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■ 霞城公園

朝ごはんを食べてから、帰りの新幹線まで少し時間があったので、霞城公園までお散歩。ここは、もともと山形城の二ノ丸があった場所で東大手門が復元され、一般開放されている。ありがちな宣伝文句は、「市民の憩いの場」。広い敷地内には、野球場があったり、たくさんの桜の木が植えられていたりするので、春や秋は良いだろうなぁ。夏は暑い(汗)。

東大手門の内側には、最上義光の像がある。馬に乗り、自慢の指揮棒をかざしている雄姿なんだが、馬が2本足で上を向き過ぎているせいで、顔がよく見えない。記念撮影をしている観光客が1組だけいたけれども、写真だけ撮って、すぐに去って行った。日差しが強くって、木々から砂利まで全てが鬱陶しいまでにギラギラと輝いている。おいらも堪らないので、あんまり、長居はしなかったけれども、暑い公園でくつろいでいる老人もいたりする。熱中症には十分注意して、水分補給を…って、わかってるわな。

涼みがてら、最上義光歴史館に立ち寄る。無料。小学生が、校外学習をしている横をすり抜けて、見学。書状や武具など複写のものが多いが、それなりに見ごたえはあると思う。長谷堂合戦屏風を眺めているのは、結構楽しい。なぜか最前線に大将がいたり、後ろでどっしりと家来が構えていたり(笑)。解説によれば、奮闘した最上方の武将、鮭延秀綱に敵将、直江兼続が感服し、後に褒美を与えたとか、直江兼続の撤退手腕に最上義光が絶賛した、とある。戦争なんで褒められたもんじゃないけれども、潔くってカッコイイ話だと思う…のは日本人の美感かな?ほかにもそう言う話って多いよなぁ。

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野暮用で山形にいる。山形と言っても広いが、ここは山形市。最上義光の街。居城である山形城は、国内5番目、東北最大のお城だったそうだ。国内屈指の農畜産業大国の礎も義光が作った。偉人。英雄。シスコンだったことは、さておき、おいらの好きな戦国大名である。別に戦国ヲタクじゃないけど。

朝6時過ぎの山形新幹線に乗ったせいで、9時に山形駅についてしまう。野暮用は午後から。荷物をホテルに預けて、山寺に向かう。山形駅から仙山線に乗って20分。近い。山形らしいのどかで綺麗な田舎の山の斜面に建物が点在している。よって登らなければならない。雰囲気のある杉林の参道を、左右に仏像石碑を見ながら、のんびり上がっていく。入り口から奥の院まで、正味の歩行時間は20分弱じゃないかな。まぁ、人によって差はあれど、案内板の往復90分はだいぶ余裕を見ている。

ここに来るのは2度目。1度目は幼少期だったのでよく覚えていない。だけれども、あんまりネガティブな記憶がないし、なんだか、良かったような気がするので、再訪してみたのだ。案の定、良い所。芭蕉の俳句であまりにも有名で、今日も蝉の音が岩に染み入っていて、芭蕉の世界を堪能することができた。ちなみに、山寺をこれだけの名刹にした影の立役者は最上義光だとか。どこにでも出てくる、義光さん。もちろん、何度も足を運んだわけだけれども、たった1度訪れただけの芭蕉にすべてを持っていかれてしまった。

山寺から山形に戻る。用事を済ませたあと、地元の人と話す機会があったんだけれども、どうにも、名産が多すぎて、あれもこれもそれも…と覚えていられない。ざっくり言うと、「千疋屋に並んでいる高級フルーツはほとんど山形産だよ!」ってことだ。確かに、美味しいものの種類は日本屈指かな。あと2県行っていないけど。

ちなみに、放射能の影響はあまりない。ざっくり東北で括って、放射能の危険性を語る人が、TVなんかに出ているそうで、びっくりしてしまう。安心して食べていいのだよ、佐藤錦…別の理由で食べられない(涙)。

