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ケルト…と言う言葉を聴くと、妙にわくわくしてくる。頭の右の方からワサワサワサ~ッと厨二病が湧いてくる。なんつうのかな、伝説の勇者が古の壮大な世界で活躍するRPGの世界に迷い込んでいくような、そんな気がするんである(RPGやんないけど(汗))。一言で言えば、神秘。歴史のロマン。

ケルトと聞いただけで、わくわくしてしまうのに、ケルト音楽と言うどうしようもない味わい深いものがある。ケルト音楽を聴きながら、目を閉じれば、一気に気分は古のヨーロッパだ。もしも、当時と同じ音楽が流れているとしたら、体験感覚は、当時の人たちと同じわけだ。なんと、見事なタイムスリップ。音楽は簡単なタイム・マシンだ。まぁ、ケルトに限らず、古楽ってそう言うところにも魅力があるんだと思う。カルミナ・ブラーナ(オルフのやつじゃなくってオリジナル)なんか聴いちゃうと、もう、中世の寺院の裏道を歩いているような気分になるのだ。ヨーロッパに行った時の記憶で補填しながら…。

さてさて、話を戻そう。まぁ、そんなわけで、ケルトという言葉の付いているCDを見るとついつい手が伸びてしまうんだが、これは少し考えた方がいい。そもそも、ケルト音楽って何かと言うと、これが実に杳として掴めないものなのだ。漠然とイギリス、特にスコットランドあたりの音楽かと思うんだが、ケルト人自体はヨーロッパの広い地域に住んでいて、それぞれに文化があった。現存するケルト文化がイギリスにあるというだけ。あ、まぁ、だから、今日的にはイギリスってイメージしときゃいいっちゃいいのかもしれないけど。

ジャンル的にもケルト音楽は縛り難い。よく知られているようにケルト音楽はポップスにも広く浸透している。しかし、ポップスの多くはケルト音楽を基盤としたオリジナル音楽であることが多いようだ。対して、サヴァールがローレンス=キングと組んで録音したケルティック・ヴィオールと言うCDは、古のケルトの響きを実証的に再現しているので、廚二病を発動させるにはよりもってこいだ。メランコリックでどこかもの寂しいような神秘的な響きは、古のケルトに思いを馳せる時には欠かせない。

このようにケルトと言っても音楽は一様ではないのだが、今回は、またちょっとした色もののCDを。ゴールウェイによる『ケルティック・ミンストレル』と題されたアルバムである。ミンストレル…要するに、吟遊詩人である。『ケルトの吟遊詩人』。これは…そそられるタイトルではないか。が、ゴールウェイである。そもそも、金属製のフルートなんざ、ケルトとはあんまり関係ない。あの輝かしい響きは、ケルトになるんだろうか。と言うわけで、買ってみた。ブルーグラスなんかも、心地よく聴かせてくれたしね。

内容は、イギリスの民謡が中心である。Down by The Sally GardensやDanny Boyなんてのも入っている。しかし、イギリスの民謡集をただ単にフルートでやってみましたって感じではない。曲によってはバグ・パイプを使ったりしているせいもあるんだろうが、ケルトっぽさは出しているようだ(それはどんなだと聞かれるとこまるけど(汗))。もちろん、サヴァールのように古の響きがするわけじゃない。サヴァールの音楽が、ケルトだとするならば、ケルト風の音楽。タイム・マシンにはならない。しかし、それでも、やっぱりゴールウェイのフルートは綺麗だし、異国情緒漂う音楽世界は、実に幻想的だ。これはこれで悪くない。ケルティック・ミンストレルと言うよりは、イングリッシュ・ファンタジーと言う気もしないではない。まぁ、これはこれで結構楽しめるので、時折聴くことになるかな。

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ちょい前に、パーヴォ・ヤルヴィのベートーヴェンを持ち上げておいて、なんなんだが、今度はバレンボイムのベートーヴェンを買ったというお話。時代の最先端を行くパーヴォ・ヤルヴィの後に、フルトヴェングラーの影響が強いバレンボイム。まさに音楽は正反対。節操ない?いや、どっちも面白いのだ。

