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クラヲタとは、クラシック音楽ヲタクのことである。で、おいらは、まぁ、残念ながらwwwその部類だと思うんだけど、それは広義の意味で当てはまること。狭義では、あてはまらない。コアなクラヲタとは…古典派ヲタクのことだ!だれもそんな厳密には言っていないと思うけど(笑)。やっぱ、Classicと言えば、「古典」だもんね!

と言うわけで、新境地を開拓する。ちょっと前にミスリヴェチェクのところでも書いたけれども、モーツァルトとその周辺、要するに古典派にはまりつつある。実は、この時代、広義のクラシック音楽の中でも、特にマニアックなのでは…と思う。バロックよりも有名人が少ないと思うのだ。つか、ぶっちゃけ、モーツァルトとハイドンくらいしか有名な作曲家はいない。まぁ、ボッケリーニなんてのもいるけど、「あの曲」がなかったら、まぁ、マニアックな存在になっちゃうと思うんだ。古典派は言ってしまえば、バロックとロマン派の谷間の世代。モーツァルトとハイドンがいなかったら、この時代は空洞化しちゃっていたのかもしれない。

で、なんで、こんなマニアックになってしまったのか。少し聴いてみて思ったことは、とにかく、音楽が軽い。20世紀の初めころだろうか、モーツァルトも一時期、その軽さが故に評価が低かった時代があると聞く。やっぱねぇ、こう、眉間にしわを寄せて苦悩して…悶絶、っつうのが、今日の世間的にはウケるんだと思う。たぶん、マニアックになってしまった理由はそんなところだと思う。

音楽の軽さの理由は簡単で、聴衆が主に貴族、富裕商人層だからである。彼らは苦悩して悶絶することよりも享楽的にノウテンキに生きるのが好きなので、憂鬱な音楽は好まない。だから、古典派の曲は、短調が異様に少ない。モーツァルトに短調の曲が少ないことはよく知られているけど、これは古典は全体に言えることでモーツァルトに限ったことではないのだ。

あと最近読んだ本で、「なるほど!」と思った古典派の特徴は“没個性”ということである。これも古典派をマニアックな存在にしてしまった大きな要因だ。とにかく、古典派の作曲家は暗黙のルールが大好きで、はみ出すことを嫌った。モーツァルトが革新的…と言っても、古典派以降を知っている我々にはちっともピンとこないんだけど、ほんの些細なことが、当時は「だいそれたこと」になってしまっていたのだ。

そんな時代だから、他の作曲家のテーマを拝借することは、ちっとも悪い事じゃなかった。それこそ、自分の個性を強調するのではなく、同じテーマにどう味付けして、聴かせるか…ってところに力が入っていたのだ。だから、「モーツァルトの○○って曲は、ヘンデルの○○のパクリだ!」と言って批判する輩がいるけど、それは、的外れもいいところ。例えば、モーツァルトの交響曲第40番の酷似した古典派の作曲家の曲があったとして、それが名曲なのか…と言えば、そうじゃない。モーツァルトの方が、味付けがうまければ、それでいいんである。

この没個性と言う特徴も今日古典派をマニアックにしてしまっている要因だろう。

で、だ。「軽くて没個性」と言うと、批判にしか聞こえないけど、上記のとおり、「軽くて没個性」は古典派の時代はマイナス評価ではなかった。でも、今日の基準ではマイナス評価になってしまう。しかし、今日、モーツァルトを支持して、古典派を軽く見る人に、ミスリヴェチェクやJ.C.バッハの曲を「モーツァルトの曲です」と言って聞かせたら、まぁ、モーツァルトの曲を全部知っている人じゃない限り、信じ込んでしまうと思う。それは、新旧ランバッハがどちらが父のものなのか、子のものなのか判明していないことからも明らかだ。他にも、モーツァルトの作品には疑いのある作はとてつもなく多い。要するに、どんな学識者でもわかんないのだ。

なにせ、モーツァルトだって「軽くて没個性」の古典派の作曲家なのだから。まぁ、それでもモーツァルトの作品群は、音楽史上孤高の存在であるのは間違いない。モーツァルトの作品とモーツァルト父の作品のどこに境があるのか判然としないのに、モーツァルトの作品群とモーツァルト父の作品群を見比べると、モーツァルトの作品群の方がはるかに優れているのだから。

