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■ 大晦日

いよいよ大晦日。今年も色々行ったり聴いたり。クラヲタ度合いは深まっているのは確かなようで、めでたいんだか、残念なんだか(汗)。数年前に比べると、ここ近年は、コンサートにもちょくちょく行っていて、その辺の充実具合も今年はまぁまぁだったかな、と。ゴールデン・ウィークはラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンは見送っちゃったけど、その代わり、ミュンヘンとパリでたくさんコンサート聴けたからよかった。ヨーロッパに行くと、“今”が実感できるんだよね。日本だと昔ばかり振り返ってしまっていて、なんか、時代遅れの趣味にしがみついているような感じがしてしまう。

CDは相変わらず。どこでブレーキをかけるべきなのか…といつも考えているんだけれども、アクセルばかり踏んでしまう。古楽系の好奇心の欲求がある程度落ち着かないと駄目かな(笑)。まぁ、しかし、好奇心を失ってしまったら、すべてがつまらなく写ってしまうような気もするし、これはこれでしょうがないのかな、と。どんどん新しい音楽世界を覗いてみたい。

さて、来年はコレッリ・イヤー。確実に、ワーグナーとヴェルディに埋没させられるけれども、古楽好きとしてはコレッリに期待したい。あと何気に、『春の祭典』初演100周年。シャンゼリゼ劇場は何かやるんだろうか。みんなで暴れるとか(笑)。まぁ、何はともあれ、良いお年を!
 

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このブログ、最近、バロックのヴァイオリン曲の紹介が多くなった。偏っちゃいけないんだけど、私的流行って言うことで許してもらおう。

で、バロックのヴァイオリンの、それも通奏低音のあるなしに関わらずソロの曲を聴く上でいつも引き合いに出されるのが、J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータである。まぁ、あれだ、なんだかんだ言ってこの曲は、客観的に見て、バロック期におけるヴァイオリン音楽の至高の作品であり、終着点であると思う。他にも素晴らしい曲があるんだ!と言うことは、大いに宣伝したいんだけれども、もしこの曲を聴いていないのならば、まずは聴いてもらわなければならない。それから、バロックのヴァイオリン音楽の深い世界に…まぁ、おいらも踏み込んだばかりではあるけれども、進んでいこう。

そんな名曲だもんだから、昔から今日に至るまで、ヴァイオリンの名手といわれる人たちが、次々とこの曲に挑戦してきた。曲の内容も、要求される技術力の高さも、己が一流であることを証明するのに、これほど打ってつけの曲はない、と言うことなんだろう。これまで数々の名演が生まれてきたわけなんだけれども、難しいことが大好きなヲタクは、厳しい陶芸家のごとく、「これではない!」と首を横に振りながらディスクを割り続けてきた(たぶん)。おいらも、なんとなく気になる演奏家がいると、この曲のCDを聴いてみることが多くて、所有枚数も増えてきてしまった。

だーが!別に、増えて困ることはない。と開き直ってみる。この曲は色々な演奏を聴いてみたい。

と言うわけで、この年末も押し迫った時に、また1種類追加した。ジグ・ザグ・テリトワールからリリースされている、アマンディーヌ・ベイエ盤。ジグ・ザグはフランスの古楽系レーベル。ジャケットはオサレだし、演奏家も選曲も通好みだが、洗練されている。

今回のCDも古楽の演奏、しかも、最後に、ピゼンデルの無伴奏バイオリンのためのソナタを演奏している。こういうクラヲタがちょっと喜ぶツボを抑えているから嬉しい。ジャケットは女性の後姿だが、ベイエ自身だろうか。これはジャケ買いをしたくなる(笑)。

演奏も素晴らしい。安定した技術力には感服させられる。早い楽章での爽快な推進力も素晴らしい。複雑で計算されつくされたような幾何学模様を軽快に、しかし、的確に編み出していく。余計なヴィヴラートが抑えられているために、歌い過ぎずに、より明確にJ.S.バッハの仕組んだ音楽の凄さを実感できる感じがする。遅い楽章では仄暗い音色が魅力的に響き渡る。この大曲の見せ場であるシャコンヌは、速めのテンポで、リズム良く音を紡いでいく。さらりと進んでいくようでありながら、陰影のある響きが美しく、感動的だ。最後に収められたピゼンデルも素晴らしい演奏。J.S.バッハの後に持ってくるとどうしても意識して聴かざるを得ない。素晴らしい企画。録音は残響が多め。使用楽器は古いものではないようだ。