今回買ったCDはウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団との交響曲全集。以前も紹介したが、昨年8月にケルンでライヴ録音されたもの。第3番『英雄』と第4番は現地で聴いた。自慢げに語る(笑)。そして、CDでも、思い出に浸るべく、この2曲ばかりを聴く。

第4番はおいらの中では突っ走るイメージの曲だ(もちろん、2楽章を除く)。たぶん、これはクライバーの刷り込み。あと実は、昔良く聴いていたのは、シェルヘンなので、暴走するイメージもある。そして、パーヴォ・ヤルヴィだ。ランニング・マシーンにでも乗りながら聴きたい。もちろん、ほかの指揮者も聴いているんだけど、一度付いたイメージってなかなか、頭から離れない。それで、バレンボイムなんだが、もちろん突っ走らない。1楽章AdagioからAllegro vivaceに雪崩れ込むところでも、突っかかっていかない。壮大な音響で押し進んでいく。おいらのイメージのこの曲じゃないんだが、圧倒的なパワーで説得されてしまう。これはこれで凄い。

で、これが、第3番『英雄』になると更にツボにはまってくる。どっしり構えて、揺るがない。若いオーケストラのパワーを存分に爆発させながら、滔々と音楽が流れていく。凄まじいスケール感。圧巻。パーヴォ・ヤルヴィのようなキビキビした演奏は、往々にして、その躍動感とか、生命力を感じやすいんだけれども、バレンボイムはその正反対の演奏で、そう言った音楽の勢いも失っていない。だから、当たり前だけど、間延びもしないし、退屈もしない。今更感のある解釈の演奏だが、今日、こう言う演奏するのは、とても意義のあることなのかもしれない。

さて、こう言う演奏を耳にするとよく言われるのが、「本来の」とか。「ベートーヴェンのあるべき演奏」とか言われたりするんだけど、それは違うと思う。これは20世紀のベートーヴェン。古楽のオーセンティックに対する、モダンのオーセンティックなんだろうけど、実際、どんな演奏がベートーヴェンの本望なのかなんてわからない。まだ、古楽の人たちの方が、実証するために検証を重ねているから、「本来の演奏」と言える論拠を持っているわけだ。まぁ、どちらの演奏も楽むのが一番得だと思う、と言う投げやりな結論。

なにはともあれ、お勧めの全集。値段も新譜とは思えないほど安い。技術面を細かく気にせず、楽しもう!

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NHK交響楽団の首席指揮者にパーヴォ・ヤルヴィが就任することになった。2015/16シーズンから。

えーっとぉ…これはどこから突っ込んだらいいのかわからないが、とりあえず、役職から。首席指揮者ってなっているんだが、これは何なのか。各楽団によって指揮者の役職名は違うとしても、N響ってどんなだっけ?よく覚えていないんだが、首席指揮者と言う役職名は、N響としては、やけに目新しく見えたので、調べてみた。

結論は、こちらのホームページを見れば、一目瞭然。N響の指揮者には、一貫した役職名はない。名誉指揮者、桂冠指揮者はともかく、常任指揮者、正指揮者、音楽監督と言った一見、その楽団を統べる役職名が、不定期的に出てくる。これを見て思い出した。デュトワが常任指揮者に就任した時に、「久し振りにN響に常任指揮者!」みたいな話を聞いた。これ、ちょっとした話題になっていたと思う(忘れていたけど)。で、おいらは、ウィーン・フィルみたいな体制を取っていたのかと思ったんだが、常任指揮者でなくても指揮者の役職はやたら多くって、これはこれで独特な体制だったのだ。デュトワの場合、常任指揮者と言う役職名でなくて、「一人の指揮者を中心に活動を行うこと」が久し振りで話題になったわけだ。現に、デュトワは2年ほどで常任指揮者から音楽監督になっている。

それで今回のパーヴォ・ヤルヴィである。首席指揮者。先ほどのホームページを見る限り、初登場の役職名である。彼は一体何をやるんだろうか…。つか、どういう決まりでこうも複雑なこととなったのか。

続いて、何で、パーヴォ・ヤルヴィ?と。良いんだけどね、良い指揮者だし。定期的に彼の演奏が日本で聴けるというのは、聴衆としては、嬉しい限り。だけど、しつこいようだけど、何で?

