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もうすぐ夏。観光シーズンである。ヨーロッパに行く人も多い。しかし、だ。このシーズン、音楽好きにはあまり有り難い時期ではない。7月、8月はオーケストラ、オペラ・ハウス共にオフシーズンになるからだ。

とは言え、折角の観光シーズン、ヨーロッパに行ったからには音楽を聴きたい!であれば、音楽祭へ行こう!チケットが取り難い&高い、野外だったり音響に優れない会場だったりで、純粋に音楽を楽しむには欠点が多いが、浮かれた雰囲気を楽しむのも良いんじゃないだろか。そもそもシーズン中にヨーロッパで音楽を楽しむのも雰囲気目的込みだし。それに、音楽祭を行う場所は概して風光明媚な場所が多いので、観光しがてらコンサートに行けるのも良い。また、音楽目的ではなかなか行くことのなさそうな、スペインやスイスでも盛んに音楽祭が開かれているので、こういうところで音楽を聴くのは逆にオフシーズンの夏の方が適しているとも言える。

しかし、音楽祭ってどこでどんなことをやっているのか、調べるのが結構難しい。それでこそザルツブルク音楽祭だの、ルツェルン音楽祭だの、プロムスだのと言う有名どころならば簡単に調べられるが、夏のヨーロッパはいたるところで小さな音楽祭が開催されており、それらを調べるのはインターネットが普及した情報化社会の中でも難しいのだ。だから、『絶対行きたい!世界の音楽祭』(田中良幸著/ヤマハ・ミュージック・メディア/2010年)はなかなか便利な本だ。欧米128の音楽祭が紹介されており、それぞれのURLも紹介してくれている。ざっくり簡単な紹介文でもURLがあればホームページを見れば何とかなる。写真が多くって、音楽祭の雰囲気も伝わりやすい。

構成は、前半が「厳選!10大音楽祭」、後半が「国別音楽祭118選」。10大って好きだよね~。10大オーケストラとか、10大指揮者とか…と言うわけで、前半はにこやかに流して、見どころは後半。知らない音楽祭が満載。そう言うマイナーな音楽祭でも、有名どころがぞろぞろ出てくるのがヨーロッパの凄いところだ。1999年に、あのヒキコモリだったカルロス・クライバーが、フラフラと登場したのも、スペインのカナリア諸島音楽祭だった。まぁ、これはそれなりに大きな音楽祭みたいだけど。

ぱらぱらっと見たところ、興味を引いたのは有名な音楽祭も混ざるが、シュティリアルテ古楽フェスティバル、ラインガウ音楽祭、ドレスデン音楽祭、ユトレヒト古楽音楽祭、インスブルック古楽フェスティバルあたりかな。音楽祭って、小粋な古城や古い教会で行われることが多くって、そう言うところに合うのはやはり、古楽なんじゃないかな、と思うと、やはり古楽の音楽祭に目が行ってしまう。オーケストラやオペラはやはり、本拠地で鑑賞するのがベストだと思うから。

さぁ、『絶対行きたい!世界の音楽祭』を片手に妄想の音楽祭めぐりをしよう!


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岡田暁生著『「クラシック」はいつ終わったのか?』(人文書院、2010年)を読む。「レクチャー 第1次世界大戦を考える」と言う一連のシリーズの一冊。このシリーズ、京都大学人文科学研究所の共同研究班「第1次世界大戦の総合的研究に向けて」と言う研究会の成果物…ってことなんだが、少なくても、この『「クラシック」はいつ終わったのか』は別に難しい本ではない。20世紀初頭の作曲家たちの作品をいくぶんか知っている身には「なるほど!」と感心することばかりである。

まず、この本で想定されている仮説だが、前述の研究会のテーマ、それとサブタイトルの「音楽史における第1次世界大戦」からも判るように「クラシック」は第1次世界大戦をもって崩壊したということである。この仮説を裏付けるべく、「クラシック」音楽が崩壊していく様が、文化面、社会面を交え、まざまざと解明されていく。