さて、モーツァルトは特別とは言え、彼だって色んな作曲家から影響を受けて大成した。もちろん、当時貴族に仕えていた「軽くて没個性」な作曲家の人たちから、である。モーツァルトが絶賛し、けなした作曲家たち…モーツァルト好きならそそられるものがあるんじゃないだろうか。

彼らの音楽は、確かに「軽くて没個性」だけど、聴き心地は圧倒的に良い。肩肘張っていないし、めんどくさくない。深いことばかり話す友達だけじゃなくて、気軽に馬鹿も言いあえる友達も欲しいのと同じで、こういう音楽もどんどん知っていければ、音「楽」の幅が広がっていくのじゃなかろか。そうして、そんな曲の中からモーツァルトと同じ響きを感じ取ることができるだろう。そう言う切り口からモーツァルトを楽しむのもまた一興ある。

さて、今日はどの作曲家の作品を聴いてみようか…。C.P.E.バッハもいいし、J.C.バッハもいい。ディッタースドルフを聴いてみようか。ロゼッティにしてみようか。ヴァンハル、ハッセ、カンナビヒ、シュターミッツ、サリエリ…う~ん、興味が尽きない…。

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■ 春うらら

はるうらら…昨日は四月馬鹿のエイプリルフールだった。人を騙すことも嘘をつくことも苦手なおいらには苦痛のような日だった(!!)。嘘をつかねばいけない…と。しかし、嘘はつけなかった。一応昨日の記事はホントのことだ。

さて、話は変わるけど、ウィーン&ザルツブルクの旅行代、すべて払い終わったと思ったらまだあった。保険代のご請求。楽しかったが、その後の後始末が大変だ。基本的には思い立ったが吉日生活なので、後先は考えない。屋久島行った時は、行くのを決めたのが前日の午後と言うお粗末っぷりだからね…汗

そんな財政難に追い打ちをかけるようにして石丸電気の閉店セール。しこたま買い込んでいる。もう、ほかにはお金は使えない!が、そう言うわけにもいかず。PASMOの残額も500円くらいしかない。電車賃って馬鹿にならないんだよねぇ…。厳しい生活が続きそうだ。

 

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今年はマーラー生誕150年である。そして来年は、没後100年。2年連続のアニヴァーサリー。マーラーは必ずそうなる。クリスマスの前日に誕生日があるのと同じくらい勿体ない。と思うか、まとまっているから、大いに盛り上がる!と思うかは、考えようである。

さて、今年に入って、そのせいかどうか、マーラーに出会う機会が多い。2月にムジークフェラインでフェドセーエフ&ウィーン響で交響曲第5番を、昨日はサントリーホールでインバル&東京都交響楽団で交響曲第3番を聴いた。そして、6月にはミューザ川崎でインバル&東京都交響楽団で交響曲第2番を聴く予定である(あくまで予定)。それから、出来れば11月にゲルギエフ&ロンドン交響楽団で交響曲第1番を聴きたい。

まぁ、この2年でマーラーのコンサートを聴きまくろうと思うのだ。出来れば全曲…と言いたいところだけど、あまり、そこんところは肩肘張らないで行きたい。好きな作曲家、ハイドン、モーツァルト、メンデルスゾーンのときはそんなにアニバーサリーでコンサートに足を運ぶようなことはなかったんだけど…なぜかマーラーでがんばる(笑)。行きたい演奏会が多いってのもあるんだよね。インバル&東京都交響楽団のマーラーはホント凄いし、ゲルギエフ&ロンドン交響楽団は、交響曲第1番の前がシベリウスのヴァイオリン協奏曲(ソロ:諏訪内晶子)と言うおいら垂涎のプログラムなのだ。

残念なのは、東京都交響楽団に6月以降来年の3月までマーラーのプログラムがないこと。このアニバーサリーにマーラー・オーケストラに期待するところは大きいんだけどなぁ。しかも、このペースでいってEXTONの全集は完結するんだろうか…。いや、全集になるかどうか知らないけど(汗)。

