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あー…あーあ…プレトニェフ、タイで14歳の少年に性的暴行を加えたとかで、逮捕されたらしい。こんだけのビックネームなのにNHKのニュースのタイトルは単に「タイ ロシア人音楽家を逮捕」。視聴者は知らないのが大前提だとこういうタイトルになるんだろう。確かに、普通の人は知らないかも。だけど、このクラスの演奏家は日本にはいない。指揮者兼ピアニスト…指揮者は小澤征爾なら知名度で互角かもだけど、ピアニストとしては、プレトニェフ並の名声を得た日本人はいない。内田光子は評価は高いが、プレトニェフ並の名声を得たかと言えば、それはちょっと…。

言ってしまえば、日本人で最高の指揮者と最高のピアニストを足しても追いつかないような、すごい人なのに単に「ロシア人音楽家」。これは逆に言えば、日本でキャッキャ騒いでいるような演奏家も外国に行けば、大した認識はされていないと言うことでもある。演奏家に限らない。スポーツ選手でも、俳優でもそうだ。残念だな。

さて、プレトニェフ、真実だとしたら、ダメダメだろ。どうなるのかわからないけど、もったいないなぁ。努力したって得られる才能じゃないのに…。とは言え、プレトニェフは捕まって、クレンペラーは捕まらずに堂々と生きていたと言う謎。クレンペラーは合法だったのか?話だけ聴いていると、良く逮捕されなかったものだと思うんだが。

ちなみに、プレトニェフの録音は、ちょっと前に出たベートーヴェンの交響曲全集が激烈に面白い。ベートーヴェンの交響曲全集なんて、凄まじい数がリリースされていて、新たにリリースされる必要なんてもうないんじゃないか、需要なんてもうないんじゃないか、と思っていたんだが、こういう面白いことができるなら、全然ありだ!と思ったものである。もし、CDショップから消えるようなことがあるなら早めに買っておいた方が良い。芸術そのものに罪はない、と思う。ほかにもプレトニェフの演奏は結構好きで、そこそこ持っているけど、廃盤にしないでもらいたいなぁ。

そう言えば、プレトニェフのサインCD持っているんだよなー。誰でも書けるやつwあの時聴いた『春の祭典』は素晴らしかったなぁ。やっぱ、これで楽壇から姿を消すとしたらあまりにも勿体ないなー。才能を誰かに譲れるような技術があればいいのに!そんなことしたらだれも努力しなくなるか…。

それにしても、マスコミってきちんと犯罪者っぽく写真撮るもんだな…。人を蔑む能力には長けている。

pletnev-grieg.jpg






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少し前にも『春の祭典』の記事を書いたシモン・ボリバル・ユース・オーケストラ(SBYO)について、1年ほど前にも記事を書いている→こちら。曰く、「日本の聴衆はノリが悪い」「プロムスはノリがよくって良いね!」…間違ってた。ごめんなさい。

Mambo!New Year's Eve Concert 2007 from Caracas(YouTube)

イングランドの皆様、ノリ悪すぎ。これを見て反省しましょう!(笑)やっぱ地元の演奏は、爆裂しすぎだ。カラカス>>>>>プロムス>>>>>>>>>>>東京。東京での演奏は、観客の反応がアレなので、ちょっとやっている方も恥ずかしそうだ。

つうかさ、ヴァイオリン投げるか、フツー…(汗)。おいらにゃ、怖くてできねぇ。

この映像で気になることをもう一つ。観客にも若い人多いんだよね。たぶん、若年者対象のコンサートじゃないと思うんだけど。変にプライドの高い、真面目ぶったどこかの国のクラシック音楽はどうにも若者にも敬遠されがち(またはファッション的に好かれがち)なんだが、この映像には本当に音楽を楽しんでいる若者の姿が映し出されている。単に、プレイヤーとして成功しているんじゃないんだな、SBYOは。日本のオーケストラは良家出身のエリート、SBYOはストリートチルドレン上がりの非エリート。その非エリートが痛烈に感じさせてくれること、それは音楽ってさ、エンターテイメントなんだよ?って当たり前のことだ。

そんなことを考えていたら、のだめがクラシック音楽に果たす役割について少し疑念がわいてきた。まぁ、のだめそのものは面白いからいいけど(と言いつつ、映画とか観ていない…)。

