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■ 佐賀!

野暮用で佐賀に滞在中。東京から佐賀に行くには、もちろん飛行機なんだけど、さて、どの空港に降り立つべきなのか。佐賀空港と言うのがあるのだけれども、便は決して多くはない。なので、佐賀駅から1時間ばかり行った所にある福岡空港を使う人も結構多い。

と言うわけで、おいらも福岡便を取った。しかし、取った便が、B787使用予定だったため、欠航。福岡便なんてたくさんあって、その中の数本しかB787は使われていないのに、よりによってその数本を選んでしまったのだ。それで、振り替えてもらえることになったんだけど、今度は福岡便にちょうどいい時間の便がなくて、佐賀便に振り替えてもらうことにした。ところが電話で問い合わせると同じ路線以外の振り替えはできないと言う。確かに、福岡に行く予定だった人が、急に札幌と言われたら、ちょっと困るだろう。しかし、おいらも困る。とりあえず、保留にしておいて、暫しの考慮の後、再び、問い合わせをして、再度、佐賀便にして欲しい旨伝えると今度は上司と相談して、折り返し連絡をくれると言う。それで、結局は、無事佐賀便に振り替えることができた。

そんなことがあって、さて、今日、羽田空港に向かったのだが、今度は、佐賀便が遅延。理由は、使用機材のトイレ故障のため。oh…。そして、機材変更。30分遅延。欠航+遅延と言う散々なフライトだったが、代替機ががんばって15分遅れまでに縮まった。

んで、佐賀。SAGAの歌のせいで、だいぶ、マイナーなイメージがついているかもしれないが、全国的に有名なものも多い。伊万里焼と有馬焼、呼子のイカ、佐賀牛、吉野ヶ里遺跡、唐津どんたく…。まぁ、派手に栄えているとは言えないし、福岡と長崎にはさまれて、目立たない存在かもしれないけれども、そこそこ見るものはあるんじゃなかろか。

地味な名産もあって、今日はじめて食べたのが、わらすぼ。凶暴な容姿の魚である。アナゴのように細長いんだけれども、頭はでかい。しかも、鋭い歯がむき出し。なかなか、説明し難いので、興味のある方は調べてみて欲しい。こんな容姿の生物が地球上に、しかも、日本に生息していて、食用になっているとは…。

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■ CD離れ

イギリスのHMVが倒産した。日本のHMVは別法人なので関係ないのだが、数年前のTower Recordsの倒産に続く、大型倒産だ。もはや、店頭でCDを売る時代は終わってしまったのだろうか。

この手の話になると必ず出てくるのが、Amazonだ。大量の在庫を抱え、しかも安い、と言うイメージ。クラシックCDでもそう。店頭の管理をする必要がないから、安くできるっていう道理だ。しかし、日本の場合、実際には、AmazonよりもHMVの方が安いことは、よくある。もちろん、店頭では敵わないが、Onlineでは、互角と言っていいと思う。イギリスではどうだったかは、わからないけれども、Amazonの存在だけを、倒産の理由にするわけにはいかないだろう。一因にあるとしても、である。

じゃぁ、何か、と言えば、単にCDが売れなくなっている、ってことだと思う。まぁ、ホントの理由は知らないけれども、兎に角、CDが売れなくなっていることは確かであって、HMV倒産の一因になっていることは容易に推察することができる。おいらみたいに、CDをよく買う人は少なくなってきていて、どちらかと言うと、古いタイプの人間に分類されてしまっているのだ。じゃぁ、CDを買っていない人は、音楽をどうやって入手しているのか。答えは簡単で、ネットで落としているんである。iTuneなんてのが、その代表だろう。しかし、これだって、どれだけ広がっているのかわからない。CDの売り上げが減った分を補うほどのものではないだろう。

