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ボンジュール!GWにパリに行った時にメルシと一緒くらいよく使ったフランス語だ。ほかはボンソワールしか使わなかったけど(汗)。それだけだって、現地の言葉を少しでも話すと相手は気分が良くなる。日本人だって、ハロー!って話しかけられるより、こんにちは!って話しかけられた方が嬉しいはず。それだけで、少し親しみがわくというもの。

ボンジュール!で始まり、メルシで終わるコミュニケーション。その間は出鱈目だけど、ちょっと懐かしい。

そんなこともあってか、何となく買ってしまった『ボンジュール・パリ』。オーボエのアルブレヒト・マイヤー&アカデミー室内管によるフランス音楽集だ。エッフェル塔を背景にパリの街の建物の上にオーボエを持って立つ、マイヤー(ひげ)のジャケットもなかなかおしゃれだ。

プログラムは、そうそうオーボエのためのフランス音楽なんてあるわけもなく、有名曲の編曲ものが並ぶ。ドビュッシーの亜麻色髪の乙女、月の光、フォーレのパヴァーヌ、シシリエンヌ、サティのジムノペディ第1番、ラヴェルの亡き王女のためのパヴァーヌ。どれも程よく憂鬱に影を帯びて、情感溢れる綺麗な仕上がり。

しかし、このCDのメインは、珍しいオーボエとオーケストラの作品、3曲だろう。フランセの『花時計』、オーデルマットの『映像』、ダンディのフランス民謡の主題による幻想曲。特に、フランセの『花時計』が素晴らしい。

フランセは1912年生まれ、1997年没のフランスの新古典主義の作曲家。プーランクやストラヴィンスキーの影響を受けていると言う。『花時計』は、40代後半の作曲だから、作曲家として最も充実した時期のものだろうか。新古典主義と言うことからも判るとおり、20世紀の作曲家ながら、一般人には不可解な無機質な音の羅列にはならない。そのタイトルの通り、なかなか洒落た曲だ。そもそも『花時計』とは何かと言うと、異なる時間に咲く花を順番に植え、それで時間を知るという、粋な発想で作られた時計。現実に存在するのかどうかは知らない。つか、無理だろ…とは思うし、せっかく花が咲いても、隣にはしおれた花が並んでいるわけで、案外に美しくないかもしれない。そんな冷めた目で見ちゃいけないか。

この曲は、そんな花時計から午前3時のへびいちご、午前5時のルリニガナ、午前10時の大輪のアザミ、正午のアラバーのジャスミン、午後5時のベラドンナ、午後7時のアセゼラニウムの7つを抜粋し、それをイメージに曲を付けたもの。それぞれは2、3分で終わってしまう小品で、続けて演奏される。ざっと17分ほどの曲だ。親しみやすく、小粋なメロディは、隠れた名曲と呼ばれるに相応しいもの。マイヤーのオーボエも美しいし、アカデミー室内管もこう言う小品では、安定感がある。フランスの粋を感じたい時に聴きたい曲。

『花時計』の後に演奏されているオーデルマットの『映像』もなかなかの佳品だ。1974年生まれと言うから、まだ30代の作曲家だが、新時代の作曲家がこんな曲を書くとは。もう一曲、ダンディのフランスの民謡の主題による幻想曲もあまり聴かない曲で、こう言うところでひょいと出てくると嬉しかったりする。

今後の第2弾、第3弾に期待が集まる、と書いてあったのだが、続編が出るのだろうか。なかなか難しいお題だと思うんだけど。

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最近、お気に入りのヴァイオリニスト、リッカルド・ミナジ。手元にまたひとつ興味深い録音が届いた。エンリコ・アルビカストロなる作曲家の4声の協奏曲集作品7を収めた2枚組で、共演はコレギウム・マリアヌムとコレギウム1704。