期待が大きいのは来年のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン。マーラーも対象範囲内のはず!そして、東京都交響楽団はホストっぽい立場のような気がするので、絶対何かやるはずなのだ。インバル出ちゃうのかなぁ。定期公演でも勢いよくチケットが売り切れて、毎回、満員御礼状態だから、凄まじいチケット争奪戦になることは確実。普段はガラガラっぽい演奏会ですらLFJだとチケット争奪戦になるもんなぁ。毎年、チケットの売り方が違うのも不安要素。でも楽しみにして待ちたい。まぁ、同じプログラムを別でサントリーやミューザでやってくれるんなら高くてもそっち行くかもだけど。

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■ 夏の詩

春眠暁を覚えず…今日は1日中眠たかった。ではあるが、夕方からコンサート。良いコンサートだと目は冴えるんだけどね。

マーラー:交響曲第3番ニ短調
 エリアフ・インバル&東京都交響楽団

サントリーホールまで重い足を引き摺って行ってきた。「あー、めんどくせぇ。最近、マーラーって気分じゃないんだよなぁ」と心の中でひとり呟きながら。実際、チケット買った時は「マーラー聴くんだ!」って張り切っていても、コンサート当日はどういうテンションか、分からない。音楽を楽しめるかどうかって、演奏されている音楽云々だけじゃなくて、本人の気分に因るところも大きいからね~。で、今日は最悪にマーラー気分ではなかった。なのに、どっぷりマーラー。しかも、最長の3番(夏の詩って書いてあるCDを見たことがある)。楽しめるか不安だったけど…。

始まったら、そんなん、杞憂だったことをしかと思い知らされた。すげぇっす。長大だったけどあっつうまに時間が過ぎて行った。鳥肌、ザーラザラ。おいらの気分を覆してくれた。わりと幸福感なんかも満ちていたりする曲なんだけど、やっぱ、こう傲然と鳴り響くマーラーの宇宙みたいなものを確り感じさせてくれて、これ、凄い曲なんだな、とあまり聴いてこなかったことを後悔させられた。

インバル&都響と言うマーラースペシャルのコンビは、ホント侮れない。今日も、緊迫感があって、熱を帯びているのに決して冷静さを失わず、この長大な曲を弛緩なく仕上げていた。少しでも弛緩していたら、こんな長い曲退屈でしょうがない。今日はもう昼からダルダルだったし。

コンサートマスターは、四方さんと言う人…コンミス。お馴染みの矢部さんは今日は、出ていたけど、急遽交代しちゃったみたい。四方さんも柔らかい音色で良かったけど、ちょっと残念。昔から都響のコンサートに行く時は矢部さんだったので、今日も素敵なソロが聴けると思って期待していたのだ。

まぁ、それはともかく今日は弦楽器も迫力を持って強靭に鳴り響いていて、凄かったなぁ。金管もたっぷりなっていたけど、弦も全然負けていなかった。数も多かったけど。マーラーには絶対の自信を持っているんだろうなぁ。やっぱ都響のマーラーってとても良い!ヨーロッパでもこれだけのマーラーはそうそう聴けないんじゃなかろか?カーテンコールに応えるインバルの表情も満足の笑み。そうだよなぁ。

てなわけで、100分の集中力、聴いているこっちも疲れた。都響の皆様おつかれでした!あんま細かいことは書く気にならない。どうやらCD化されそうな雰囲気だったので、出たらぜひ聞いてみていただきたい(たぶん、EXTONなので高いと思うけど)。さて、これで6月の2番も楽しみになってきたぞー!!

