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■ 山形へ

この週末に山形に行ってきた。東京駅の東北新幹線改札口はとんでもない混雑ぶり。新幹線の改札を通るのに長蛇の行列に並んだのははじめてだ。

まずは2年連続3回目の山寺へ。去年は9月上旬、そして今年は7月中旬。よりによって暑いときばかり。山寺=汗のイメージに(笑)。芭蕉も汗をかきながら登ったのだろう。

静けさや 岩にしみいる 蝉の声

幽玄な風情が、芭蕉の詩情とピッタリ。蝉鳴いていなかってけれど。

それから蔵王温泉。あとお釜。お釜は濃霧で何も見えず。東北は1,600m程度の山でも高山様。観光で行くにしても、荒天の時は気を付けたい。

最後は霞城公園と最上義光歴史館。こちらも2年連続3回目。この戦国武将はなかなかの英雄なんだけれども、伊達、上杉と言う人気者と敵対していたため、山形以外では人気がない。最上家は義光没後すぐに改易されたのに対し、伊達、上杉両家は末永く存続したため、残された資料に不利なものが多いことも、義光の後世の評価をだいぶ下げてしまっている。

しかし!今年は没後400年!盛り上げていきたい。山形に行くまでメモリーイヤーだったことは知らなかったけど。

 
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『レコード芸術』、それは半世紀以上の歴史を持つ、クラシック・ソフト情報誌。日本でこの世界に迷い込んだ者で、読んだことのない者はいないだろう…って、最近じゃ、ネットが発達しているからそうでもないのかな?それはともかく、権威的存在であることは間違いない。いや、間違いなかった。そんな『レコード芸術』の読者とは?!

5年前の調査なんだけど「読者データ」を見つけた。興味深い。実に、興味深い。

まず年齢。40代以上が92.7%。50代以上にしても72.4%。20代と30代は足しても、6.7%。そして、男女比率、男性97.3%。要するに、『レコード芸術』の読者のほとんどは、50代以上の男性と言うことができる。これ、さすがにクラヲタの一般ではないと思う。

「好きな音楽のジャンル」は、交響曲が1位、2位に協奏曲、3位に管弦楽、4位に器楽曲、5位に室内楽、6位にオペラと続く。報告書ではこのありがちな結果を分析して曰く「音楽の趣向は、交響曲・協奏曲・オペラなどクラシックのコアな音を探求する本物志向の姿が読み取れます。」…そうなのか。

「ソフト所有枚数」は、71.8%が1,000枚以上。一番少ない選択肢が、500枚以下と言うレベルの高さ。流石です。「月平均CDソフト購入枚数」は、約半数が5枚以下。所有枚数から見ると少なめに見えるが、年齢層が高いので、辻褄は合うのだろう。「音楽ソフト購入時の参考情報」は、『レコード芸術』がダントツに多い。当然か。しかし、国内盤と輸入盤どっちを買うかという質問には、43.5%が「輸入盤が多い」と答えている。残りのうち16.2%は「作品・価格による」としている。『レコード芸術』ってほぼ国内盤情報じゃん。海外情報に力を入れていると言ってもねぇ。と言うわけで、ここは辻褄に合わず…なんていうのは、酷かな?このジャンルで「国内盤が多い」が40%占めているので、やっぱ『レコード芸術』だな、と思わないでもないけれども。

「インターネットの利用について」は、55.9%が「毎日利用する」と答えている。年齢層から考えれば、高いと言える。音楽配信は、87.6%が「利用しない」と答えている。流石に、そこまでは進んでいないか。5年前の調査だし。

あとは、「『レコード芸術』への期待」に関する調査なので、さらっと流しておいて、随分偏っているとは言え、なかなか面白い調査だった。HMVの「クラシック音楽に関する意識調査」と比較して見ておいてもいいかも。


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梅雨だなぁ…。そういえば、10月から11月にかけてのオーケストラ来日ラッシュのチケットを1枚も取っていない。高価な割に、最近、S席でもひどい席しか取れないんだよね。これなら、CDで聴いた方がましなんじゃないか、と思うことも。一般人には売らないような仕組みでもあるんだろうか。と、穿った見方もしたくなるってものだ。

それでも、ブロムシュテットのNHK交響楽団への客演公演は逃したくない。ブラームスの交響曲全曲演奏してしまうからね。もちろん変な席しか取れないようならいかないけど…。

7月下旬の発売日を逃さないようにしないと。と、言いつつ、当日になると忘れちゃっているのかも(汗)。

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今日はヴァイオリン教室の合同レッスン。ヴァイオリンやチェロの他のクラスの人たちと大合奏。課題曲は、パラディスのシチリア―ナと葉加瀬太郎の冷静と情熱の間。普段のレッスンで練習をしておいて、合同レッスンでみんなで楽しもうって企画。

ところが、6月はあまりレッスンに行けず、ほぼ無策で挑み、見事玉砕。いやー、面目ない!

