テレビ難民である。いや、正確にはテレビ難民予備軍である。で、テレビ難民って何かって言うと、来年の7月のアナログ放送終了に伴いテレビが見れなくなってしまう人たちのことだそうだ。要するに新しいTVが買えない人、地デジ受信用のチューナーが買えない人、と言うことになる。
で、おいらもそのテレビ難民になりそうなんだが、別に「難民」なんて、可哀そうな状況ではない。だって、要らないもん、テレビ。このブログ読んでいればお気づきだと思うけど、CD数か月買わなければ、TVの1台や2台買えるんである。でもさ、CD買うのを我慢してまで必要なものじゃないんだ。1ヶ月や2ヶ月全くTVを見ない時もあるくらいで、そんなもののために万を超えるお金を使いたくない。だいたい、TVなんて見ている時間ないんだよね。忙しいとか言うんじゃなくて、聴かなくちゃいけないCDやDVDがたくさんあるし、ブログ書いている時間だってあるし、X-BOXでゲームをやっている時間もある。ネットで情報収集している時間もある。実は、ヴァイオリンの練習もしなくちゃいけない。優先順位としては、TVはそれより断然低い。唯一観るのが、サッカーの代表戦。あとはまるきり興味がない。要するに、要らない。
こうしたTV離れって言うのが、なぜか、問題になっているらしい。ネットで情報収集して、TVや新聞を利用しない人たちが若者の間で増えていくことなんて、不可抗力じゃないだろか?新聞離れもTV離れと一緒にして、「活字離れへの批難」と言う正義を振り回している文章を読んだことがあるけど、自分に限って言えば、TV世代より文章を読む機会も、文章を書く機会も圧倒的に多いと思っている。ネットは基本、文字情報だし、こうしてブログで原稿用紙何枚分もの文章を1週間のうちに何回も書いている。TV漬けの人が、こんなにも文章を書いているだろうか?
おいらはそもそもTVに対して、否定的な意見の持ち主なんだが、その大きな理由は、「虚しい情報の垂れ流し」と言うところにある。TVで得た情報って、すぐに忘れてしまう。身にならない。何でか。努力をして得た情報ではないからである。また、自分が欲しい情報じゃないからである。能動的な情報収集ではなく、受動的な情報収集なのだ。そんなもの覚えているわけないんである。虚しい情報以外の何物でもない。そんな情報が得られなくなったからと言って、何が問題なんだろうか?
もちろん、ネットでの情報収集にも問題はある。偏っていると言えば、一つ一つの情報は相当偏っているし、間違っているものもだいぶ多い。ただ、そうと判っているからこそ、すべての情報をなんのフィルターも通さないで信じることはないんである(いや、そう言う人もいるかもしれない。それはそれで危険なんだが)。それに対して、TVはどうだろう?ネットほどではないにせよ、随分と、でたらめな情報や明らかな情報発信者の意図を感じることがある。ところが、TVの盲信者と言うのは、疑うことを知らない。「TVで言っていたから真実だ」「TVで言っていたからそれこそ、世の普通だ」と思いこんでしまう。もの凄い人になると目の前にある真実ですら信じようとせず、「TVで言っていたのと違う。これは間違った現実だ」などと思うようになる。何と言っていいのやら…冷静に考えれば、呆れるばかりなんだが…。
一億総白痴のもととは、TVが出始めた頃、大宅壮一の放った言葉だと言うが、TV離れを問題にするよりも、これを機会に、先人の警鐘を考えてみた方が良いんじゃないだろうか。
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