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ディーリアスのヴァイオリン・ソナタ、メニューインの演奏があった。このCD2枚組みになっていて、見覚えのないスペルの演奏家が1枚目でメニューインの伴奏をつとめてヴァイオリン・ソナタを、2枚目でボーンマス・シンフォニエッタを振って管弦楽曲集を演奏している。なんだ?だれだ?買おうか少し躊躇して、ふと気づいた。

Eric Fenby

エリック・フェンビー!!フェンビーじゃないか!!指揮者とか、ピアニストとか、そんなこと考えていたから、「誰だ、これ?」になってしまったわけだ。ディーリアスって考えれば、フェンビーは権威的存在。何つっても、晩年のディーリアスに付きっ切りで作曲活動を手伝ったのだ。フェンビーの演奏は作曲家の代弁だと考えても差し支えない。そんくらいの人。ビーチャムも、ディーリアスの悪友として、深い付き合いをしていたけれども、フェンビーはその比ではない。即、買い。

と、言うわけで、ワクワクドキドキで聴いてみる。ふうむ。たとえ、作曲家の自作自演であろうと、決してベスト盤にはならない―と言うことだ。我々は作曲家の自作自演を聴くとき、何を期待しているかと言えば、最高の演奏ではなく、作曲家の本来の意図である。最高の演奏は専門家に任せればいいのである。

で、フェンビーの演奏だけど、作曲家の代弁と考えれば、これはこれで大変参考になるものかもしれない。だけど、前述のとおり、純粋に楽しむための演奏としては、ほかにもたくさんあると思う。ラ・カリンダなんか、もっと滑らかにスイスイと進んでいく演奏が好みなんだけどなぁ。ま、ま、好みの問題。

まぁ、メニューインの演奏で、ディーリアスのヴァイオリン・ソナタを楽しめるし、買って損のないCDではある。


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山に入り始めてまもなくのころ、一冊の本に出会った。田部重治の『山と渓谷』である。まだまだ、登山と言うより、探検の色の濃かったわが国登山文化黎明期の記録である。そこに出てくる登山は、地図を追い、登山道や道標にすがって登る今の登山とは全く別の次元の“探検”そのものだった。その後、“探検”的登山の記録に惹かれて、小暮理太郎の『山の思ひ出』、小島烏水の『日本アルプス』、ウェストンの『日本アルプスの登山と探検』、武田久吉の『明治の山旅』などを読みまくった。

そうして、これらの書を残した登山家は、おいらの憧憬となっていった。彼らの登山の記録は、山岳観において、おいらの登山に少なからぬ影響を与えたと思う。併せて、これらの書に出てくる上條嘉門治、宇治長次郎、佐伯平蔵といった地元の登山案内人たちの存在を知るようになった。彼らはもう、憧憬とか言うより伝説的偉人として畏敬の的となった。道のない日本アルプスを上高地から富山の方まで1日で抜けたとか、有峰から長野のほうに1日で抜けたとか…いずれもきちんとした登山道のある今日においても、4、5日はかかる行程である。こういっては何だけど、化け物である。

さて、こうした登山家や登山案内人は登山愛好家の間ではよく知られた英雄であるが、普通にはそれほど知られた存在ではないだろう。それが、このほど映画『剱岳 点の記』によって、小島烏水、宇治長次郎、岡野金次郎の名が、知られるようになった。喜ばしいことである。

おいらは昨日、つうか、今日、川崎の映画館の深夜上映(23:50~26:20)でこの映画を観てきた。長次郎、やっぱ渋くてかっこいい。田部重治は、「長次郎と会ってその立派な体格を見た時、これこそ山あるきに究竟(くっきょう)の男である」と書いているので、本来とは少しイメージが違うけど。まぁ、映画だし、これで良いと思う。問題は、小島烏水…いいのか、あんなにスタイリッシュでかっこよくて。武田久吉によれば…

小島君の方は、書いたものがおもしろく読まれればいいのだから、いろいろと潤色する。それで大分嘘が入っている。小島君は山へ行ったなんていっても、山の記事を書けばデタラメを書いている。(『明治の山旅』より)