と言うことは、みんな音楽を聴かなくなっている、と言うことだ。なんでか。趣味の多様化が劇的に進んだせいだと思う。昔は、流行の歌とか有名なTV番組の最新ネタを知らないと、非常識人扱いをされたけれども、最近はそういうことがない。そもそも、流行歌と言うものが少ない。昔の中高年は、TVで流れている音楽を聴いて、若者の文化を察することができたけれども、今は、そう簡単ではなくなっている。TVに洗脳されて、一斉に同じ方向を向くということをしない。その結果、TVでしか音楽を得ていなかった層が、CDから離れていった(たぶんこの人たちは、そもそも音楽に興味がないんだろうけれども)。

何の裏付けもない、おいらの妄想半分な仮説だけれども、そんなことで、日本では音楽離れ、CD離れが進んでいると勝手に信じている。イギリスでも、同じような状況だったのかもしれない。

さて、それで、だ。クラシックはどうなのか。時たま、のだめブームのようなことは起きるけれども、基本的にはTVに流されて云々とか、流行が云々と言うのはない。とは言え、メジャーレーベルが、スター演奏家のCDを製作すれば、必ず売れるという時代は確かにあって、今はそうではなくなっている。ここでも趣味の多様化が進んでいるんじゃないだろうか。メジャーレーベルが大苦戦している半面で、小さなレーベルがどんどん出てきて、面白い企画のCDを提供してくれている。たぶん、これは大して売れていない。でも、そこそこやっている(んじゃないかな?)。結局、同一のものを大量生産して大量消費すると言う時代ではなくなっているのだろう。それは、ポップスと同じかもしれない。ただ、クラシックの場合、ポップスに比べてデータ配信がそれほど進んでいるとは思えない。これは今後どうなっていくのか、興味深く見守っていくしかないだろう。

いずれにせよ、時代に合わせて対応していかなければならないだろうけれども、クラヲタとしては、良質な音源が安定的に供給され続けることを祈るばかりである。

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ピゼンデル…と言う名前に最近、滅法弱い。ピゼンデル自身の曲も魅力的ではあるんだけれども、彼のために作曲した音楽に素晴らしいものが多いのだ。J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータも彼のために作曲したと言われているし、ヴィヴァルディやアルビノーニもいくつか曲を書いている…と言うことは、このブログでこれまでも書いてきた。ちょっとしたマイブームになりつつあるのだ、ピゼンデルとその仲間たち。つっても、さほど、CDがたくさんリリースされているわけではない。バロック・ヴァイオリンを堪能するにはこの上ないテーマだと思うんだけれども。

と言うわけで、このテーマのCDを1枚紹介しよう。タイトルはPer Monsieur Pisendel。そのまま訳せば、「ピゼンデル氏のために」となるのだろうか。HMVでは、「ムッシュー・ピゼンデルが弾くために」となっている。まんま、上記のテーマに当てはまるタイトル。サブタイトルに、Six Virtuoso Violin Sonatas of the Baroqueとなっている。作曲家は、ヴィヴァルディ、アルビノーニ、そして、ピゼンデル自身である。ヴィヴァルディの作品は、“ヴィヴァルディからムッシュー・ピゼンデルのために”と言う一文が付された、RV.6とRV.2のソナタである。アルビノーニの作品は、So.32とSo.33のヴァイオリン・ソナタで、こちらにもピゼンデルのために作曲した旨、一文が付されている。これに加えて、ピゼンデルの2つのソナタ、それからヴィヴァルディかピゼンデルのどちらかが作曲した、ヴァイオリンと通奏低音のためのサラバンドが収められている。ピゼンデルを満喫するには最高のメニューだ。

演奏しているのは、バロック・ヴァイオリニスト、エイドリアン・チャンドラーと彼の創設したラ・セレニッシマ。当然、ピリオド楽器の楽団だ。2002年の録音で、これがこのコンビのデビュー盤。チャンドラーは、ガブリエリ・プレイヤーズやニュー・ロンドン・コンソートで活躍した後、この楽団を立ち上げている。サウサンプトン大学の特別研究員。と言うわけで、イギリス人。イギリスで古楽と言えば、ガーディナーであり、ピノックであり、ホグウッドである。イタリアやドイツとは、ちょっとわけが違う。穏健派と言うほどではないけれども、過激じゃない。