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8月にHMV渋谷店、閉店。この6月に銀座インズ店も閉店となる。これはやはり、TSUTAYAのCCCCCCCCCCCC…もとい、CCCに買収される関係なんだろうか?HMV Online&Amazonの影響なんだろうか?うーん…残念!と言うほど、近頃は全くお世話になっていなかった。理由は簡単だ。HMV Onlineの方が断然安いから。なんで、こんなに値段が違うんだろう?ってくらい。実物を見て決めると言う楽しみと言うのも確かにあるんだけれども、そうなると渋谷ではTower Recordsに分がある。

とは言え、寂寥感がないわけではない。何だかんだ言って、よく行っていたしなぁ。それにワンフロアすべてクラシックが独占している店舗の減少はやはりガッカリものだ。石丸電気はもちろん、Tower Records渋谷、新宿、秋葉原には踏ん張っていてほしいものだ。でも、秋葉原店のクラシックコーナーは人影まばらだなぁ。クラシックコーナーがある日、突然、棚1つになっても不思議はない。

まぁ、閉店セールみたいのがあるだろうから、こまめに情報をチェックしてハイエナのように得しよう!

 

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今日は、シューマンの誕生日。ちょうど200年前の今日、シューマンが誕生した。あ、ちなみにシューマンと言ってもウィリアムではないぞ(ウィリアムはSchuman、ロベルトはSchumannという違いもある)
…ってこのネタ、前にも書いたような。ウィリアム・シューマンの誕生日は8月なのでもう少し待とう。こちらも生誕100周年。要するに、100年ごとに著名な作曲家シューマンが誕生しているのである。2度あることは3度あるのか?今年生まれるシューマンにも大いに期待をしたいところ。なんなら、日本人でも子供が生まれたら、秀満なんて命名すれば著名な作曲家に育つかも(ムリか…汗)。

こうしたアニヴァーサリーの肝心な記念日は見事にスルーしまくるおいらだが、今回は偶然気が付いた。これは僥倖。と言うわけで早速、CDを聴いている。ミケランジェリの演奏で『謝肉祭』。シューマンはあまり熱心に聴いている作曲家ではないんだけれども、この曲は大好きだ。可愛らしい表情がそここことなく散りばめられていて、軽くお伽の国に迷い込んだような錯覚すら覚える。シューマンのファンタジック・ワールド全開。何と言う楽しさ、美しさ!!30分程度の曲に、細切れに20ほどのタイトルが付けられ、目まぐるしく曲想が変わっていく。支離滅裂な感じがするんだけど、これを幻想的と捉えてしまえば、それは魅力になる。ついて行けなければそれまでだけれども。

この曲、聴いていて、「そうだなぁ、もうちょっとシューマン聴こうか…」とも思っている。特にピアノ曲。今年は、ショパン・イヤーで全面的にショパン万歳な状況だけれども、個人的にはシューマンの方がまだ興味があるかも。あ、そう言えば、CASCAVELLEからシューマン・ボックスが出るので、買おうかと思っている。適当に詰め合わせた感がなく、魅力的な音源も満載。アルミン・ジョルダンの『楽園とペリ』は未発表音源とのこと。これで7枚組3,000円以下なら絶対に買いだと思う。


schumann.jpg







 

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昨日のコンサートでちょっと気になったことがある。それは、楽器の持ち込みである。

昨日はヒラリー・ハーンが出演すると言うことで、ケースにサインをしてもらうためか、ヴァイオリンを持ち込んでいる人が多かったようである。が、あれ、楽器って、クロークに預けられないんだろうか?座席の下にでも置いているんだろうけど、邪魔じゃないか?お隣に迷惑はかからないのか?そもそも音響的に問題あるんじゃないか?ヴァイオリンケースの中は意外と遮音されているのだろうか?入ったことないから知らないけど(汗)。などなど、気になったんである。ヴァイオリンの先生に訊いてみよう!