で、この「クラシック」とは何かと言えば、≒ロマン派&国民楽派である。この本では18世紀後半の古典派も含むことにしているが、古典派はバロックからの過渡期であって、ここで言う純粋な「クラシック」ではないように見える。では、ここで言う「クラシック」の定義は何か。それは今日における「クラシック」のイメージの通りである。市民社会が成立し、その中で教養を求める階級に支えられてきた音楽である。バロック以前の音楽は王侯貴族の音楽であったり、教会の音楽であったりする。あるいは、より原始的な民族的な大衆音楽だったりするわけで、劇場で行儀よく聴くような音楽ではない。いわゆる、今日、巷間で思い描いているような「クラシック」ではない。だから、クラシック≒ロマン派としてしまう。まぁ、現在、クラシックと言って聴いているのはほとんどこの音楽だし。

このクラシック≒ロマン派の崩壊は、簡単に言ってしまえば、教養を求めてクラシック音楽を支えてきた階層(ブルジョワ層)の崩壊をもたらした第1次世界大戦に起因する。支持者を失った「クラシック」は、戦争の中で音楽の無力さを痛感したり、或いは反対に、ナショナリズムの高揚する社会の中で音楽に熱狂する聴衆や音楽家に踊らされるように減退していく。このあたりの様子は第3章「熱狂・無関心・沈潜」に書かれているのだが、ナショナリズムに熱狂していくサン=サーンス、ドビュッシーと、ナショナリズムに白けた視線を向けたブゾー二、ヒンデミット、ストラヴィンスキーとの対比に顕著に表わされている。

それで、結局は、後者がその後の主流となっていく(そうしてクラシックは崩壊していく)。そうした時代を象徴するものとしてアドルノのベートーヴェン批判を用いて、音楽がもたらす熱狂の危うさについて触れている。

「《第9》的なマス集団は、必ずや「排除される人々」を作り出す。これがアドルノの《第9》批判の要点である。「市民的ユートピアは、完全な喜びと言うイメージを考える場合、かならずやそこから排除されるもののイメージのことも、考えざるをえなくなる。これはこのユートピアにとって、特有の点となっている。ただ世界に不幸が存在するために、そしてその程度に応じて、ユートピアの喜びも生まれてくるのである。」第2次世界大戦が終わって間もない時期(1945~1947年)のメモで、アドルノは次のように書いた。「ヒトラーと『第9交響曲』。だから包囲し合うがいい、幾百万の人々よ。」フランス革命とともに解放された「市民社会を形成する」交響曲の力の行き着く先は、アドルノの考えによれば、アウシュヴィッツにほかならなかったわけである。皆で一緒に熱狂してはいけない―このアドルノの醒めた感覚は、彼がポスト第1次世界大戦世代であったことと、無関係ではないはずだ。その意味で第一次世界大戦はまた、人々に音楽が生み出す熱狂の危うさに気付かせた戦争であったと言えるだろう。」P.107~108)

ベートーヴェンの第9がアウシュヴィッツに結びつく。社会の中の音楽として捉えるとこれは、なんとも意外な結果が導かれるのである。

この本はこうした音楽と社会の意外な結びつきを提示をしてくれていて、「おお!そうなのか!」と頷きつつ、「クラシック」崩壊前後の西洋音楽史を楽しく読み進めることができるのが良い。そして、ふと考えるのである、今はどうなのかと。例えば、音楽の熱狂がもたらす危うさ…例えば、次のワルターの言葉は行き詰まりを感じつつある社会の中ではどのように響くだろうか。福音のように響くだろうか、それとも何か、別の危うさを感じることができるだろうか。

「私たちは芸術の力、私たちの芸術ならではの力を、社会的な目的のために用いよう」(P.71)


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サロネンのバッハ・トランスクリプションズを買う。安かったから、と言うあまりにもサロネンに申し訳のない理由で、だけど。

この録音、発売当時結構話題になったような気がする。話題になった、と言うか、CDショップで前面に出ていたって感じかな。結構売れていたようだけど、おいらは興味がわかなかった。つか、気にもかけなかった。モダン楽器のオーケストラでは演奏しにくいバロック音楽を強引にオーケストレーションしているような違和感。バッハは人気があるからやりたかったんです!みたいな商業的な香りがしていそうで、「どうせ面白いわけがない」と言う先入観があった。サロネンなのに(笑)。