特に冷静と情熱の間は、レッスンよりテンポがだいぶ速くって、いつも難なく弾けている部分ですらまったく追いつかず。練習もあんまできなかったしなぁ。あと、負け惜しみじゃないけど、なんか、葉加瀬太郎の曲って、あんまり弾いていて楽しくないんだよなぁ。これは、完全に個人の好みだけど(汗)。聴き心地はいいんだろうけど、ね。

帰宅後、TVを観たら偶然、G線上のアリアがはじまったところだった。鈴木雅明さんとバッハ・コレギウム・ジャパン。コンサートマスターは寺神戸亮さん!何とも美しい…。こういうのを見るとやはり頑張らないと、と思う。G線上のアリアは一応、レッスンでやった曲なんだけれどもね。

あ、そうそう、TV、PCで観たんだよね。実は最近、PCにTVチューナーを増設したのだ。デュアルモニタも26インチのTNモニタを27インチのIPSモニタに。ちなみに、もう一つは、27インチのVAモニタ。両方とも三菱になった。つっても、滅多にTV観ないんだけどね。NHKの音楽番組は押さえたい。BS観られないけど…(涙)。

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今年は、『春の祭典』初演から100周年。この演奏会の乱闘騒ぎは、20世紀音楽のハイライトのひとつとして、あまりにも有名だ。実際には、サクラが混じっていて、「ヤラセ」的な部分も大きかったのだろうけれども、それでも、ロマン派から抜け切れていなかった当時の聴衆には衝撃的なサウンドであったことには違いないだろう。

いや…今日においても、ポップスを聴きなれた耳には、衝撃的かもしれない。だから、「ハルサイとか聴いてるヤバい奴はクラスで俺だけ。」と言う中二病ネタにもなってしまうんだろう。実際には、この世界じゃ、古典になっちゃっているんだけどね。中二病から脱出して、高二病に達したクラヲタは、「ハルサイ?普通じゃね?」と上から目線で語る。どっちにしてもイタい。

さて、そんなわけで、初演100周年の今年、録音も多いのかな?と思ったけど、そうでもない。古い録音の焼き直しは多いみたいだけど。そんな中ちょっと注目を集めているダニエレ・ガッティ&フランス国立管弦楽団のCDを入手。ソニー・クラシカルからのリリースだからにして、広報の力が…ってだけじゃなくて、以前リリースしたドビュッシーが好評だったため。カップリングは、ペトルーシュカ。何とも密度の濃いCDだ。録音は、2011年で、今年じゃない。録音場所は、フランス国立管弦楽団の本拠地であり、『春の祭典』初演の地、シャンゼリゼ劇場!と言いたいところだけれども、パリとしかクレジットされていない。何かと100周年記念盤としては、割り切れないシチュエーション。

ちなみに、解説書の裏にはシャンゼリゼ劇場の絵が載っている。なのに違うのか…。ちなみに、シャンゼリゼ劇場には、昨年行ったけれども、コンサートホールとしては、こじんまりとして古くさい印象だった。伝統あるホールの重みもあんまりなくて、何となく古い。椅子だけは可愛らしい。とは言え、20世紀に刻んできた歴史はなかなかのもの。録音には向いていないと言うことで今回は使われなかったのだろうか。うーん。それにしたって、普通は録音場所は書いてあるものなんだけど、パリってだけなのはいただけない。

演奏の方は、なかなかのもの。もちろん、一昔前の爆演系の演奏ではない。すっきりと整った余裕の中に、生々しい迫力を感じさせるもの。併録の『ペトルーシュカ』も名演。100年前の聴衆が、この演奏を聴いたらどんな反応をするだろう?やはり、暴れだすのだろうか?そして、当のストラヴィンスキーはどんな顔をするのだろうか?