このベイエと言うバロック・ヴァイオリニスト、はじめて聴いたんだけど、こんな上手いヴァイオリニストがいるとはねぇ。今日の古楽器奏者は凄すぎる…。探してみると、次から次へとハイレベルな奏者が出てくる。

beyer.jpg








 

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ハイドンが好きなんである。しかし、この作曲家、知名度に反して、然程に評価されているようには見えない。なかなか演奏会もないので、引き篭もってCD鑑賞するしかない。

つうわけで、また買った、交響曲全集(笑)。今度は37枚組み。デニス・ラッセル・デイヴィスが、シュトゥットガルト室内管弦楽団を振って完成させたもの。なんと、5,000円を切るお値段でのご提供。ペットボトルのジュースより安いと言うお買い得盤ではあるが、ブリリアントではない。ソニー・クラシカル。普段はお高いCDを出しているレーベルだ。フィッシャー兄盤ですら、あまりの安さに驚いて仰け反ったものだが、その遥か上を行く。こんな安いCD他にないだろ、と思ったが、harmonia mundi franceの50年記念ボックスがあったな。HMFも普段は安くないんだが。

そもそも、この全集プロジェクトは、1999年にスタートして、2009年のハイドン・イヤーにリリースされるよう進められた。予定通り、リリースされたんだが、限定盤だったので、迷っているうちに売切れてしまった。値段は、7,000円前後だったと記憶している。それが、このたび、値下げ&復活したのだ。たぶん限定盤。飛びついたねぇ、おいらは(笑)。

1999~2009年、要するに10年がかりだったんだが、10年も掛けたと言うよりも、10年で駆け抜けたと言う印象。10年間も毎年ハイドンの交響曲を10曲も録音するって根気がいると思う。演奏家じゃないから知らないけど。

じゃぁ、ほかの、全集はどんくらいの期間で完成されたのか。調べてみると、フィッシャー兄が、1987~2001年、ドラティが、1969~1972年。ドラティ、凄いな、おい。完成されることはなかったけれども、ホグウッドは1983~1995年。D.R.デイヴィスは2番目の記録。ただし、他の全集と違うところが1点。全て、ライブ録音なのだ。拍手も入っている。録音場所は、シュトゥットガルトのメルセデス・ベンツ・センター。拍手からも察することが出来るんだが、あまり大きなホールではない。オーケストラの編成も小さめ。

演奏だけれども、モダン楽器での演奏と言うこともあって、アーノンクールのような過激なものとは、違う。しかし、今時、ピリオド奏法を無視した古典派の演奏と言うのは珍しいくらいだ。この録音でもコンサートマスターに古楽器奏者であるベンジャミン・ハドソンを迎え、ティンパニとトランペットに古楽器を使用するなど、思い切り、ピリオド奏法を意識したものとなっている。ヴィヴラートも控えめのあっさり味。その代わり、演奏に切れが出てくる。奇を衒わない解釈ながら、スッキリとした聴き心地は、“いまどき”の標準的な演奏と言えるかもしれない。

指揮者のD.R.デイヴィスは、おいらの中では、現代音楽のスペシャリストだったので、正直この全集が出たときは驚いた。ところが、最近は、リンツ・ブルックナー管弦楽団とブルックナーの交響曲全集を出したりもしている。寡聞にして、知らなかったのだが、多才な人として有名らしい。ピアニストとしてもなかなかの腕前で、CDも出ている。

シュトゥットガルト室内管は、以前はミュンヒンガーのオーケストラとして知られていた。正直言うと、ミュンヒンガー1代限りで終わったと思っていたので、D.R.デイヴィスがグラスの録音をリリースしたときは、別のオーケストラかと疑っていた。だって、あまりにもレパートリーが違いすぎるじゃないか。しかも、今回は、ピリオド奏法まで取り入れてしまっている。時代は変わったものだ。となれば、気になるのが、ミュンヘン・バッハ管弦楽団。あれ、どうなったんだろうか。1枚もCDを持っていないので、あんま詮索はしないけど。