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バロックは、西洋音楽文化の中でヴァイオリンの地位が一気に向上した時期である。ルネサンス期は、合唱が中心で器楽と言えば、リュートや金管楽器が中心だった。それが感情豊かで、ルネサンスに比べれば仰々しい表現手法を用いるようになったバロックの時代になって、ヴァイオリンがどんどんメジャーになって行った(と解釈している)。今も知られているようなヴァイオリンの名手・作曲家と言うのは、17世紀にはじめて登場していることからもそのことは明白だ。そして、この頃のヴァイオリン曲が意外と面白いことは、知る人ぞ知る事実。

有名な人で言えば、何と言っても、ヴィヴァルディ。名手揃いだったと言うヴェネツィアのピエタ女子養育院のために、技巧的な名曲を作曲している。それから、ロザリア・ソナタで知られるボヘミア出身のビーバーもヴァイオリンの名手であり、ヴァイオリンのための素晴らしい曲を何曲も後世に残している。また、ヴァイオリンの可能性を探究するかのような様々な演奏手法が、試されており、古典派以降、演奏法の確立された作品とは違った、開拓者のチャレンジ精神に満ち溢れたような作品もある。

さて、もう一人、忘れてはいけない人がいる(ほかにもいるかもしれないけど(汗))。イタリアのトスカーナ州、ルッカ出身のフランチェスコ・ジェミニアーニ。ルッカは、プッチーニの出身地として有名な街らしいが、古楽ファンには、ジェミニアーニの出身地として、覚えられておくべき街。

この作曲家は、アレッサンドロ・スカルラッティ、コレッリと言う、当時の器楽作曲家としては、欧州随一のビックネームに師事した後、ナポリで活躍。その後、ヴァイオリンの腕前を買われ、イギリスに渡り、更に、一時期は、パリでも活躍していたと言う。音楽理論家としても有名。

代表作は、合奏協奏曲集だろうか。コレッリの影響の強い、彼の作品は、イギリスで好評を博したと言う。しかし、今日、聴いているのは、これではない。ヴァイオリン・ソナタ作品5。元はチェロ・ソナタだが、ジェミニアーニ自身が、ヴァイオリン用に編曲したものだ。典型的なバロック音楽だけれども、多彩な表情を持つ、情熱的な作品だ。もちろん、ヴァイオリンの名手の曲だからにして、技巧的。演奏しているのは、アントン・シュテック。先日、ヴィヴァルディの作品で、触れたバロック・ヴァイオリニストである。ムジカ・アンティクァ・ケルン、コンチェルト・ケルンで活躍したが、尖り過ぎていない音色が魅力的。瑞々しく、躍動感のある演奏で、ジェミニアーニの魅力を存分に表現してくれる。伴奏は、ハープシコードのクリスティアン・リーガーとチェロのマルクス・メレンベック。ヴァイオリン+ピアノの古典派以降のヴァイオリン・ソナタよりおいらはこのスタイルの方が好きなんだよなぁ。ちなみに、ピアノ・トリオとは、全然、違うもので、あくまでも、ヴァイオリンが中心。なんか、楽しい。

余談だけれども、確かにヴァイオリンのスクロールはカタツムリっぽいよなぁ…。

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ビオンディが軽く吹っ飛んだ『四季』をリリースして、音楽ファンに少なからぬ衝撃を与えてから四半世紀近くが経つ。その後、カルミニョーラ、イル・ジャルディーノ・アルモニコ、ベルリン古楽アカデミーが、過激なピリオド演奏の『四季』を録音して、ビオンディはすっかり標準化してしまった。ビオンディが『四季』を演奏すると、古楽ファンは、「相変わらずだな」と白けた目を向ける傾向があるようだけれども、それも止む無し。逆に、ムター、カラヤン&ベルリン・フィルの演奏を聴いたりすると少し笑ってしまったりする。重厚で鈍重なヴィヴァルディ。もちろん、『四季』くらいしかヴィヴァルディは演奏しない。彼らの演奏は、今や「色もの」にしか聴こえない。それはそれで楽しいんだけれども、30年前は一般的な「名演」だったものが、今や完全に逆転した。どっちが正解と言うのはないし、個人によって好みの問題はあるんだろうけれども、状況は一変してしまった。仲間内でアンサンブルを組むことがあったとしても、モダン楽器の有名オーケストラが、指揮者とソリストを迎えて、仰々しく『四季』を録音することはなくなった。

