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昨日紹介した、『西洋音楽史』(岡田暁生著/中公新書/1995年)によれば、ルネサンス音楽はそれまでの音楽とは、次のような違いがあると言う。

「「生きていていいのだ、生きて美しい音楽を楽しんでいいのだ」という安心感―これがルネサンス音楽の特徴である。実際、ルネサンスの音楽は、どれも息を呑むほど「美しい」。」(P.34)
「…中世と比べた時のルネサンスの大きな特徴の一つが、大量の「作曲家」の出現である。」(P.42)

要するに、音楽を本格的に楽しみ始めた時代であり、作曲と言う行為が芸術として認識されはじめた時代であると言う。それまでの作曲家は神を讃えるための道具を作る職人的な扱いで、名前が残っている人は、たまたま記録として残っているか、マショーのように自己意識の強い特殊な人だけであった。そう言う意味では、音楽が大きく現代に近付いた時代であったと考えられる。

神への畏れ、神々の響きから音楽が解放された、正に音楽が生まれた時代、それがルネサンスである。そして、この音楽は生まれたて故に、汚れを知らず、極端に無垢である。そのあまりにも純粋な響きは、「息を呑むほど美しい」のだ。その響きは後世のいわゆる「クラシック」では失われてしまっている響きなのだ。クラシックは音楽が大人へと成長した音楽であって、ルネサンスは音楽がまだ純真な子供の心のような音楽、といえるかもしれない。故に、どうにも成長しきった音楽を知っている我々には逆に受け付け難い場合もある。

さて…前振りが長くなったが、ちょっと前に紹介したスティレ・アンティコのCDを更に買った。今日紹介するのは『天上のハーモニー』と題された1枚。イギリス・ルネサンス音楽の大家トーマス・タリスとウィリアム・バードの音楽をおさめたものだ。正にルネサンスならではの美しい音楽を満喫できる1枚と言っていい。タリスの曲は「大司教パーカーのための9つの詩篇」と言う曲で、これはヴォーン・ウィリアムズのタリスの主題による幻想曲の元ネタとなった曲である。この9つの詩篇とバードの曲が交互に収録されている。

タリスの方は、それぞれが大変短い曲で、バードの方が長い曲ばかりである。だから、バードの音楽の方が主体でタリスの音楽が間に挟まっているって感じだ。なんか、こう、それってどうなの?って作り方だけれども、これがなんとも絶妙なのだ。それぞれ単体で演奏されるよりもずっと味わい深くなる。ともすれば、没個性的とも言えるルネサンス音楽だが、こうして並べて演奏されるとそれぞれの良さが浮かび上がってくる。もちろん、今回もスティレ・アンティコの歌唱はやはり素晴らしい。

ルネサンス音楽入門にも良いかもしれない…が、SACD故に高い。harmonia mundiの録音は相変わらず素晴しく、こういう高音質で聴くルネサンス音楽は極上なのだが。


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