ちなみに、西洋かぶれなことは言いたくないんだが、ウィーンでは見なかったなぁ、楽器の持ち込みしている人。ハーンが出ているコンサートでも。ロスアンゼルスはそもそもそんな高そうなものを持って歩くことの方が危険だから、当然いなかったけど(汗)。実際、ロス・フィルがストラディヴァリ盗まれて慌ててたこともあったし。

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現代にモーツァルトやベートーヴェン、ブラームスのような音楽家は出現しないのか?いや、もう出現していて実は気付いていないだけなのだろうか?何百年も後には、結構聴かれているんだろうか?音楽を聴くようになってから今まで、そんな疑問を持ち続けていた。今、自分の中で納得のいっている説を色々なものからの受け売りを交えつつ、小生意気な考察をしてみる。

まず、この疑問について、ちょっと前のこのブログでクリストフ・フォン・ドホナーニの興味深いインタビューを紹介したことがあるので、以下に再掲しておこう。

Q.(21世紀に)20世紀から残っていくもの(音楽)は?
A.20世紀前半からは、数多くのものが残るでしょう。後半の方が、同時代人としては判断が難しいですね。第2次世界大戦後に書かれたもので、私から見て本当に強力な持続性を持つと思われるものはとても限られていたと現時点では申しておきますが、的外れになるかもしれません
(『指揮者が語る!』D.D.ショルツ著/蔵原順子、石川桂子訳/アルファベータ/2008年より抜粋)

自信なさげだが、この見識は正しいと思う。

これまで西洋音楽は中世からルネッサンス、ルネッサンスからバロック、バロックから古典派、古典派からロマン派へと新しい形を求めながら華麗に、発展的に進歩してきた。そして、たぶん、ほぼ完成形に近付いたのがロマン派の音楽だ(だからと言って、単純にロマン派の音楽が、ルネサンス音楽よりも優れていると言うわけではない)。

しかし、近現代の作曲家はさらなる変貌を音楽に求めた。それが、印象派や新古典主義、新ウィーン楽派と言った、20世紀初頭の音楽だ。これらは、ある程度の成功を収めたが、ロマン派や古典派のような大きな潮流を作るほどではなかった。そして、これらの楽派の後を受けた戦後音楽は、更に試行錯誤を始める。こうして、20世紀後半、戦後の現代音楽は「強烈な持続性を持つ」大きな流れを失っていった。

これまで西洋音楽が成功してきた、次時代への華麗なる転換を20世紀初頭に敢行して、「失敗」したのである。ロマン派と言う偉大なる前任者への挑戦が、何百年も綿々と発展してきた西洋音楽に一つのピリオドを打たせた。そうして、音楽は作曲する時代から演奏する時代へと移っていく。

とは言え、今なお、作曲する人たちは数多くいる。優秀な人もいるだろう。しかし、今日には、ロマン派、古典派、印象派と言った大きな拠り所はない(もちろん、それらも当時は現代音楽だったのだが)。そして、西洋音楽の完成形であると思われるロマン派的手法は語りつくされてしまった。こうした行き詰った状況にあっては、モーツァルトやベートーヴェンは出現し得ない。

これがいまの一つの結論。たぶん、色々間違っているだろうけど、自分自身の中で今のところ納得しているものだ。

さて、西洋音楽は、ポピュラー音楽も含まれる。世の人はクラシックとポピュラー音楽の間に高い壁か、深い溝を作りたがるが、実は、ポピュラー音楽だって西洋音楽史の中の一部分に過ぎない。真剣にポピュラー音楽を聴いていないので、偉そうなことは言えないが、ポピュラー音楽は実は、ロマン派の流れを汲んでいる(以前の記事を
参照)。ロマン派までの手法を必死に否定し、聴衆から離れて行ったゲンダイ音楽よりもロマン派に従順だ。

ただ、ポピュラー音楽の音楽家とロマン派の作曲家に大きな違いがあるとすれば、「100年後には私の時代がくる」と言うマーラーの言葉に代表されるようにロマン派の作曲家たちが後世に名声を得ることに執着していたのに対して、ポピュラー音楽は、今現在に名声を求める傾向があると言うことだ。もちろん、ロマン派の作曲家とて、生前の成功も望んでいたには違いないが、それ以上に自分の寿命以上に生きる作品を意図的に作曲していた。だから、長く聴かれているのだ。

