帰宅途中、オフィスビルの合間から見上げる街の空は、
ネオンや信号や自動車のライトの薄汚れた光に澱み、
星たちの僅かな光も見出すことは出来ない。
この薄汚れた空を見るたびに思い出すのは、
一人山の上でぼんやりと眺める無数の星の輝きである。
海辺でも星の綺麗なところはあるのだけれども、
一つ地面より天空に近付いた山の上、
冷たい空気に研ぎ澄まされた星の輝きは、
独特の世界を醸しだす。
うっすらと浮かんだ山影と月明かり、星明りが、
人の心をしんとさせ、妙に敬虔な気持ちにさせるのだ。
朝が近付けば、一つ、また一つと、星は消えていく。
そして、残った少ない星のひとつが、つんと尖った向こうの山の上、
きらりと気丈に光っている様も、また、力強く、麗しい。
そう言えば、音楽に星を題材にした曲ってどれほどあるだろう?
真っ先に思い浮かぶのはホルストの組曲『惑星』、
それからモーツァルトの交響曲第41番『ジュピター』。
ただ、どちらも神話や占星術に基づくあって、
星の美しさに触発されたものではない。
他には…と、色々と思い出そうとしてみるけれども、
なかなか該当しそうな曲が思いつかない。
自然賛美が大好きなイギリス音楽でさえ、
該当しそうな曲が見当たらない。意外なもんである。
で、あれば…スターバト・マーテル…(…)。
ちなみに、クラヲタの場合、
スタバと言えば、スターバト・マーテル…。
「スタバでお茶しよう」は、スターバト・マーテルについて、
喫茶店で語ることである。なので、クラヲタに、
「スタバでお茶しよう」と言われたら、「どこの?」ではなく、
「誰の?」と訊いてあげましょう(ウソ)。
※スターバト・マーテル(クラヲタじゃない人向け解説)
宗教音楽の一つ。「悲しみの聖母は佇む」と訳される。『公教会祈祷書』では「悲しめる聖母の祈り」となっている。単に「聖母の祈り」と訳されることもある。対抗宗教改革を打ち出したトレント公会議で、典礼音楽から除かれたが、1727年解除となったため、以後、スカルラッティ、ペルゴレージ、ヴィヴァルディ、ハイドン、ドヴォルザーク等様々な作曲家によって作曲が行われた。(参考資料:井上和男編著『クラシック音楽作品名辞典』三省堂、1998年)
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