と、まぁ、軽く胡散臭い人物だったらしいのだ。もう、おいらの中では、そういうイメージしかなかったものだから、仲村トオルの爽やかなイケメンっぷり姿を見たとき、「おいおい」と思わずにはいられなかった。でも、小島烏水、観たら喜ぶだろうなぁ(笑)。岡野金次郎は、あんな感じなのかなぁ、と。なんか、本でも、映画でも小島烏水のついでみたいなかんじだけど、実際はどんな人物だったんだろうか。

映画の内容的には…あ、映画なんて滅多に観ないので、まともな感想は書けないけど、男たちの熱い情熱を描いたもので、教科書的に爽やかに熱くて、ベタと言えば、ベタに情熱的。クライマックスが妙にあっけない感じがするのはちょいと、拍子抜けだけど、小島烏水と生田信が旗信号で、健闘を称えあう姿は、熱いものがある。

ちなみに、おいらの持っている小島烏水の書物に、剱岳登攀の記録がないのは残念である。もちろん、『剱岳 点の記』の物語はフィクションである。

映像的には、紅葉の仙人池に映りこむ裏剱岳が半端なく美しいけど、一瞬しか出てこない。あとはエンディングの映像が綺麗。その他は、まぁ、流石に本物には遠く及ばず…と言う当たり前の結果に。

んで、おいらは剱岳に登ったことがあるのかと言えば、ない。あれは観る山で、登る山ではない。槍ヶ岳、富士山もおいらなの中では、そう。登ったらその山は観えなくなってしまう。観るのは、剱沢や後立山連峰から観ては感嘆している。一番迫力あるのは、剱沢かなぁ。仙人池とかも行ってみたい。

あー、なんか収拾のつかない文章になってしまったけど、最後に、何年か前に行ったときの、剱沢からの剱岳を…。GWに行ったんだけど、この年はぜんぜん雪が少なかった。


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ディーリアスのヴァイオリン・ソナタ全集を聴いている。イギリスの女流ヴァイオリニスト、タスミン・リトルの演奏。なんでも、発売当時、結構評判になったCDらしい。あ、日本でじゃないよ。たぶん、イギリスとかで。これだけマニアックな曲で話題盤を作るなんて、凄い…ような気もする。

それが、この度、めでたく廉価盤で発売となった。Sony ClassicalのMasterworksシリーズの一枚だ。廉価盤にしては、ジャケットもなかなか良い。いや、良いというか、普通。安っぽくはない。

さて、内容だけれども、曲、演奏ともに素晴らしい。流石に、これは評判になるだろう。一家に一枚は常置しておいて欲しいCDだ(クラヲタ的偏見)。リトルの演奏は、女性らしく繊細である。そして、柔らかい。ギチギチしてなくて、ゆとりがある。線は細いけれども、貧相ではない。

1曲目は、若い頃の作品(と言っても、30歳だけど)。ディーリアスにしてはメリハリのある曲で、誰でも馴染めそうだ。組曲『フロリダ』なんかと、同じ頃の作品であることが納得できる。2曲目のソナタ第1番からが番号つきで、3番までが収録されている。この3曲の作曲年は、第1番が1905~1914年、第2番が1923年、第3番が最晩年にあたる1930年となっている。1曲目が1892年の作品だから、ディーリアスは作曲家人生を通じて、このジャンルの作品を定期的に作曲していたことになる。作風の変遷を聴くことが出来るのだ。ディーリアスには、いささか似つかわしくない言葉ではあるが、流石に年をとるに従って晦渋な一面を見せるようになる。

と言っても、ディーリアスだから、難しい感じは全くしない。もちろん、ディーリアスはディーリアス。茫洋として掴みどころがない印象を持つ人もいるだろうし、単にヒーリング・ミュージックにしか聴こえない人もいるだろう。ディーリアスの音楽は人によって、好き嫌いがはっきりする。ディーリアスの他の音楽が気に入った人なら、このヴァイオリン・ソナタ集は外せないレパートリーではないだろうか。…なんて、カッコつけてみたけど、おいらも今まで聴いてこなっかたな…。


