎている。ウィーン・フィルらしい美感は損なわれていないんだけれども、それだけだったら、なにもクーベリックである必要はない。

録音は、ステレオ初期っぽい感じ。貧弱っていうのかな、奥行きがあまりないと言うのかな。そんな感じ。最近の録音に慣れてしまうと、せめて、1970年代以降の録音レベルで音楽を聴きたくなる。もっとも、そんな録音状態でも、良い演奏は、感動を呼ぶものではあるけれども。

悪い演奏じゃない、時代を考えれば悪い録音でもないのだろう。だけれども、クーベリックの『わが祖国』としては、6種類も揃っている中で、目立たない存在になってしまっているのは、止むを得ないような録音かもしれない。スタンダードな演奏でウィーン・フィルの『わが祖国』を聴きたいんだと言うのならば、良いかもしれない。殊更民族色を強調しているわけでもないので、過剰な思い入れなしには聴けるだろう。
 
ちなみに、同時期にクーベリックは、やはり、ウィーン・フィルとブラームスの交響曲全集を録音しているのだが、同傾向の演奏なのだろうか。興味はあるんだけれども、やはり後年のバイエルン放送響との演奏を持っていれば、特に必要ないようなものなのだろうか。

 

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