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■ ナイマン

あー、この曲ってナイマンの中で一番有名なのかなぁ→『楽しみを希う心』(YouTubeにリンク)。映画『ピアノレッスン』のための音楽だ。憂鬱で悲しげなメロディーが美しい曲。うん、これはクラシックアレルギーだろうがなんだろうが、惚れる人は多いだろうなぁ。

ナイマンって、自分の知っているミニマルの作曲家の中では、最もメロディを大切にする人だ。だもんだから、ライヒとかグラスとか、コアなミニマルを知ってしまうと、「なんだよ、おいおい、邪道じゃないか」と玄人振りたくなってしまう。だけど、ミニマルにメロディメーカーがあわさると実に、親しみやすい、美しい曲が出来上がる。ミニマルだからにして、なんか、こう思いっきれないと言うか、歯がゆいところはあるんだけど、それが心地よい退屈感(どっかの本で見た表現…なのだ)をかもし出す。幸せな出会いだ。集中して聴く気にはなれないんだけれども、ね。

『ピアノレッスン』の音楽はまとめてピアノ協奏曲に編曲されているが、『楽しみを希う心』はその中にも使われている。まぁ、ピアノは協奏曲で聴いた方が…いいかな?メロディを純粋に楽しみたければ、前述のリンク先でいいんじゃないかと思う。

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『モーツァルトの手紙』(高橋英郎著/小学館/2007年)を読んだ。モーツァルトはたくさんの手紙を残してくれた。だから、奇跡は「誇張された伝説」と勘違いされずに現実として現代に伝えられ、天才の現実的な一面を見ることができる。幸いなことだ。

この本は、そのモーツァルトの手紙から彼の人生を追っていくというもの。延々とモーツァルトのスカトロジーな手紙が羅列されているわけではない。ご安心あれ。…あ、いや、スカトロジーな内容も存分に書かれているので、モーツァルトに変な幻想を抱いちゃっている人向けではない。歴史が作り上げた幻想である高貴で優雅なイケメン青年作曲家はそこにはいない(彼の音楽もそんなんじゃないけど)。もっとも、いささかモーツァルトは節度がなさすぎるとは言え、多少なりとも父母の手紙にもスカトロジー的な表現があるように、当時の南ドイツ地方では、スカトロジーに対する認識が今とはだいぶ違ったと言う。

スカトロはともかく、モーツァルトの手紙からは実に軽快でありながら、生々しい天才の声が聞こえてくる。時には他人の悪口を書き連ね、時には他人を手放しに称賛する。あまりにも素直で率直な文章。身内に宛てた手紙だから本音が出ているだけなのか、平素から表裏のない人間だったのか…。

何れにせよ、本音のモーツァルトは、死ぬまで青臭く、若気の至りが溢れかえっている作曲家だった。それが手紙からひしひしと伝わってきて、心を打つ。「おれは天才だ!だから、評価されていいはずだ!」―大人の世界では通用しない、純粋な傲慢。きっと、当時の「大人」達はモーツァルトの才能を羨みながら「でも、それじゃ、世間は渡れないんだぜ?」としたり顔で眉をひそめてみていたのだろう。

さて、本書は、モーツァルトの手紙と日本のモーツァルト研究では有名な著者による解説が交互に現れる形で時代を追って進められる。モーツァルトの音楽のように流れるような感情の移ろいを見せる手紙に著者の見識の高い解説が付いてモーツァルトがグッと身近に感じられる。が、中2病か、小2病のようなユーモア、いや、悪戯に溢れ、時には、お下劣なモーツァルトに真面目な著者の解説が異様なミスマッチぶりを見せることもしばしば。コンサートや録音で、天才とは言え、若造がビリヤードをやりながら、その台の上で、鼻歌交じりに作曲した音楽を老大家がクソ真面目な顔をして、演奏をしている、あのミスマッチさ、それに通じるものがある。こういっちゃなんだけどちょっと笑える。

厚い本だけど、モーツァルト好きなら一気呵成に読める本だと思う。

最後に、モーツァルトの媚び諂わない反骨精神の一文を紹介しておこう。いやぁ、貴族社会にあって、見事な啖呵の切りっぷりである。青臭い、でも、カッコいい。カッコよすぎる。これでこそ、モーツァルトだよね!!人間いつまでも青臭くいたいものだ。

「人間の品位はその人の心にあるのであって、ぼくは伯爵ではありませんが、多くの伯爵に優る名誉を身につけていると思います。そして、下僕だろうが伯爵だろうが、ぼくを罵れば、その人こそろくでなしです。」(1781年6月20日(25歳)父レオポルド宛の手紙)