まずは、エンリコ・アルビカストロ。バロックはマニアックな作曲家の宝庫である。バロックの時代はモンテヴェルディからJ.S.バッハまでざっと150年ほど。この長さ、ピンと来ないと思うけど、例えば、今から150年前がどんな時代だったか考えると実感がわいてくる。2012年-150年=1862年。生麦事件のあった年であり、森鴎外の生まれた年である。そんな長い期間があれば大量の作曲家がいたはずと言うのは容易に想像がつこうというものだが、知られている作曲家はごく一握りだ。一般人が知っているレベルだと、J.S.バッハ、ヘンデル、ヴィヴァルディくらいなものか。アルビノーニ、パッヘルベルは1曲だけで知られているだろう。それだけである。100年しかないロマン派・国民楽派の作曲家であれば、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、マーラー、チャイコフスキー、ドヴォルザーク、メンデルスゾーン、シューマン、ショパン、リスト…枚挙にいとまがない。何百年も聴かれ続ける作品を作曲しようとしたロマン派の作曲家とそれ以前の作曲家を比較するのは、どうかと思うのと同時に、古典派、バロックにマニアックな作曲家が多くなり、ロマン派、国民楽派の作曲家は割とメジャーになるのは、しょうがないと言うことも理解しておく必要があるだろう。それに、時間とは残酷なもので、どんなに当時一世を風靡していても、300年と言う長い時間が、ものの見事にマニアックにしてくれるのだ。

アルビカストロもそんなバロックの作曲家の一人。インターネットで調べても、さほど詳しいことは出てこないが、幸い、今回買ったCDには輸入盤ながら、日本語の解説が付いている。これによれば、1661年にバイエルンの小さな村に生まれたと推測されている。両親はスイス人。アルビカストロと言うイタリア風の名前は、ハンドル・ネームらしい。バロックの音楽界はイタリア最強だったので、それに合わせたのだろう。本職は、軍人でスペイン継承戦争にも騎兵隊長として参戦していたという。軍人で作曲家と言えば、リムスキー=コルサコフを思い浮かべるが、アルビカストロについては、それほど詳しいことは判っていない。没年は1730年と推測されているが、作品の殆どが1701年から1706年のわずかの間に出版されている。と言っても、この時期だけ作曲をしていたわけではなく、この時期に集中して出版したと言うことらしい。今回の作品7も1704年に出版されているが、作曲されたのは17世紀のうちだと推測されている。それでも、本職が軍人と言うこともあり、現存する作品は多くはない。当時、流行していたオペラの作品もない。

作風は、CDの帯にも紹介されているように、コレッリの影響を受け、ヴィヴァルディの先駆的な感じのもの。作品7は12曲で構成されるが、その殆どがコレッリの用いた緩急緩急の4楽章である。この時代の器楽作品におけるコレッリの存在感は相当大きなものだったらしく、当時多くの作曲家がコレッリ風の作品を出版したらしい。アルビカストロもその一人であるが、時折、そんな時代の流れに逆らうような表情を見せる。と言っても、おいらはさほどにコレッリの作品を知っているわけではないけれども。

ミナジの演奏は、ヴィヴァルディを演奏している時に比べると、穏健。曲のせいだろうか、ホールのせいだろうか。共演者のせいだろうか。2000年の録音なので、22歳くらいだと思うが、当時既にイル・ジャルディーノ・アルモニコに参加していたわけで、エキサイティングな演奏には慣れていたと思うんだけれども。それでも、スピードの速い楽章を小気味よく駆け抜けていく様は実に爽快だ。ゆっくりした楽章でも、第4協奏曲のアダージョなんかは実に美しい。モダン楽器でロマン派風にやったらアルビカストロはとても退屈な作曲家かもしれないが、この演奏であれば飽かず、十分に楽しませてくれる。マイナーな作曲家でこれだけの高水準の録音があるのはありがたい限り。

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エンリコ・オノフリの『バロック・ヴァイオリンの奥義』と言うCDを聴いている。オノフリと言えば、バロックオ・ヴァイオリンの大物。イル・ジャルディーノ・アルモニコのコンサートマスターとして名を馳せた人である。と言われると、背中のあたりがぞくぞくしてくる。何やらかしてくれるんだろう…今度はどうバロックがはじけ散るんだろう…と。

今回のCDの演目は、J.S.バッハのトッカータとフーガ BWV.565、タルティーニのソナタ、テレマンのガリヴァー組曲、無伴奏ヴァイオリンのためのファンタジアから3曲、ビーバーのパッサカリア、ボーナストラックでバッサーノのリチェルカータ3番。えっと…共演者は、杉田せつ子(第2ヴァイオリン/ガリヴァー組曲)…え?だけ?無伴奏ヴァイオリンのための作品集?普通、バロックのソナタって、通奏低音があるはずなんだけど、今回は、ガリヴァー組曲を除いて、オノフリが一人で演奏をしている。何と言うチャレンジ。

