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Example 1

白馬三山に縦走したときのことである。白馬岳本峰、杓子岳を経て、最後の白馬鑓ヶ岳の山頂で一服していると、中高年の集団がやって来た。簡単に挨拶を交わし、お互いくつろいでいると、一人が、目の前に聳える剱岳を指差して、こういった。

「あれ、あれが槍ヶ岳かしら?」

仲間が突っ込むだろうと期待したおいらが馬鹿だった。

「そうねぇ…」

耐えられなかった。

「あれは剱岳ですよ。槍ヶ岳はあっちの小さく見える山です」
「あーら、そうなの?アハハハハハ、とんがっているから槍ヶ岳かと思っちゃった」

話し始めたついでだったので、「どちらに行かれるんですか?」と訊いてみて、びっくりした。

「どこに行くのかしら?私よく知らないわぁ~。○○さぁん!(少し離れたところにいたリーダーっぽい人)次どこ行くのかしら?」

今どこにいるかも判らない、これからどこに行くかも判らない。3,000m近い日本アルプスの山頂で!!そもそも山に興味ないんじゃないだろか?

で、○○さんの口から出たこれから行くところを訊いて「は??????」と思ってしまった。この一団、この後、唐松岳を目指すのだそうだ。そう不帰のキレットを超えていくと言うのだ。その名が示すとおり、日本アルプス有数の難所である。おいらの山の師匠に言わせれば、「ヘルメットとザイルを持っていくべき」と言う場所である。なんとも…恐ろしいことである。

Example 2

昭和38年、後に言う「サンパチ豪雪」が日本海側を襲った。この年の年末から立山連峰の名峰、薬師岳(2,926m)に愛知大学のパーティが入山した。下山予定日は、1月6日。しかし、予定を1週間過ぎても、下山した様子がない。そして、愛知大学は富山県警に捜索願を出したのが1月14日。

若し、助かっていれば、太郎平小屋の扉が破られているはずである(冬季、山小屋は扉を板で打ち付けてある。緊急事態があると登山者はこれを破って小屋に入る)。しかし、22日に飛んだ新聞社のヘリコプターからは、太郎平小屋に人の気配は確認できず、パーティー参加者13名、全員の生存絶望が決定的となった。

薬師岳には、このときの遭難碑が今もひっそりと立ち尽くしている。

Example 3

五竜岳に登った時のことである。途中の大遠見で休憩していると、60がらみの男性が白馬岳を指差して、自慢気に語っている。

「今は皆、ハクバ岳、ハクバ岳と言っているけれども、俺が若い頃は、ハクバなんていわなかった。蓮華岳と言ったんだ」

もちろん、白馬岳のことをこの人はハクバ岳と連呼していたのだけれども、登山愛好家でハクバと言うのは少し恥ずかしい。村の名前はハクバ村だが、山の名前はシロウマ岳である。それと蓮華岳は地域的な呼称であって昔の人が皆、蓮華岳と言っていたわけではない。そのことは、昔の登山家の記録を読めば明白なこと。

山と付き合い始めてから長いのだろうが、残念ながら知識にはだいぶ欠落のある人の様だった。経験が正しい知識に結びついていない、悲しい例である。

Example 4

1967年8月1日、学校教育の一環として、西穂高岳に登山した松本深志高校の生徒、教員、60名が下山中に悪天候に見舞われた。危険を感じた一行は周囲に避難場所を求めたが、岩山である西穂高近辺に逃げ場はなかった。

そこに一閃、雷が走った。一瞬にして、9名が雷撃で、2名が転落して命を失った。落雷事故としては最大の被害が出たこと、若い高校生たちが犠牲になったことから、世間に大きな衝撃を与えることとなった山岳遭難である。

Example 5

年末に南アルプスの鳳凰三山に登った時のことである。夜叉神峠から入り、南御室の小屋で一泊し、翌日、早朝に薬師岳と観音岳の山頂まで行って、夜叉神峠に帰ってきた。森林限界より下は風もそれほど強くなく、青空の下、白峰三山が綺麗に眺められたが、山頂付近では激しい風雪に見舞われた。青空の下で見えた白峰三山も良くみれば、山頂付近で強烈に雪が舞っているのが確認できた。冬山の風は、非常に恐ろしいものである。

さて、下山して聞いた話しによると、ちょうどおいらが山にいる間に白峰三山の最高峰、北岳(3,193m)で遭難があったと言う。なんでも、外国の高山にも登ったことのあるベテランの夫婦が、軽装で入山したのだと言う。日本の山なんて…と舐めてかかったのだろう、と言うことだった。幸い、命は助かったとのことで、まぁ、一安心ではあったけれども。


山に行く人は色々いる。Ex1のようにとんでもない人もいるし、Ex3のように遭難とは直接関係ない知識だけど、長年山に登っていて、それだけでベテラン気取りになっている人もいる。悲惨な遭難事故もあるし、たまたま助かった人もいる。Ex1のような人でも遭難しないときは遭難しない。と言うより、大抵、遭難しない。

たとえば、高層ビルの屋上で柵の外側を歩いたからって、必ず落ちるもんじゃない。寧ろ、落ちない場合の方が圧倒的に多い。だけど、危険だ。何かあった時に、十分、責められること。Ex1はそう言うことをしているのだ。

さて…と、考える。自分は大丈夫だろうか、と。主観的に自分では大丈夫と思っているから行動するのだ。客観的にみて判断して、大丈夫なよう重々気をつけなければならない。

と、まぁ、こんなことを書くのは、トムラウシでの遭難事故があったから。10名もの方が亡くなった。北海道の自然を舐めているとか、行動がまずかったとか言われているが、それは外野の戯言だ。

大体、北海道の自然を特別扱いすること自体、自然を舐めている。本州の山は北海道の山より危険じゃないのか?そんなわけない。危険の種類が違うだけだし、今回のような事態は、本州の山でも十分起こり得ることだ。北海道の山に特化した問題じゃないだろう。

ガイドさんの行動も問題視されている。朝、天気が大荒れだったのに出立したとか、足が速くて付いていけなかったとか。確かに、おいらなら、天気が大荒れの状況で避難小屋から出ることはなかっただろう。でも、それは個人で行ったときのこと。これだけの大人数での行動となると、何が起こったのか、憶測で語るのは危険すぎる。下山の足が速くなったのも、足の遅い人に合わせていたら助かる人も助からなくなると思ったからかもしれない。真相を知らない外野がしたり顔で偉そうに非難するものではない。

何はともあれ、「山を愉しみたい、北海道の大自然を満喫したい」、そう言う純粋な気持ちで山に行って、こういう悲惨な目にあわれた遭難者の方々のことを考えると、胸がつまされる。どんな気持ちで、助けを待っていたのだろうか、冷たくなっていく体を抱えて、何を思い、何を考えていたのだろうか。そんなことを思うと、可哀想で、可哀想で仕方がない。

あ、ただ、これだけは言わせて。

登山は中高年のものじゃない!むしろ、体力のある若者向けのものである、と。

syakushidake.jpg

















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