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「…ポピュラー音楽の多くもまた、見かけほど現代的ではないと私には思える。アドルノはポピュラー音楽を皮肉を込めて「常緑樹(エヴァーグリーン)」と呼んだが(常に新しく見えるが、常に同じものだと言う意味だろう)、実際それは今なお「ドミソ」といった伝統的な和音で伴奏され、ドレミの音階で作られた旋律を、心を込めてエスプレシーヴォで歌い、人々の感動を消費し尽くそうとしている。ポピュラー音楽こそ、「感動させる音楽」としてのロマン派の、20世紀における忠実な継承者である。」(P.229より引用)

自分の聴いている「クラシック」と呼ばれる音楽は何なのだろうか。安易に、「クラシック」が好きとか、嫌いとか言うけれども、「クラシック」とは実に茫漠として捉えようのない括りである。どこからどこまでが「クラシック」なのか、「クラシック」となるための要件はなんなのか。この音楽を聴けば聴くほど、それは判らなくなっていく。だから、実は、おいらは「クラシック」と言う呼び方は好きではない。便宜上使っているが、好んでいるわけではない。いったいそれは何なのだ、と疑問を持ちながら、音楽を聴き、このブログも書き続けているのだ。

そんな、おいらが最近興味を持って読んだ本が、『西洋音楽史』(岡田暁生著/中公新書/1995年)だ。冒頭の一文はこの本の、最終章から引用したもの。多くの「クラシック」を聴かない一般の人たちは「クラシック」と言う括りが明確にあって、壁を作ってその中に閉じ込めたがる。そして、十把一絡げに「高尚」にして「癒し」の音楽だとする。しかし、その壁を取っ払って、ポピュラー音楽も「クラシック」も同じ西洋音楽として捉えると、なるほど、ポピュラー音楽は「クラシック」中の「クラシック」であるロマン派の流れを汲んでいることに気付かされる。これはちょっとした発見だ。

一般的な当たり前を言えば、ロマン派から「クラシック」を受け継いでいるのは、シェーンベルク、ブーレーズと言った前衛的な作曲家、或いは、ケージたちによる実験音楽、そこから派生したミニマル・ミュージックだろう。しかし、これらの音楽はもはや、それを構成する仕組みが、まるで別物になってしまっている。伝統的な和音や音階を捨てリズムを捨て、新しい方向を模索して、大衆から離れて行った(ミニマルは近付いているかもしれないが)。しかし、ポピュラー音楽は、バロックからロマン派にかけて確立された音楽手法を頑なに守り、大衆に感動を訴えかけ続けている。そこに調性があって、何分の何拍子と言うのがあるのは当たり前で、奏者たちはそのことを疑うこともしない(と思う)。

逆に古い方に目を向けてみると、今度は、ルネサンス音楽と言う存在が暗闇から浮かび上がってくる。バロックの前の時代だ。この頃もまた、調性も何分の何拍子と言うリズムもなかった。そう言ったものが、きちんと出来てくるのは、ルネサンス末期からバロック前半だと言う。だから、ルネサンス音楽を聴けば、いわゆる「クラシック」の代表的存在であるロマン派とは全く違う響きを持っていることが、すぐに判るだろう。

この時代を「古楽」と呼ぶ。バロックは過渡期的であるが、それ以降からロマン派の音楽を「クラシック」、シェーンベルク、ブーレーズ、ケージ等が「現代音楽」である(本書ではそう位置付けている)。「クラシック」の時代は100年ほど前に終わったのだが、唯一、「クラシック」を引き摺っているのがポピュラー音楽ってわけだ。一般的に「クラシック」仲間だと思われがちなルネサンス(古楽)とロマン派よりも、別物と思われがちなポピュラー音楽とロマン派の方が近しい音楽なのだから常識がひっくり返る。

こうしたことは、西洋音楽史をひも解いてみないと見えてこない。よく「クラシックだって昔はポップスだったんだよ」と言う人がいるが、なかなかピンと来ない。本書は、西洋においてそれぞれの時代の音楽がどういう人にどういう風に聴かれ、変貌を遂げて行ったのか、歴史を語る上で一見タブーに思われがちな主観的に語ることを敢えて避けず、興味深い考察とともに歴史の事実を明瞭に述べている。なるほど、「クラシック」だってポップスだった時代もあればそうでない時代もある。また、同じ時代でも、ポップスのように聴かれた音楽とそうでない音楽があったこと、それは当たり前のことなんだけれども、改めて気付かされるのだ。

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