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6大メジャー(Deutsche Grammophon、EMI、DECCA、Sony Classical、RCA、PHILIPS)の時代は終わった。そんな話は、今更語るまでもない。それでも、どうしても、染みついた常識はなかなか引っくり返らない。そんな頭の古いクラヲタ(自分含)に、現実をまざまざと見せつけたのは、PHILIPSの消滅ではないだろうか。PHILIPSは2007年にDECCAの傘下に入り、2009年にはロゴも消滅した。

ロゴが残っているうちは、大元がどうなっても、「ま、まだまだ元気じゃん」と過去に縋ってもいられるんだけれども、ゾンビのようなロゴすらなくなってしまうと、「終わった」感にトドメが刺される。PHILIPSがなくなったときは、正にそれだった。

そして、今度はEMIとVirginが消えた。Virginはともかく、EMIは衝撃的だ。クラシック系のレーベルでは最大級のレーベルがこうもいとも簡単に消えてしまうものなのか。そして、消えて何になるのかと言うと、EMIとTELDECはWarnerに、VirginとEMI FranceはEratoになる。

え?Eratoが一気にメジャー級に?と驚くのはまだ早い。このErato、ロゴは昔のままだが、実態は昔のEratoとは何の関係もない。旧Eratoは1992年にWarnerに吸収され10年ほど活動を続けていたが、業績が悪く、既に10年以上前に活動を停止している。

今回、復活したのは、単なる集約するためのロゴに過ぎないようだ。それにしたって、EMIが消えて、Eratoが残るとはねぇ。

寂しい限りだ…と思うんだけど、いやいや、でも思い返してみれば、これまでだって、レーベルの統廃合や買収云々はたくさんあった。CBSがSony Classicalになったり、HMVがEMIになったり…これは時代の流れ、よくある変動なのだ。もちろん、CBSやHMVが活動していた頃のことなど知る由もないのだけれども。もしかするとそういう過去の変動を知っている世代の方は、案外達観していて、「今度はそうなったか」くらいにしか思っていないかもしれない。

なんて、グダグダ書いてきたけど、最近買ったCDで旧6大メジャー系のCD少ない…。

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家ではラジオを全く聞かないんだけれども、旅先のドライブなんかでは、時折、流していたりする。先日の宮古島でもラジオを聞きながらドライブをしていたんだけれども、たまたま葉加瀬太郎さんが出演して、最近、話題になっているゴーストライターの話をしていた。

言わずと知れた、佐村河内守さんの件。この人については、これまた滅多に見ないTVで特集をやっているのを偶然見たことがある。交響曲なんて言っているので、興味を持って見たんだけれども、なんか、自分の好きな世界と違う世界の人のような気がして、ほんの数分で見るのを止めてしまった。こんな風に書いているくらいで、記憶には残っていたんだけど、「あ~、あの時の人かぁ…」と顔を見て思い出すくらいの認識である。あとは、最近、CDショップの棚に並んでいるのを見て、「佐村 河内守(さむら かわちのかみ)」と読んで、「武士かな?」とは思っていた。TVで見た後、名前までは覚えていなかったのだ。正確には、「さむらごうち まもる」と読む。

それでこそ、葉加瀬太郎さんのようなライトな感じの音楽家なのかと思っていたんだけれども、報道を見る限り、本格的な作曲家として認識されていたらしい。実際に音楽を聴いたことがないので、その辺は何だかわからないけれども。

さて、この一件、詐欺だなんだと言う下世話な話はマスコミに任せておいて、音楽好きな人たちにとって興味深いのは、「作曲家のパーソナリティ」と「音楽そのもの」の関係である。葉加瀬太郎さんがお話していたのも正にその点で、「音楽家のキャラクターは音楽のイメージに大きな影響を及ぼす。それがない昔の作曲家の音楽って凄い」みたいなことだったと思う。細かい話をすれば、昔の作曲家だって、パーソナリティやその他の音楽外要因によって評価されることはある。例えば、さっきまでシベリウスを聴いていたんだけれども、聴き始めた理由は単純で「寒いし、北国の音楽でも聴くか」くらいのノリ。そこにあったのは純粋な音楽的な評価だけではない。

