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岡田暁生著『「クラシック」はいつ終わったのか?』(人文書院、2010年)を読む。「レクチャー 第1次世界大戦を考える」と言う一連のシリーズの一冊。このシリーズ、京都大学人文科学研究所の共同研究班「第1次世界大戦の総合的研究に向けて」と言う研究会の成果物…ってことなんだが、少なくても、この『「クラシック」はいつ終わったのか』は別に難しい本ではない。20世紀初頭の作曲家たちの作品をいくぶんか知っている身には「なるほど!」と感心することばかりである。

まず、この本で想定されている仮説だが、前述の研究会のテーマ、それとサブタイトルの「音楽史における第1次世界大戦」からも判るように「クラシック」は第1次世界大戦をもって崩壊したということである。この仮説を裏付けるべく、「クラシック」音楽が崩壊していく様が、文化面、社会面を交え、まざまざと解明されていく。

で、この「クラシック」とは何かと言えば、≒ロマン派&国民楽派である。この本では18世紀後半の古典派も含むことにしているが、古典派はバロックからの過渡期であって、ここで言う純粋な「クラシック」ではないように見える。では、ここで言う「クラシック」の定義は何か。それは今日における「クラシック」のイメージの通りである。市民社会が成立し、その中で教養を求める階級に支えられてきた音楽である。バロック以前の音楽は王侯貴族の音楽であったり、教会の音楽であったりする。あるいは、より原始的な民族的な大衆音楽だったりするわけで、劇場で行儀よく聴くような音楽ではない。いわゆる、今日、巷間で思い描いているような「クラシック」ではない。だから、クラシック≒ロマン派としてしまう。まぁ、現在、クラシックと言って聴いているのはほとんどこの音楽だし。

このクラシック≒ロマン派の崩壊は、簡単に言ってしまえば、教養を求めてクラシック音楽を支えてきた階層(ブルジョワ層)の崩壊をもたらした第1次世界大戦に起因する。支持者を失った「クラシック」は、戦争の中で音楽の無力さを痛感したり、或いは反対に、ナショナリズムの高揚する社会の中で音楽に熱狂する聴衆や音楽家に踊らされるように減退していく。このあたりの様子は第3章「熱狂・無関心・沈潜」に書かれているのだが、ナショナリズムに熱狂していくサン=サーンス、ドビュッシーと、ナショナリズムに白けた視線を向けたブゾー二、ヒンデミット、ストラヴィンスキーとの対比に顕著に表わされている。

それで、結局は、後者がその後の主流となっていく(そうしてクラシックは崩壊していく)。そうした時代を象徴するものとしてアドルノのベートーヴェン批判を用いて、音楽がもたらす熱狂の危うさについて触れている。

「《第9》的なマス集団は、必ずや「排除される人々」を作り出す。これがアドルノの《第9》批判の要点である。「市民的ユートピアは、完全な喜びと言うイメージを考える場合、かならずやそこから排除されるもののイメージのことも、考えざるをえなくなる。これはこのユートピアにとって、特有の点となっている。ただ世界に不幸が存在するために、そしてその程度に応じて、ユートピアの喜びも生まれてくるのである。」第2次世界大戦が終わって間もない時期(1945~1947年)のメモで、アドルノは次のように書いた。「ヒトラーと『第9交響曲』。だから包囲し合うがいい、幾百万の人々よ。」フランス革命とともに解放された「市民社会を形成する」交響曲の力の行き着く先は、アドルノの考えによれば、アウシュヴィッツにほかならなかったわけである。皆で一緒に熱狂してはいけない―このアドルノの醒めた感覚は、彼がポスト第1次世界大戦世代であったことと、無関係ではないはずだ。その意味で第一次世界大戦はまた、人々に音楽が生み出す熱狂の危うさに気付かせた戦争であったと言えるだろう。」P.107~108)

ベートーヴェンの第9がアウシュヴィッツに結びつく。社会の中の音楽として捉えるとこれは、なんとも意外な結果が導かれるのである。

この本はこうした音楽と社会の意外な結びつきを提示をしてくれていて、「おお!そうなのか!」と頷きつつ、「クラシック」崩壊前後の西洋音楽史を楽しく読み進めることができるのが良い。そして、ふと考えるのである、今はどうなのかと。例えば、音楽の熱狂がもたらす危うさ…例えば、次のワルターの言葉は行き詰まりを感じつつある社会の中ではどのように響くだろうか。福音のように響くだろうか、それとも何か、別の危うさを感じることができるだろうか。

「私たちは芸術の力、私たちの芸術ならではの力を、社会的な目的のために用いよう」(P.71)


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