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■ silencio

フォト蔵に登録して左側に色々写してみた。今、ブログパーツって色々あるんだけど、好奇心に煽られて内容とは関係ない無駄なものは貼らないようにしたい。せっかく、宣伝が殆どないninja blog使っているので、デザインが崩れないよう心がけたいのだ。経県地マップは、まぁ、しょうがないけど。

さてはて、話題大転換。ルチア・ポップ好きとしては、ちょいと嬉しいニュースが入ってきた→
バーンスタインの『薔薇の騎士』復活。なんで廃盤にしちゃったんだか判らないくらい、凄い布陣の『薔薇の騎士』だ。主な役を列挙すると…

ゾフィー:ルチア・ポップ
元帥婦人:クリスタ・ルートヴィヒ
オクタヴィアン:ギネス・ジョーンズ
オックス男爵:ワルター・ベリー
テノール歌手:プラシド・ドミンゴ

ちょい役にドミンゴだからなぁ。あ、オーケストラは、ウィーン・フィル。魅惑的じゃないわけないよなぁ。ちなみに、ポップのゾフィーは、全曲盤として、ソフト化されたのは、これ以外にカルロス・クライバーの2種類がある。1つは、1973年のもので、先日、オルフェオからSACDで出て、話題を掻っ攫った。もうひとつは、1973年のもので、こちらはDVDで出ている、定盤中の定盤。今回出るのは1971年のものだから、最も若いころの録音と言うことになる。31歳か、32歳。

さて、今日はもういっちょ話題大転換。今聴いている、SilencioってCD、すんごくいい。クレーメルとクレーメラータ・バルティカの演奏による現代作曲家の作品集。タイトルから察せられるように、静謐な音楽ばかりだ。音楽が静謐でどうするんだ?と言われれば、返す言葉もないが、「じゃぁ、これ聴いてみ?」と言って、これを渡されれば、なるほど、静謐だと言わざるを得ないだろう。適度に盛り上がるところもあるんだけど、妙に冷たい響きが、吹き抜けていく。クレーメルの演奏も透明感があって、静謐さに大きく一役を買っている。とっても綺麗で心洗われる1枚。

あと…暴論と思われるかもしれないけど、ジャケットも良い。無限に変わりそうにない荒涼とした風景が、このCDの印象を強める。何気においらは、これをジャケ買いしている(笑)。ジャケ買いは意外とあたりが多いのだ。収録曲は…

ぺルト:タブラ・ルサ、DARF ICH...
グラス:カンパニー
マルティノフ:カム・イン!

ゲンダイ音楽だけど、美しくって聴きやすいのでオススメだ。


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最近、1日1枚ペースだな…。恐るべき物欲。聴きたいCDがたくさんあるのは間違いなくって、それはそれでいいんだけど、ちょいとCDを置くスペースがきつくなりつつある。どうするんだ?PCに全部ぶち込んで、箱にしまってしまうか…。それもめんどい。悩むしか。悩みと言えば、クラヲタ的には「苦悩から歓喜」と言うベートーヴェン・パターンが待っている。いや、CDのスペースの問題でそれはないか…。棚を黄色や赤に染めたい、と言う野望はまだまだあるけど、な。

さて、今聴いているのはグルダのモーツァルト・テープ。で、前に聴いていたのは、コンドラシンの『新世界より』。コンドラシン、ああ、そうそう、ソ連(ロシアではない)の、あの方。1979年のデジタル録音。オーケストラは…ウィーン・フィル。え?コンドラシンとウィーン・フィル?最初見たときは信じられなかったけど、本当にウィーン・フィルなのだ。多分、録音はこれしかないだろうなぁ。物凄く、珍妙な組み合わせ。いや、貴重と言うべきか。奇跡のカップリング。

で、演奏なんだけど、こういう珍しい組み合わせって、往々にしてミスマッチが多い。ついつい買ってしまうんだけど、「やっぱ、しっくりこないなぁ」って思うものが多い。でも、コンドラシン&ウィーン・フィルは違う。コンドラシンの熱血と言うか、ブチ切れた熱さにウィーン・フィルの美音が見事に絡んでいる。指揮者が不完全燃焼になっているわけでも、オーケストラが本来の音色を失っているわけでもない。変にデフォルメしているけど、そう言うのも面白い。