N響に客演した回数が少ないし、そもそも、音楽性が真反対じゃないだろか。N響はドイツ・オーストリア音楽が得意、パーヴォ・ヤルヴィも評価が高い…と言っても、ピリオド奏法を取り入れて、尖鋭的な演奏をするパーヴォ・ヤルヴィの指揮って、保守的なN響に合うんだろうか。ヨーロッパのオーケストラに比べて日本のオーケストラって恐ろしく保守的で、未だに1980年代までの響きを守り続けている感がある。パーヴォ・ヤルヴィによって、ヨーロッパの新しい風が少しでも吹き込んでくれれば有り難いとは思うけど、ドイツ・カンマー・フィルとのベートーヴェンを聴く限り、あの指揮にN響が付いて行けるとは…。

それと、もう一つ、突っ込みどころ。パーヴォ・ヤルヴィ忙しすぎじゃないか?パリ管弦楽団、フランクフルト放送交響楽団、ドイツ・カンマー・フィル…この3つでも異常事態なのに、加えて、東の果ての日本でどんだけできるのか。パーヴォ・ヤルヴィの凄いのは今掛け持ちしている3つの楽団で、上手く振り分けて演奏・録音活動をしているところ。それで、N響はどういう立場になるのだろうか。今後、ほかのヨーロッパのオーケストラにも呼ばれるだろうしなぁ。録音がお世辞程度に1つ2つ出ておしまいになると言うのは避けたい。デュトワの時のように。

まぁ、何はともあれ、楽しみにして待とう。まだ先の話だけれども。

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「ポップスは音楽の大量生産大量消費」みたいな話を聞いたことがあったと思う。どんどん音楽を供給して、あっという間に飽きさせて…みたいな話だったかな。ポップスのシーンも多様化が進んで、TVが音頭を取って、大衆が右向け右をするような時代ではなくなり、いわゆる「流行歌」はなくなっていくんじゃないかと思うんだが、それはそれ。相も変わらず、大量の音楽がどんどん世の中に出ていき、そして、消費されていく。ちょっと前の音楽はもう、「時代遅れ」扱いになり、飽きられ、あるいは「昔は良かった」と崇め奉られる。

一般的にはこう言うのは批判的に語られるんだが、個人的に、これはこれで別にいいんじゃないかと思っている。そう言う楽しみ方があったって良いじゃないか。楽しければそれでよし。音楽なんだし。

で、だ。こう言う、流れの対極にあるのが、我らがクラシックだ。何百年も、人々に聴き継がれ続ける偉大な芸術…とかな。大嘘。大量生産大量消費?負けない。俺たちには古典派、バロックがある。逆に言えば、「俺がいなくなっても作品は永遠に!」なんて、大それたことを考えて作曲し始めちゃったのはロマン派以降。それ以前は、バンバン音楽書いて、バンバン消費しましょう!ってな感じだった。たった1回の演奏会でしか使われなかった曲だってたくさんある。だから作曲家だって、大量に曲を書いて使い捨てし続けた。モーツァルトみたいに自作のリストを作っていた人は珍しいくらい。それで、現在まで聴き継がれている作曲家はごく少ないという状況になった(涙)。

さて、前振りが長くなったが、今日のお話は、そんな古典派の作曲家、ヨハン・ゲオルク・アルブレヒツベルガー。ウィーンのシュテファン大聖堂の楽長を務めた人物である。ベートーヴェンも師事した当時の大物作曲家であるが、古典派の作曲家だけあって、大量の曲を書いて、今ではすっかり忘れられている。

多少演奏されるのがハープ協奏曲とトローンボーン協奏曲だそうだ。おいらは知らない。あと…インパクトがあるのが口琴のための音楽。え?口琴?なにそれ?と言うわけで買ってみた。口琴、ヴィオラ・ダ・ガンバと弦のための協奏曲。古楽器チェリストのクリストフ・コワン率いるアンサンブル・バロック・ド・リモージュの演奏。