まず、最初のJ.S.バッハのトッカータとフーガ。有名な曲。オルガンの曲として。そして、ヴァイオリンはオルガンではない(笑)。オノフリがヴァイオリン独奏用に編曲してしまった。この古楽器奏者は、時代考証をしないのか。ストコフスキーのバッハ編曲集なんて、古楽器奏者たちとは対極の存在だと思っていたんだが、これは似たようなもんじゃないのか。と言うのは、当然の疑問。しかし、これが、時代考証の結果なのだという。そもそも、この曲は、弦楽器のために書かれたもので、それを後にオルガン用に編曲した、と言う説があるそうだ。曲の書き方がどうも、そう言う節があるということで。だから、J.S.バッハは無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ以外にも無伴奏のための曲を書いていたのだ…ってな。どうなんですかね、この説。

しっかし、それだって時代考証。ピリオド奏法は、時代考証をきっかけとした新たな可能性だと見れば厳密にオーセンティックじゃなくって良いわけだし、そもそも、タイムマシーンでもなければ、本当のところは判らない。と納得したことにしておこう。

で、さて、いざ聴いてみると、これがまったく違和感がない。後年のオーケストレーションされたJ.S.バッハは、既にバロックではなくって、変形したロマン派的な「何か」になってしまっていると思うんだけれども、これは間違いなく、J.S.バッハだ。冒頭こそ、オルガン版とは違い、さらっと始まり拍子抜けしてしまうが、重音が炸裂する超絶技巧を聴いていると、無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータに似た響きがあるような感覚にとらわれる。完璧に計算され尽くされた音楽。これをオノフリが弾くとイル・ジャルディーノ・アルモニコだからにして爆走…しない。あれ?凄い。天から音楽が降ってくるような、清々しく、そして、生命感溢れる躍動感。轟轟と鳴り響くオルガン版より神々しい。そう言えば、ヴィヴァルディでもイル・ジャルディーノ・アルモニコ以外のオノフリのヴィヴァルディはそんなに爆裂していなかったかな?いや、しているか(笑)。

よし!今後は、「トッカータとフーガはもともとヴァイオリンのために作曲されました」と信じ込んで行こう。と言うわけで、お次。タルティーニ。ソナタ(『捨てられしディドーネ』と『パストラーレ』の2曲)。通奏低音、排除。この曲も、タルティーニが、通奏低音なくってもいいってメモをしたとかで、一応時代考証的にこうしたのだと。つっても、これははじめて聴く曲なので、通奏低音があるべきなのかどうかはわからない。ただ、ないからと言って、おかしいわけではない。むしろ、これにチェンバロの音が入ったら、邪魔かも?と思えるくらいに、オノフリは聴衆を騙してくれる。

テレマンの作品は無伴奏ヴァイオリンのためのもの。キュートでポップなガリヴァー組曲。そんな曲なんだが、真っ向から切りかかるオノフリ。容赦ない。ビーバー張りにヴァイオリンの可能性を色々と探究した曲で面白い。こう言うのはロマン派以降には失われた感覚だと思う。無伴奏ヴァイオリンのためのファンタジアも素晴らしい演奏。

色々と面白いCDだと思う。ジャケットのオノフリは鎌倉あたりで座禅を組んでいそうな容姿…こんなだっけな?国内盤しかなくって、お値段が高いのが難点。

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ダウスゴー&デンマーク国立交響楽団のBDを買う。デンマーク国立交響楽団…デンマーク放送交響楽団と同一の団体。今回のジャケットにはDanish National Symphony Orchestraと書いてあるので、デンマーク国立交響楽団。どういう風に使い分けているのかはわからないんだけれども、デンマーク王立管弦楽団以外のオーケストラ名を見ると大体、このオーケストラだと思っているので、間違えたことがない…と思う(流石に、室内管弦楽団は別物と理解しているけれども)。デンマークのオーケストラはこの2楽団さえ押さえておけば大丈夫、かな?

ダウスゴーは、昨年プロムスで実演に接することができた。その前後に、ドヴォルザークの交響曲を聴いて少し気になっていた指揮者だ。日本にも、ちょくちょく来ていて、一般的にも多少は知名度を上げているんだろうけど、なんとも、微妙なポジションの指揮者である。あれだ、一部マニアの間で評価の高い指揮者と言う感じ。メジャーどころのオーケストラにはあまり出てこないんだけど、なかなかいい仕事をするというよくあるパターン。こう言う人は、ベルリン・フィルの指揮台に上がるべきではない(と言う、マイナー信仰)。

マイナーな作曲家の演奏に定評がある、と言うと同じ北欧の指揮者、ヤルヴィ(父)っぽいんだが、ダウスゴーは、メジャーな曲でも、なかなかやる指揮者と評価されて来ている。実際、プロムスで聴いたBBC交響楽団とのブラームスの交響曲はなかなか素晴らしかった。

