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先日、渋谷のタワーレコードでインバンルインバルのトーク&サイン会があった。おいらもサインをしてもらうべく、CD片手に遥々渋谷へ。著名な指揮者のサインや生トークって得難いもの。ありがたや。こういうのって、確か、プレヴィン以来だなぁ。

さて、18時開始のところ、10分ほど前に到着したのだけれども、イベント会場にはそれほど人はいない。店内にはいつも以上に人がいたけれども…。

予定の時間を少し過ぎたところで、インバル夫妻(たぶん)登場。すると店内の人がわさわさとイベント会場に集まってきた。おいらも集まった。そして、目の前にインバル婦人と思しき人が座った。えっと…まぁ、外人でした(笑)。あたりまえか。

なんとかさんと言う人と対談形式で、トーク開始。ひとつ質問するとインバルが語る、語る、語る、語りまくる。途中で、なんとかさんの存在を思い出して、「しゃべりすぎました…」と、なんとかさんに振るんだけど、また出てきた質問に対して、語りまくる。音楽、好きなんだなぁ。色々考えていて、色々みんなに伝えたくて、音楽の喜び、哀しみ、楽しみをみんなで分かち合いたい。そういう思いが強いんだろうなぁ。終始笑顔だったけど、音楽に対する真摯な思いは、さすが。

マーラーについては、色々話していた。

「チャイコフスキーの哀しみ、喜びは一個人のものだけれども、マーラーの哀しみ、喜びはもっと大きな人類全体的なもの(マーラーは宇宙だ!)」

みたいなことを話していた。だから、この閉塞感のある時代に必要なんだとか。こんな時代の若い人たちにもっと受け入れられるんじゃないかと。そうなんだよなぁ。マーラーみたいな巨大な音楽って、一個人の哀しみや喜びを併呑して圧倒してくるから、心の支えになるんだろうな。

「マーラーは、20年ほど前、一過性のブームみたいに言われていたけれども、定着するだろう。現代は、マーラーに適している」

みたいなことも言っていた。細かい点では間違っているかもだけど。そして、色々話した後、今後の録音ついて話が及ぶ。

「マーラーの全曲を含め、色々な録音を出して行きたい。フランクフルト放送響とマーラーの交響曲全集を出したときとまた解釈は変わっている。それに、音楽は生き物である。二度と同じ音楽は生まれない。同じ音楽を録音することはない」

とか。そんなことを話していた。うむ…今後が楽しみじゃないか!確か、チェコ・フィルの指揮者にも就任したよなぁ。併せて、今後は都響の演奏会にせっせと行くことにしようか。


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『のだめカンタービレ』で良いところ突いているな、と思ったのが、千秋真一の師匠シュトレーゼマン。変な人。そう、巨匠は変である―と言っては怒られるが、色んな逸話を聞いていると変な人は多い。特に、昔の人。今の人はそんな酷い話は聞かないけど、昔の人は面白かった酷かった。

と言うわけで、やっぱ、この人でしょ!オットー・クレンペラー。シュトレーゼマンなんてクレンペラーに比べればぬるすぎて、ちっとも面白くない。「現実は小説よりも奇なり」じゃないけど、クレンペラーは漫画以上に「奇」だった。人知を超えた。エピソードは、ウィキペディアに紹介丸投げ→
こちら。笑えないネタも多いけど、やっぱ、この人の人生はネタの宝庫。なぜ、出世できたのか―わからない。そして、音楽家と言うより、人間としてどうかと言う奴が、どうしてあんな素晴らしい音楽を演奏できたのか。神秘である。

特にどうかと思わされるエピソードが、これ↓

「アメリカ時代、ソプラノ歌手の自宅に無理矢理押し入ろうとして、もめごとになった。その後、友人たちの尽力でサナトリウムに入ることになったが、すぐさま逃走し、この一件は「ニューヨークタイムズ
」の一面記事となった(サブタイトルは「クレンペラー逃亡す!性犯罪に走る危険あり!」)。これら一連のスキャンダルにより、アメリカにおけるクレンペラーの評判は完全に失墜した。」(ウィキペディアより)