まぁ、それはともかく。この値段で、このクオリティ、かって絶対損はしませんなぁ。しかし、聴きたい時に聴くと言っても、ハイドンの交響曲全集3種類(未完を含む)ってどうなんでしょう(汗)。いや、むしろ、ドラティを持っていないのは、なんか、バランスが悪い、とか(笑)。もういいよ…。

haydn-drdavies.jpg








 

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のろのろと、しかし、着々と進む仏naiveのヴィヴァルディ・エディション。ヴィヴァルディは、あらゆるジャンルに優れた作品を残したということで、このシリーズではジャンルに偏りなく作品がセレクトされている。とは言え、だ。ヴィヴァルディの花形といえば、ヴァイオリン協奏曲。このシリーズでは、これまで以下のCDがリリースされてきた。

vol.1 『狩り』
 エンリコ・オノフリ(vn)
 アカデミア・モンティス・レガリス

vol.2 『挑戦』
 アントン・シュテック(vn)
 フェデリコ・マリア・サルデッリ&モード・アンティコ

vol.3 『ザ・バレエ』
 ドゥイリオ・M・ガルフェッティ(vn)
 ディエゴ・ファソリス&イ・バロッキスティ

vol.4 『皇帝』
 リッカルド・ミナージ(vn)
 イル・ポモ・ドーロ

テーマを設けてバロック・ヴァイオリンの名手たちを1枚1人登場させていく贅沢で興味深いシリーズ。これは次が楽しみでならない。と思っていたところ、vol.5のアナウンス。と言うことで、ご紹介。

vol.5 『ピゼンデル氏のために』
 ドミトリー・シンコフスキー(vn)
 イル・ポモ・ドーロ

ふむ。来たか(笑)。ピゼンデルは、ちょっと前にこのブログでも紹介した、バロック期のヴァイオリンの名手。ドレスデンを拠点に活躍をした人。J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータは、この人のために作曲されたのではないかとも言われている。ピゼンデルは、ドレスデン選帝侯フリードリヒ・アウグスト1世のイタリア旅行に随行し、ヴェネツィアでヴィヴァルディと出会っている。言わずと知れたことだがヴィヴァルディ自身もヴァイオリンの名手であったが、そのヴィヴァルディが、ピゼンデルの演奏を聴いて、「うわっ!すげぇ!」と思って、曲を書いて、ピゼンデルに捧げたヴァイオリン協奏曲がここに収められる。これは楽しみにせざるを得ない。

ヴァイオリンのソロを務めるのは、モスクワ出身の新鋭。カウンター・テナー歌手でもある。だから、バロック・ヴァイオリンで弾き語りもする…わけない(汗)。amazonで検索しても、このCDしか出てこないが、幸い、おいらはミナージのCDでイル・コンプレッソ・バロッコと共演しているのを聴いたことがある。ミナージほど刺激的ではないけれども、期待できると思う。使用楽器はフランチェスコ・ルジェリ。1680年製作の楽器だから、ヴィヴァルディの時代に既に弾かれていた楽器だ。ヴァイオリンって凄いな…。

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古楽は無限の宝庫だ。自分が今まで信じて疑わなかったちっぽけな音楽の常識が、いとも簡単に、心地よく覆される。古いのに新鮮な世界。古典派以降の世界とはまったく異なる、別次元の音楽世界が広がっている。そして、それはまだまだ研究の途上であるというのだ。あらゆる事象が解明されているような白けた今日に、これほど未知への好奇心を駆り立てる音楽があることを、どれほどの人が知っているのだろうか。クラシックが過去の研究され尽くされた音楽というのなら古楽はクラシックではない。もっと、J.S.バッハ以前の音楽が世に広まることを祈念したい。

さて、今日もそんなわけで、ちょっと面白い企画のCDを。

Ciacconas,Canzonas&Sonatas-
Violin music from the Collection "Partiturbuch Ludwig"(1662)