で、今回、特売コーナーに並んでいるのを見てふと気になった。なんで、この古楽器全盛の時代にこんなことやっているんだ?サロネンだし、売れるCDを作るんだ!ってより、なんか、裏があるんじゃないか…。手にとって選曲を確認してみると、やはり、何か面倒なことを考えていそうなプログラミング。

ストコフスキーの編曲は有名なものだとしても、エルガーって…そんなことしていたのか。あとはウェーベルンとシェーンベルク。それからマーラー。ウェーベルンとシェーンベルクは如何にもこの手の編曲をやりそうな人だ。編曲時期は判らないが、20世紀初頭、ナショナリズムの色の濃かったロマン派が崩壊して、音楽の地域性が薄まっていく脱ロマン派の動きの中で、その先頭を走っていた2人が、国境意識の低かったバロック音楽を振り返るのは極めて自然なことだ。ネオ・クラシシズムの先祖返り的発想と似ている。エルガーは先進的な作曲家ではなく、頑ななロマン派のイメージが強かったが、その影響があったのかなかったのか…。マーラーは編曲好きで、ベートーヴェンの交響曲第9番を肥大化オーケストラに編曲しなおしちゃったりしているので、違和感なし(笑)。

サロネン自身、作曲家なので、20世紀の作曲家がバッハをどう捉えていたのか、とか、なんかその辺のことを検証しながら難しく考えながらCDを作ったんだと思う。

結果できあがったCDは、馬鹿っぽく見えながら、深いという奇妙なものになった。まず、ストコフスキー編曲のトッカータとフーガ。これ、発想が強暴。ストコフスキー自身の演奏は聴いたことがないんだが、オーマンディの演奏は実に華やかで、表面的で俗っぽかった。名曲集的な感じかな。対してサロネンは、名曲だからって容赦しない。俗っぽく華やかにはいかない。轟々と鳴らすんだが、なんか、不気味な雰囲気がある。名曲集に入れたくない演奏(笑)。

エルガーの編曲は、笑えるぐらい色もの。ウェーベルンとシェーンベルクの編曲は、もっとも、「20世紀のバッハ」らしいかもしれない。彼らの他の音楽みたいに聴き難くはないが、冷めた響きは妙な魅力。現代音楽とバッハの相性の良さを証明してくれる。シェーンベルクが妙に壮大だったのには意表を突かれるが…。

最後にマーラー編曲がプログラミングされているのだが、ストコフスキーはともかくエルガー、ウェーベルン、シェーンベルクを聴いた後だと、ホッとする。なんか、やっちゃいけないことをやっていそうで、「こんなん、バッハじゃねぇ!」とは叫びたくなるけど。

と、なんだかんだ楽しめる1枚。「クラシックでお勧めのCDありますか?」なんてザックリ極まりない質問についつい推奨したくなる企画だが、マニア向け。少なくても、多少はバッハを聴いていないと楽しめない。なのに、ここで言うバッハは、ヨハン・セバスチャンだけ。この辺の感覚は一般人。カール・フィリップ・エマニュエルも、ヨハン・クリスティアンもなかったことにしておく。まぁ、両者の曲を聴いている身としても、ヨハン・セバスチャン以外はオーケストレーションしてもちっとも楽しくはないだろな、とは思うけど。

 
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四ツ谷の紀尾井ホールでルノー・カプソンのコンサート。“ときめきのヴァイオリン”と言う浮ついたタイトル付き。野郎としては、ちょっと躊躇しちゃうタイトル。でも、そんな壁も乗り越えて行ってきた。

何日か前にこのブログで書いたとおり、本来はリヨン国立管弦楽団とともに来日する予定で、その合間に組まれた1公演だけのコンサートだった。それがオーケストラの来日が中止になって、この1公演だけのためにカプソンは来日することになった。普通ならそんな非効率的なことはしないんだけど、男気で敢行。

演目は、以下の通り。

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第2番
フォーレ:ヴァイオリン・ソナタ第1番
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番『春』
ラヴェル:ツィガーヌ