と言うことで、今回のBDに収められているのは、ブラームスの交響曲第1番、ドヴォルザークの同第9番『新世界より』、シベリウスの同第5番、ニールセンの同第3番『広がり』。2曲は超メジャー。残りもそこそこメジャー。そして、おいらが結構好きな曲ばかり。特に、ニールセンとシベリウスの選曲は堪らない。これが、シベリウスの2番と、ニールセンの4番だったら、高いBDを買う気にはならなかったと思う。嫌いな曲ではないけど、是非映像で見てみたいと思う曲じゃないんだろうな。良い線を突いて、そして、盛りだくさんなBDだ。BDも、だいぶ出揃ってきたけれども、まだまだオーケストラものの種類は多くないので、こう言う企画はありがたい限り。

さぁて、と!おいらのBD再生環境は、何つったって、PC。一応、モニタは27インチのFull HDなんで、BDの高画質を存分に楽しめるわけだが、そんな素晴らしいスペックではないので、ほかのことをやっていると動きが悪い。CDのリッピングはやらない方がいい。音楽を聴くのもやめよう(笑)。

メニュー画面は恐ろしくシンプルだが、映像は流石に美しい。演奏会場は、デンマーク放送協会本社(DR Byen)内にあるデンマーク国立交響楽団の本拠地ホール。豊田泰久氏も設計にかかわっているという。永田音響設計の人だ。永田音響設計すっごいなぁ。新しく出来た有名なコンサートホールは大体この会社が関わっている。日本が世界に誇れる会社の一つだと思う。で、このホールも素晴らしい。音響もいいし、デザインもいい。設計はジャン・ヌーヴェルと言う人だが、仄かに臙脂色のライトに照らされた客席に囲まれて浮かび上がるオーケストラ。新しいタイプのコンサートホールで、これだけ美しいホールはあまり見たことがない。高画質のBDで観れるのは、嬉しい限り。一度は行ってみたいという野望もわいてくる。

さて、肝心の演奏。ダウスゴーは、インパクトのないおじさん。半蔵門線に乗っていても気が付かないレベル。しかし、音質の良さもあるんだろうけれども、演奏は素晴らしい。定評のあるニールセンは、スマートだがダイナミックで、ニールセンらしいカッコ良さを存分に楽しむことができる。デンマーク国立交響楽団としても、お国ものだけに気合が入る。シベリウスも、準お国ものと言うこともあってか、好演。ドヴォルザーク、ブラームスもすっきりとした、ドイツやチェコの王道の演奏とはまた違った味わいの演奏が楽しめる。交響曲をBDでたっぷり楽しむと言う目的であれば、これほど充実したものはそうそうないだろう。カメラワークもいいと思う。

なお、最後にダウスゴーのインタビューが付いていて、あまり上等とは言えないけれども、日本語字幕が付くのはありがたい。一流の指揮者の話って面白いんだよね。すべてのプログラムについてコメントをしていて、ニールセンについて10分も語っている。すべては観ていないけれども、聞いた演奏の解釈を言葉で知ることが出来て興味深い。

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ケルト…と言う言葉を聴くと、妙にわくわくしてくる。頭の右の方からワサワサワサ~ッと厨二病が湧いてくる。なんつうのかな、伝説の勇者が古の壮大な世界で活躍するRPGの世界に迷い込んでいくような、そんな気がするんである(RPGやんないけど(汗))。一言で言えば、神秘。歴史のロマン。

ケルトと聞いただけで、わくわくしてしまうのに、ケルト音楽と言うどうしようもない味わい深いものがある。ケルト音楽を聴きながら、目を閉じれば、一気に気分は古のヨーロッパだ。もしも、当時と同じ音楽が流れているとしたら、体験感覚は、当時の人たちと同じわけだ。なんと、見事なタイムスリップ。音楽は簡単なタイム・マシンだ。まぁ、ケルトに限らず、古楽ってそう言うところにも魅力があるんだと思う。カルミナ・ブラーナ(オルフのやつじゃなくってオリジナル)なんか聴いちゃうと、もう、中世の寺院の裏道を歩いているような気分になるのだ。ヨーロッパに行った時の記憶で補填しながら…。