とは言え、それが評価の決定的な事項とはならない。シベリウスの曲が、実は、イタリア人作曲家によるものでした、と言うことになっても、曲そのものの評価は変わらないはずだ。葉加瀬太郎さんが言っているのはそういうことなんだろう。

じゃぁ、音楽そのものだけで評価されない音楽は大したことがないのか、と言うとそれはそんな単純な話ではないと思う。

昔、と言っても、色んな時代があるんだけれども、ざっくり、情報技術が進んでいなかった時代と考えると、この時代では、楽譜を世に広めるのが精一杯なのであって、音楽家そのもののパーソナリティを音楽に結び付けるほどの伝播能力がなかったのではないか。であれば、有能も無能もなく、音楽家のキャラクターは音楽の評価に影響を及ぼすことが「できなかった」のではないだろうか。もちろん、権力者への売り込み方だとか、経済的な事情だとか、作曲家本人の性格や音楽外の能力に依存することはあるだろう。だけど、それは話がちょっと違う。

そして、現代。情報技術の発達、特に映像技術を伴った発達は、音楽を音楽外の要因で評価される流れを作ったように思う。アイドル歌手の容姿が典型的なもの。葉加瀬太郎さんも、そうした今日的な情報技術の発達の中で評価を高めている。

話を佐村河内さんに戻そう。彼もまたTV番組でドキュメンタリーが作られ、作曲家個人の物語を視聴者にPRし、そして、成功した。佐村河内守作曲として世に出た作品は、今回の一件で、どうなるのか。評価の大きな要因となった音楽外の「物語性」を失って、「良いものは良い」で残ることはないだろう。反面、何の「物語性」もなくなった今、音楽として評価するには面白いかもしれない。残念ながらCDは回収されてしまったようだけれども…youtubeがある!

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のんびりと、しかし、着々と進んでいくヴァイオリン教室。今やっているのが、ヴィヴァルディの『冬』から第2楽章。言わずと知れた『四季』の一端。ヴィヴァルディ好きのヴァイオリン初心者には嬉しい課題曲。ちょっとテンションあがる。短いのが難点。

さて、『四季』と言えば、ソネット。標題音楽は、ベートーヴェンの交響曲第6番『田園』が最初みたいなことを言われるけれども、『四季』の方がずっと前だ。もちろん、『四季』を聴くor弾くにあたっては、ソネットを無視するわけにはいかない。

『冬』の第2楽章が表わす情景はこうだ。大雨の降っている冬の日、部屋の中で暖炉で暖まり、ゆっくりと休息を取っている、そんな平和な時間。第1楽章と第3楽章で表現される厳しい情景とは、まったく正反対だ。ヴァイオリンのピッツィカートは雨音を表しているのだろう。ソロ・ヴァイオリンのゆったりとしたメロディは心温まる響き。だけど、あまりのんびりとした演奏は好みではない。ピッツィカートの音が雨っぽくないし、ソロ・ヴァイオリンの響きもなんだか間延びしてしまう。

バロック音楽の常で、楽譜に指図があまりないので、演奏者は自由気ままに演奏することができる。誰の演奏が良いだろう。ツェートマイアーはいくらなんでも早過ぎるし、逆にイ・ムジチ(ミケルッチ)は遅すぎてメロディが不明確になっているような気がする。ベイエは通奏低音がうるさすぎる。雨じゃなくて霙っぽい。案外良いのがビオンディ。だけど、一番推したいのはクイケンかな。『夏』の終楽章とかでは、今日的な演奏に慣れているとぬるく感じるけれども、ここではメロディを大切にしながら心地よいスピードで進められていく。装飾音符も自然に決まっていて、蛇足的な感じにはなっていない。