せっかくの100周年記念盤、そんなことを妄想しながら楽しみたい。


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スコットランド旅行中から様子がおかしかったレンズをニコンに持ち込んだ。結果、VR(手振れ防止装置)など不具合発覚。知らず知らずのうちに衝撃を与えていたっぽい。修理代20,000円オーバー。お高いけれども、買いなおすより全然安いのでしゃーなしと諦める。

さて、話は飛んで飛んで、音楽のお話。今年は、アルカンジェロ・コレッリ御大没後300年。よって、あれやこれやと新しい録音が出てきている。それはそれで嬉しいんだけど、最近、動画で素晴らしい演奏を見つけたので、ご紹介しておこうと思う。曲は、合奏協奏曲作品6の第4番。サヴァールとコンセール・デ・ナシオンがオノフリとミナジと言うイル・ジェルディーノ・アルモニコ出身のヴァイオリン独奏者2人を迎えて演奏したもの。2挺のヴァイオリンの闊達な掛け合いが見事。丁々発止という言葉がこれほど当てはまる演奏も珍しい。流石としか。正直、若干退屈に感じることもあったコレッリだが、これ聴いたら退屈なんて言えない。Youtubeの動画はこちら。CD化して欲しい…。

ところで、ミナジってやはり母親が日本人らしい。Riccardo Masahide Minasiと言う表記のCDもあることから、何か関係があるんだろうな、とは思っていたけれども。ソースはこちら。母親は三島出身とか。妙に身近に感じてしまう。日本語は少しだけ話せるみたいだ。そうか。遠慮なく、日本語でファンレターを書くか(笑)。それと、ソースの記事に従って今後はミナーシと表記することにしよう。本人がそういうんだから間違いない。で、いつ来日公演があるんだろう?日本には15回行ったことがあると書いてあるのだが。

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Mossi…Messiじゃなくて、Mossi。作曲家の名前である。Giovanni Mossi、ジョヴァンニ・モッシ。その名から安易に想像がつく通り、イタリアの作曲家である。ちょっとマイナーな作曲家でイタリア人…となると大抵は、バロック。モッシもバロック。1680年頃の生まれ、生地は不明。ヴィヴァルディとほぼ同年代と言っていいと思う。ヴェネツィアを中心に活躍したヴィヴァルディに対し、モッシの活躍の場はローマ。今でこそ音楽の都と言えば、ウィーンだが、この当時は、ローマが音楽の都だった。モッシは、そのローマでコレッリの薫陶を受け活躍していた。コレッリと言えば、バロック器楽の重鎮的存在であり、その流れを汲むモッシは、音楽界のど真ん中で活躍していたことになる。

しかし、時の流れとは残酷なもので、モッシの名前は一部のマニア以外には知られることのないものとなってしまった。作品も多くが散逸してしまい、半数の作品だけが今日に伝わっている。演奏される機会も少なく、録音されるにしてもコレッリをメインにしたCDの片隅に収められているだけの場合が多い。今世紀後半になって、再興の動きが活発になり、一気にメジャーに躍り出たヴィヴァルディとは雲泥の差である。もっとも、良い時代になったもので、今日、ヴィヴァルディに限らず、様々なバロックの作曲家を再評価する動きは、盛んなので、今後、録音が出てくることも期待できないわけではない。

前置きはこれくらいにしておこう。今回ご紹介するのは、モッシのヴァイオリンとヴィオローネ、またはチェンバロのためのソナタ集 作品1よりソナタ第1番、同第2番、同第5番、同第9番、同第10番、同第12番を収めたCD。たぶん、モッシの作品だけを収めたCDで現在容易に入手できるのは、このCDだけ。レーベルはPANCLASSICS。

作品1と言うこともあってか、コレッリの影響が多大にみられる作品。12のソナタ(当時のソナタは後世のソナタ形式とは無関係で単に器楽曲の意)からなり、前半の1~6は急→緩→急→緩と言う楽章構成、後半の7~12はアッレマンダ、コレンテ、サラバンダ、ジガの4つの舞曲で構成される。これ、まんまコレッリの様式。独自の様式で人気を博したヴィヴァルディとは正反対。故に、後世においても、コレッリの陰に隠れてしまうような立場になってしまったのだろうか。とは言え、後期イタリア・バロックらしい軽快な音楽は放って置くには惜しい。転がっていくようなリズムの曲あり、しっとりと歌う曲ありでなかなか聴き応えがあるのだ。なお、このCDでは、1番→9番→2番→10番→5番→12番という風に、前半の曲(ソナタ第1~6番)と後半の曲(ソナタ第7~12番)が交互に演奏される。作曲家の意図とは少し違ってしまうのかもしれないが、楽しく、心地よく音楽が楽しめる構成だ。