ベートーヴェンの2つのソナタは、ちょっと前にブラレイとの全集を出していたので、ここでも演奏することにしたのだろうか。で、その間にお国ものを2曲。

最初のベートーヴェンの2番は、若書きの作品と言うことで、カプソンのヴァイオリンに軽やかに爽やかに進んで行った。心地良い音色。

フォーレは1楽章からビシーッとスイッチが入って、凛とした響きに緊張感が漂う。フランクのヴァイオリン・ソナタ(録音)で聴いたカプソンだ。熱気と美音が入り混じる。正直、この作品はおいらはあまり馴染みがないんだが、圧倒されっぱなし。この人のフランス音楽は、エスプリとか、オサレで済まされるものではない。

休憩をはさんで『春』。至福。CDでは、爽快でドイツ・ロマン派的な重厚さとは正反対の演奏を聴かせてくれたけど、今日はフォーレの熱気も冷めやらぬ中でテンションも高く熱い演奏になっていた。とは言え、相も変わらずの綺麗な音色で、梅雨時の紀尾井ホールにめいっぱいカプソンの春が満ち溢れていた。

最後は、ツィガーヌなんだけど、これも凄かった。難曲ではあるけれど、そんなこたぁ、このコンサートでは大した問題ではなった。見た目にもやすやすと弾き飛ばしていく。完璧なテクニックだが、それ以上になんて美しい響きなんだろう…唖然としてしまう。技巧ばかりが耳に付くような所謂「技巧派」とは一線を画す。

アンコールの『タイス』の瞑想曲もこの上なく至福。たーっぷり酔える。

ちなみに、カプソンのヴァイオリンは、グァルネリ・デル・ジェスで、アイザック・スターンがそのキャリアの殆どで愛用していたものだそうだ。もちろん、あの名録音の数々はこのヴァイオリンで演奏されたもの。カプソンに引き継がれ、再び名演奏を繰り広げていく。つっても、フランコ・ベルギー派の流れを汲むカプソンとスターンでは全くタイプが異なるが。

演奏会後は小さなホールのお決まりでサイン会。タワーレコードが出店していて、「CDまたはDVDお買い求めの方はサイン会に参加できます」と小ズルイ商売をやっている。値段も高いうえに、ポイントもつかない。そしてファンならだいぶ買っちゃっていて、買うCDが殆どない。まぁ、ファンだから演奏会に行くわけだしね。矛盾。

でも、おいらは大好きなヴァイオリニストなので、買う、そして、サイン会の列に並ぶ。大体こういう時は、コンサートの曲目が入ったCDがやたら売れる。と言うことで、ベートーヴェンのヴァイオリン全集をお買い求めの人が多かったみたい。タワーレコードも「早くお買い求めいただかないと売り切れてしまいます」なんてクラシックのCDにはそぐわないことを言っている。当然、おいらはそんなん、発売と同時に手に入れちゃっているけど…。

カプソンはにこやかにサイン会を進行。アーノンクールとは正反対。「アリガト」と言ってサインを渡してくれる。こちらも「サンキュ」と返す。伴奏の若手ピアニストにも、「サンキュ」と言うとちょっと不意を突かれたように顔をあげて、凄く嬉しそうに「サンキューベリーマッチ」と返してくれた。初々しくて爽やか。

終演後外に出ると、いつの間にか雨が降っていた。そんな予報はなかったんだけどなぁ…なんて、不満は、このコンサートの後では、何の苦にもならない。素晴らしい音楽を聴けた充足感に弾け飛んだ。

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CDをデータ化する時に作曲家名をアルファベット順に並べてフォルダを作っているんだが、そのフォルダ数が今数えたら266あった。266人の作曲家のCDをもっているということになる。一瞬、300人を目指したくなっちゃうが、そんなこたどうでもいい。で、266人。これを多いと見るか少ないと見るか。

西洋音楽史1000年を聴く!と言うのがおいらの音楽趣味の趣向なんだが、1000年で266人って偉いこと少ないじゃないか!と考えられるし、4年に1人は生まれていると考えると少なくないようにも思う。もちろん、1600年以前は、そもそも作曲家の存在そのものが怪しくなってくるので少なくなるのは当たり前。1600年以降、400年ばかりは2年に1人はおいらのCD棚に並ぶレベルの作曲家が生まれていたと考えると、多いようにも思える。ヨーロッパ全体で、ではあるけれども。