と言うわけで、クイケンを手本にしてやっていきたい(汗)。そんな余裕があればだけれども…(笑)。寒い日は自分の演奏で暖まりたい(冷や汗)。

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今秋は世界中の名門オーケストラが挙って東京にやってきたわけだけれども、個人的には、結局一つも行っていない。東京のクラヲタのみなさまは存分に楽しめただろうか。

さて、この名門楽団の来日ラッシュの中にあって、ウィーン・フィルと共に注目を集めたのは、やはり、ベルリン・フィルだろう。評判は見ていないが、今回も名演を繰り広げてくれたに違いない。

今回のこのツアー、ベルリン・フィルでは公式ツアー・ブログを公開している。写真もたくさんあって見応え十分。いろいろ気になるところはあるんだけれども、あの…飛行機の中で枕投げやる伝統があるんだ…。はしゃぎ過ぎだろ、おい(笑)。日本でそれをやって許されるのは、高校生まで…いや、小学生でも怒られる(笑)。当然、チャーター機なんだろうなぁ。ボーイング747って結構大型機だけど。

この秋は、海外楽団のコンサートは行かなかったけど、NHK交響楽団の定期公演には行ってきた。ブロムシュテットのブラームス、2夜。このコンサートが今週と来週のクラシック音楽館で放映される。素晴らしいコンサートだったので楽しみ。

以前もこのブログで書いたけれども、来秋もブロムシュテット翁はNHK交響楽団を振りに来るそうだ。凄い気力。

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今日は、ヴァイオリン教室の発表会。何度目かな?舞台に乗って演奏するのは。「緊張する~!」と言いつつ、以前ほどは緊張していない。音も大きく出せるようになった気がする。そして、大々的に間違える(汗)。

と言っても、ほかの発表者たちの演奏を聴くのと違って、客観的に聴くことができないので、どうなんだかはわからない。要するになんだ、自己満足。これに尽きる。一緒に演奏した仲間には迷惑をかけたかな?毎度のことだけど(汗)。猛省。練習せよ、自分。

演目は、Scotland the BraveとYou raise me up。前者は、前回の発表会でも演奏した曲。このチームのテーマ曲的存在かも。Wikipediaによれば、スコットランドの非公式の国家的存在らしい。エディンバラに行ったときは、駅前でよくバグパイプで演奏している人がいたなぁ。You raise me upもケルティック・ウーマンの曲と言うことで、タータンチェックのネクタイで演奏。取り敢えずかっこうから入る(笑)。

そこそこ楽しめたかな。で、これは、数名の発表。それ以外に、ヴァイオリンとチェロで合奏する曲があって、こちらは大人数。ちょっとくらい間違えても目立つまい、とブンブン鳴らした(つもり)。演目は、『見上げてごらん夜空の星を』。こういうのも面白い。

あとは、ほかの発表者の演奏を聴いて、最後に、講師演奏。そりゃ、上手い(笑)。いやになるじゃないか…(汗)。

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東京オリンピックの開催が決定した。ロンドン・オリンピックでは、ロンドンを代表するオーケストラであるロンドン交響楽団が、今日のイギリスを代表する名指揮者であるサー・サイモン・ラトルの指揮で、開会式を盛り上げた。

もちろん、東京でも国際的に名声を博している地元の楽団が開会式を盛り上げてくれるだろう、と期待したい。そう、東京クァルテットに!って、彼らは先日解散したか…。

では!バッハ・コレギウム・ジャパンでどうだろう?徹底的にバッハ。場面場面に合わせたカンタータを披露する。うわー、楽しそう。ごく一部以外は、「???」な開会式。

実際には、NHK交響楽団なのかなぁ。国際的な名声を得ているって程じゃないけど。本来であれば、東京都交響楽団か。都響と言えば、マーラー。はっ!開会式からマーラー。千人の交響曲で幕を開ける壮大なオープニング。指揮は、インバル。もちろん、オクタヴィア・レコードが高音質録音しようと準備を整える。EXTONから1年後にSACDシングルレイヤーでリリース。3,800円。マニアからは野外コンサートゆえの音響の悪さを指摘される。