が!チャンドラー&ラ・セレニッシマは、少々事情が異なる。デビュー盤以降リリースするCDがヴィヴァルディばかり。イギリスの古楽奏者で、ここまでヴィヴァルディに執着している人っているだろうか。ヴィヴァルディのスペシャリスト。と言うことは、おとなしく収まるはずがない(笑)。イギリスの紳士なので、イル・ジャルディーノ・アルモニコやエウローパ・ガランテのようにド派手にはぶっ飛ばさない。あれ、人によっては下品に聴こえてしまう。チャンドラーは、そんなことはしない。しかし、軽快に、スリリングに駆け抜ける。ピゼンデルのニ長調のソナタの終楽章の空駆けるような心地よさ!
ホ短調のソナタの2楽章の哀愁を帯びた疾走感!綺麗だし、ノリがいいので、頭の中と言うより、体の中にスッと入ってくる。ヴィヴァルディの曲も、鮮烈だし、やたらカッコいい。さすがスペシャリスト。アルビノーニは、今まで、あまり聴いてこなかったけれども、これも素晴らしい。つか、凄過ぎる(笑)。アルビノーニってこんななのか。熱くなり過ぎずに、スタイリッシュで過激なイタリア・バロック…最高じゃないか。どの曲も良いんだけれども、このCDは演奏者に耳を奪われる。

実を言うと注文するに当たっては、企画に釣られただけで、「チャンドラー?だれそれ?」って感じだったんだけれども、あっという間に、ファンになってしまった。と言うわけで、今後要注意。レーベルは、AVIE。モニカ・ハジェットもこのレーベルだったよなぁ。ちょっと、AVIEのホームページでカタログチェックしてみようか。

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ザルツブルクとか、ルツェルンとか…ヨーロッパの夏の音楽祭って、出演するオーケストラの豪華さだけでもファン垂涎、あー、羨ましい!となるわけだ。音響は、まぁ、いいとして…。

しかし!である。そんな、悶々としているクラヲタはサントリー・ホールの2013年10月末から11月中旬のカレンダーを見てみるといい。まず、10月30,31日にビエロフラーヴェク指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団、11月5日にパーヴォ・ヤルヴィ指揮パリ管弦楽団、11月8~17日にティーレマン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、その間の11月16日にヤンソンス指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、11月18,19日にラトル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団。しかも、ウィーン・フィルはベートーヴェンの交響曲全曲とピアノ協奏曲全曲(こちらは指揮、ピアノにブッフビンダー)を演奏する。

この間僅か、3週間。しかも、あくまでサントリーホールだけで、だ。ほかにも、11月には、ハーン&グリモーをソリストに擁したネルソンス指揮バーミンガム市立交響楽団、パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニーが来日予定。この状況、適当に名前を付してしまえば、世界的な音楽祭が出来上がるんじゃないか?恐るべし。

とは言え、これだけの演奏会、全部行ける人なんていないと思う。ウィーン・フィルのベートーヴェンの交響曲全集なんて滅多に聴けるもんじゃないが、全部聴いたら、S席だと10万は軽く飛ぶ。他のコンサートを全部チケットを買うとすると30万円を超えてくる。アジアのザルツブルク音楽祭…。裕福な人は行ってみればいいさ(僻)。

おいらは、そうだなぁ~、ビエロフラーヴェク指揮チェコ・フィルは外せないかな?1990年代初めに政治的な(?)事情で、僅かな期間コンビを組んでいた両者が、昨年、再び、コンビを組んだ。その後の初来日。漸く、チェコ・フィルの座に舞い戻ってきた現在最高のチェコの巨匠、うまくいけば、チェコ・フィル黄金期の再来になるだろう。

何はともあれ、秋が楽しみ。チケット争奪戦は、6月頃からかなぁ。分散するから、割と取りやすいと踏んでいるけど(笑)。

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■ 高知!