さてさて、話を戻そう。まぁ、そんなわけで、ケルトという言葉の付いているCDを見るとついつい手が伸びてしまうんだが、これは少し考えた方がいい。そもそも、ケルト音楽って何かと言うと、これが実に杳として掴めないものなのだ。漠然とイギリス、特にスコットランドあたりの音楽かと思うんだが、ケルト人自体はヨーロッパの広い地域に住んでいて、それぞれに文化があった。現存するケルト文化がイギリスにあるというだけ。あ、まぁ、だから、今日的にはイギリスってイメージしときゃいいっちゃいいのかもしれないけど。

ジャンル的にもケルト音楽は縛り難い。よく知られているようにケルト音楽はポップスにも広く浸透している。しかし、ポップスの多くはケルト音楽を基盤としたオリジナル音楽であることが多いようだ。対して、サヴァールがローレンス=キングと組んで録音したケルティック・ヴィオールと言うCDは、古のケルトの響きを実証的に再現しているので、廚二病を発動させるにはよりもってこいだ。メランコリックでどこかもの寂しいような神秘的な響きは、古のケルトに思いを馳せる時には欠かせない。

このようにケルトと言っても音楽は一様ではないのだが、今回は、またちょっとした色もののCDを。ゴールウェイによる『ケルティック・ミンストレル』と題されたアルバムである。ミンストレル…要するに、吟遊詩人である。『ケルトの吟遊詩人』。これは…そそられるタイトルではないか。が、ゴールウェイである。そもそも、金属製のフルートなんざ、ケルトとはあんまり関係ない。あの輝かしい響きは、ケルトになるんだろうか。と言うわけで、買ってみた。ブルーグラスなんかも、心地よく聴かせてくれたしね。

内容は、イギリスの民謡が中心である。Down by The Sally GardensやDanny Boyなんてのも入っている。しかし、イギリスの民謡集をただ単にフルートでやってみましたって感じではない。曲によってはバグ・パイプを使ったりしているせいもあるんだろうが、ケルトっぽさは出しているようだ(それはどんなだと聞かれるとこまるけど(汗))。もちろん、サヴァールのように古の響きがするわけじゃない。サヴァールの音楽が、ケルトだとするならば、ケルト風の音楽。タイム・マシンにはならない。しかし、それでも、やっぱりゴールウェイのフルートは綺麗だし、異国情緒漂う音楽世界は、実に幻想的だ。これはこれで悪くない。ケルティック・ミンストレルと言うよりは、イングリッシュ・ファンタジーと言う気もしないではない。まぁ、これはこれで結構楽しめるので、時折聴くことになるかな。

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ちょい前に、パーヴォ・ヤルヴィのベートーヴェンを持ち上げておいて、なんなんだが、今度はバレンボイムのベートーヴェンを買ったというお話。時代の最先端を行くパーヴォ・ヤルヴィの後に、フルトヴェングラーの影響が強いバレンボイム。まさに音楽は正反対。節操ない?いや、どっちも面白いのだ。

今回買ったCDはウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団との交響曲全集。以前も紹介したが、昨年8月にケルンでライヴ録音されたもの。第3番『英雄』と第4番は現地で聴いた。自慢げに語る(笑)。そして、CDでも、思い出に浸るべく、この2曲ばかりを聴く。

第4番はおいらの中では突っ走るイメージの曲だ(もちろん、2楽章を除く)。たぶん、これはクライバーの刷り込み。あと実は、昔良く聴いていたのは、シェルヘンなので、暴走するイメージもある。そして、パーヴォ・ヤルヴィだ。ランニング・マシーンにでも乗りながら聴きたい。もちろん、ほかの指揮者も聴いているんだけど、一度付いたイメージってなかなか、頭から離れない。それで、バレンボイムなんだが、もちろん突っ走らない。1楽章AdagioからAllegro vivaceに雪崩れ込むところでも、突っかかっていかない。壮大な音響で押し進んでいく。おいらのイメージのこの曲じゃないんだが、圧倒的なパワーで説得されてしまう。これはこれで凄い。

で、これが、第3番『英雄』になると更にツボにはまってくる。どっしり構えて、揺るがない。若いオーケストラのパワーを存分に爆発させながら、滔々と音楽が流れていく。凄まじいスケール感。圧巻。パーヴォ・ヤルヴィのようなキビキビした演奏は、往々にして、その躍動感とか、生命力を感じやすいんだけれども、バレンボイムはその正反対の演奏で、そう言った音楽の勢いも失っていない。だから、当たり前だけど、間延びもしないし、退屈もしない。今更感のある解釈の演奏だが、今日、こう言う演奏するのは、とても意義のあることなのかもしれない。

