サロネンのバッハ・トランスクリプションズを買う。安かったから、と言うあまりにもサロネンに申し訳のない理由で、だけど。
この録音、発売当時結構話題になったような気がする。話題になった、と言うか、CDショップで前面に出ていたって感じかな。結構売れていたようだけど、おいらは興味がわかなかった。つか、気にもかけなかった。モダン楽器のオーケストラでは演奏しにくいバロック音楽を強引にオーケストレーションしているような違和感。バッハは人気があるからやりたかったんです!みたいな商業的な香りがしていそうで、「どうせ面白いわけがない」と言う先入観があった。サロネンなのに(笑)。
で、今回、特売コーナーに並んでいるのを見てふと気になった。なんで、この古楽器全盛の時代にこんなことやっているんだ?サロネンだし、売れるCDを作るんだ!ってより、なんか、裏があるんじゃないか…。手にとって選曲を確認してみると、やはり、何か面倒なことを考えていそうなプログラミング。
ストコフスキーの編曲は有名なものだとしても、エルガーって…そんなことしていたのか。あとはウェーベルンとシェーンベルク。それからマーラー。ウェーベルンとシェーンベルクは如何にもこの手の編曲をやりそうな人だ。編曲時期は判らないが、20世紀初頭、ナショナリズムの色の濃かったロマン派が崩壊して、音楽の地域性が薄まっていく脱ロマン派の動きの中で、その先頭を走っていた2人が、国境意識の低かったバロック音楽を振り返るのは極めて自然なことだ。ネオ・クラシシズムの先祖返り的発想と似ている。エルガーは先進的な作曲家ではなく、頑ななロマン派のイメージが強かったが、その影響があったのかなかったのか…。マーラーは編曲好きで、ベートーヴェンの交響曲第9番を肥大化オーケストラに編曲しなおしちゃったりしているので、違和感なし(笑)。
サロネン自身、作曲家なので、20世紀の作曲家がバッハをどう捉えていたのか、とか、なんかその辺のことを検証しながら難しく考えながらCDを作ったんだと思う。
結果できあがったCDは、馬鹿っぽく見えながら、深いという奇妙なものになった。まず、ストコフスキー編曲のトッカータとフーガ。これ、発想が強暴。ストコフスキー自身の演奏は聴いたことがないんだが、オーマンディの演奏は実に華やかで、表面的で俗っぽかった。名曲集的な感じかな。対してサロネンは、名曲だからって容赦しない。俗っぽく華やかにはいかない。轟々と鳴らすんだが、なんか、不気味な雰囲気がある。名曲集に入れたくない演奏(笑)。
エルガーの編曲は、笑えるぐらい色もの。ウェーベルンとシェーンベルクの編曲は、もっとも、「20世紀のバッハ」らしいかもしれない。彼らの他の音楽みたいに聴き難くはないが、冷めた響きは妙な魅力。現代音楽とバッハの相性の良さを証明してくれる。シェーンベルクが妙に壮大だったのには意表を突かれるが…。
最後にマーラー編曲がプログラミングされているのだが、ストコフスキーはともかくエルガー、ウェーベルン、シェーンベルクを聴いた後だと、ホッとする。なんか、やっちゃいけないことをやっていそうで、「こんなん、バッハじゃねぇ!」とは叫びたくなるけど。
と、なんだかんだ楽しめる1枚。「クラシックでお勧めのCDありますか?」なんてザックリ極まりない質問についつい推奨したくなる企画だが、マニア向け。少なくても、多少はバッハを聴いていないと楽しめない。なのに、ここで言うバッハは、ヨハン・セバスチャンだけ。この辺の感覚は一般人。カール・フィリップ・エマニュエルも、ヨハン・クリスティアンもなかったことにしておく。まぁ、両者の曲を聴いている身としても、ヨハン・セバスチャン以外はオーケストレーションしてもちっとも楽しくはないだろな、とは思うけど。
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