野暮用で高知にいる。たぶん、3回目。高知と言えば、3大がっかり名所のはりまや橋。3大?いやいやいやいやいや。ダントツでしょ?(笑)でも、3回目になると不思議と「これはこれでいいんじゃないか?」と思えてくるから不思議。別に「行きたい!」ってほどのものじゃないけれども、街中にあるモニュメントのひとつだと思えばいい。名所として持ち上げ過ぎたから、「がっかり」になってしまったんだと思う。そっとしておいてあげればよかったのだ。ちなみに、今の橋は、平成10年竣工だそうだ。

さて、高知と言えば、「うまいもん」。誰でも思いつくのが鰹のたたき。ポン酢でも塩でも美味しいんだけど、とにかく、温かいうちに食べるのが良い。ここのは氷水に浸さないので、ほのかに温かい。これが良いのだ。ニンニクのスライスとたまねぎなどと一緒に戴く。それから、うつぼのたたき。うつぼは外見だけで、嫌われるけれども、プニプニしていて美味しい。このプニプニ感は冷めると消えてしまうので、鰹のたたき以上に早めに食べる必要がある。他には、四万十川の青海苔、土佐清水のサバ、鯨など。食べる機会があれば、四万十川のうなぎや鮎も良いんじゃないだろうか。高知は美味いもの県だと思う。島根県だけは行ったことがないけれども、おいらの46都道府県の経県では、5本の指に入る。

まぁ、食事が美味ければそれでいいといえばいいんだけれども、一つ不満が…。寒い!南国とか言っているのに、東京より寒い。夜半に雪が降るとの予報も。降らないと思うけど(笑)。

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古典派ってピリオド奏法的には端境期のように見える。バロック以前の音楽は古楽器での演奏が優勢で、ロマン派以降の音楽はまだまだモダン楽器の演奏がメジャーだ。で、古典派はと言うと、どっちがメインと言うこともない。古楽オーケストラの演奏も盛んだが、モダン楽器のオーケストラもこれまで通りレパートリーとしてしばしば演奏会で取り上げ、録音もしている。もちろん、時代の流れと言うものはあって、モダン楽器であってもピリオド奏法が取り入れられていることは、今日のヨーロッパのオーケストラでは珍しいことではなくなった。

で、さて、この何とも微妙な時期をメイン・レパートリーとしている楽団が、コンチェルト・ケルンである。このブログで何度か取り上げているので、改めてくどくど書くつもりはない。古典派のマイナー作品を中心に数多くの録音を行っている楽団である、とだけ書いておこう。残念ながら、来日公演はこれまだたったの1回だけ。2回目が今年あるんだけれども、歌手の伴奏としての来日なので、コンチェルト・ケルンを満喫するって言うほどのものではない。そうじゃなければ確実に行くんだけれどもね。

と言うわけで、今日はコンチェルト・ケルンのCDをご紹介。“Mozart Concerto Koln”と言うタイトルの1枚。2006年、モーツァルト生誕250年の時のCDだから今更感満載だが、ふと気になって買ってみた。正直に言えば、発売当時は、「コンチェルト・ケルン?マイナー専門でしょ?なぜ、モーツァルト?」と気軽に考えていた。しかし、思い返してみればわかるはず。マイナーだって、この人たちの音楽は、飛び切り面白かった。メジャーな曲だって、ありきたりに終わることはない。と言うわけで買ってみた。

メニューは、『魔笛』序曲、バレエ『レ・プティ・リアン』より抜粋、グラン・パルティータから第3楽章、ディヴェルティメントK.136、『劇場支配人』序曲、アイネ・クライネ・ナハトムジーク。名曲集でありながら、ちょいちょい玄人好みしそうな演目を挟めてくるあたり、“らしさ”を感じさせる。

1曲目の『魔笛』からいきなりアグレッシブなコンチェルト・ケルン節を炸裂させる。「超名曲でも一筋縄ではいかなかったか」と言う満足感と妙な安心感。続くどの曲もハイスピードで突っ込んでいく。K.136だって優美なだけでは、許してもらえない。引き締まったリズムに乗って、キビキビと歌い上げていく。アイネ・クライネも切れ味のいい刃物でメロディが切り抜かれていくようだ。低音も良く鳴って、ノリが良くって、カッコいい。食傷気味ですらある超有名曲を、これほどまでに新鮮な響きを持って聴かせてもらえると、また違った魅力があることを思い知らされる。