対して、ポピュラー音楽の音楽家は今現在、名声を得たいと願っている。10年後のことはそれほど興味がない。時流に合わせた曲を新たに作ればいいと思っている。と言うことで、平易で短く、馴染みやすい曲になった。世俗に応じて俗っぽくなった。音楽の商業化、大量消費が横行し、人々は次々に流行を追い求めて行く。

と言うと、悪口に聴こえるだろうが、なにも、クラシックと言う言葉でひとくくりにされている19世紀以前の西洋音楽(随分乱暴なくくりだが)だって、ロマン派のように偉ぶった高尚な音楽ばかりではない。

例えば、イギリスのルネサンス期に活躍したダウランドと言う作曲家は、言ってしまえば、今で言うところのシンガーソングライターだった。ギターの原型であると言われているリュートを演奏しながら歌える、数分程度の曲を作曲していた。その中から『流れよ、わが涙』のようなヒット作品が生まれ、欧州各地で歌われるようになった。いまのポップスシーンでも見られるような形ではないだろうか。欧州各地で歌われた、ってのも、カラオケみたいなものだ。

ルネサンス期の音楽と言う比較的マイナーな事例をあげずとも、バロック音楽だの、古典派音楽だのと言うのも、ずいぶんな音楽だった。J.S.バッハのゴルドベルク変奏曲が眠るための音楽であることは有名だが、その他の音楽だって、それほど高尚な目的で書かれているわけではない。例えば、テレマンで有名なターフェル・ムジークと言うのがある。これはテーブル・ミュージック、即ち、食卓の音楽と言う意味だ。言ってしまえば、食事のときに流しておくための音楽。食事中だから、リスナーはおしゃべりもするだろうし、聴いていないこともしばしば。ひどい話である。

ターフェル・ムジークは露骨だが、モーツァルトの作品だって、彼の演奏している昔の画を見ていれば、しばしばターフェル・ムジークのような扱いを受けていたのは明白である。

そして、これらの作品は、大量に作曲され、消費されていった。例えば、モーツァルトの作品数を見れば、そのことは明白だ。わずか、35年の生涯で600曲以上。いくら幼少期から活動したとはいえ、オペラのような大作を含めてこれほどの曲を書かなくてはならなかったとは、凄まじい。

このようにバロック、古典派の作曲家は、今のポピュラー音楽同様に、今現在の成功を求め、世俗に媚びて極めて俗っぽい。そして、リスナーにわかりやすいようにするためなのか、同じような曲が多い。だから、ポピュラー音楽を「世俗に媚びて俗っぽい」「音楽の商業化、大量消費が横行」と言って批判をすれば、すぐバロック、古典派にも同じ批判が当てはまってしまう。

で、さて、遠まわしになってしまったが、では、こういう音楽は数百年後に評価されているのだろうか。残念ながらそれは「否」である。確かに、モーツァルト、ハイドン、J.S.バッハ、ヴィヴァルディ、ヘンデルと言った一部の偉人は名前が残ってはいる。しかし、ほかはどうだろう?残っていると言っても、一部のマニアが喜んで聴いているだけだ。バロック&古典派の200年の歴史は、その後、たった半分の歴史しかないロマン派音楽よりもずっと印象は薄い。

そう考えれば、ポピュラー音楽もまた、同じことになるのかもしれない。結局は、ドホナーニが言うように「本当に強力な持続性を持つと思われるものはとても限られていた」と言うことになるんだと思う。

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フランチェスカッティのメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を聴いている。ホント、この演奏の美しさには酔わされる。天衣無縫に駆け巡る歌心溢れる音色…ただ、ひたすら美しさを求め続けるならば、これほどの演奏はないだろう。少なくても、おいらが聴いた演奏の中では最強の美しさだ。

では、さて、今の演奏家はいかほどのものか。美しいと言えば、ルノー・カプソンだ。うん。持ってない。欲しいんだよね…。じゃ、買うか。と言いたいところなんだけど、ここ2週間ほどちっともCDを買っていない。HMVで入手困難をダメもとで注文しただけ。たぶん、これはそうそう送られてこない。てなわけで、この勢いを続けていきたいと思っているところ。だから、カプソンのメンデルスゾーンもしばらく買わない。たぶん、きっと、いや、分かんないけど…。