Ciaccona(チャッコーナ)はイタリア語で、ドイツ語だとChaconne(シャコンヌ)。3拍子の舞曲で、バロック期にはオスティナート・バスによる変奏曲の形式として盛んに用いられた…とウィキペディアに書いてある。オスティナート・バスは音楽的なパターンを続けて何度も繰り返すことで、執拗反復とも言う…とこれもウィキペディア。バロック期においては、パッサカリアと明確に区別して使われてはいなかったと言う。だから、ビーバーのパッサカリアが、J.S.バッハのシャコンヌに影響云々かんぬんと言う話が出てくる。

Canzona(カンツォーナ)は、カンツォーネからも想像できる通り、歌曲を意味する。ただし、ここで言うカンツォーナは、フニクリ・フニクラを歌いだすわけではない。16世紀のフランスのシャンソン等を模倣した器楽曲のことで、当時の流行の歌曲等を主題に用いている。ウィキペディアは便利、と。

Sonata(ソナタ)は、古典派以降のソナタとは意味が少し異なる。ソナタ形式なんてものが、誕生するのは、ずっと後のこと。ここで言うソナタは、カンターレ(歌う)を語源としたカンタータ(声で歌う作品)に対して、ソナーレ(響かせる)を語源としたソナタ(楽器で響かせる作品)と言う意味である。ぶっちゃければ、器楽曲程度の意味。

Partiturbuchはドイツ語でスコア集とでも訳せば良いだろうか。Ludwig(ルードヴィヒ)は宮廷音楽家のヤコブ・ルードヴィヒと言う人のことで、パトロンであるアウグスト・フォン・ブウランシュヴァイク公爵の83歳の誕生日のためにこのスコア集を編集して、献呈したと言う。このスコア集には100曲以上の様々な作曲家の曲が収められているのだけれども、このCDには10数曲が選ばれて収められている。出てくる作曲家は、ニコライ、ベルターリ、シュメルツァー、クレメンティス、あとは作者不詳の曲が5曲。

1662年は、アウグスト・フォン・ブウランシュヴァイク公爵が83歳になった年なのだろうか。あるいは、この曲集を編集した年だろうか。いずれにせよ、この年代は初期~中期初頭バロックの音楽であることを示している。

さっくり、語彙的な部分を簡単に調べて、さて、音楽の方だが、時代が時代なだけあって、純粋にバロックと言うだけでなく、どことなく、ルネサンス的な香りが漂っている。感情が奔走しきらずに、どこか冷めたような崩れ切らない部分がある。故に、闊達でありながら仄暗い陰があって美しい。

お勧め、と言うか、おいらが好きなのはベルターリのチャコーナ。このメロディを使ったチャコーナはファルコニエーリとメールラの作品もCDで持っているけれども(他にもあるかも。覚えていない。よく使われている)、ベルターリのチャコーナが一番、長く楽しめる(笑)。J.S.バッハのシャコンヌからは想像も付かないようなリズミカルで、調子のいい爽快な音楽が飛び出してくる。小躍りしたくなるような音楽だ。他の音楽も盛期バロックとは、異なり度を越えてはしゃぎ過ぎない、落ち着いた音楽だ。それがなんとも心地よい。

演奏は、フローリアン・ドイターとアルモニー・ウニヴェルセル。ドイターは、ムジカ・アンティクァ・ケルンにも在籍していたバロック・ヴァイオリンの名手。残念ながら、おいらはこのCDがはじめて…のはず。ムジカ・アンティクァ・ケルンにはずいぶんお世話になっているけれども。で、彼の元に集まった古楽器の名手たちで結成したのが、アルモニー・ウニヴェルセル。ドイターのヴァイオリンは生命感溢れる瑞々しさと切れ味鋭い響きが魅力的。アルモニー・ウニヴェルセルの伴奏もいい。彼らの響かせる、古の古雅な音楽。これがね、堪らんのだよ。

こういう音楽を、もっといろんな人に聴いてもらったら、古楽ってもっと人気出るんじゃないか。レーベルは、古楽の名門、ACCENT。ACCENTにしては、おしゃれに頑張ったジャケット。ヴァイオリンを削って花が咲いたようになっている美しい写真を用いている。

