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西洋音楽史は、J.S.バッハから語られることが多い。一部の音楽愛好家たちもそうだし、わが国における学校教育でもそうだ。故に、J.S.バッハは音楽の父と崇め奉られ、ここから西洋音楽が始まったかのような誤解が生じている。もちろん、その前に、「なにか」があったことは、皆なんとなく解っているのだけれども、それは取るに足らないものであり、J.S.バッハが、それまでの音楽を革命的に「芸術」に昇華させたのだと認識してしまっている。たぶんこれは、西洋音楽を評価するに当たってドイツを中心としたロマン派至上主義が、当たり前になってしまっていることに起因するんだと思う。彼ら、ドイツ・ロマン派の作曲家は、イタリアを中心としたそれまでの音楽(バロック、古典派)を否定するに当たり、自分たちのルーツを同じドイツの作曲家であるJ.S.バッハに求め、神格化した。そして、彼こそが音楽の父であり、バロックそのものであると結論付けたのである。

これは、無伴奏ヴァイオリンの音楽でも同じことで、無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータが、唯一にして最高の曲であると思われている。確かに、この曲は大変素晴らしい。しかし、いくらJ.S.バッハが凄い作曲家だとしても、唐突にこんな曲が出てきたわけではない。バロック期の作曲家は、ロマン派以降の作曲家に比べると、果敢にも無伴奏ヴァイオリンの曲を書く人が結構いて、それらのひとつがあの大作なのである。ほかの作曲家の作品も、なかなか凄いのだが、残念ながらさほど演奏される機会は多くない。近年、古楽運動が盛んになってようやくバロック・ヴァイオリニストたちが、取り上げるようになり、その存在を知ることが出来るようになってきたのはありがたい限りである。

さて、そんなことを念頭において、つい先日購入した1枚のCDについて書いてみよう。日本におけるバロック・ヴァイオリンの第1人者である寺神戸亮さんによる『シャコンヌへの道』と題したアルバムである。寺神戸亮さんはもともと東京フィルのコンサート・マスターを務めたものの、その後、退団。シギスヴァルト・クイケンの元で研鑽を積み、レザール・フロリサン、コレギウム・ヴォカーレ、ラ・プティット・バンドと言った、有名古楽楽団のメンバーとして活躍。更に、ソリストとして、コンサートやレコーディング活動を活発に続けている。

『シャコンヌへの道』は、そのタイトルが示すとおり、J.S.バッハのシャコンヌ(無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番の例の曲、念為)は1日にして成らず!と言うことを1枚のCDで語ろうと言う企画。

まずは、バルツァーのプレリュード&「ジョン、来て、キスして」によるディヴィジョンからスタート。スコットランド民謡の変奏曲であるこの曲、解説によれば、プレイフォードの「ディヴィジョン・ヴァイオリン」に収められているものとのこと。プレイフォードと言えば、『イングリッシュ・ダンス・マスター(イギリス舞踏指南)』で有名な、楽譜出版者である。楽しく、時にメランコリックな作品の多いプレイフォードの音楽帳だが、このディヴィジョンもその中にすんなり収まりそうな作品だ。ここからシャコンヌへ…え?って感じだけど、この意外性は面白い。

続いて、ヴェストホフの無伴奏ヴァイオリンのための組曲第1番。ヴェストホフは、ドレスデンを中心に活躍したヴァイオリニストでビーバーとも並び賞されるほどの名手だったらしい。無伴奏ヴァイオリンのための組曲は6曲あって、そのうちの第1番がこのアルバムに収められている。J.S.バッハの作品に比べると、やや地味に感じられるが、ヴァイオリンの名手の作品だけあって、高い技術の求められる作品である。さらに、この6つの組曲は何れも、5線譜ではなく、8本の線によって、記譜されている。いろんな意味で、まだまだ自由だったバロックを感じさせるものだ。故にバロックは面白いんだけれども、演奏するほうとしては楽譜を読むだけでも、一苦労しそうである。ちなみに、ヴェストホフがドレスデンの宮廷楽団で活躍した時期とJ.S.バッハがヴァイマールで宮廷楽士をしていた時期が重なっていることから、この6つの組曲はJ.S.バッハの作品に少なからぬ影響を与えたのではないかと言われている。