唐突だけど、話変わって、さっき、プーランクの田園のコンセールを聴いていたんだけど、これ、やっぱピアノでやるとなんかおかしいよなぁ。最初に、ロジェ&デュトワを聴いて、次にピノック&小澤を聴いて、最後にちらっと、ギレリス&コンドラシンを聴いた。ギレリスだけピアノ。なんか、こう、せっかくの新古典なのに…残念、って感じだ。まぁ、ロシア・コンビのプーランクなんて本来の香りを楽しむための演奏じゃないことは確かかもしれないけど。やっぱ、この曲はチェンバロだよなぁ。

で、ここで思い出したのが、のだめで千秋真一が弾き振りしたバッハのコンチェルト。アニメで観たんだけど、やっぱ、これもピアノで弾く曲じゃない。千秋はホールが大きいからピアノを使ったと説明しているんだけど、違和感あったなぁ。最近、古典派マイブームでコンチェルト・ケルンとか、カペラ・コロニエンシスとか、その辺のオリジナル楽器の楽団の演奏を聴きすぎたせいだろうか…。それほど、原典にこだわったリスナーでいるつもりはないんだけど…。

ちなみに、モーツァルトのピアノ曲は普通のピアノで聴いても何の違和感もない。変な話だ。古典派は、いいけど、バロックはダメってことかな?

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CDデータ化、始めてから2か月以上が経過していたんだなぁ~。一つの区切りとなる目標の1,000枚まであと少し。GW中には1,000枚超えを果たしたい。今は、DHM50周年記念盤を処理中。長い、ひたすら長い。こいつを処理し終われば、1,000枚はすぐ。

それにしても、一体何枚あるんだろう?それも、この作業が終わればはっきりする。だけれども、いつになったら終わるのやら…嘆かわしい(笑)。まぁ、何となく、半年かな?とは思っているんだけれどもね。

ちなみに、2,000枚は確実に超えると思うんだが、この2,000枚と言う数字、1日1枚買い続けても、5年半かかる。1枚60分として、1日中流しても2カ月半続く。まぁ、こういう計算はあんま意味ないんだけどねー。1日中流さないし(笑)。

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面白い!いやいや、面白すぎる!!

先日ホームページ上でやっていたHMVの「クラシック音楽に関する意識調査」の結果が公表された。もちろん、おいらもやった。回答すると、確か、ポイントをもらえたはず…。

調査結果はクラシックユーザーとノンクラシックユーザーに分けられている。

まず…クラシックユーザー編。年齢構成は、クラシック好き嫌いと言うか、あまり高齢の方はネットショッピングをしないと言うことだと思う。20代が少ないのは、クラシックはある程度年齢が行ってから聴かれるもの、と言うことなのか、人気がなくなっているのか…どっちかなんだろうな。

年齢構成よりも驚くのが、男女比。男性77%―爆。理由は、謎。もう、クラシックの普及活動は男子校に行くのが一番なんじゃないか?(ちなみにノンクラシックユーザーは男性54%なので、まぁ、人口比率にも近い数字だ。)確かに、CDショップは男ばかり。コンサートに行くとノンクラシックユーザーの男女比に近くなると思うけど。まぁ、こうなるのも、謎。

「Q1.クラシックの魅力を一言で言うと?」1位の奥深さはともかく2位の「癒し」を選んだ人の大方はコアなクラシックユーザーではないな。クラシックユーザーかノンクラシックユーザーかは、自主申請なので、なんだかなぁな人も混じるのはしょうがない。5位の「多様性」こそクラシックの魅力だと思うが、単に「癒し」と判ずる人とは正反対の意見だと思う。もちろん、3位「美」や4位「飽きがこない」というのはあると思う。

「Q6クラシックのCD、何枚持っていますか?」1位1,000枚以上33%。2位の500枚~1,000枚を合せると60%。HMVとしても喜ばしい結果だ。つか、HMVの調査だしな。コンサート派は少ないかも。と言うわけで「Q7.クラシックの演奏会、1年に何回くらい足を運びますか?」は年間1~5回が約半数。おいらは、今年に限って言えば、既に7回行っており、更にとったチケットがあと4回分あるので、11回となる。が、今年は特別。平年はやはりLFJ込みで5回程度。平均的なHMV利用クラシックファンだ。