さて、そんな常識を覆してしまったビオンディであるが、その後も、順調にヴィヴァルディの名演を世に送り出し続けている。器楽曲だけでなく、オペラの録音もだいぶ種類が揃ってきた。この間も書いたんだけれども、モダン楽器の奏者たちが殆ど手をつけなかった、バロックのオペラや声楽曲をレパートリーに入れたことは、ピリオド楽器奏者たちの大きな功績だと思う。今でこそ、演奏されるオペラはほとんど19世紀以降のものだが、本来オペラの全盛期は、バロック時代なのである。もちろん、ヴィヴァルディもオペラをたくさん書いていて、優れた作品も多い。ビオンディは、これらの作品を次々に録音しており、今月にも世界初録音となる『メッセニアの神託』の全曲盤がリリースされる。

そんなわけで、ビオンディが最も得意とするのは、ヴィヴァルディだと思うんだけれども、もう少し広い括りで言うと、イタリア・バロックがそのレパートリーの中心と言うことになる。まぁ、イタリア人だし。バロックと言うとJ.S.バッハなので、ドイツ・バロックも随分とメジャーな扱いを受けているけど、バロック~古典派の音楽の中心はイタリア。だから、ビオンディのレパートリーは、古楽では、王道。かと言って、ドイツ・バロックも全くやらないわけではなくって、J.S.バッハの録音もあるにはある。ただ、ヴィヴァルディほどのインパクトを残しているわけでもないし、ブランデンブルク協奏曲や管弦楽組曲と言ったメジャーな曲の録音でもない(管弦楽組曲はサヴァールの録音に参加してはいるが)。やはり、ビオンディはイタリア・バロック。

と言い切っておいて、新譜のテレマンを買ってみた。言わずと知れたドイツ・バロックの大物。だけど、J.S.バッハとは、別路線。気軽なバロック。イタリア・バロックのノリを持ち込んでも、違和感はないし、難しい顔をして批判されることもない。と言うわけで、軽くいつもの調子でぶっ飛ばして欲しいと言う願望は、許される。

演目は、3つのヴァイオリンのための協奏曲ヘ長調、組曲ト長調『ドン・キホーテのブルレスカ』、ヴィオラ協奏曲ト長調、2つのヴァイオリンのための協奏曲ハ長調、組曲ト短調『風変わり』。協奏曲と組曲が、交代に収録されているので、メリハリがある。と言っても、今回収録された組曲は、一般的なバロックの組曲とは異なる。『ドン・キホーテのブルレスカ』は、序曲に続き組曲を構成するのが舞曲ではなく、ドン・キホーテのエピソードをイメージした曲だし、『風変わり』も…風変わりだ(笑)。後者は、序曲から舞曲数曲と言う形なので、形式的には典型的なのかな。CDのタイトルは、Quixotte&La Changeanteとなっているので、一応このCDのメインはこの2曲の組曲なんだろう。

で、さて、聴いてみる。何と言っても、『ドン・キホーテのブルレスカ』が面白い。ブルレスカとは、「ユーモアと辛辣さを兼ね備えた、剽軽でおどけた性格の楽曲」(Wikipediaより)と言う意味。ドン・キホーテなので、まぁ、ぴったりな音楽かもしれない。その名の通りと言うか、ドン・キホーテの滑稽さが、テレマンの力で、多彩に表現されている。馬鹿騒ぎしたかと思うと、いきなり憂鬱になる。なかなか楽しい音楽だ。ビオンディの演奏は、相変わらず溌剌としていて、アグレッシブ。テレマンの滑稽さが、弾け飛ぶ。この曲、2006年の来日公演で演奏したらしい。聴きたかった…。