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レコードアカデミー賞…あんまり興味のある話題じゃないんだけれども、これまでこのブログでちょいちょい書いたことがある。と言うことはおいらにとっては、多少は気になる程度というか、ネタ的な存在なんだろうか。自分のセンスに合わないもんだから、文句ばっか言っているような気もする。国内盤が基準はおかしいとか、なんとか。

今年もめでたくこの賞が発表された。さっと見て思ったんだけれども、案外に過去中毒をこじらせていないセレクトだ。HMVの売上とはあまりリンクしない。過去の演奏こそ偉大であると考える人からしてみれば、おいら以上に納得のいかないものかもしれない。まぁ、それでも未だに、オペラ部門あたりにカラヤンが君臨していたりするわけだが。

それで、と。今年は、おいらの買ったCDが1枚だけ選ばれていた。音楽史部門でレツボール&アルス・アンティクァ・オーストリアのビーバーのヴァイオリン・ソナタ集。ちなみに、去年は、大賞にミンコフスキのハイドン、銀賞にラトルのシェーンベルクが入っていて、妙においらと好みのあった年だったと思う。しかし、今年は、1枚だけ。しかも、これ、随分前に買ったような気がしていたんだけれども、国内盤の発売は2011年の12月。今年の受賞。輸入盤は半年くらい前に発売されているので、人によっては凄い時間差攻撃を食らった感じだ。この違和感がねぇ…。それと、音楽史部門って、どうなんだろう?古楽部門とかにしたほうが良いんじゃないか?

と、おっと愚痴になってしまった。ブログのネタになっているだけでも感謝しておこうか。

さて、このレツボールのビーバー、どうなのかと言うと、文句なしに面白い。この人のロザリオ・ソナタは相当面白いということだけれども、残念ながら廃盤中(Youtubeで一部視聴可能)。ARCANAのCDなんで、今後、復活するかどうかは、よくわからない。ちなみに、2003年には日本でもロザリオ・ソナタを披露したらしい。聴いた人、羨ましい…。

そんな訳で、レツボールのビーバーをたっぷり楽しみたい人には現在は、このCDがベストと言うことになる。何つっても、2枚組みだし!収められているのは、8つのヴァイオリン・ソナタと描写的なソナタ。メインは、8つのヴァイオリン・ソナタで、90分ほどかかる。ジャケットには1681年と書かれているが、これは作曲年だろうか、出版年だろうか。いずれにせよ、ロザリオ・ソナタが1670年代に作曲されたと考えられているので、それより後のもの。ビーバーらしい革新的な音楽だ。今聴いたって随分革新的に聴こえるんだけれども、聴衆に拒否反応を起こさせるものではない。

演奏は相変わらずの、レツボール節。熱気と言うか、狂気と言うか(笑)。濃厚でリズミカルな演奏だ。間違いなく、汗は飛び散っている。古楽の演奏は、最前列で聴きたいが、この演奏なら、5列目くらいでも良い。だけれども、決して雑って感じじゃないのが、一流の証。案外歌う。技巧的にも凄くって時々、拍手をしたくなる。小気味がいいほどの切れ味だ。ビーバーの曲って、精緻な感じがしなくって、荒削り感満載でそれがまたなんとも言えず魅力的なんだけれども、レツボールの演奏スタイルにも合っていると思う。なお、バックには、ミヒャエル・オーマンもヴィオラ・ダ・ガンバで参加している。

音楽之友社とともにおいらも推したいCDだ。

biber-letzbor.jpg








 

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メリィィィィィィ・クリスマァーース!!

そんなテンション高いわけじゃないんだけどね。つか、なんで日本のクリスマスはこんなに浮かれているのだ?そんなことを言うと、楽しめないやつの僻みに聞えるかもしれない。しかし、クラヲタってガチのクリスマス音楽に触れることが多いわけで、そうするとやはり違和感を覚えるのだ。ヨーロッパでも、サンタさんがフィンランド軍の制御を振り切って、子供にプレゼントを渡すんだろうけれども、お祈りしたり、ミサを歌ったりと敬虔な面もずいぶんあると思う。なのに、日本は何なのだ、けしからん、と言いつつ、自分も祈るわけでもなく、クリスマス関係のCDをポチポチしていたりする(汗)。