さて、こう言う演奏を耳にするとよく言われるのが、「本来の」とか。「ベートーヴェンのあるべき演奏」とか言われたりするんだけど、それは違うと思う。これは20世紀のベートーヴェン。古楽のオーセンティックに対する、モダンのオーセンティックなんだろうけど、実際、どんな演奏がベートーヴェンの本望なのかなんてわからない。まだ、古楽の人たちの方が、実証するために検証を重ねているから、「本来の演奏」と言える論拠を持っているわけだ。まぁ、どちらの演奏も楽むのが一番得だと思う、と言う投げやりな結論。

なにはともあれ、お勧めの全集。値段も新譜とは思えないほど安い。技術面を細かく気にせず、楽しもう!

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「ポップスは音楽の大量生産大量消費」みたいな話を聞いたことがあったと思う。どんどん音楽を供給して、あっという間に飽きさせて…みたいな話だったかな。ポップスのシーンも多様化が進んで、TVが音頭を取って、大衆が右向け右をするような時代ではなくなり、いわゆる「流行歌」はなくなっていくんじゃないかと思うんだが、それはそれ。相も変わらず、大量の音楽がどんどん世の中に出ていき、そして、消費されていく。ちょっと前の音楽はもう、「時代遅れ」扱いになり、飽きられ、あるいは「昔は良かった」と崇め奉られる。

一般的にはこう言うのは批判的に語られるんだが、個人的に、これはこれで別にいいんじゃないかと思っている。そう言う楽しみ方があったって良いじゃないか。楽しければそれでよし。音楽なんだし。

で、だ。こう言う、流れの対極にあるのが、我らがクラシックだ。何百年も、人々に聴き継がれ続ける偉大な芸術…とかな。大嘘。大量生産大量消費?負けない。俺たちには古典派、バロックがある。逆に言えば、「俺がいなくなっても作品は永遠に!」なんて、大それたことを考えて作曲し始めちゃったのはロマン派以降。それ以前は、バンバン音楽書いて、バンバン消費しましょう!ってな感じだった。たった1回の演奏会でしか使われなかった曲だってたくさんある。だから作曲家だって、大量に曲を書いて使い捨てし続けた。モーツァルトみたいに自作のリストを作っていた人は珍しいくらい。それで、現在まで聴き継がれている作曲家はごく少ないという状況になった(涙)。

さて、前振りが長くなったが、今日のお話は、そんな古典派の作曲家、ヨハン・ゲオルク・アルブレヒツベルガー。ウィーンのシュテファン大聖堂の楽長を務めた人物である。ベートーヴェンも師事した当時の大物作曲家であるが、古典派の作曲家だけあって、大量の曲を書いて、今ではすっかり忘れられている。

多少演奏されるのがハープ協奏曲とトローンボーン協奏曲だそうだ。おいらは知らない。あと…インパクトがあるのが口琴のための音楽。え?口琴?なにそれ?と言うわけで買ってみた。口琴、ヴィオラ・ダ・ガンバと弦のための協奏曲。古楽器チェリストのクリストフ・コワン率いるアンサンブル・バロック・ド・リモージュの演奏。

聴いてみる。冒頭、なんてことのないありがちな古典派音楽が鳴りはじめる。うーん?と思っているとそこにビヨヨヨヨヨヨ~ンと何とも、脳天気な響きが。何なんだろう、このオーケストラからひときわ浮いた感じは。音楽は、淡々と進んでいくが、第3楽章では超絶技巧っぽい技も披露してくれる。たぶん難しい。これ、ホントに古典派の時代に響いていた音楽なんだろうか。バックの音楽は平凡な古典派音楽なのに、ソロ楽器の音だけが変に斬新。当時の人の感想を聞いてみたい。

つか、口琴ってこの時代では一般的な楽器だったんだろうか?例えば、アルブレヒツベルガーはトロンボーン協奏曲が多少知られているって書いたけど、この時代より前、トロンボーンは教会で使われた楽器だった。だから、一般的にオーケストラには入ってこない(逆に更に昔はヴァイオリンの類は大衆楽器だったので教会音楽には入れなかった)。よく知られた楽器だけど、普通の音楽に入ってくるのは珍しい…と言った感じで、トロンボーン同様、口琴も別の用途でこの時代に使われていたのだろうか。今じゃ、珍しいよなぁ、たぶん。調べてみるか。

なお、このCD、斬新なデザインのケースに入っているので、興味があったら是非。ってお勧めの理由はそこか。併録の曲は古典派マニア向け。モザイク四重奏団が参加しているのがうれしい。