『風変わりな』と他の協奏曲も、ビオンディ節炸裂の快活な演奏。協奏曲での、エウローパ・ガランテの各奏者との丁々発止のアンサンブルも聴きもの。『ターフェル・ムジーク』が長すぎて聴く気が起きない時は、この1枚でテレマンの世界を楽しもうか。

ちなみに、この録音をリリースしたのは、agogiqueと言うレーベル。いつもの、Virginじゃないのか。前述のオペラの新譜は、Virginなんだけどな…。

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渋谷のタワーレコードが改装される。フロアごとに改装スケジュールが異なるので全館閉店になることはないが、行ってみたらクラシックは今は売っていません、と言う悲しい事態に陥らないように、6階のスケジュールだけは書いておこう。営業最終日は9月7日(金)23:00、改装開店日は9月30日(日)。

ちなみに、最初に改装を始めるのが、7階で、8月31日(金)19:00に最終営業を終えている。で、おいらは、6階もこのスケジュールだと思って、「セールやっているんじゃない?」と勇んで、先週、行ってきてしまった。渋谷の街って、ゴミゴミしていて苦手だし、タワーレコードにも滅多に行かないのに…やられた…。もちろん、セールもやっていなかった。何となく、雰囲気的に、今週もやりそうにない予感。まぁ、閉店するわけじゃないしね、在庫処分しちゃったら、改装開店時にアイテムなくなっちゃうから、やるわきゃないか、な…いか。……………………今週も行くべきなのか?(汗)

さて、折角、行ったからには、ショッピングをエンジョイした(笑…汗)。行くと最近はいつも長時間滞在する古楽コーナーでナイーヴのヴィヴァルディ・エディションがセール中。一部アイテムだけだけど。そして、こういう場合、大抵、HMVでもセールをやっていて、比較してから買った方がいいのは判っているんだけど、タワーレコードの商品棚にちょんっと添えられている紹介文にすぐに騙されてしまう。HMVやタワーレコードのオンラインの紹介文って、メーカーからのものなんだけど、タワーレコードの店舗の紹介文ってオリジナルっぽいんだよね。だから、妙に生々しいし、なんか上手いんだよなぁ。で、結構、期待を裏切らない。で、で、で!買ってしまう。

つうわけで、ヴィヴァルディ・エディションを含む古楽ものを数枚購入。ヴィヴァルディ・エディションってだいぶ前から企画を進めていると思うんだけど、対象が膨大すぎて、いつまでたっても完結する様子がない。そして、内容が、とんでもなく充実しているので、次々に買ってしまう(タワーレコードの紹介文に釣られただけではない!)。たぶん、完結した暁には、100枚組1万円とかでまとめ売りされるんだろうなぁ。と思いつつ、早く手元に置いて、たくさん聴くことができる優位性に価値がある、と信じる。実際そうだと思うし。それに、ヴィヴァルディ・エディションがいくら楽しいからと言って、全部あっても…ねぇ。いいんだけど(笑)。

さてさて、購入したヴィヴァルディ・エディションのうち、1枚を紹介してみる。New DiscoveriesⅡと言うタイトル。もちろん、ⅡなのでⅠもあるんだけれども、今回のセールの対象になっていたのはⅡだけっぽかったので、とりあえず、Ⅱを購入してみた。

内容は、そのタイトルの通り、新しく発見された作品集(偽作が真作と認定され、めでたくヴィヴァルディの作品となったものを含む)。古典派以前の作曲家の作品って、ロマン派以降の「数百年未来にも自分の作品を残してやる!」という意気込みで作曲されたものは、あまりなくって、作品は、ほぼ消耗品だったと考えていい。ヴィヴァルディだって、自分の作品が、まさか、300年以上も未来の極東の地で聴かれるとは思っていなかったんじゃないかな。そう言うわけで、多くの作品が、各地で散逸してしまった。凡才の凡百な作品も多くあって、そんなものを発掘していてはきりがないのだが、ヴィヴァルディとなれば話は、別。新しい作品が見つかれば、大騒ぎになる(※一部マニアの間で)。