これもないな…。なんか、クラシック系の楽団が活躍してくれればいいんじゃないか。←投げやり。

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最近、と言うか、少し前から、レーベルごとに古い録音をまとめた50枚くらいのBOXがドカッとリリースされている。これを見るたびに思うんだけれども、ある程度聴いてきたクラヲタにとっては、重複する録音多くて手が出ないんじゃないだろうか。

なんて思いながら新しくリリースされる“DECCA SOUND”の内容を確認してみる。案外持っていない…。じゃぁ、買おうか、とは思わない。何年も前からCDショップの店頭にあって興味を持たなかったCDばかり、と言うことだから、そりゃ、そうだ。

ただ、こういうのを買うと意外な発見もあって、今まで気が付かなかった自分の好みも見つけることができるかもしれない。なんて言いつつ、HMVをポチッとな…いやいや、しないけど(笑)。需要はどういうところにあるのかなぁ?

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クラシックとはなんだ?と言う問いに明確に答えるのはなかなか難しいが、西洋音楽史抜きに語れないものであることには間違いない。暴論だが、クラシックとは西洋音楽史そのものである。クラシックをより深く楽しみたいと思うのならば、西洋音楽史を無視してはいけない。

と言うわけで、本屋さんに行くと西洋音楽史に関する本をチェックすることが多い。先日もふらりと立ち寄った本屋さんで面白そうな本を見つけたので、買ってきて読んでみた。時代順に、キーワードと作曲家を挙げ、それぞれを解説していく。初心者向けに書いたと思われる内容だ。しかし、各論的に書いていくとどうしても、総合的な流れが見失われがちになる。この本は、その辺をどうにかしようと言う努力は見えるけど、やはり少々無理があるように感じられた。

ただ、そのことは本屋さんでぱらぱらっと立ち読みした段階で何となくわかっていたこと。それでも、面白そうな企画だと思って買ったわけだ。しかし、いざ読んでみると内容がいけない。「え?そんなことないでしょ…」と何度突っ込みを入れたことか(笑)。その突込みを入れるのが楽しくて、最後まで読んでしまったけれども(汗)。そういう意味では、ぼちぼち楽しめる。

例えば、テレマンについて、「名曲はなく、今日では殆ど聴かれることはない」と断じてしまっているのだ。テレマンだよ?確かに30年くらい前なら録音も少なかっただろうけど、今日では、バロック期の重要な作曲家として需要はある。古楽系の演奏家によって録音もだいぶ出てきている。ほかにも、ルネサンス音楽=初期音楽と言い切ってしまったり、クララ・シューマン以前に女性音楽家はいなかったと断言してしまったりしている。前者については、中世音楽を含むし、バロックを含めることも多い。後者についても、まったくいないわけではない。あんまりにもざっくりと割り切り過ぎだ。この2つに限らず、こんなことがいくつもある。

んで、トドメがカラヤンについて。曰く、「カラヤンを批判すれば音楽が判っていると思い込んでいる人もいる」「精神性なんてわけのわからないものを持ち出す人はカラヤンが嫌い」。で、「カラヤンの評価でその人の音楽観がわかる」と言うのだ。

カラヤンそのものは確かに大音楽家だが、演奏家としては過去の人である。良い悪いは別として、演奏手法は古い。今日において、カラヤンの音楽は絶対的な存在ではない。過去の名演奏家の一人であり、前時代の音楽を聴くための一選択肢に過ぎない。過去の演奏家しか選択肢がないほど今の演奏家たちの才能は枯渇していない。カラヤンへの賛否だけでその人の音楽観がわかるなんて乱暴にもほどがある。