演奏しているのは、ライラ・シャイエークと言うスイスのバロック・ヴァイオリニスト。若そうに見えるが、女性の年齢は極秘なので、謎。解説書にも言及はない。ジョン・ホロウェイにも師事しているが、キアラ・バンキーニの門下として多大な影響を受けている。もちろん、バンキーニ率いるアンサンブル415にも参加。

5番目のソナタはリッカルド・ミナジの録音があるが、比べてみるとシャイエークの方が、断然おとなしい。ミナジの吹っ飛んだ演奏は大好きなんだけれども、シャイエークの歌いまわしも悪くない。バンキーニの演奏に近いんだろうなぁ。ほかの曲も、飛ばしすぎないほどに、楽しく丁寧で綺麗な演奏。このレベルで未知の曲が聴けるのは嬉しい限り。


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レツボールの新譜を少し前に入手。J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ。パルティータの方もリリースされそうな感じなんだが、取り敢えず、ソナタだけ。レーベルは、レコードアカデミー賞を取ったビーバーと同じく、PANCLASSICS。
 

解説でレツボール自身も言及していることなんだけれども、これまで秘曲発掘を活動の中心にしていたレツボールの無伴奏はちょっと意外だ。前作のJ.S.バッハのヴァイオリン協奏曲集に続き、一気にメジャー路線に躍り出てきた。

しかし、ふと振り返ってみると着実に布石は打ってきている。これまでリリースしてきた、ビーバーのロザリオ・ソナタ、ヴェストホフの無伴奏ヴァイオリンのための組曲、フィルスマイアの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータは、J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータへと繋がっていくもの。ピゼンデルの録音があったかどうかは記憶にないが、レツボールは、音楽史に突如として現れた孤高の作品としてではなく、バロック期におけるヴァイオリン作品の流れの中で、この作品の立ち位置を捉えたかったのではないだろうか。そういう意味では、ピゼンデルの作品を併録したベイエ盤の企画をさらに壮大にしたもののように感じる。

これは期待せざるを得ない。もちろん、どんな音楽が出てくるのか、想像がつきそうで、まったく付かないのがレツボール。そういう意味で思い切り、期待通りのことをやらかしてくれた。

音楽が流れだしてすぐに「あ?え?」となる。響かない。ヴァイオリンの生の音が直接的に鳴り出す。この響き、そう、ヴァイオリンを弾いている人ならすぐにピンとくる。奏者の耳に響いてくる音なのだ。ヴァイオリンを弾かない人ならば、楽屋や個人宅でヴァイオリンを弾いた時の響きを想像してもらえれば、それに近いものだと思う。実際に録音場所は、レツボールの自宅なのだ。ホールや録音スタジオ、或いは教会での演奏の音響に慣れてしまっている耳には、あまりにも斬新な音響だ。録音は、演奏会場にいるような雰囲気を醸し出すものだが、この録音は自分の部屋でレツボールが弾いているような空間を作り出す。

レツボール曰く、「私は自分の人生すべてが、このヴァイオリンという自分の楽器の音にかかりきりになっている人間です--できるかぎり時間を作って、この楽器の音の可能性を広げようと、極限まで神経をすりへらしながら生きています。そうやって追い求めている音の気高さというものが、レコーディング時のちょっとした操作ひとつでどうにでもなってしまうとしたら、あんまりではありませんか。」(解説書より抜粋)と言うことらしい。仰る通り。しかし、こんな荒業ができるのも、商業主義に走り過ぎない小さなレーベルだからできることではないだろうか。上手くなったらメジャーレーベルに移籍する、そこで売れる録音のために何でもやる…レツボールはそういう奏者ではなくて、自分の表現したいことを全力でやってくる。そのためにレーベルを選ぶ。メディアに踊らされるだけでなく、そういうことをする人が、評価されていく時代。良いんじゃないでしょうか?