なお、この録音で、コンサート・マスターを務めているのは、アントン・シュテック。ヴィヴァルディやピゼンデルの録音でも素晴らしい演奏を披露してくれている名手である。ジャケットは、新宿に迷い込んだモーツァルトの後姿。殆ど日本に来たことのない彼らのCDのジャケットになぜ新宿が選ばれたのか…謎。

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原曲主義とでも言おうか、おいらもそうなんだけれども、作曲者の指示した編成、楽器での演奏が一番リスペクトされる。大体の曲ではそうだ。一昔前、今ほど、古楽器での演奏が盛んではなかった時代、どうしてもJ.S.バッハを演奏したかった人たちが、巨大なハリボテのようなオーケストラ編曲ものを作り出したりしたけれども、結局は、J.S.バッハの良さを存分に引き出したとはいえなかったと思う(ストコフスキーさん、ゴメンナサイ)。中には面白いものもあるんだけれども、それは編曲というより、編曲者のオリジナリティが色濃く出たものである場合が多い。

やはり、作曲者はその楽器のことを考えて作曲したのだから、その楽器で演奏するのが一番良いのだ!とか何とか言って、古楽には楽器が指定されていないものも多いんだけれどもね。ホントは、そんなにこだわっていない(汗)。

さて、こんな前振りをしておいて、今回は編曲もの(笑)。J.S.バッハのシャコンヌ。無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番の最後にドテッと居座っている長大なあいつである。5曲のうちの1曲なのに演奏時間は、半分近くに及ぶ。圧倒的な存在感。内容も凄くて、無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ全6曲の中でも、特に目立つ。

そんな訳で、「あんな凄い曲がヴァイオリンのためだけだなんて…」と嫉妬(?)したほかの楽器のために、様々な編曲が作られてきた。中でも、有名なのはピアノ版だろう。

J.S.バッハの時代は、まだまだピアノはメジャーな楽器ではなく、鍵盤楽器の中心は、チェンバロだった。ところが、古典派の頃にフォルテ・ピアノが出てきて以降は、ピアノはどんどんメジャーになっていき、ロマン派の頃には、すっかりブルジョワ階級のオジョーサマのお習い事に定着した。今でも、お上品なクラシック=ピアノのイメージを持っている一般人は多い。あんまりピアノ作品を聴かないクラヲタであるおいらとしては、心外だし、大いに反論したいところであるが、まぁ、世の中そんなものである。

だから!シャコンヌもピアノで弾きたい!と言うわけで、ピアノ編曲を3つばかり集めたCDを紹介してみよう。演奏者は、エドナ・スターンと言う女流ピアニスト。1曲目にブゾーニによるものを持ってきている。これは、ど派手でJ.S.バッハの世界が華麗に吹っ飛んでいる。「こんなん、シャコンヌじゃねー!」と泣きながら走り出したい気分だけれども、詰まらないかと言うとそういうわけではない。正直、なかなか面白い。これはこれとして聴けばよし。続いて、ルドルフ・ルッツと言う作曲家が、エドナ・スターンのために編曲したものが収められている。ブゾーニに比べると地味。響きは、ちっともJ.S.バッハっぽくない。最後に、ブラームスによる左手のための作品。まぁ、もともとヴァイオリンのための作品だから、指は5本あれば事足りるんだよね。割と、原曲に忠実。エドナ・スターンの演奏も、まぁ、無難な演奏。

で、最後に、原曲を持ってきてしまう。これ、ね、あー、今までのはなんだったのか…と(笑)。「やっぱ、この曲は、ヴァイオリンが最高だな!」という落ちになってしまうじゃないか。演奏は、アマンディーヌ・ベイエ。先日、無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータの全曲録音をこのブログでご紹介した女流バロック・ヴァイオリニスト。ピアノの方は、作曲者が作曲者なだけに、全てモダン楽器だけれども、原曲版はバロック楽器で勝負を仕掛けてきた。これが、ピタッと決まる。キリッと張り詰めた、美しくも厳粛な響きが今までのピアノの邪道を糺して行く。