2010年にも、イギリスのサウサンプトンで、『偉大なるムガール人』と題されたフルート協奏曲が発見され、2011年に再演(初演かもしれないけれども)されている。ヴェネツィアの作曲家の作品が、サウサンプトンにねぇ。ちょっと、おいらも本棚とか引き出しを探してみるか。

この『偉大なるムガール人』を含む、“新しい”ヴィヴァルディの作品を収めたCDが、New DiscoveriesⅡ。Ⅰは2000年から2007年に発見された作品、Ⅱはそれ以降に発見された作品が対象。1枚に収まるくらい新発見があるって…凄いな。収録曲は前述のもののほか、散逸してしまったオペラのアリアの一部やヴァイオリン・ソナタ、ヴァイオリン協奏曲など。ジャンルに統一性がないのは、選曲の趣旨からしてしょうがないんだが、まぁ、だからと言って、特に違和感を感じないのは、プログラミングがうまいせいかもしれない。

演奏は、サルデッリ率いるモード・アンティコ。サルデッリは、ヴィヴァルディの作品を発見したり、偽作とされていた作品を真作認定したり、散逸してしまったパートを再現したりしていると言うから、ヴィヴァルディ再興にだいぶ貢献している人だ。もちろん、古楽器での演奏。聞いたことのない作品を小気味よく、披露してくれる。ヴァイオリンのソロは、アントン・シュティック。ムジカ・アンティクア・ケルンの元メンバーで、コンチェルト・ケルンのコンサート・マスターを務めていた人。と言うわけで、当然、筋金入り。上手いし、音は華があって綺麗だし、適度にエキサイティング。ミナジにしてもそうだけど、バロック・ヴァイオリンは音が貧相だってのは嘘だよねぇ。協奏曲RV.817で、ノリの良い素晴らしい演奏が楽しめる。フルート(正確には、フラウト・トラヴェルソ)は、アレクシス・コセンコ、メゾ・ソプラノはアン・ハレンベルク。どれも、高水準の名演奏。コセンコは、『偉大なるムガール人』のソロを務めているのだが、小粋な曲を爽快に仕上げてくれている。

さて…New DiscoveriesⅢはあるんだろうか?サルデッリは、ヴィヴァルディの未知の曲はたくさんあると言っているので、期待してもいいかもしれない。ま、その前にⅠ買うか。

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書籍の店頭販売が不振だそうだ。そりゃ、Amazon便利だもんね…。

そんなご時世でも、何となく、神保町って不思議な魅力のある街だ。古本屋が有名なんだろうけれども、渋いレコード屋があったり、流行に流されないような食事処があったり、落ち着いた喫茶店があったり。この街は、独特の時間が流れているように思う。ゴミゴミと人が行き交うこともない。時折、本屋さんを覗きながらこの街を散策するのが好きである。

さて、神保町の本屋さんで、大手と言えば、三省堂、書泉、東京堂の3店舗。三省堂は、安定的に種類が豊富、書泉はゴミゴミしていてあんまり行かない。東京堂は、少し前に改装して、とっても過ごしやすい本屋さんになった。以前は、劣化した三省堂のような感じだったが、今は、1階にオサレな喫茶店を併設して、そこで買った本をゆっくり読めるようになったし、お店のインテリアや配置方法もセンスがあっていい。こう言う本屋さんで、何気なく、本を探す楽しみって、Amazonにはないもんだよなぁ。欲しいものが決まっている時はAmazon、何となく、本をみたい時は東京堂と、使い分けたい。