これ、ぶっちゃけ、『新世界より』屈指の名演だと思うんだけど、そんなに有名な録音ではないようだ。おいらが知らなかったのは、不勉強だったから…というのも多少はあるんだろうけど、それ以上に、知られていないんではないだろうか。不遇な扱いを受けていると言って、過言ではない。もっと、広めるべき録音。

あ、モーツァルト・テープ、トルコ行進曲になった。この曲いいなぁ…。

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梅雨だなぁ、雨だねぇ…。ジメジメと鬱陶しい!とか、文句も言ってもしょうがない。良い事もあるんじゃないかなぁ~、と傘を差して、裾を濡らしながら外に出てみるのも良い。今日は、南房の山の中で緑に映える水田の脇で、雨に濡れている鮮やかな紫陽花の大群を発見した。如何にも日本らしい田舎の中で咲く紫陽花はホントに綺麗だ。各地にある紫陽花寺もいいんだけど、田園風景の中に溶け込んでいる紫陽花は何とも言えない味わいがあるのだ。

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さてさて、話題転換。最近、よく聴くのがこれ↓

J.S.バッハ
無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ BWV1001-1006

やっぱヴァイオリニストならこれ聴かないとなぁ~。無伴奏チェロ組曲聴いている場合じゃないって!いや、聴くけど。全然、聴くけど。自分がやっているからと言って、あまり楽器で偏った聴き方したくないしね。

さて、今まで聴いていたのはスーク盤なんだけど、最近買って、ものの見事に魅了されちゃったのがグリュミオー盤。バッハとして正しいのかどうかは判らないけど、正しいとか正しくないとか、どうでもいいのだ。美しくあれば何でもよいのだ。

そう、グリュミオーのヴァイオリンはとてつもなく美しい。辛気臭さ絶無の上品でしっとりと艶やかな音色!もちろん、薄っぺらいところは全くない。前から大好きなヴァイオリニストだったけど、たまに線の細さと言うか、上品さが弱く感じることがないわけではなかった。しっかし、これはヤバイ。特に、美音系のヴァイオリニストを好むおいらには魔力ですらある。フランチェスカッティが録音したら…どうだったんだろう?とか、思わないわけではないけれども、ないものはないからしょうがない。とにかく、グリュミオーの音色には酔わされるなぁ。

次は、ミルシテイン…買ってあるので。少しだけ聴いたけど、グリュミオー以上のお気に入りには…なるかなぁ?他に何を買うべきか。ハイフェッツとか要らないよね、多分。グリュミオーの対極として、シゲティは必要かな。

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よく自分の楽器、「うちの子~!」と言って可愛がっている人がいる。あれ、いいなぁ、と思うんだけど、男がやると軽くキモイ。まぁ、キモくてもいいんだけど、おいらの楽器、今年で80歳なんである。萌え萌えな女の子でも「うちの子~!」って感じじゃないよなぁ。軽く仙人。おいらにとっちゃ師匠。

で、この師匠、不幸にして、今は初心者野郎の伴をしているわけだけど、この初心者野郎の扱いが乱暴なのだ。そこで今日は、弓の毛換えついでに、御茶ノ水の下倉バイオリンで軽く様子を見てもらった。

下倉バイオリン「駒が少し前傾していますね」
初心者野郎「そうなんですか…」
下倉バイオリン「直しておきましょうか?」
初心者野郎「お願いします。」
下倉バイオリン「もっと傾いてしまうと替えないといけなくなるんです」
初心者野郎「いくらぐらいなんですか?」
下倉バイオリン「同じ駒だと20,000円ですね」

あのペナペナな小さい木ッ切れがねぇ…20,000円!!やってられん。

まぁまぁ、そんなわけで、駒は換えずに、お代、約10,000円―ふぅ。やられたぜ。まぁ、でも、時々ちゃんと見てもらわないとだなぁ。弓の毛換えもしばらくしていなかったし。いや、わかっている。ちゃんと時々しないといけないのは。でもでも、だってだって!なのだ。

