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『モーツァルトの手紙』(高橋英郎著/小学館/2007年)を読んだ。モーツァルトはたくさんの手紙を残してくれた。だから、奇跡は「誇張された伝説」と勘違いされずに現実として現代に伝えられ、天才の現実的な一面を見ることができる。幸いなことだ。

この本は、そのモーツァルトの手紙から彼の人生を追っていくというもの。延々とモーツァルトのスカトロジーな手紙が羅列されているわけではない。ご安心あれ。…あ、いや、スカトロジーな内容も存分に書かれているので、モーツァルトに変な幻想を抱いちゃっている人向けではない。歴史が作り上げた幻想である高貴で優雅なイケメン青年作曲家はそこにはいない(彼の音楽もそんなんじゃないけど)。もっとも、いささかモーツァルトは節度がなさすぎるとは言え、多少なりとも父母の手紙にもスカトロジー的な表現があるように、当時の南ドイツ地方では、スカトロジーに対する認識が今とはだいぶ違ったと言う。

スカトロはともかく、モーツァルトの手紙からは実に軽快でありながら、生々しい天才の声が聞こえてくる。時には他人の悪口を書き連ね、時には他人を手放しに称賛する。あまりにも素直で率直な文章。身内に宛てた手紙だから本音が出ているだけなのか、平素から表裏のない人間だったのか…。

何れにせよ、本音のモーツァルトは、死ぬまで青臭く、若気の至りが溢れかえっている作曲家だった。それが手紙からひしひしと伝わってきて、心を打つ。「おれは天才だ!だから、評価されていいはずだ!」―大人の世界では通用しない、純粋な傲慢。きっと、当時の「大人」達はモーツァルトの才能を羨みながら「でも、それじゃ、世間は渡れないんだぜ?」としたり顔で眉をひそめてみていたのだろう。

さて、本書は、モーツァルトの手紙と日本のモーツァルト研究では有名な著者による解説が交互に現れる形で時代を追って進められる。モーツァルトの音楽のように流れるような感情の移ろいを見せる手紙に著者の見識の高い解説が付いてモーツァルトがグッと身近に感じられる。が、中2病か、小2病のようなユーモア、いや、悪戯に溢れ、時には、お下劣なモーツァルトに真面目な著者の解説が異様なミスマッチぶりを見せることもしばしば。コンサートや録音で、天才とは言え、若造がビリヤードをやりながら、その台の上で、鼻歌交じりに作曲した音楽を老大家がクソ真面目な顔をして、演奏をしている、あのミスマッチさ、それに通じるものがある。こういっちゃなんだけどちょっと笑える。

厚い本だけど、モーツァルト好きなら一気呵成に読める本だと思う。

最後に、モーツァルトの媚び諂わない反骨精神の一文を紹介しておこう。いやぁ、貴族社会にあって、見事な啖呵の切りっぷりである。青臭い、でも、カッコいい。カッコよすぎる。これでこそ、モーツァルトだよね!!人間いつまでも青臭くいたいものだ。

「人間の品位はその人の心にあるのであって、ぼくは伯爵ではありませんが、多くの伯爵に優る名誉を身につけていると思います。そして、下僕だろうが伯爵だろうが、ぼくを罵れば、その人こそろくでなしです。」(1781年6月20日(25歳)父レオポルド宛の手紙)

mozart-letter.jpg








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