その東京堂で先日、面白そうな一冊が目に付いたので、買って読んでみている。『こんなにちがうヨーロッパ気質』(片野 優、須貝 典子共著/草思社/2012年)と言う本で、サブタイトルに「32か国・国民性診断」とある。著者2名はウィーンに住むジャーナリスト・ライターさんのご夫婦。ヨーロッパ各国を熟知する2人がヨーロッパ32か国のお国柄を紹介してくれる。「地球の歩き方」などのガイドブックでは見えてこない、ヨーロッパの国々の姿を知ることが出来て、実に興味深い。

本著「はじめに」にあるように、日本では、よく「ヨーロッパでは」とか、「欧米では」とか言うわけなんだけれども、あのだだっ広いヨーロッパで統一された民族性があるわけもない。日本だって、関東と関西で大分違うように、ヨーロッパだって多種多様なお国柄があるのだ。それを簡潔に、時に、有名なエスニックジョークを交えながら紹介してくれる。もちろん、その国の人がみな一様に、そうであるというわけではないんだけれども、間違いなく民族性と言うものがあって、それを端的にとらえた文章を読むのは、楽しいものである。

例えば、本著に紹介されているエスニック・ジョークをひとつ紹介してみよう。

「「今まさに豪華客船が沈まんとしているとき、乗客を海に飛び込ませるためには何と言ったらよいか」
●アメリカ人に対して「今、海に飛び込めば、あなたはヒーローになれますよ」
●ロシア人に対して「あっちにウォッカの瓶が流れていきました。今追えば、まだ間に合いますよ」
●イタリア人に対して「今、美女が海に飛び込みましたよ」
●フランス人に対して「決して、海には飛び込まないでください」
●ドイツ人に対して「規則ですので、全員、海に飛び込んでください」
●日本人に対して「みなさん、もう全員飛び込みましたよ」」(P.19より抜粋)

他の国のことはともかくとして、日本人の部分は、日本人として苦笑いせざるを得ない。日本人は「普通はこうだよ」とか、「みんな持っているよ」とか、そう言う言葉にやけに弱いし、言っている方も、なんかとっても正しいことを言っているような錯覚に陥るのだ。CMや販売員の宣伝文句にもそう言うのが多い。

本著を読むと、こう言った独特の民族性がヨーロッパ各国に夫々あることがよく判る。自分の行ったことのある国から読むもよし、頭から読むもよし。ヨーロッパを知るには、面白い一冊だと思う。その国のオーケストラ、作曲家の音楽を聴きながら読むのも良いかな。

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9月に2種類のブラームスのヴァイオリン協奏曲がリリースされる。一つは、フランチェスカッティ、ブール&南西ドイツ放送交響楽団のライヴ録音、もう一つは、カプソン、ハーディング&ウィーン・フィルによる新しい録音である。

共に、おいらが好きなヴァイオリニストなので、非常に楽しみだ。リリースはHMVのアナウンスでは両方とも9月10日となっているが、輸入盤なので少なからず前後はするだろう。

まず、フランチェスカッティ盤だが、これまで何種類の同曲の録音がリリースされたきた。オーマンディ&フィラデルフィア管(1956年、モノラル)、ミトロプーロス&ウィーン・フィル(1958年、モノラル)、バーンスタイン&ニューヨーク・フィル(1961年、ステレオ)などなどである。フランチェスカッティと言えば、天衣無縫に駆け巡る美音が魅力的なヴァイオリニストで、これまでの録音でも、その音色が素晴らしかったが、今回の録音はどうだろうか。ライブ録音とは言え、ステレオだし、ヒストカル音源の復刻には定評のあるヘンスラーからのリリースなので音質は期待できそう。反面、1974年と言うことで、引退寸前のフランチェスカッティがどんな演奏していたのか、従来の音色は出ているのか、ブール&南西ドイツ放送響と言う現代音楽のスペシャリストが、どんな伴奏をしたのか、あたりが注目点だと思う。特に、前者は同時期に録音されたJ.S.バッハの協奏曲で、従来の独特な音色がやや影を潜めているのが、ちょっとした懸念事項。