聴いてみる。冒頭、なんてことのないありがちな古典派音楽が鳴りはじめる。うーん?と思っているとそこにビヨヨヨヨヨヨ~ンと何とも、脳天気な響きが。何なんだろう、このオーケストラからひときわ浮いた感じは。音楽は、淡々と進んでいくが、第3楽章では超絶技巧っぽい技も披露してくれる。たぶん難しい。これ、ホントに古典派の時代に響いていた音楽なんだろうか。バックの音楽は平凡な古典派音楽なのに、ソロ楽器の音だけが変に斬新。当時の人の感想を聞いてみたい。

つか、口琴ってこの時代では一般的な楽器だったんだろうか?例えば、アルブレヒツベルガーはトロンボーン協奏曲が多少知られているって書いたけど、この時代より前、トロンボーンは教会で使われた楽器だった。だから、一般的にオーケストラには入ってこない(逆に更に昔はヴァイオリンの類は大衆楽器だったので教会音楽には入れなかった)。よく知られた楽器だけど、普通の音楽に入ってくるのは珍しい…と言った感じで、トロンボーン同様、口琴も別の用途でこの時代に使われていたのだろうか。今じゃ、珍しいよなぁ、たぶん。調べてみるか。

なお、このCD、斬新なデザインのケースに入っているので、興味があったら是非。ってお勧めの理由はそこか。併録の曲は古典派マニア向け。モザイク四重奏団が参加しているのがうれしい。

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ミナジのヴィヴァルディが出た。3月にヘンデルのソナタ集が出た時に「次は、ヴィヴァルディが聴きたい」とこのブログで要望を出しておいたら、ちゃんと出た(笑)。まぁ、このタイミングだから、おいらの要望に応じてくれたことは間違いない!…なわけない。イタリア人が、日本語のブログを…なんてな。

そんなことをウハウハ考えつつHMVのサイトでCD紹介を見てみる。ここではじめてミナジのフルネームを知る。リッカルド・マサヒデ・ミナジ。マサヒデ…え?マサヒデ?イタリア語で何の意味?それとも政秀?雅英?将英?昌秀?正英?雅秀?日本人の血入っているのか?そうか…じゃぁ、日本語判るかも、ね。じゃぁ、おいらのブログを読んd(略

さて、今回のヴィヴァルディ、Naiveのヴィヴァルディ・エディションの第51集として2011年10月に収録されたもの。ヴァイオリン協奏曲集としては第4弾だそうだ(第3弾までは別の演奏家)。共演は、いつものムジカ・アンティクア・ローマではなく、イル・ポモ・ドーロと言う団体。パスタ好きには堪らない。演目は、RV.331、171、391、271、327、263a、181。と言ってもピンとこない。CDのタイトルは「皇帝」。このタイトルにあるように神聖ローマ皇帝カール6世のために作曲された曲がセレクトされている。

王様の宮廷で優雅に弾かれたバロック音楽。高貴で上品なヴィヴァルディ…なんて、妄想はもちろん、ここにはない。早いパッセージでめくるめく華麗なヴィヴァルディ・ワールド全開。なぜして、皇帝の御前でこんなノリノリな曲を演奏しちゃったのか。まぁ、ヴィヴァルディらしいので楽しいプログラムだ。

ミナジはこの演目を素晴らしいテクニックと、エキサイティングでありながら明るい音色でさばいてくれる。溢れる美音、迸るメロディ。心地良く、そして、ワクワクしてくる。音楽の楽しみがギュッと詰まったようなCDだ。今まで聴いたヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲集の中でも一番のお気に入りになってしまいそう。やみつきの1枚。

なお、このCDのPVがyoutubeで視聴可能。こちらからどうぞ。なかなか楽しい映像だ。

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ドビュッシー、生きていたら150歳記念イヤー。盛り上がるという言葉が似合わない作曲家の一人だが、一応、超の付く大物なのでちょいちょいCDも出ている。コンサートも開かれているのかな?