「クレンペラー逃亡す!性犯罪に走る危険あり!」って、どんだけの扱いだ?しかも、ニューヨークタイムズの一面。どうしようもない。

晩年、遅いテンポの中に、スケールの大きな演奏をしたことで、ほぼ神格化されたクレンペラーだが、それは、度重なる災難を乗り越えた結果、身体的に早い動きができなくなり、自然と音楽が遅くなっただけ、と言うみもふたもない説を聞いたことがある。

クレンペラー以外では、カラヤンのトイレに落書きしたハンス・クナッパーツブッシュや大量のポルノ写真を持っていて、空港で捕まったユージン・グーセンスなんかも、どうしようもない人たちである。もう、ホント、どれだけクラシック=高尚と言うイメージが間違っているか、判るような話。

反面、現在、そういうエピソードまみれの指揮者が少なくなったことも、また、寂しいことである。そういうのが許されない時代なんだろうなぁ~。指揮台指揮棒で叩いて、ウィーンの観客黙らせているジョージ・セルの無愛想な演奏会のDVDでも観て、昔を偲ぶことにしましょう。

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萌え萌え…土日立て続けに秋葉原に。クラヲタだの何だの言っても、もはや、秋葉っ子決定か。

土曜は、ダイナミック・オーディオから、レフィーノ&アネーロ(石丸電気のハイエンド・オーディオ店)へ。後者で1,000万円のオーディオ・セットを拝聴。衝撃的な音の良さ。幻でしか存在しないと思っていたGoldmundの力を思い知らされる。おいらって、ちっこい人間だ、とか(笑)。20万円くらいのSACDプレイヤーをそのうち買いたいな、と探していたんだけど、正直、ここでは一番の「安物買い」。もうしょぼすぎて、購買意欲激烈に低下。いや、それでも、おいらには「過ぎたるもの」だけど。

Goldmund…いつか、これを買えるくらいビックになるぜ!とか、思えない。現代っ子の寂しくも手堅い将来展望の性。せめて、SACDプレイヤーは買わないとなぁ。市場にも、おいら蔵にもソフト増えてきたし。音は良いってね。

そんで、日曜日は、Faithで25.5インチのモニタを準衝動買い。土曜日にサラッとモニタ眺めていたら、でっかいモニタが欲しくなったのだ。で、買ったのはSAMSUNGのSyncMaster T260ってやつ。高級感あるデザインに美しい画質。35,000円ほどだったけど即これに決定。ホントは、25,000円ほどの24インチを買う予定だったのだけれども、実物見ていたら、絶対SyncMaster T260の方が良くなってしまったのだ。たまには大人買いも良いじゃない?(前日LUXMANのSACDプレイヤー26万円を買いそうになったのは内緒である。)

25.5インチ、PCモニタとしてはバカでかい。WUXGAだから、今、CMとかでぶっ騒いでいる、フルハイビジョン以上の高解像度。PCでDVD鑑賞もしているから、嬉しい買い物だ。しばらくは、DVD漬けの毎日を送りたい。と言うわけで、早速、シャイーのメンデルスゾーン:交響曲第2番『賛歌』他とバレンボイムの第九他を追加購入(する必要ないけど(汗))。せっかくだからゆくゆくはブルーレイなんかにも対応していきたい。まぁ、まだソフト少ないし、ドライブも高いので、しばらく見送るけど。

ところで。SAMSUNGと言われると、ついつい、頭の中で「…とデリラ!」と叫んでしまう。やっぱ、クラヲタ…だな。

そんなこんなで…ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンの一般発売が日曜日だったのを忘れて、スルー。もう良いんである。コルボとビオンディが聴ければ。シュポルツルはサインだけを貰うことにしよう!青いヴァイオリンが見れないのは残念だけど。

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今日、秋葉原で意外なものを見つけた。「伊勢丹発祥の地」と言う石碑である。伊勢丹…そう、あの新宿のデパートである。調べてみると1933年まで、本店は秋葉原にあったのだそうだ。なんとも場違いな…と思いがちだけれども、秋葉原、と言うか、神田界隈は歴史のある街だから、色々と名店も揃っている。落語にも出てくる万屋惣兵衛も万惣として残っている。秋葉原行って萌え萌えしていないで(してないけど…(笑))、たまにはそういうものを見て回っても良いんじゃないか、と思った。

ところで。週末、石丸電気でちょっとした在庫処分セールみたいのをやっていた。300円~。きわめて小規模。以前は大規模に3枚1,000円とかやっていたけど、ああいうのは、もうやんなくなっちゃったんだなぁ。露骨に商売人っぽいひと入っていたからなぁ。多分、ユニオンとかにそのまま売ったら利益出たろうから。

で、おいらは…何も買わなかった。普通に普通の値段のものを2枚買った。例え、300円でも、聴かないものは、高い。最近の基準は、「本当にこれを買って聴くか?聴く可能性はどのくらいか?」と言うところにあるので、無闇な買い方はしていないのだ…多分、きっと、そうかもしれないと思います!