続いて、カプソン盤だが、こちらは初録音。ただし、室内楽では、ブラームスに積極的に取り組み素晴らしい演奏を聴かせているので、期待は大。バックはハーディング&ウィーン・フィルと言うことで、これはワクワクせずにはいられない。ハーディングとは、録音で何度か共演を聴かせてもらっているが、ウィーン・フィルとはこれが初めてのはず。

美音で名を馳せる2人の新旧ヴァイオリニストの聴き比べ、今から楽しみだ。

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タイ国際航空を羽田で降りた翌々日、今度は、新宿からスーパーあずさに飛び乗った。よく揺れるこの特急は、雷雨の松本に定刻通りに到着した。ここでビジネスホテル泊。翌日朝一番の大糸線に乗って、信濃大町経由で神城駅へ。更に、無料の送迎バスに乗って、エスカルプラザに着いたのは朝の8時過ぎ。

朝からどんより曇った松本の空から、心地よく晴れた穂高駅を経て、この辺りでは、なんとも言えない、曇った空を仰ぐことになる。「雲が多い方が涼しいか」と考えつつ、テレキャビン、リフトを使って、地蔵の頭へ。ここから遠見尾根をひたすら登り、五龍山荘を目指す。

歩き始めて3時間。あまり良くなかった天気予報を裏切って、何とか、雨に濡れずに登ってきたが、ここで突然の豪雨。ぱらついたと思った瞬間、あっという間の雨。慌てて、雨具を装備する。不気味に低く唸る雷の音を頭上に聞きながら、なんとも悔しく唇を噛む。五龍山荘はもう目の前なのに、この雨。何とかいけると思ったのに。やむなし。

結局、雨具を着て30分ほど歩いて、五龍山荘着。濡れた道具を乾燥室に入れて、昼御飯を食べる。雨はほどなくして止んで、午後は、青空も出るまでに天気が回復した。目の前には、峨峨たる五龍岳が聳えている。カッコいい。夕方には、毛勝三山も見ることができた。立山連峰の北の端に位置する毛勝三山が南に見えることから五龍が如何に北に位置する山か実感することができる。ちなみに、五龍岳は長野の山と思われがちだが、厳密には富山県に位置する。後立山連峰は富山と長野の県境にあるので、何れの山もどちらの県に所属するのか厳密に言うことは野暮だとは思うけれども。

ところで、この山の名前、五龍と言うちょっとカッコイイ名前なんだが、その由来は、さほどカッコいいものではない。立山連峰の裏に当たる後立山連峰は、今でも、山を登る人は略して後立(ごたて)と呼ぶが、この後立の読み方を変えると「ごりゅう」になる。これに五龍の字をあてたのが、その由来とする説が有力だという。ただ、この五龍の名称、当初は現在の鹿島槍ヶ岳に付けられたものだという。確かに、この連嶺を遠くから俯瞰すれば、「後立」の盟主は白馬岳でも、現在の五龍岳でもなく、鹿島槍ヶ岳であるべきだとは思う。それがいつか、入れ替わってしまったという。ちなみに、五龍岳の山肌に残雪期、武田家の割菱(御菱(ごりょう)と呼ばれる)の岩が浮かび上がることから、転じて、五龍になったという説がある。これはちょっとカッコイイ説だが、信憑性はいささか低い。

さて、話を戻そう。五龍山荘でのんびりとした午後を過ごした後、夕食を取り、早めの就寝となったわけだけれども、どうにも寝付くことができない。しょうがないので、外に出てみると、雲の間にキラキラと満天の星空が輝いている。「明日は晴れるか」と嬉しく思って、ベンチの上に寝転がる。少し寒く感じるまで、星空を眺めた。

翌日は、2時に起床。3時過ぎに起きる予定だったのだけれども、目が覚めてしまったら、また眠ろうと思ってもあまり意味がないので、再び、星を眺めに表へ。雲が一切切れて、満天の星空はより輝きを増していた。黒々と浮かび上がった五龍岳の巨大な影の周りにも星の光が降り注いでいる。気の早い山人たちはテントの中で光を灯し、カラフルな光を幕営地に添えている。遠くには富山方面の街の光が見えている。星の光、テントの光、遠くの街の光。どれもそれほど強いものじゃないけれども、北アルプスの稜線の夜を美しく彩っている。