演奏の方も、これ、怪演と言っていいんじゃないかな。技術力は確かなんだが、器用な演奏でも、神々しい演奏でもない。兎に角、人間臭い。これ、明らかに今までの演奏家と目指している方向が違う。この名曲を神棚に祀り上げて畏怖しない。人間の手に取り戻して、時に荒々しく、時に朴訥と語る。綺麗に音楽は流れて行かないし、武骨に過ぎる響きもある。こんな無伴奏は聴いたことがない。斬新と言えば斬新なのだが、レツボールから言わせれば、これが本来あるべきバッハの響きなのだ。曰く、「たいていの人は、その楽譜上に記されている音符の長さをきちんと守って引き延ばし、さながらろくでもないオルガン演奏のような仕上がりにしてしまいました。(中略)そうやって、この作品を演奏する人たちの間には、常軌を逸しているとしか思えないような妙な慣習がいくつかできていったのです(略)」(解説書より抜粋)と言うこと。その批判の通りの演奏をここで披露してくれているのだ。

世間ではどう評価されるかわからないけれども、この名曲に新たな名盤が出てきたことは喜ばしい限り。パルティータにも期待したい。つか、シャコンヌどうなっちゃっているんだろう?!


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タワーレコード秋葉原店では、よくアイドルのイベントをやっている。先日も、CD発売の記念か何かで、「なにか」をやっていた。何かはよくわからないんだけど、レジに同じCDを何枚も持っている客が並んでいるんだよね。買った枚数だけ「なにか」に参加できると言うパターン。とは言え、だ。こんなことを自分が言うのもなんだけど…「そんなにCD買ってどうすんの?」
 

それ自体は自己満足だし、人の趣味はそれぞれだし、とやかく言うのは、おかしいとは思うけど、ね。でも、ネットなんかで情報として知っているよりも、目の当たりにすると違和感凄く感じるのだ。それとアーティストの方に訊きたい。「そんなんでCD売れて嬉しいか?」と。

しかし、なんだ、そんな一般論よりも「そんなCD買ったって聴き切れないよ」と批判を浴びていたクラヲタからしてみれば「あれよりマシでしょ?」と言う、よりどうしようもない比較対象が出現したことに重要性がある。もちろん、だからと言って「聴き切れないものは聴き切れない」のだけれども、妙な自己正当化の理由になったり…しないか(笑)。

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うわぁ・・・言っちゃった・・・

『ハルサイとか聴いてるヤバい奴はクラスで俺だけ。』

MP3のみでのリリースだけれども、なかなか秀逸なタイトルの企画…だ。取り敢えず、掴みだけはOK。内容は、如何にも自意識過剰な若者が好みそうなメニュー。『春の祭典』はもちろん、J.S.バッハのシャコンヌ、オルフの『カルミナ・ブラーナ』、アイヴスの『答えのない問い』、ケージの『危険な夜』、グラスのヴァイオリン協奏曲とそれらしい曲が並ぶ。

「こんな曲聴いている俺、かっけー!」と言う感覚だよね。痛々しい。そして、なんか可愛い(笑)。「こんな曲聴いている俺、オサレ!」っていうのもいるけど、これも、似たような自意識過剰か。この場合、ハルサイじゃなくて、ショパンになるんだろうけど、ね。

個人的には、『春の祭典』を最初に聴いたのは、「ゆ、有名曲だから聴いとかないとだ…」と言う何ともネガティブな理由であって、この企画のタイトルとは真逆の理由からだった。だ、だから、自分はち、違うんだぞ…と言いたい(大汗)。

でも、これ、わかるような…そうなんだよねぇ、なんか、背伸びしたくなる年頃なんだよね、中高生って。タバコ吸ったり、お酒飲みたがるのも、似たような心境でしょう。「お酒は20歳になってから」の警告は、「お酒を飲んだら大人だよ?」に変換されるのだ。個人的にもそういう感覚がなかったというのならば、大嘘になる。お酒やタバコはやっていないけど(笑)。浅いところで、「俺だけは、みんなと違う領域にいるんだぜ」と斜に構えるのが楽しいのだ、残念なことに。一歩先に進んでいるのか、踏み外しているのかは知らないけれども。

なんにせよ、そういう感覚には、『春の祭典』は、もってこい。なんだかよくわからないけど、意味あり気な雑音が、中二病の心をくすぐってくれそうだ。しかも、「ハルサイ」とか言っちゃう。わからない相手にも言っちゃう(笑)。これが古典に聴こえてくるようになれば、中二病からクラヲタへ少し近付くことができる。そうそう、より重症になる(笑)。がんばれ、中二病たち!

ちなみに、ストラヴィンスキーも新古典派になると中二病には合わない。なんか、馬鹿にされそうだよなぁ。曲単位ではなく、作曲家ごとに見れば、ショスタコーヴィチの方が中二病向け。この企画にも入れておいてほしかった(笑)。もっとも、これ、『春の祭典』初演100周年記念企画なんだよね。NAXOSさん…どうしてこうなった!

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