個人的には特に何をするということもなく流れているドビュッシー・イヤーだが、今日、街を歩いていて面白そうなイベントを見つけた。東京駅八重洲口からもほど近い京橋のブリヂストン美術館で開催される、「ドビュッシー、音楽と美術―印象派と象徴派のあいだで」と言う企画。オルセー美術館とオランジュリー美術館の協力で開催されるらしい。

多分、おいらがゴールデンウィークにオランジュリー美術館で観た企画と同じだと思う。展示物が全く同じかどうかは判らないけど、同じだと仮定するなら、クラヲタ激推。CDのジャケットや解説書、あるいは、本やネットあらゆるところで見かけたことのあるドビュッシーの肖像画を観ることができるし、自筆譜やドビュッシーが影響を受けた絵画が盛りだくさん。折角、日本でやるんだから『海』にインスピレーションを与えた葛飾北斎の神奈川沖浪裏なんかも展示されると、ドビュッシーの音楽世界がワーッと広がると思うんだが、どうなんだろう。

開催期間は7月14日(土)~10月14日(日)。丸っと3カ月。ドビュッシーの記念イヤーに貴重品がこれだけ長期間、日本で展示されるなんて、嬉しい限り。長くやっているので是非…と言いたいところだが、これだけ長期間だと逆に見逃してしまう人間の難しい心理。早めに行っとこう。

ちなみに、作曲家を題材にしたこう言う展示会って意外と少なくって、これまでおいらが行ったのは、ラ・フォル・ジュル・ネ・オ・ジャポンのモーツァルトくらい。まぁ、基本的に実際音楽が聴けるわけじゃないから音楽家を楽しむには、ちょっとした知識が必要だし、需要はマニアックなのかも。モーツァルトの生家の展示会とかあれば面白いんだけど。

ブリヂストン美術館の特設ホームページはこちら

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最近、日本、特に東京での過去のライヴ音源が次々とリリースされている。ヨーロッパでもその傾向は強いんだが、有名なオーケストラの殆どが集中する音楽の本場なんだからそれは不思議なことではない。それに対して、日本は別に西洋音楽が根付いているとも言えない国だ。その国が、貴重な音源を高音質でリリースし続けている。ヨーロッパの音楽愛好家も垂涎の録音を、だ。日本だけでリリースされているものも多いのかもしれないが、ヨーロッパのCDショップにも日本語の帯が散見されるほどで、何気に日本の音楽ファンって恵まれている部分もあるんだなぁと実感させられる。

さて、そんな日本でのライヴ音源の名盤がまたひとつリリースされた。1974年6月30日に東京文化会館で収録されたノイマン&チェコ・フィルによるスメタナの『わが祖国』である。同コンビの『わが祖国』は1975年にスプラフォンに録音されたスタジオ録音盤が名盤と知られているが、これはその数か月前にチェコ陣営だけではじめて日本で演奏された『わが祖国』の記録である(もちろん、日本初演ではない)。このコンサートはTDKオリジナル・コンサートと言うラジオ番組のためのコンサートで、リスナーの公開募集には11万5千通もの応募があったという。こんなコンサートが極東のラジオ番組のために開かれ、無料で聴けたって言うのだから、羨ましい限りである。

このTDKオリジナル・コンサートの演奏は比較的良質な音源が残されているため。これまでもいくつかの素晴らしいCDがリリースされていたが、この『わが祖国』は伝説的な名演として知られているものだったとのこと。

『わが祖国』と言う曲は、いたってチェコローカルな響きの音楽なのだが、“伝説的名演のライヴ録音”が多い。古いものではアンチェル&チェコ・フィルの1968年、プラハの春事件直前のライヴ録音、それから、クーベリックのチェコ復帰コンサート(チェコ・フィル)、その後に行われた同コンビによる東京でのライヴ録音、それから同指揮者によるバイエルン放送交響楽団とのライヴ録音、ビエロフラーヴェクもチェコ・フィルとライヴ録音を出していたはずである。そこに新しく、今回の録音が加わった。まさに名盤の宝庫である。殆どがチェコ・フィルと言うのはやむを得ないが、『わが祖国は』実に録音に恵まれた曲である。