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ミナジのヴィヴァルディが出た。3月にヘンデルのソナタ集が出た時に「次は、ヴィヴァルディが聴きたい」とこのブログで要望を出しておいたら、ちゃんと出た(笑)。まぁ、このタイミングだから、おいらの要望に応じてくれたことは間違いない!…なわけない。イタリア人が、日本語のブログを…なんてな。

そんなことをウハウハ考えつつHMVのサイトでCD紹介を見てみる。ここではじめてミナジのフルネームを知る。リッカルド・マサヒデ・ミナジ。マサヒデ…え?マサヒデ?イタリア語で何の意味?それとも政秀?雅英?将英?昌秀?正英?雅秀?日本人の血入っているのか?そうか…じゃぁ、日本語判るかも、ね。じゃぁ、おいらのブログを読んd(略

さて、今回のヴィヴァルディ、Naiveのヴィヴァルディ・エディションの第51集として2011年10月に収録されたもの。ヴァイオリン協奏曲集としては第4弾だそうだ(第3弾までは別の演奏家)。共演は、いつものムジカ・アンティクア・ローマではなく、イル・ポモ・ドーロと言う団体。パスタ好きには堪らない。演目は、RV.331、171、391、271、327、263a、181。と言ってもピンとこない。CDのタイトルは「皇帝」。このタイトルにあるように神聖ローマ皇帝カール6世のために作曲された曲がセレクトされている。

王様の宮廷で優雅に弾かれたバロック音楽。高貴で上品なヴィヴァルディ…なんて、妄想はもちろん、ここにはない。早いパッセージでめくるめく華麗なヴィヴァルディ・ワールド全開。なぜして、皇帝の御前でこんなノリノリな曲を演奏しちゃったのか。まぁ、ヴィヴァルディらしいので楽しいプログラムだ。

ミナジはこの演目を素晴らしいテクニックと、エキサイティングでありながら明るい音色でさばいてくれる。溢れる美音、迸るメロディ。心地良く、そして、ワクワクしてくる。音楽の楽しみがギュッと詰まったようなCDだ。今まで聴いたヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲集の中でも一番のお気に入りになってしまいそう。やみつきの1枚。

なお、このCDのPVがyoutubeで視聴可能。こちらからどうぞ。なかなか楽しい映像だ。

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最近、日本、特に東京での過去のライヴ音源が次々とリリースされている。ヨーロッパでもその傾向は強いんだが、有名なオーケストラの殆どが集中する音楽の本場なんだからそれは不思議なことではない。それに対して、日本は別に西洋音楽が根付いているとも言えない国だ。その国が、貴重な音源を高音質でリリースし続けている。ヨーロッパの音楽愛好家も垂涎の録音を、だ。日本だけでリリースされているものも多いのかもしれないが、ヨーロッパのCDショップにも日本語の帯が散見されるほどで、何気に日本の音楽ファンって恵まれている部分もあるんだなぁと実感させられる。

さて、そんな日本でのライヴ音源の名盤がまたひとつリリースされた。1974年6月30日に東京文化会館で収録されたノイマン&チェコ・フィルによるスメタナの『わが祖国』である。同コンビの『わが祖国』は1975年にスプラフォンに録音されたスタジオ録音盤が名盤と知られているが、これはその数か月前にチェコ陣営だけではじめて日本で演奏された『わが祖国』の記録である(もちろん、日本初演ではない)。このコンサートはTDKオリジナル・コンサートと言うラジオ番組のためのコンサートで、リスナーの公開募集には11万5千通もの応募があったという。こんなコンサートが極東のラジオ番組のために開かれ、無料で聴けたって言うのだから、羨ましい限りである。

このTDKオリジナル・コンサートの演奏は比較的良質な音源が残されているため。これまでもいくつかの素晴らしいCDがリリースされていたが、この『わが祖国』は伝説的な名演として知られているものだったとのこと。

『わが祖国』と言う曲は、いたってチェコローカルな響きの音楽なのだが、“伝説的名演のライヴ録音”が多い。古いものではアンチェル&チェコ・フィルの1968年、プラハの春事件直前のライヴ録音、それから、クーベリックのチェコ復帰コンサート(チェコ・フィル)、その後に行われた同コンビによる東京でのライヴ録音、それから同指揮者によるバイエルン放送交響楽団とのライヴ録音、ビエロフラーヴェクもチェコ・フィルとライヴ録音を出していたはずである。そこに新しく、今回の録音が加わった。まさに名盤の宝庫である。殆どがチェコ・フィルと言うのはやむを得ないが、『わが祖国は』実に録音に恵まれた曲である。