とは言え、当時、作曲家がそれしかいなかったわけじゃないんだから、「クラシックの作曲家って長いこと評価されて凄いね」と言う評価は間違っている。大量の忘れ去られた作曲家がいるのだ。だから、正確には、評価される作曲家だけが残った、或いは、評価することを念頭に作曲した作曲家が残ったというだけのこと。時の流れが、良い悪いのふるいになって現代人の前に、音楽を残してくれた。これはたった266人か、266人も、なのか…。


 

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SACDは普及しない、しなかった、と言うのが一般的な見解だが、クラシックでは未だに幅を利かせている。1960年代の古い録音までSACDで出ているんだが、DSDで録音されなかったものをDSDに変換してSACDにしても音質は良いんだろうか。SACDプレイヤー持っていないから判らないけど。

で、なんで持っていないかと言うと、やっぱ、このあとSACDが広がるかどうかについては、ネガティブな予想しかしていないから。たぶん、CDに変わる媒体は高品質のデータ。もはやネット・オーディオはオーディオマニアの間では常識的な存在になりつつあるようだ。

そんな時代の流れに逆行するように、最近、クラシックではシングル・レイヤーSACDが出てきた。確かに、マルチ・レイヤーよりは音質は良くなるんだろうけど…。そんなにSACDプレイヤーを持っている人って多いんだろうか。おいらも買った方がいいのだろうか…。って何年も悩んでいる(汗)


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ヴァイオリン教室で『ヴルタヴァ』。一般的には『モルダウ』。ただ、『モルダウ』はドイツ語、だっけな?で、チェコ語で『ヴルタヴァ』。だから、チェコでは『モルダウ』と言っちゃいけないんだ、と中学校の時、音楽の先生に習った。チェコ人に怒られるよ?って。

で、まぁ、その『ヴルタヴァ』の編曲ものを練習。相変わらず、のーんびりと進んでいくヴァイオリン教室だが、最近は簡単なレパートリーを1回のレッスンで複数練習している。『ヴルタヴァ』もその一つ。有名な曲ですね、ってだけじゃなくって、やっぱ良い曲だなぁ~、としみじみ感じ入る。ヴルタヴァの流れを思い出しながら弾く。有名曲って、聴く前から食傷気味っていう、ハンディがあると思うんだが、それを補って余りある。もちろん、連作交響詩『わが祖国』は他にも名曲満載で、全曲聴くのがお勧めだが。

先生も、「ここんところのD♯が感動的なんだよね」と聴きどころを丁寧に指摘してくれて、ぐったり金曜日がちょっとチェコ色で何となくうれしかったり、懐かしかったり。

当然のように帰宅後、『わが祖国』全曲聴く。好きな曲だけど、久しぶりかなぁ。アンチェル&チェコ・フィルの1968年プラハの春音楽祭オープニング・コンサート。チェコ国民にとっては忌まわしいあの事件の直前のコンサート。緊迫した情勢の中で演奏されたチェコ国民の誇り。有名なスタジオ録音盤とはまた違った名演である。

最近の演奏ではフルシャ&プラハ・フィルの2010年プラハの春音楽祭オープニング・コンサートも良かった。昔は良かったなんて言っても、昔は帰ってこないのだから、若い世代の台頭はワクワクする。アンチェルみたいな悲惨な運命を辿らずに、のびのびとチェコ音楽界を盛り上げていってくれると嬉しいな。

 

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昨年のプラハの春の音楽祭のオープニング・コンサートはフルシャ&プラハ・フィルだった。今年は、ビエロフラーヴェク&プラハ音楽院交響楽団。もちろん、会場はスメタナ・ホールなんだが、チェコ・フィルがやんなくなっちゃったのはなぜなんだろう?