3時半過ぎ、山頂でご来光を見るべく、出発。暗いガレ場は少し怖くはあったが、なんとか日の出前に山頂へ。早朝の空の色の移ろいと、立山連峰をはじめとする北アルプスの展望を1時間ほど楽しんで下山。明るい空の下では、足場が確りと見えて、登りと比べてスムーズに進むことができた。最後に五龍山荘に寄って、休んでいると、ブロッケン登場。短い時間だったけれども結構綺麗に見ることができた。準備が整うと、さっさと遠見尾根を下りにかかる。午後は、雷雨の予報だったので少しでも早く下山したい、が、途中、振り返ると山が美しいし、高山植物も可憐な花を咲かしているので、ついつい、写真を撮ってしまう。そんなこんなで、五龍山荘から3時間で登り始めのリフトの駅へ。

登山終了。エスカルプラザで風呂を浴びてから、バスで長野駅まで出て長野新幹線であっという間に東京駅着。コンパクトながら充実した山旅を楽しむことができた。さて、明日から平日…。

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タイから帰国。雨季と言うことで毎日のように雨が降った。朝は曇りかちょっと青空が覗いていて、午後から夕方にかけて雨が降るというパターン。対策が取りやすい。が、一度も傘を使わなかった。ちょっと待つと小やみになったりして、何とかなっちゃうんだよね。

バンコクの街は、タイにあってタイでないみたいなことを言われるらしい。確かに近代的な建物が林立していて、東南アジアの混沌がホーチミンに比べると足りない。しかし、ところどころに散在する市場や屋台はやはり東南アジア。香草と何かが腐ったような臭い混ざり合って街のところどころから漂ってくるのは、ホーチミンと一緒。

そんなところから日本に帰ってくると街の綺麗さに感心してしまう。これでちょうど10ヶ国目になったんだけど、どの国のどの街よりも日本の街は綺麗である。これ、誇れることなんで、維持していけるといいと思う。

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トゥクトゥク…昔日本でも走っていた3輪車をタクシーにしたものである。安くて便利な移動手段だが、ぼったくりも多い。何回か乗ったが、安全性はまったく確保されていなくって、少々危なっかしかった。このミニ・タクシーがバンコクのいたるところに走り回っている。

大通りだけじゃなくて、裏道に入っても、連なるようにして走っている。そして、この小さな車に4人も5人も乗っていたりする。欧米人が(笑)。トゥクトゥクを見ているのは結構楽しい。

さて、今日は、トゥクトゥクを横目に、昼食はホテルの裏の街の大衆食堂へ。道端でなまずの丸焼きを焼いている。まぁ、これはあんまり食べたくないな。注文したのは、鳥の焼いたものと豚肉を焼いたもの、それにサラダ。なんとなく無難なものにしたので無難な味がした(笑)。

午後は、中心街へ。アートセンターに行ったり、買い物をしたり。とここで、タイの国旗を持った人たちを発見。道路に出て見ると、皆、国旗を持って、ガードレールに張り付いている。何かと思ったら、オリンピックの凱旋パレードだった。折角のなので、おいらも国旗をもらって、パレードを見ることに。

暫く待たされて、オリンピック選手登場。銀メダリストが先頭の車で現れると、人々殺到。警備員は大して制止せず。握手して記念写真まで取っている人がいる。なんという自由さ。続いて、銅メダリスト。やけに若い。メダルを持って見せる姿も初々しい。メダリストはこんなもので、あとの選手がまとめてやってくる。メダルを取れたかどうか、差は大きい。

パレードの後に夕食。タイスキを戴く。うーむ、これは。普通の鍋ではないか。寄せ鍋っぽい。付けダレは、タイっぽいけど。サイドメニューにえび料理を頼む。やっぱタイのえびは美味い。

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