なんとも面白い企画CDだった。レーベルはZig-Zag Territoires。このレーベルは、ホント質の高いCDを作ってくるなぁ。お値段は高いけど。カビかかったような録音をまとめて安く買うより、こういうCDを1枚買うほうに魅力を感じてしまう今日この頃。このデフレの時代を思い切り逆行しちゃっているけど、応援したいレーベルだ。

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ちょっと前に久し振りにナイマンのCDを買った。

ナイマンと言えば、無限ループ地獄のミニマルだが、映画音楽を作曲するくらいで割とメロディアス。だもんだから、ゲンダイ音楽に苦手意識のある人でも、すんなりとナイマン・ワールドには入っていける。同じミニマルでもライヒなんかは、はじめて聴かされた人は「なんだ、これ?」と思ってしまうだろうけれども、ナイマンにはそれがない。かっこいいし、なんだか、心地よい。退屈なんだが、心地よいのだ。そして、よほどインパクトのある曲以外、「あれ?これ、なんだっけ?」と曲名が思い出せない(汗)。ナイマン節が炸裂すると、「これでいっか…まぁ、曲名とかどうでもいいや」となる。これはおいらが適当なだけか(笑)。

今回は、ピアノ・トリオ集。つっても、ロマン派の楽曲のようにピアノ・トリオ第何番と言うものじゃなくって、ピアノ・トリオの編成による音楽集になっている。

1曲目のPoczatekはナイマンが映画のために書いた音楽から一部を抜粋したもの。2010年の作曲なので、わりと新作。軽快なテンポに乗って、ナイマン特有の憂鬱なメロディが、浮かんできたり消えていったり。ヴァイオリンとピアノとチェロのメロディのやり取りも心地よい。

2曲目はThe Photography of Chance。2004年の作品。ユタ州の大自然を称えるために作曲したということ。うーん、大自然ねぇ、これが。ヴァイオリンがか細く囁く様は、仄暗く寂しいアメリカの田舎町の日暮れ時を思い出させる。雄大な音楽でなく、アメリカの大自然を表現しているという意味では斬新なのかも。

3曲目は、Yellow Beach。2002年の作品だが、映画『プロスペローの本』のためにナイマンが作曲した音楽の編曲ものということで、大元はずっと前に書かれた曲と言う事になる。静謐で、茫洋としたヴァイオリンが印象的な部分と、闊達なピアノがリズムを刻む部分が入れ替わりに現れる。最後は闊達に、そして、唐突に終わる。この唐突に終わるってのが、ミニマルというか、ナイマンの味である。終わりが予想できないというか、「あ、あれ?」って終わってしまうので、妙に落ち着かないというか。

最後は、Time Will Pronouce。1992年の作品。このCDの作品の中では一番古いもので、20世紀の作品。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争に由来している曲。ヴァイオリンが悲痛に響き渡る。テンポが速くなっても、ナイマンの軽快さは、冷たく、音楽を奏でていく。ふと、ライヒのDifferent Trainsを思い出させる。

演奏はフィデリオ・トリオ。はじめて聞く名前だが、現代音楽のCDをいくつかリリースしているみたい。硬質で無機的な響きが、ナイマンの音楽をメカニックに仕立ててあげている。レーベルは、MN Records。MNは、Michael Nymanの略だろう。ナイマンのためのレーベルだ。自主制作と言うことになるのかな?以前、argoから出ていた、弦楽四重奏曲集なんかも、リリースしている。このピアノ・トリオのための作品集は、2010年に録音され、昨秋リリースされているので、このレーベルのオリジナル音源だと思われる。今後どんなCDがリリースされるのか、少し楽しみなレーベルだ。

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CDが出たら必ず買いたいと思う指揮者ってのは、そんなに多くはない。今は、ビエロフラーヴェクとスラットキンくらい。彼らにしたって、演目によっては、“必ず”ではなくなるんだけれども、まぁ、大体は買っている。