「Q9.クラシック好きが高じてついついやってしまった失敗は?」「1位CDを買いすぎてしまう」が圧倒的大差だったとwwHMVさん、貴方のせいだ!自作自演(笑)まぁ、しょうがない。クラシック好きなら当たり前のこと。つか、のだめでクラシック・ファンが増えていると言うけど、CDの販売数が伸びていないのは…ということだ。

続いて、ノンクラシックユーザー編を。まぁ、ノンクラシックユーザーとは言え、まったく興味がないわけじゃないと思う。なので、一般的なクラシックのイメージで勘違いしている人も…。

それが早速「Q2.クラシックのイメージと言えば?」で出てくる。1位「癒し」28%、2位「知的」18%、3位「高尚」11%、このトップ3、未だかつて感じた事なし。「癒し」は曲によっては感じるけど、それは多様なもののひとつに過ぎない。「知的」は、まぁ、バッハとか、すんげぇ、計算されつくされた曲を書いているから、確かに「知的」だけど、古典派は優美だけど「知的」と言うのとは違うと思う。それでこそ、クラシックは多様。何百年の歴史で「知的」で「癒し」の音楽しかないわけがない。とんでもない勘違いだ。LFJはこういう勘違いを正す音楽祭に成長して欲しい。

「Q4.クラシックを身近に感じる(感じた)ものといえば?」「1位のだめカンタービレ」24%。のだめブームが去ったら恐怖だな、こりゃ。24%がごそっと抜ける。まぁ、のだめの影響がさほどコアなクラシック市場に影響していないんじゃないかとおもうんで、HMV的にはどうでもいいか。HMVのクラシックの売り上げ支えているのは確実にコアなクラシックマニアたちだろう(含むおいら)。

「Q5.ジャンルに関わらず、持っているCDの枚数は?」「1位200枚~500枚」クラシックユーザーは買い過ぎ。HMVにとっては、とっても大切な「顧客」になってくている人たちだ。おいらもそうなんで、偉そうに言うのはなんだけど、HMVはこれまでクラシックを大切に扱ってきてくれたと言う印象がある。今後、TSUTAYAの傘下に入るそうだけど、このスタンスは変えないで欲しいと切に願うばかりだ。

以上、ざっくり突っ込みを入れてみたが、ある程度、おいらが普段から感じていたことが、明確に形になったという印象だ。これをもとにHMVはどうゆう活動を展開するんだろうか?クラシック普及のための「なにか」をしてもらいたいものである。


hmv.jpg




 

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HMVのホームページにベルリン・フィル・ラウンジっていうのがある。ベルリン・フィル関係のほか、最後の方にちょこっと欧米での音楽ニュースが出ていて興味深い。おいらの好きな指揮者、レナード・スラットキンがMETでやらかしちゃって降板騒動になっているとか、マゼールがミュンヘン・フィルの首席指揮者になったとか…。情報が乏しいおいらにとってはなかなか興味深い内容がちょくちょく載っている。頻繁に更新されるものじゃないけど、楽しみにしたい。

さて、最近、読み始めたので、Back Numberを確認してみたところ…昨年12月の記事に興味深い情報を見つけた。

バイエルン国立歌劇場で『愛の妙薬』が話題を呼んだらしい。ネモリーネにジュゼッペ・フィリアノーティ、アディーナにニーノ・マカイーゼ。フィリアノーティが「圧倒的喝采を集め、ミュンヘンにおけるスターの地位を確立した」そうだ。マカイーゼも好評らしい。

うん。なかなか、おいらの熱心に聴いていないジャンルのお話だ。まるで興味がないわけではないけど。このブログでも痛オペイタオペの話題ってあんま出ない…と思う。しかし、フィリアノーティ&マカイーゼの『愛の妙薬』と言えば、おいらがLAオペラで観たものじゃないか。

凄く良くって、「いつかきっと大成功をおさめる歌手だ!」と偉そうにこのブログで書いた記憶がある。着実に現実化して行っているようで、なんだか嬉しい。まぁ、成功して当たり前のような実力だったけど。DVDにならないかなぁ~。

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