と言うわけで、クリスマスのための音楽のお話。前述の通り、このジャンルはクリスマスのための音楽が多い。そしてそれは大抵、宗教的に敬虔で荘厳で穏やかだ。情緒的でもないし、キャッキャウフフもしない。毎度お勧めなのが、フィンジのカンタータ『降誕祭(クリスマス)』なんだが、この曲にしたって、その範疇からは外れない。

そんな中で、何を選ぼうか。クリスマスは何つっても宗教行事なので、宗教曲、要するに、声楽曲が多い。器楽曲を探すのは、難しいとは言わないが、豊富とは言いがたい。特に宗教を意識した器楽曲と言うのは少ない。が、ここは敢えて器楽曲で行ってみようか。ヴァイオリン好きとしては、ビーバーのロザリオ・ソナタから第3曲『キリストの生誕』と言うのもありだ。ロザリオ・ソナタは、極めて宗教色の強い作品で、器楽では希少な存在と言える。だが、まぁ、器楽と言えば、素直にコレッリのクリスマス協奏曲を選ぶのが妥当だろう。何つっても、今年は、コレッリの没後299年なのだ。来年は、没後300年になる。来年のクリスマスに騒いでも、あっつう間に終わってしまうので、今年から備えておくのが吉。

そんなわけで、勝手に語りだす。

クリスマス協奏曲と呼ばれているこの作品は、コレッリの合奏協奏曲集 作品6の8番にあたるもの。作品6と言うとずいぶん若書きの作品のように見えるが、実はこれ、コレッリの作品番号では最後のものなのだ。1から4までがトリオ・ソナタ、5がヴァイオリン・ソナタ、そして、6が合奏協奏曲である。コレッリは12曲ごとまとめて曲集として出版していて、それが作品6までと言うこと。要するに72曲しかない。これに加えて、コレッリ作と判明している曲が数曲残されているので、実際には80余りの作品が今日に伝えられている。名声に比して、非常に少ない。CDにしたらせいぜい15枚くらいなもんだろうか。もちろん、もっと多くの曲を作曲したには違いないんだけれども、多くが本人の手によって破棄されている。イタリアの作曲家は国のイメージに反して、時々、妙にめんどくさい奴がいる。残念だ。

クリスマス協奏曲は、そんなコレッリの貴重な作品の一つ。心して聴こう。で、なんで、この曲がクリスマス協奏曲と呼ばれているかと言うと、最終楽章に「主の降誕の夜のために」と書かれていたからだ。全般的に荘厳で穏やかな曲だが、特に、この終曲のパストラーレの敬虔な雰囲気は、後世の音楽では得られない、バロックの、いや、コレッリならではの、美観が満ち溢れていて、感動的だ。時々、現れては消える、人々の喜びを表すような心温まるメロディも魅力的だ。

今聞いているのは、キアラ・バンキーニ&アンサンブル415によるもの。1687年にローマのスペイン広場で、コレッリ自身により行われた演奏会の様子を忠実に再現したもの。古楽器らしい軽やかさに加えて、曲の持つ柔らかさや穏やかさを十分に味わえる演奏だ。安心のハルモニア・ムンディ・フランスからのリリース。

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BEST OF 2012-HMV ONLINE 年間ランキングが発表された。こちら。クラシック総合のトップはバーンスタイン&イスラエル・フィルのマーラーの9番、2番目がシューリヒト&ウィーン・フィルのブルックナー、3番目がトスカニーニのボックスもの、4番がクレンペラーのメンデルスゾーンとシューマン、5番目がワルターのマーラー…もう良いか。

BEST OF 2012…だよな。27位のブリュッヘンのベートーヴェンで漸く、「だよね、今、2012年だよね!」と“今”を確認できる。HMV ONLINEと言うのは、日本のクラヲタの典型的な人たちが利用しているお店だと思う。だからこそ、これが日本のクラヲタの評価であるといっていいのかもしれない。過去こそ偉大。巨匠時代が終わって今はたいした演奏家がいない、いや、出るわけがない、と言う感じなんだろうか。昔は良かった、か。過去にもいい演奏はたくさんあっただろうけど、今も素晴らしい演奏は多い。過去中毒こじらせ過ぎ。ちなみに、ヨーロッパにこの発想はないみたい。何で日本はこーなった(涙)。まぁ、おいらも、クラシック聞き始めの頃は、過去こそ偉大だと洗脳されていたけど(汗)。