ネット検索をしていてそんなことに気付いた、平凡な平日。何となく聴いてしまった、ブラームス、交響曲全曲。おまえ、暇人だろ?って言われてもしょうがないが、まぁ、3時間くらいなもんだから、だらだらしながら聴いていれば普通に聴けてしまう。選んだ演奏は以下の通り。

1番 朝比奈隆&東京都交響楽団
2番 コンドラシン&ロイヤル・コンセルト・ヘボウ管弦楽団
3番 アバド&ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
4番 チョン・ミュフン&チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

ブラームスってカッコイイよなぁ。なんてぼんやり考えつつ聞き流し。声高に音楽の精神性ばかり叫びあげていそうなドイツ・ロマン派、重厚で渋い印象だが、結構テンションの高い演奏が好き。たぶん、おいらは全く判っていない(汗)。

どれも素晴らしい演奏なんだが、ブラームスの交響曲っていつの間にか増えちゃっていて、他にも名演わんさか。こんな日が何日もないと、こなしきれないのが実情。1週間に1回はやるか、ブラームス・デー。毎週木曜日はブラームスを聴こう!みたいな。そんなことしたら、ベートーヴェン・デーやモーツァルト・デーも必要か。

まぁ、なんだ、そうそうに入梅しちゃった今年、雨音でも聴きながら、ブラームスを集中的に聴いてみようか。

 

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また日本で100枚も売れそうにないCDを買ってしまった。タイトルは『ピエール・アテニャンと7つの“ダンスリー”』と言うもの。演奏者は古楽器アンサンブル、アンサンブル・ドゥス・メモワール。

ルネサンス時代の器楽中心の舞曲集である。アテニャンと言う人物は、出版業者。なぜ、出版業者の名前が残ったのか。活版印刷が出て、そのお陰で楽譜が世に広まってくると、音楽の世界に占める出版業者の立場はとても強くなった。技術力が最もリスペクトされていたのかもしれない。その結果、作曲者や編曲者の名前ではなく、出版業者の名前が楽譜の表紙を飾ることとなった。まぁ、作曲者、編者と言っても、楽譜がなかった頃から伝わってきた曲を楽譜にしました、編曲しました、ってレベル。到底作曲家と言えるレベルのことをしていたわけではないから出版業者の方が曲を世に広めるにあたっての役割が大きかったのかもしれない。

アテニャンもそうした出版業者の一人。16世紀前半に生きた人である。1537年に国王フランソワ1世から王室付き楽譜印刷管理人と言う怪しげな称号を得て、150冊以上の曲集を出版した、この道の権威的存在である。曲の内容はたいてい、歌であったが、中には器楽のための作品が混じっていて、その一部を収めたのが、当盤である。毎度、この頃の器楽のCDを買うと「舞曲」と言う言葉を目にするが、今回もダンスリーと言うことで舞曲である。そもそも、この時代の器楽曲と言うのは殆どが舞曲だったそうだ。それ以外の器楽曲の本格的な登場は17世紀、つまりバロックの始まりを待たねばならない。

使われている楽器は、ターユ・ド・ヴィオロン、カント・ド・ヴィオロンなどのヴァイオリン類とルネサンス・オーボエ等の管楽類、それに打楽器やハープ、リュートが加わる。改めて浜松楽器博物館でも言ってこれば、良いんだろうけど、まぁ、今のおいらの知識では何とかヴィオロンとか言われてもいまいちピンとこない。

ピッチはヴァイオリン類がA=392Hzで管楽器類がA=520Hz。A=392Hzと言うのは、現代一般的に使われているピッチから1音分低くなる。ティーフカンマートーンと呼ばれ、フランスのバロックでよく使われているもの。アテニャンはフランスの人物なので、このピッチにしたのだろうか。管楽器類は、逆に2音分ほど高く設定されている。古楽器の演奏と言うのは、こういうところからちまちま検証していかなくてはならないので、何気に奥が深い。

そう言う理屈的なことを別にして、音楽はどんなものかと言えば、15~16世紀の頃のヨーロッパを描いた歴史ものの映画に出てきそうな、あの何とも呑気なような、憂鬱なような、くすんだ古き時代の香りが漂ってきそうな響きが満載。バロック以降の音楽のような雄弁で表情豊かなものではなく、無表情なノスタルジーが聴衆を一気に古のヨーロッパに連れて行ってくれる。目を瞑れば、古いヨーロッパの建物に囲まれた石畳の広場にぽつんと立っているような錯覚さえ覚えてしまう。そんな音楽に身を委ねている時間が、結構心地よい。極上の音楽時空旅行。だから、似たような内容なんだろうな…と思いつつ、売れそうにない、高いCDをまた買ってきてしまうのだ。演奏も、優しい響き。たまんね~!