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久しぶりに音楽雑誌購入。『MOSTLY CLASSIC』3月号。1月20日発売なのに3月号。外は寒くても気分は春。そろそろ暖かくなってくる予感(ウソ)。買った理由は…表紙のアリス=紗良・オットが美人だったから、ではない。ええ、決して(この人、本編インタビューの写真では、あぐらかいている。アルゲリッチばりの豪傑(?)かも)。ホントの理由はスラットキンのインタビューが載っていたからだ。大好きな指揮者なんだけど、最近、あんまりパッとしない感じがするから、興味津々。

記事は、インタビュー開始…と同時にスラットキンが一方的に話しはじめる。とまらない。インタビューになっていない(笑)。すっごく、気のいいアメリカ人って感じが伝わってくる。「息子がDJをやっててね。日本のヒップホップのアナログ盤を買ってくるように頼まれたんだ。」いかにもアメリカの良いお父さんだ。

でも、いうこと、やることはさすがに重みがある。

「辛いときに人は音楽を必要とする。だから僕たちは演奏を続けなければならない。クライスラーが1万人を解雇すると発表したときも、すぐに無料コンサートを開いたんだ。それが彼らを救うとは言わない。でも、元気付けることはできた。みんな笑顔になってくれたよ」

3大自動車会社を救うかどうするか…なんて、我々は偉そうに考えちゃうけど、スラットキンは、それより先に行動に出る。この時代に自分が何をするべきか、そして、音楽活動をするということはどういうことか、きちんと使命感を持って音楽活動をしている。かっこいいよなぁ、こういう生き方。憧憬。多分、聴いた人は音楽で勇気付けられるだけじゃなくて、こういうスラットキンの姿勢に何か感じるものがあると思う。デトロイト交響楽団の指揮者になったそうで…是非、がんばって欲しい。

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所ジョージって、セルに似てないか?いや、所ジョージと言えば、笑顔だし、セルと言えば、無愛想な仏頂面なんだけど。メガネのせいか?そうなのか。まぁ、あれだ、「あの人とあの人似てない?」と言うと50%くらいの確立で否定されるので、その手合いかも、だ。

いや、待てよ…所ジョージ、ジョージ・セル。所ジョージのジョージはセルからいただいたものなのか!(そんなわけない)とか、考えて、ワクワクしてみた、妄想クラヲタの冬の朝―。朝っぱらから、そんなことを考えて、夕方、記事を更新するまで覚えていた退屈男、をいら。どうしようもねぇw

どうしようもねぇ…と言えば、昨日、しこたま買ったですよ、ユニバーサルから出ているメンデルスゾーン生誕200周年の記念シリーズ。ホントは今日発売なんだけど、「石丸あたり今日のうちに並んじゃってんだろ」と待ちきれなくて行ってみたら、予想的中、ドンピシャ。さすが、クラヲタ、と自分を褒めつつ、帰りの電車の中でニヤニヤと買ったCD眺めていたら…悲劇は起こった。どっかで見たことのあるジャケット。「この絵は他のCDのジャケットでも使われていたな~。何だっけなぁ」…やることないから必死に考える。で、思い出した。同じCDを持っていたことを。

犯人はオラトリオ『聖パウロ』、マズア&ケヴァントハウス管弦楽団。これが、今回、DECCAから出ていたんである。マズアが、DECCA、見たことない!と思って買ったんだけど、これ、PHILIPSから出ていたんだよね。大して聴かないうちに、CD棚の飾りになっていたのだ。レッツ・ゴー・ユニオン!これで2度目なり。猛省。