んで。明日の正午に出来上がるらしい。なので、土曜日の今日は、ヴァイオリンの練習が出来なかった。凹むぜ。平日に持っていくべきだったなぁ。

悔しいから石丸に寄って帰ってきたとか…散財…。

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ベルリン・フィルのシーズンパス取ろうかなぁ。…とか、おいらが、言ってみると、一昔前じゃ、冗談にしかならなかったけど、今じゃ、微妙にリアルなんだ→デジタル・コンサート・ホール。うっわぁ~…迷うなぁ、本気で。年間149ユーロ、大体20,000円でベルリン・フィルの映像ネットで観放題。生中継も見ることが出来る。“今”のベルリン・フィルを楽しめると言う生々しさはいいように思うんだ。惹かれるぜ…。クラシカ・ジャパンとどっちがいいのかなぁ。

youtubeでサンプルがあったので見てみた。イッサーリスのドヴォルザークとか、ラトルのあんな曲や、こんな曲…魅力的だぁ。一番ビビッたのは、ピノックのモーツァルト。イングリッシュ・コンサートやっている時は、モダン楽器の楽団に客演してあまり評判はよくなかったみたいなんだけど、いつの間にか、ベルリン・フィルに客演とは。古楽器楽団の指揮者がモダンに進出するのは抵抗があるんだけど、ピノックらしい颯爽とした演奏に、ベルリン・フィルの重厚なサウンドが加わってなかなか魅力的だった。

CDにはならないんだろうなぁ~。こういうの…って考えが及ぶと、デジタル・コンサート・ホールの価値は更に高まる。どうしようのぉ、どうしようのぉ。



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■ ソナチネ

ドヴォルザークのヴァイオリンとピアノのためのソナチナ…第2楽章ラルゲット、弾けそうな気がしてきた。美味しい曲なのにな、美しいメロディてんこ盛りで。目指すは、シャハム、いや、スーク!!←すぐでかい事を言ってみる。名ヴァイオリニストの才能と努力をなめている…わけではない。猛省。

しかし、この曲…つうか、この楽章、ピアノが美味しいところ結構持っていっているんだよなぁ。おいらのヴァイオリンレベルのピアノマンと合わせてみたい、とか、思ってみたり。

まぁ、なんとなく、ヴァイオリン、やる気あるんだよねー。このテンション、3日持つかどうか判らんけど。

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モーツァルトの楽譜全部無料でダウンロード→こちら。何々版がない!とかめんどくさいこと言わなければ、宝の山。そりゃ、200年以上昔の音楽だから、どんな風に公開しようと全く構わない。せっかく、凄い音楽作曲したのにぃ…タダかい!とモーツァルトが思うかどうかは判らない。著作権は50年までしか守られない。

でも、考えてみれば、50年後にまだ必要にされている作品って実はそれだけで凄い。「クラシックって、何百年も聴き継がれていて凄い」って言う人もいるけど(おいらも最初はそう思った)、実は、いまだに聴かれているのは、今まで作曲された曲の1%にも満たないのが実情のはず。大抵は長い時間の中で忘れ去られていった。

バッハだって、メンデルスゾーンが復活させるまで、物凄く長い間忘れられていた。そういうもんである。もし、メンデルスゾーンがいなかったら、バッハは今のような評価を得ていたのだろうか。わからない。時間は、偉大な音楽をも併呑して深い闇へと連れ去ってしまう。

そんなことを考えながら、ヨゼフ・スークの演奏でバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータを聴いている梅雨の夜。ええっすなぁ。まじ、ええっす。つっても、この演奏しか持っていないんだけど。もう一つくらい買おうかなぁ。ミルシテインとか、グリュミオーとか、綺麗な音色の演奏を聴いてみたい。

ちなみに、スークの演奏はamazon.co.jpで6,000円ほどの値が付いている。おいらが新婦で買ったときは1,000円前後だったのになぁ。EMIのフォルテシリーズに6,000円は払いたくないなぁ。長いことクラヲタやっていると貴重なCDとかも増えてくるんだろうな。

あ、そうだ。ヴァイオリン弾こう…。ブラームスのヴァイオリン・ソナタ第3番第2楽章(弾けるところだけ)。弾けるところが、白眉だったりする都合のいい楽章、とか言っていないで全部弾けるようになろう。


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