ちなみに、この27位より上位のCDでおいらが買ったのはホグウッドのモーツァルトだけだ。27位のブリュッヘンのベートーヴェンと共に確かに素晴らしいCDだった。

さて、今日は…なんとなく買ったカシュカシアンのブラームスのヴィオラ・ソナタ集を聴いている。1996年の録音。16年前程度では古く感じない、まぁ、それはそれで悪いことじゃないとは思うんだけれどもね。

さて、ヴィオラ・ソナタ。これはそもそもクラリネットのための曲で、ヴィオラのために作曲された曲ではない。それを作曲家自身がヴィオラ用に編曲、更にヴァイオリン用にも編曲した。と言っても、通常、ヴァイオリン・ソナタ全集にこの曲は入ってこない。と言うわけで、はじめての曲だ。ブラームスだからにして、マイナーな作品ではないけれども、接する機会がなかった。ヴィオラ…だからかな。ヴィオラのための曲って、ヴァイオリンに比べると圧倒的に少ない。楽器の存在がこういっては何だけれども、地味なせいだろう。

ところが、これがなかなか良いのだ。しっとりとした落ち着きは、ヴァイオリンにないものだと思う。ブラームスの作風に良く合う楽器じゃないだろうか。地味な曲と言ってはそれまでだが、第1番にも第2番にもappassionatoと指示されている楽章があるとおり、時折、内に秘めた情熱を感じさせる。カシュカシアンの演奏は、派手さはないけれども、程よい歌心があって、ヴィオラの魅力を存分に引き出したもの。枯れた美しさっていうのかな?寒い冬、暖炉の前で聴いたら最高の空間になりそう。

レーベルがECMと言うのも嬉しい。クリアな音質、シンプルだけれども洒落たジャケット―。購買意欲の付くレーベルだ。

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電車に揺られて数十分、三鷹市に行ってきた。三鷹市芸術文化センター 風のホールでジャン=ギアン・ケラス&ベルリン古楽アカデミーのコンサート。三鷹市芸術文化センターは、以前から古楽系の楽団がよく登場しているので、どんなホールか気になっていたのだけれども、想定外に遠かった。三鷹ってだけでも、遠いのに、このホール駅前にあるわけじゃないんだよね…ってことに前日になって気が付いた。徒歩で、15~20分、往きは土地勘がなくて迷うのもいやだったので、バスに乗ってしまった。アクセスはともかく、ホール自体は確かに古楽をやるには、ちょうどいいサイズで、使いやすいのだろう。

さて、肝心のコンサート。メニューは以下の通り。

ヴィヴァルディ:シンフォニアハ短調 (歌劇『ユスティヌス』序曲) RV.717
ヴィヴァルディ:チェロ協奏曲ト短調 RV.416
J.S.バッハ:チェンバロ協奏曲第5番へ短調 BWV1056
ヴィヴァルディ:チェロ、ファゴット、弦楽と通奏低音のための協奏曲ホ短調 RV.409
ヴィヴァルディ:合奏協奏曲集『調和の霊感』より協奏曲第11番ニ短調 RV.565

―――休憩―――

テレマン:組曲『ミュゼット』TWV55-g1
ヴィヴァルディ:チェロ協奏曲ヘ長調 RV.412
カルダーラ:シンフォニア第12番イ短調『われらの主イエスの受難』より
ヴィヴァルディ:チェロ協奏曲イ短調 RV.419

以前、ハルモニア・ムンディ・フランスからこのコンビでリリースしたヴィヴァルディのチェロ協奏曲集収録曲を中心にしたプログラミング。ヴィヴァルディ祭かと思いきや、合間に演奏されたJ.S.バッハ、テレマン、カルダーラが良いアクセントになっていた。