演奏は、真っ向勝負、まったく気を衒わない。それでいて熱気を帯びていて聴いているだけでテンションが上がってしまいそうだ。収録会場となった東京文化会館は今でこそ東京のコンサート・ホールの3番手以下だが、当時は外来の楽団の多くはここでコンサートを開いていた。このホール一杯に、ノイマンとチェコ・フィルの響きが広がっていく。当然、聴衆は熱狂。その様子もこの録音はよく伝えている。国内盤と言うことで少々値段が高いのが難点だが、この名曲のファーストチョイスに選んでも、良いような出来である。

そう言えば、ドヴォルザークの交響曲全集の旧盤を録音したのもこの頃。スタジオ録音なので今回の録音ほどの熱気はないが、やはり同傾向の演奏で成功を収めている。ノイマン&チェコ・フィルのコンビはビロード革命まで続くが、こうした録音を聴く限り、ピークは1970年代だったのだろう。今後もどこかでライブ録音が出てくることを期待したい。

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ハンス・ロットの交響曲第1番を聴く。どういう機会だったかは覚えていないが、この作曲家の名前も顔も見知っていた。しかし、実際に曲を聴くのははじめて。いくらなんだって、名前を聞いただけで興味を持ってどんどん聴いていたらきりがない。切っ掛けが欲しい。今回は、パーヴォ・ヤルヴィがフランクフルト放送交響楽団と録音したということで、店頭で宣伝していたので買ってみた。パーヴォと言えば、ベートーヴェンやブラームスと言った王道の作品でも高い評価を得ている指揮者だが、さすがはネーメの息子、隠れた名作の録音にも積極的だ。

さて、ハンス・ロット…何者だろうか。1858年ウィーン近郊に生まれているので、マーラーより2つ年上と言うことになる。母親は女優で、父親も俳優。しかし、父親は別に妻がいて、不倫の末に母親が18歳の時に、ハンスを生んでいる。ウィーン音楽院に学び、ブルックナーにオルガンを師事。また、この時期にマーラーとも面識を得ている。音楽院でのコンクールのために作曲した交響曲第1番をブラームスとリヒターに初演して貰うために見せたが評価されず。それどころか、ブラームスに「才能がないから作曲をあきらめるべき」と全否定され、意気消沈してしまう。ブルックナーの弟子が、ブラームスに作品を持ち込んだ時点で「?」なんだが、やはり、ブラームスには、その辺りの感情のもつれもあったのかもしれない(そして、ブラームスは性格が悪い)。意気消沈したハンス・ロットは、そのまま精神を病み、何回かの自殺未遂の末、1884年に25歳の若さで亡くなった。

そんなわけで生前は全く評価されなかったのだが、ブルックナーとマーラーはハンス・ロットを高く評価していた。特にマーラーは、交響曲第1番『巨人』を作曲するにあたって、ハンス・ロットの交響曲第1番を意識しており、『巨人』の中には、時折、酷似したフレーズが出てくる。もちろん、この交響曲第1番は生前に演奏されることはなく、それどころか、その後、100年ほどはその存在すら知られていなかった。初演されたのは、なんと1989年のことである。日本初演に至っては2004年まで待たなければいけない。

この曲をパーヴォ・ヤルヴィは素晴らしい演奏で録音してくれた。曲は、教会のオルガンの響きに影響を受けた金管の鳴らし方など、師匠ブルックナーの影響が濃厚。しかし、ブルックナーの作品を想像して聴くと肩透かしを食らう。壮大なオーケストレーションなど、後期ロマン派らしいスケール感のある作品だが、スマートでなかなかカッコいい曲だ。ブルックナー的な不器用さ、野暮ったさは、あまり感じられない。若書きの作品であり、作曲技法は熟練のものとは言い難いのだが、そこのところは、パーヴォの棒でうまく補正されている。キビキビとしたリズム、クリアなサウンド…パーヴォの演奏を聴いていると何でこの作品が埋もれてしまわなければならなかったのかと不思議に思ってしまう。

併録は、管弦楽のための組曲への2つの楽章で、これは世界初録音。こちらもなかなか聴き応えがある。それにしても、世界初録音なんて、最近じゃCHANDOSやNAXOSのためのものかと思っていたら、RCAから出てきてしまった(笑)。改めて…流石、“ヤルヴィ”!

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