ドレスデン大空襲があったは、1945年2月13日夕方から翌14日に掛けてのこと。と言うことで、ドレスデンでは今日はサイレンス・メモリーと呼ばれる特別な日となっている。街には人が溢れ、追悼の祈りを捧げる。
なのに、だ。上空にはヘリコプター、街中にはパトカーが列をなして走っている。メインとなる聖母教会の周りには夥しい数の警官が配備され、ホテルには、注意書きが貼られている。何なのだ…。
時折、ナチスを否定する横断幕を持った一団を目にする。そうか、デモ隊的な人がいるからなんだな、と思うがそれにしても凄い数の警官である。それと、思うのは、ドレスデン大空襲をやったのはナチスではなくて、連合国軍では?と言うこと。なのに、なぜここでナチス非難?その答えは後ほど。
この物々しい街の中、あまりド派手には動かず、アルトマイスター絵画館へ。宮殿の中にある美術館なんだけど、フェルメールだのラファエロだのと内容は充実。ゆっくり回っていたら1日がかり。歩を止めず、一通り見る。時折、楽器を持った人の絵が出てくると、どの時代に書かれたものかチェックしてみる。飲み屋でヴァイオリンとチェロを弾いている絵、村の集会所でリュートを弾いている絵、ビオラ・ダ・ガンバを持っている男性の絵…古楽に興味を持つとこういう視点から絵を見てしまうようなるんだなぁ。
アルトマイスター絵画館を後にして、聖十字架教会を見学して、ホテルに戻る。しばしの休憩ののち、夜景を撮りがてら、散策へ。聖母教会の周りの人の数はどんどん増えていく。
さて、その後は、今日のメイン、ゼンパーオーパーでのシュターツカペレ・ドレスデンの演奏会。今日明日とプレトニェフがブラームスのドイツ・レクイエムを振る。この両日にドレスデンでドイツ・レクイエム…そう、ただの演奏会ではない。ドレスデン大空襲の被害者への追悼のコンサートなのだ。このコンサートは1951年から毎年行われていて、去年はティーレマンがベートーヴェンのミサ・ソレムニスを振った。いいのか、こんなコンサートに日本人…と言う引け目もあったが参加した。
まず、怖気づいたのは、客層の重厚さだ。ウィーンの各演奏会場より遥かに緊張感を強いられる。恰幅の良い紳士淑女たち。もちろん、おいらはすれ違うたびに一瞥を食らう。日本人もいないわけではないが、非常に少ない。
ビビりつつ、会場へ。入ってびっくりしたのが椅子の配置。隅から隅まで一列全部繋がっている。真ん中の人は、入ったら最後、なかなか出ることはできない。おいらはやや左側だったので、まだ助かったが…。
午後20時過ぎ、演奏開始。もちろん、拍手はない。
鳴りだした音楽を聴いて身震いしそうになった。物凄く重厚な音色だ。パワフルと言うのではないが、腹の底にズンと来る。合唱も美しい。あっという間に1時間半が過ぎ去ってしまった。終演後は、黙とうを捧げて、静かに退去。なんか、凄い経験をした感じがした。
外に出てホテルに向かっていると聖母教会の鐘の音がガランガランと聞こえてきた。どうなっているのか、向ってみると、聖母教会の周りは、ろうそくを持った人たちで溢れかえっていた。鐘が鳴り終わるまで、ここで鐘の音を聴く。鐘が鳴り終わると同時に、男の叫び声がした。直ぐに警官が何人も駆け付け、男を取り押さえた。何か喚いているが、ドイツ語なので何を言っているかわからない。しかし、いくら欧州事情に疎いおいらでも直ぐに何か察することができた。ネオナチである。彼らを見張るためにこんなにも警察がいたのだ。そして、昼間見たナチス非難の横断幕は、彼らへの抗議だったのだ。連合国軍に破壊されつくされたドレスデンの追悼行事はネオナチの格好のPR場所だったのだ。
あまり外に出ない方がいいな~、と思ってホテルに戻ったのが22時過ぎ。今更である。
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