さて、今回は、スラットキンの番。ラヴェルの管弦楽曲集。ナクソスからのリリース。スラットキンは、TELARC→RCA→CHANDOS→NAXOSと契約レーベルを移してきた。時によって、VOXやEMIにも録音したが、主な流れは、これで間違いがないはず。TELARKとRCAがセントルイス交響楽団時代、CHANDOSがBBC交響楽団時代、NAXOSがデトロイト交響楽団とリヨン国立管弦楽団時代、つか、今。権威主義的、と言うか、ブランド主義的に言えば、RCA時代がピークになるんだろうか。EMIにいくつか録音したのもこの時代だ。メジャーレーベルにたくさんの録音を残した、と言うことになる。

しかし、今日、6大メジャーは過去の栄華、スタジオ録音の音源なんて、よほどの大物指揮者だって、なかなか出てこない。古楽系のレーベルは活発に活動をしているが、メジャーレーベルは過去音源の焼き直しでどうにか凌いでいるようにしか見えない。そんな中、NAXOSと定期的にスタジオ録音の新譜が出てくること事態、日本のファンとしてはありがたい限りだ。ちょっと前には、リヨン国立管弦楽団と幻想交響曲をリリース、その前には、デトロイト交響楽団とラフマニノフの交響曲第2番をリリースした。

そして今回のラヴェルである。オーケストラは、リヨン国立管弦楽団。スラットキンは、2011年からこのオーケストラのシェフに就任している。リヨン国立管弦楽団は、前任者の準・メルクルとドビュッシーの管弦楽曲全集をNAXOSに録音しているが、後任者のスラットキンとは、ラヴェルの管弦楽曲全集をリリースする予定となっている。

と言うことで、今回が第1弾。何弾まであるかは知らないが、これは今後が楽しみな企画だ。第1弾の演目は、こちらを参照。のっけから、道化師の朝の歌とか、スペイン狂詩曲とか、ボレロとか…今後はどんどんマニアックになって行くしかないんじゃないのか。あんまり、ラヴェルは詳しくないけれども(汗)。

演奏は流石と言うか、スラットキン節炸裂で、ファンにはたまらない。ゴツゴツ鳴らない、スマートでカッコいいラヴェル。古風なメヌエットの透明感、スタイリッシュなスペイン狂詩曲。これはスラットキンならではの心地よさ、美感。ボレロも耳障りじゃない。盛り上がるけど、がなり立てないから、安心だ。リヨン国立管弦楽団は、超一流の楽団ではないが、フランスらしい雰囲気を持ったオーケストラ。スラットキンの指揮が、そんなオーケストラを上手く仕立てて上げていく。さすが名匠だ。なるべく、長くコンビを組んで、面白い仕事を続けていって欲しい、とは思うけど…。

それにしても、こんなクオリティの録音がNAXOSからねぇ。時代は変わった…。ジャケットが相変わらず垢抜けないのは何とかならないのか…。

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あけましておめでとうございます。新年もよろしくお願いいたします。

今年も、めでたくニューイヤー・コンサートが行われたようだけれども、どうだったんだろう?日本から見るとスター指揮者が順番で登壇して、それを観るのが楽しみだったりするわけだけれども、このコンサートが、こういう制度になったのって、さほど歴史があることじゃない。

1939年から始まって、1986年までに登壇した指揮者は極僅か。創始者のクレメンス・クラウスが12回、そのあとを継いだコンマスのウィリー・ボスコフスキーが25回、更にそのあとを継いだロリン・マゼールが7回。それと戦後の2回はヨゼフ・クリップスが登壇したけれども、たったこれだけ。

それが今みたいになったのは、1987年にヘルベルト・フォン・カラヤンが振って以降。次年度の指揮者は楽団員の投票によって決められるが、この制度が始まったのが、その頃なんだろう。

なお、今年の指揮者はフランツ・ヴェルザ=メストだったが、来年はダニエル・バレンボイムが振る予定となっている。オーストリア人なんだし、ヴェルザ=メストが人気なんじゃ?と思ったけれども、1987年以降、2年連続で登壇した指揮者はいない。連続で選ばないと言うルールでもあるんだろうか。

個人的には、そうだなぁ…アーノンクールあたりをもう1回見たいかなぁ。

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