演奏は、真っ向勝負、まったく気を衒わない。それでいて熱気を帯びていて聴いているだけでテンションが上がってしまいそうだ。収録会場となった東京文化会館は今でこそ東京のコンサート・ホールの3番手以下だが、当時は外来の楽団の多くはここでコンサートを開いていた。このホール一杯に、ノイマンとチェコ・フィルの響きが広がっていく。当然、聴衆は熱狂。その様子もこの録音はよく伝えている。国内盤と言うことで少々値段が高いのが難点だが、この名曲のファーストチョイスに選んでも、良いような出来である。

そう言えば、ドヴォルザークの交響曲全集の旧盤を録音したのもこの頃。スタジオ録音なので今回の録音ほどの熱気はないが、やはり同傾向の演奏で成功を収めている。ノイマン&チェコ・フィルのコンビはビロード革命まで続くが、こうした録音を聴く限り、ピークは1970年代だったのだろう。今後もどこかでライブ録音が出てくることを期待したい。

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ハンス・ロットの交響曲第1番を聴く。どういう機会だったかは覚えていないが、この作曲家の名前も顔も見知っていた。しかし、実際に曲を聴くのははじめて。いくらなんだって、名前を聞いただけで興味を持ってどんどん聴いていたらきりがない。切っ掛けが欲しい。今回は、パーヴォ・ヤルヴィがフランクフルト放送交響楽団と録音したということで、店頭で宣伝していたので買ってみた。パーヴォと言えば、ベートーヴェンやブラームスと言った王道の作品でも高い評価を得ている指揮者だが、さすがはネーメの息子、隠れた名作の録音にも積極的だ。

さて、ハンス・ロット…何者だろうか。1858年ウィーン近郊に生まれているので、マーラーより2つ年上と言うことになる。母親は女優で、父親も俳優。しかし、父親は別に妻がいて、不倫の末に母親が18歳の時に、ハンスを生んでいる。ウィーン音楽院に学び、ブルックナーにオルガンを師事。また、この時期にマーラーとも面識を得ている。音楽院でのコンクールのために作曲した交響曲第1番をブラームスとリヒターに初演して貰うために見せたが評価されず。それどころか、ブラームスに「才能がないから作曲をあきらめるべき」と全否定され、意気消沈してしまう。ブルックナーの弟子が、ブラームスに作品を持ち込んだ時点で「?」なんだが、やはり、ブラームスには、その辺りの感情のもつれもあったのかもしれない(そして、ブラームスは性格が悪い)。意気消沈したハンス・ロットは、そのまま精神を病み、何回かの自殺未遂の末、1884年に25歳の若さで亡くなった。

そんなわけで生前は全く評価されなかったのだが、ブルックナーとマーラーはハンス・ロットを高く評価していた。特にマーラーは、交響曲第1番『巨人』を作曲するにあたって、ハンス・ロットの交響曲第1番を意識しており、『巨人』の中には、時折、酷似したフレーズが出てくる。もちろん、この交響曲第1番は生前に演奏されることはなく、それどころか、その後、100年ほどはその存在すら知られていなかった。初演されたのは、なんと1989年のことである。日本初演に至っては2004年まで待たなければいけない。

この曲をパーヴォ・ヤルヴィは素晴らしい演奏で録音してくれた。曲は、教会のオルガンの響きに影響を受けた金管の鳴らし方など、師匠ブルックナーの影響が濃厚。しかし、ブルックナーの作品を想像して聴くと肩透かしを食らう。壮大なオーケストレーションなど、後期ロマン派らしいスケール感のある作品だが、スマートでなかなかカッコいい曲だ。ブルックナー的な不器用さ、野暮ったさは、あまり感じられない。若書きの作品であり、作曲技法は熟練のものとは言い難いのだが、そこのところは、パーヴォの棒でうまく補正されている。キビキビとしたリズム、クリアなサウンド…パーヴォの演奏を聴いていると何でこの作品が埋もれてしまわなければならなかったのかと不思議に思ってしまう。

併録は、管弦楽のための組曲への2つの楽章で、これは世界初録音。こちらもなかなか聴き応えがある。それにしても、世界初録音なんて、最近じゃCHANDOSやNAXOSのためのものかと思っていたら、RCAから出てきてしまった(笑)。改めて…流石、“ヤルヴィ”!