お次、ビーバーのロザリオ・ソナタからパッサカリア。前にも出てきたが、ビーバーはバロック期における最も有名なヴァイオリンの名手である。中でも、ロザリオ・ソナタは有名な作品で、古楽運動が盛んになってから、バロック・ヴァイオリニストたちが盛んに取り上げるようになった。モダン楽器では、殆ど見向きもされていなかった作品かもだけど…ありがたいこってて。その名の示すとおり、ロザリオ信仰にちなんで作曲されたもので、15の秘跡に沿って曲は進められていく。パッサカリアは16曲目、つまり番外編である。この曲だけ無伴奏ヴァイオリンで奏でられる。なんというか、ざっくりな感想で申し訳ないが、とてつもなく美しい曲である。よし!決めた。今決めた。この曲を演奏することを最終目標にヴァイオリンのレッスンをすることにしよう(無謀)。個人的なことは置いといて…たぶん、バロックの無伴奏ヴァイオリンのための作品としては、J.S.バッハの作品に次いで演奏される機会の多い作品。寺神戸さんのライナーノートによるとJ.S.バッハの作品にも影響を及ぼしている可能性があるとか…。

続いて、テレマンの無伴奏ヴァイオリンのためのファンタジアより第1番と第7番。テレマンについては、まぁ、いいだろう。ヴァイオリンの作品に限らず、バロック期における最も有名な作曲家の1人。J.S.バッハと同時代の作曲家にして、大の仲良し。当時は、J.S.バッハよりもテレマンの方が人気があったと言う。そんなわけで、無伴奏ヴァイオリンのためのファンタジアは『シャコンヌの道』には欠かせない作品。全部で12曲あって、寺神戸さんは、後に全曲を録音している。テレマンらしい小難しくなく、親しみやすい曲調が魅力的な作品だ。12曲、CDにして2枚分だが、あっという間に聴けてしまう。うん、時間の無駄と言う意味ではない…よ…っと。

シャコンヌの前の最後の曲は、ピゼンデルの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ。ピゼンデルは、ヴェストホフと同じくドレスデンの宮廷で活躍したヴァイオリニストである。この人も名手として知られており、ヴィヴァルディやテレマンから曲を献呈されるほどであったと言う。J.S.バッハとも交流があり、ピゼンデルのために無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータを作曲したのではないかと言う説もあるほどである。作曲するに当たっても、ピゼンデルの影響は指摘されており、この無伴奏ヴァイオリンのためのソナタは、J.S.バッハの参考になったのではないかと考えられている。当然ながら、この作品も技術的には非常に難しい。派手さはあまりないが、劇的で内容の濃い作品だ。

そして、最後。シャコンヌ。それと、おまけで無伴奏チェロ組曲第6番よりガヴォットを無伴奏ヴァイオリン用に編曲して収録してある。デザートみたいなもの。ちょっとホッとする。これを最後にもってくるのって、反則じゃないか?ってくらい綺麗に決まっている。

と以上のようなプログラムなんだが、もちろん、これはJ.S.バッハ以前の無伴奏ヴァイオリンのための作品の一部であって、ほかにもたくさんの作品がバロックにはある。宝の山。寺神戸さんはその中から、見事なプログラミングで、意欲的なアルバムを作ってくれたわけだ。実に綺麗に、シャコンヌまでの道筋が見えてくる。サヴァールなんかが、好きそうな企画物だけれども、日本人でもこれだけのことができるのだと。演奏も見事な表現力で素晴らしい仕上がりだ。この演奏力があっての、この企画だと思う。マスコミが騒ぎ立てるだけのクラシックじゃなくて、こういう本当に良い仕事をしている人と言うのは、いち音楽ファンとしては、最大限の敬意を払って、出来る限り応援させていただきたいと思う。

なお、このCD、今なら国内盤で1,050円!寺神戸さんの解説も付いている(この記事を書くにあたっても参考にした)。J.S.バッハから一歩踏み出して無伴奏ヴァイオリンの演奏に興味がある人は必携。


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