ちなみに、悔やんでも悔やみきれないのは、『エリア』とどっちを買おうか迷って、『聖パウロ』を買ってしまったこと。「をいらはマイナーな方から行くぜ!」とか、気取ってみたのが失敗の元。正直…メンデルスゾーンの宗教曲なんて全部マイナー…なんだよ…。

はぁ…どうしようもねぇ。焦燥、記憶力低下。

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ネットでブラームスのヴァイオリン・ソナタ第3番の譜面を落としてきて、見ながら聴いているのだけれども…いつかは弾けるようになりたいものだ。ははは(虚)、超初心者だけどね。

ところで、全く関係ないけど、今年のニューイヤーコンサートは、プレートルだった。ゆえにプレートル年だったわけだけれども、どうだろか、プレートル翁、ブレイクしただろか。ウィーン交響楽団とのライヴ録音が話題を呼んでいたようだが…。あれはHMVのクラヲタコーナーで騒いでいただけなんだろか。マーラーとか、ブルックナーとか…ヲイヲイ、それはプレートル翁の余興に過ぎないぜ、と思うんだけど、そんなにすごいんだろか。『悲劇的』のジャケットが嬉しそうだったので、何となく購入回避。だって、『悲劇的』だよ??

さて、来年はバレンボイム年となる。プレートルも「え?ニューイヤーコンサートに??」と思ったけど、バレンボイムもこれまた意外な人選。大体、バレンボイムって音楽家っぽくないよね、顔が。どのジャンルにもいそうにない顔だ。

…と言うのは置いといて。この人は、凄い人だ。色々と音楽を守る仕事をしている。音楽を育てる仕事をしている。多分、すんごい天才で、人道家なんだろうなって思う(あ、天才については、我々がCDで耳にするような演奏家は全部そうなんだろうけど…)。

有名なのが、イスラエルでワーグナーを演奏したこと。ナチスがワーグナーをユダヤ人迫害に利用したことから、イスラエルではワーグナーを演奏するのはタブーとされてきたのだけれども、この人は「敢えて」演奏した。そこには色々なメッセージがある。そこから何を読み取るかは、聴き手次第である。もちろん、敵も作った。それでも、彼は使命を果たしたのだ。

その他にも、ある歌劇場で演目の規制が掛けられようとしているのを真っ向から国に対して反対したり、イスラエルとアラブ諸国の演奏家を一堂に集めて、ウェスト・イースタン・ディヴァン管弦楽団を創設したり、と賛否はあろうが、単に指揮者に留まらず、あらゆることを行動に移してきた熱い漢である。

音楽家としての才能は疑うところはない…が、個人的には特に一押しと言う録音はない。ま、ま、今年のニューイヤーコンサートは一味違うものになりそうで面白そうだ。あの顔、音楽家っぽくないし(←まだ言うか…)。

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ちょっと古い話題だけど小室哲哉が詐欺罪で逮捕された。少し前まで凄いヒットメーカーで売れに売れまくっていたが、最近はとんと低調だった―というのが、マスコミの報道だ。天国から地獄へ。まさにそのまんま、ということらしい。

彼のことはよく知らないけど…古来こういう悲劇は多々あった。古典派のある作曲家は、一時期売れに売れまくって、大人気になったけれども、いつの間にか忘れ去られ、孤独に世を去った。その机の中には、一度も世に出ることのなかった譜面がぎっしりと詰まっていたという。この作曲家、パッと人気が出るもののすぐに飽きられる曲を書いて、次々に新しい需要を生み出していったのだが、最後は彼自身が飽きられてしまった―そんな話だったと思う。えっと…名前は…忘れた(汗)。

有名な作曲家でもこういう例はある。たとえば、モーツァルト殺害疑惑のあるサリエリ。映画『アマデウス』の冒頭で、老いた彼は若い神父に「この曲を知っているかね?」と問いつつ、若い頃に貴族の間でもてはやされた自作をピアノで弾く。しかし、神父は知らない。何曲か弾くが、どれも神父は知らないと答える。そこでサリエリはモーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジークを弾く。神父はピアノに併せて口ずさみ、「その曲なら知っています。あなたの作曲だったのですか?」と尋ねる―。映画なので実話ではないが、実際あっても不思議ではない光景だ。