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ベートーヴェンの交響曲第8番が好きである。人気の7番と最後の大作9番に挟まれた息抜き的な作品だとか、古典派にやや後退した作品だとかと言う人も多いんだが、なかなか侮れない作品だ。もちろん、ちょっと評価されていない作品を評価することによって通ぶるつもりはない。むしろ、8番はその地味な存在感とは裏腹にシンプルでノリの良い作品で、クラシック初心者向けの作品だと思っている。演奏時間も短いし、ゆっくりした楽章もなく一気に突っ走っていくわけだから、「クラシックの長さ」が苦になり難い。

さて、この8番誰の演奏を聴くべきか。もちろん、名演は多いんだが、遅ればせながら最近になって漸く聴いた、パーヴォ・ヤルヴィ&ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンの演奏が特に素晴らしかったのでここのところよく聴いている。簡単に言うとピリオド奏法を取り入れた目の覚めるような切れ味鋭い響きが心地よい快演。ヨーロッパの音楽界ではこうしたピリオド奏法を取り入れた演奏は、珍しいことではないのだが、それにしても、これほどまでに、ピリオド奏法が効果的に決まったベートーヴェンは珍しいのではないか(あまり多くは聴いていないけど)。20世紀的なベートーヴェンとは一線を画す、無駄のないすっきりとした突っ走るベートーヴェン。クライバーに録音がないことが悔やまれた曲だが、これがあれば、ま、いっか…。

ちなみに、この演奏、DVDが出ているので、映像でも楽しむことができる。冒頭、オーケストラが恒例のチューニングをしないのは何で何だろう?楽屋でやっとけばいいじゃんと言う効率主義なんだろうか。楽団員に続いてさっさと指揮者が登場するので、待たないコンサート(笑)。映像も素晴らしいんだが、BDではないのが残念。CDはSACDハイブリッド盤なので高音質で楽しめる。メジャーレーベルで、SACDは最近こそ増えてきたが、この録音が出たばっかの頃は珍しいかも。

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5月も終わりなわけだけれども…そう言えば、今年はラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン(LFJ)には触れないできた。何でかって言うと、GWにヨーロッパに行ってしまったからなのだが、盛り上がったんだろうか?

LFJは2005年から始まり、国際フォーラムでの公演開催日を5日間にした2007年、2008年には総来場者数が100万人を突破した。2009年からは公演開催日を3日間に減らしたことから来場者数も減少したが、公演開催日1日当たりのチケット販売数は、2007年→40,088枚、2008年→36,345枚、2009年→45,698枚、2010年→46,972枚と増加してきた。2011年は、東日本大震災の影響で来場者、公演数ともに減少。公演開催日1日当たりのチケット販売数も15,048枚となったが、開催できただけでも良しとするべき。

で、今年なんだが、速報値では総来場者数460,000人、チケット販売数は122,610枚と発表されている。公演開催日1日当たりのチケット販売数は40,870枚と回復したが、2009年と2010年の水準までは戻っていない。総来場者数は、2011年を除けば、開催初年の2005年に次ぐ少なさだった。まぁ、総来場者数と言うのは、音楽を楽しんでいない人も含むので、音楽祭的な「濃さ」はさほど落ち込んでいないようにも思える。ただ、ほかの数値をみても、一時期の盛り上がりからは落ち着いてきているのかな、と思える。

出演者は、前回までと比べると…どうなのかな?「おー、こんな大物が来るのか!」と言うのはあんまりなかったかな?やはり原発の影響なのだろうか。LFJ以外の来日演奏家ではさほどに影響が出ているとは思えなくって、今年も東京は世界有数の音楽飽和都市なんだけど…。

さて、来年は「フランスとスペイン」をテーマに開催されることがすでに発表されている。フランス・バロック!とテンションを上げるのは間違っていて、どうやら…と言うか、当然のようにロマン派~印象派が中心になりそう。盛り上がるかな?

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