この著者は古い音楽愛好家なんだろう。で、こういう人が、お勧めするから、いまだにカラヤンが売れ続ける。ただし、それは日本でだけだ。ヨーロッパでは、身近に最新の音楽があるから、今更、生の演奏に接することができない演奏家に執着することはない。カラヤンだってそう。特別ではない。未だにカラヤンが売れ続けていることに違和感を感じなくてはいけないのにこの本では「普遍的な美しさだから売れている」なんて言っている。

筆者は音楽雑誌の編集者で著書も多いみたいだけど、ちょっとどうなんだろうか?このブログと変わらないレベルの責任感で書いているのだろうか。西洋音楽史の本であれば、岡田暁生氏のような学者が書いた本の方が、客観的で考察も確りしているし、説得力もある。

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いやー、いやいや…!(汗)参院選開票速報&サッカー代表戦中継を向こうに張って、NHK教育でクラシック音楽館のNHK交響楽団演奏会。今回はオール・イギリス・プログラム。5月に私が行ったコンサート。まさか日本の地上波に、ウォルトンの交響曲第1番全曲が乗る日が来るとは!

以前も載せたけれども、再度確認のためプログラムを紹介しておこう。指揮は尾高忠明氏。日本ではよく知られたイギリス音楽のスペシャリストだ。

エルガー:序曲『フロワッサール』
ディーリアス:歌劇『村のロメオとジュリエット』から間奏曲
ヴォーン・ウィリアムズ:テューバ協奏曲(独奏:池田幸広氏)
ウォルトン:交響曲第1番

あの時の感動を再び!それと、自分の映像を確認。オーケストラ・コンサートの映像作品としては、2度目の出演となる(笑)。昔のNHK交響楽団のコンサートで出演しているかもしれないけど、未確認のため、それはスルー。現在確認できる初出演(笑)は、ベルリン・フィルのデジタル・コンサート・ホール。ベルリンのフィルハーモニーでの収録だったんだけれども、ラトルの背後でやる気のない拍手を披露してしまった(汗)。

さて、今回は前回の反省を踏まえて頑張って拍手した。結果は…まずまずかな。前回ほど目立つ席じゃなかったのは幸い。ムジークフェラインの舞台席になんかのぼったら相当がんばんないといけないんだろうな~。演奏中から緊張しっぱなしだろう(笑)。

それはともかく、NHK交響楽団の演奏会はこうやってあとから映像で見ることができる場合が多いので、存分に楽しむことができる。他のオーケストラにはない魅力かな。今回の映像は影響保存版だ!

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クラシックのCDが値崩れを起こしたのはいつの頃だったか。古い録音が、ボックスに詰め込まれて、ン十枚、ン千円で投げ売りされ、1枚のCDに1,000円も払うと、「ちょっと高いCDを買ってしまった」と言う感覚に陥るようになってしまった。

しかし、今、買っているCDの平均価格は、たぶん、2,000円くらい。安くて古いCDを何枚も買うよりも、新しくて高いCDを1枚買う方を選ぶようになった。古い録音に興味がなくなったと言うよりは、あらかたカタログを見尽くしたと言った方が良いだろう。欲しいものは大体買った!と言う嬉しい宣言ができるわけじゃないけど、見ているだけで、「もういっかな」って感じなんである。それでも浅薄な知識の範囲では、まだまだ知らない録音もあって、時々買っているけれども、以前に比べると20世紀の録音を買う割合はだいぶ減った。

それと同時に、メジャーレーベルのCDを買う割合も減った。6大メジャーなんて言っていた時代もあったんだけど、フィリップスなんて消えてなくなってしまったのだから、時の流れとは残酷なものである。ただ、マイナーレーベルは、経営基盤の脆弱なところが多いと思われるので、消えてなくなるスピードも早そうだ。欲しいCDはさっさと買っておく。なんて言って、買うCDが増えていく…。最近ちょっと抑えているけどなぁ。

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