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チョン・ミュンフン…じゃないや、チョン・ミョンフンとチェコ・フィルのブラームスの交響曲第4番がCD化された。これ、このコンビの来日公演に合わせて急いでリリースされたたCDなんだが、肝心の来日公演が大震災の影響で全部ではないがほぼキャンセルとなった。EXTONは目論見はずれちゃったわけなんだが、これ、記念盤で済ましちゃうにはあまりにも勿体ない代物だ。SACDとは言え、1曲で2,800円とはあまりにも割高ではあるけれども、それを補って余りある。

…って、これ、おいらが2月にプラハで聴いたコンサートのライブ録音なんだけどね。ミョンフンが素晴らしい指揮者であると言う認識はあったけれども、「チェコまで行って、アジア人かぁ。ビエロフラーヴェク聴きたい…」なんて思いながらも、日程的に他に目ぼしいコンサートがなかったので、消去法的に取ったチケットである。

それが蓋を開けてみたら、どうだ?やっぱ凄い指揮者は凄いんである。オーケストラを煽りに煽って、恐ろしく情熱的な音楽を作り上げていく。この手の演奏は、下手すれば、がなり立てるだけの中身は空っぽの虚ろな爆演になりかねないが、そこんところきちんと弁えて、理性も知性も失わないのはさすが。特に3楽章から4楽章にかけての強力な推進力には聴衆を有無を言わさず呑みこんでいく魅力がある。圧巻。ティンパニの強打も効果的。もうね、容姿はこういっちゃなんだが、背が低くて顔のでかい、貧相な指揮者なんだけど、演奏中と演奏後はどんな韓流スターよりカッコよく見えた(あ、そもそも韓流…まるで興味ですけどね)。

で、オーケストラが、もう、流石としか言いようのない音色を出してくれるんだな。1楽章始まった瞬間に「うわーっ、綺麗だー!」って感動しちゃう。繊細で堪らなく美しい。その後も柔らかくふくよかでたーっぷり鳴り響く。2楽章で聴く、弦も鳥肌もの。あ、気持ち悪いってことじゃないっすよ?上質なシルクのような響きっつーのかな、ありきたりな表現を使わせてもらえば。やっぱチェコ・フィルの弦の響きは、最高級。もちろん、木管人の響きも、金管の響きも…あの美しいチェコ・フィルの音色。最高なのだ。ミョンフンもそこんところ良く活かしていて、全曲通して熱狂的ながら実に美しいブラームスになっている。もちろん、ライブならではの緊張感もあって、最上の演奏になっている。もう、むちゃくちゃ酔える。

この演奏が震災の影響で日本で聴けなかったのは、あまりにも惜しい。自分がこの演奏会を生で体験したことは、すっごい体験だと思うし、今思い返しても頭に血が昇るくらいテンションあがるけど、日本で演奏されなかったことは、あんまりにも惜しくてならないのだ。行く予定はなかったけど、もっといろんな人に聴いて欲しい演奏だった。ミョンフンの情熱とチェコ・フィルの美しい響きがあわさるとこんなにも凄い音楽になるんだと多くの人知ってもらいたいという思い。

せめてCDが売れればいいんだけど…値段がなぁ。しかも、ミョンフン&チェコ・フィルってこれが初共演なんだけど、あんまインパクトないんだよね。「あれ?今までも何度も見たような気がするけど…」って感じで。世界中の名門オーケストラを振っている指揮者と、世界中の名指揮者を指揮台に迎えている名門オーケストラの組み合わせってそんなもんかもしれない。もっとも、プラハでは、「ミョンフンがチェコ・フィル振るよー」って宣伝があちこちにしてあったけど。

そんなわけで、超お勧め。個人的にはコンサートの後に行ったピザ屋が思い出されてならない…。あれ、でかかったなぁ。


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