古楽のコンサートに行くといつも、最初に抱く感想は、「音小さ!」。なんだけれども、そのうちに慣れて楽しめるようになる。今回もそうだった。慣れてしまえばこっちのもの。演奏は文句なしに上等なものなので、存分に楽しめた。ドイツの古楽楽団って、ヴィヴァルディを得意にしないようなイメージがあるんだけれども、ベルリン古楽アカデミーは以前から積極的にレパートリーに取り入れていて、成功している。ドイツ系の古楽楽団なので、もちろん、尖っているし、エキサイティングなんだが、イタリアの楽団とは、また別種の緊張感を含んだ聞き応えのあるヴィヴァルディになる。その上、活き活きとしていて、カッコいい。

そんなベルリン古楽アカデミーに、艶やかな音色のケラスのチェロが乗っかり、駆け抜けていく。なんという心地よさ。そして、ヴィヴァルディってなんてカッコいいんだろう!…と再認識させられた。

終演後はサイン会。こういうのは必ず貰って来ちゃうんだよね。お陰で、サインCDがだいぶ増えてきてしまった。今回のサイン会は、写真撮り放題…だったのかな?ケイタイ、スマホ、デジカメでパシャパシャパシャ…でも、注意されることはなかった。いや、おいらは撮っていないけれども。凄く自由だ…。

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ドメニコ・スカルラッティと言えば、バロックにおける鍵盤楽器音楽の大家である。バロック音楽が過小に評価されていた時代においても、名ピアニストたちが、レパートリーにしており、録音にも恵まれている。

そんな録音の一つ、ホロヴィッツのレコードを聴いて、スカルラッティに夢中になった音楽家がいた。テディ・パバヴラミと言うヴァイオリニストである。そう、ヴァイオリニスト…であって残念ながら鍵盤楽器奏者ではない。彼は、12歳のときに件のレコードに出会って、それから遊び半分でヴァイオリンでスカルラッティの鍵盤楽器音楽を弾いていたと言う。やがて、プロのヴァイオリニストとなってそれなりに名前が売れるようになって(残念ながらおいらは知らなかったが)、この子供の頃からの遊びに本格的に取り組み、それをレコーディングした。なんと、伴奏なしで、である。10本の指で摘む出される音楽をたった4つの弦、5本の指で演奏してしまおうと言うのだ。

なんというか…無茶しやがって…。

と言いつつ、そんなCDを見つけたら、欲しくなるに決まっている。マイナーレーベルに日本語訳をくっつけて、ばか高い値段で売っているマーキュリーのCDだが、ディスク・ユニオンで見つけたのは、ラッキーだった。レーベルはaeonと言うフランスのレーベルで、パパヴラミはここから何枚かの録音をリリースしているようだ。

スカルラッティに挑むと言うと、バロック・ヴァイオリン奏者か?と思ったんだけれども、モダン楽器奏者である。バロック・ヴァイオリン奏者ならば、無伴奏に編曲する場合でも、オーセンティックに気を使っているものだけれども、パパヴラミは、純粋に編曲もの、要するに、自分の表現の欲求のために演奏している。バロック・ヴァイオリニストたちのそれとは少し意味合いが違ってくる。モダン楽器奏者らしい立ち位置だ。ちなみに使用楽器は、2006年製のもの。弓は、19世紀初頭のものを使っている。録音は2006年6月なので、出来立ての楽器だ。弾き込みとかしなくて良いのか…?

さて!その成果は?と言うと、これがなかなか面白い。不勉強にして、スカルラッティの作品はあまり聴いたことがないんだけれども、それでもこの録音は楽しめる。「あー、こりゃ、鍵盤楽器のための曲だなぁ」と感じさせつつも、飽かず聴けると言うのは、編曲が良く考えられているからだろう。多少の違和感も、新しい響きと感じることが出来るものだ。これに比べると、J.S.バッハのトッカータとフーガの無伴奏ヴァイオリン版って、違和感ないよなぁ。若しかすると、ホントに無伴奏ヴァイオリンのために書いた曲なのかも…と疑いたくなる。

スカルラッティの鍵盤楽器音楽の新たな一面を切り拓いたこのCD、面白がりの人には良いだろう。ヴァイオリン好きなので、スカルラッティにはあんまり縁のない人も、何かのきっかけになるかもしれない。まぁ、今後、スカルラッティを弦楽器一挺でやろうなんて思う奏者もいないだろうけど、ね。

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