サリエリはモーツァルトのついでで何とか後世に名前を残しているが、実際には、こういう作曲家はたくさんいた。いや、むしろ、今でも聴かれ続けている作曲家なんてホンの一握りで、栄光を極めたもののの歴史の中に埋もれていった作曲家の方が大多数なのだ。「クラシックって、何百年も聴かれてて凄いよね」と言ってくれる人がいるが、実は逆で、生き残ることができた作曲家だけが聴かれているのだ。だって、たとえば、モーツァルトの生きた1750~1800年に活躍した作曲家でどれだけの人が、今も聴かれているだろう?クラヲタですら、古典派マニアじゃなければ、10人も対象にならないだろう。50年間もあって…である。

しかも、有名な作曲家であっても、たとえば、モーツァルトにしたって、生涯栄光に浴し続けられたわけではない。晩年の演奏会は、客も集まらず、大して演奏もされないうちに、曲はお蔵入りしてしまう有様。モーツァルトの曲が当時の聴衆の理解を超えていた―と言うことになっているけど、ほんとは飽きられもしていたのだろう。J.S.バッハも没後、メンデルスゾーンによってマタイ受難曲復活公演がなされるまで、殆ど忘れられていたという。

さて―小室哲哉はどうなるでしょう?前にも書いたけど、おいらは彼のことはよく知らないので、どうなのかなんて書く資格ない。けど、何となく、栄枯盛衰の音楽史を思い出したのでつらつらと書いてみた。しっかし、昔の作曲家に比べれば、カラオケとか、CDとか著作権的なところで、収入は続いただろうになぁ~。

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ヲタ芸って…あれ、凄いっすね。生では観たことないけど。結局、何なのかよく判らないし。でも、なんか凄い。まぁ、本人たちが楽しくって周りに迷惑を掛けなければ良い。んで。ふと、思い出した。クラヲタにも負けないヲタ芸があることを。それが、これ→えあ・こん。前にも紹介したことあるけど、滅茶苦茶で楽しい。

そう言えば、以前、『結婚できない男』ってドラマがあって、そこで主人公がえあこんをやっていたとか。しかも、その曲がブルックナーだったとか。観ていないんだけど、もう、おいら的にはツボなんだよね。『結婚できない男』→ブルックナーと言う選択が。絶対、選曲にはクラヲタが絡んでいるに違いない。だって、ブルックナーはロ○コンだし、実際結婚していないし、大体、ブルックナーは女性に人気がない…はず(←偏見)。そのブルックナーでえあこん…とは!

あ、そうそう、『結婚できない男』で、ブルックナーのCDを選びながら主人公が言った一言、「ショルティよりバレンボイムだな」にクラヲタは一斉に突っ込んだことだろう。「いやいや、ショルティでしょ?つか、なぜ、シカゴのシェフだけ?」と。個人的には、ブルックナー好きでショルティとバレンボイムしか選択肢がないのはどうかと思うけど。まぁ、ノーマルに行くなら「インバルの原典版もいいけど、やはり、ヴァントのほうがいいな」と言うべき。…べき、ではないか(汗)。って、旬じゃない話題だな…。

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「CDは半永久的に保存できる」と言うのが、CD出たての頃の売り文句で、その後、「CDも劣化する」と言う説が有力になった。実は、どうなんだ?と言うのは、CDが一般的に出始めて四半世紀程度しか経っていない現在ではよく判らない。基本的に、プラスチックなんだから、それ相応に劣化はするはずなんだし、保存状態によってはだいぶ変わってくることは、自明のこと。だけど、それが何年後にやってくるのか、CDを大量に保持している人は不安なわけだ。だもんだから、ガラスCDが注目されたりする。実際にはプラスチックCDの劣化のリスクよりも、ガラスCDの破損のリスクのほうが大きいんじゃないかな?だから、保存性と言う意味では、ガラスCDの価値はそれほどではないと思う。音質面はともかくとして。

さて、そんなわけで、おいらも少々不安なのだ。保有枚数は推定2,000枚程度だけど、大切なものには違いない。このCDたちが徐々に聴けなくなってくる…のは、どうにも避けたい悲劇だ。そこで考えたのが、今流行のDATA化。WAVEで取り込んでそのまま、HDDにぶち込んでおくのだ。1枚600MBとして、×2,000枚で1.2TB。そんなに費用もかからないと思う。ただし、手間が半端ない。正直、めんどくさい。

さて、どうしたものか…。

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