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最近、古典派の作曲家にハマっている。正確に言うならモーツァルトの周辺の作曲家、である。モーツァルトは確かに音楽史上孤高の天才であるけれども、その周囲にはどんな音楽が流れていたんだろう?モーツァルトが、褒め称えたり、けなしたりした作曲家の音楽はどんななんだろうか?と、まぁ、そんな好奇心である。

で、最近、何回か聴いているのがヨゼフ・ミスリヴェチェク。チェコ生まれ、イタリア各地やミュンヘンで活躍した作曲家だ。モーツァルトはイタリアに旅行した際に面識を得たほか、ミュンヘンでも再会している。モーツァルトは旅先からの手紙でミスリヴェチェクの音楽を称賛しているだけでなく、その音楽にも多大な影響がみられる。と言うか、何も知らされないで、ミスリヴェチェクの交響曲を聴かされたら「モーツァルト?10番台後半~20番台真ん中くらいにあったっけか?」と間違っても、不思議ではない。

ところで、このミスリヴェチェクと言う名前、覚えにくい、言い難い…。イタリアでもそうだったらしくイタリアの人たちは「Il divino boemo(素晴らしきボヘミア人)」と呼んでいた。その渾名をタイトルとしたCDでこの作曲家を楽しんでいる。演奏はコンチェルト・ケルン。古典派の隠れた作曲家を録音しまくっているマニアック趣味な楽団だ。

マニアック趣味とは言え、「王道で勝負できないので、マイナーに活路を見出しました」と言う楽団ではない。演奏レベルは相当高い。冒頭から颯爽と突っ走る序曲にココロ、奪われる。この水準で歴史に埋もれかけた名曲を紹介してくれるとは、素晴らしすぎる。

収められているのは、序曲のほか、5曲のシンフォニアとコンチェルティーノ。1枚のCDにこれだけ納まっていることからも判るとおり、すべて短い曲だし、マニアックな存在であるが、親しみやすい曲調なので、誰にでも薦められるCDだ。あんまり、モーツァルト、モーツァルトと言うと、ちょっとミスリヴェチェクに可哀そうだけれども、モーツァルトが好きな人なら誰でも楽しむことができる作曲家だと思う。もっと多くの演奏家が取り上げてくれてもいいと思うんだけど…。


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■ HMVも…

HMV、「TSUTAYA」のCCCが買収へ…うーっわぁ~。勘弁してほしい。HMVオンラインのクラシックの充実振りは有名で、インターネット販売では独り勝ち状態っぽいんだけど、それは市場規模の小さいクラシックでの話。全体ではどうなのか、ちょっと分からないんだけど、不調だったのだろうか。

TSUTAYAがこのHMVオンラインのクラシックコーナーをどうするのか判らない。しかし、これまでクラシックに力を入れていたとは全く思えないから非常に不安だ。大型店舗と言われるところに行ってみればそれは一目瞭然。HMVとは比較にならないほど、クラシックの占める割合は少ない。下手なマニアの方が品ぞろえ豊富なことは間違いない。つか、おいらクラスで「あれ?うちより少なくないか?」と思ってしまうような感じだ(事実少ないと思う)。そんなところに買収されて大丈夫なのか?

実店舗の石丸、オンラインのHMV…おいらの2大ソフト供給源が憂慮される事態。なくなるわけじゃないけど、石丸は土俵際に追い込まれた感じだし、HMVも相当厳しくなるんじゃないだろうか。

ちょっと前に「LFJでコンサートに人が来るようになる!って言うけど、日常で音楽を楽しめるソフトが広がらなかったしょうがないんじゃない?」みたいなことを書いたけど、そのソフトを供給する会社がこれではしょうがない。

まぁ、小売りだけでなく、レコード会社の方もあまりにも活気がないので、この先、不安を感じるなら、物欲ストッパー解除して欲しいCDは今のうちに買っておいた方が良いだろうなぁ。

HMV-hoffnang.jpg






 

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インターネットを見ていたらオタク川柳と言う面白い企画がネタ的にニュースに出ていた。意味が分からないものも多いけど、これが…なかなか秀逸だ。

AMAZONよ お願いだから 履歴消せ

そこまで後ろめたくはないが、HMVの購入履歴もこれまで買った金額の合計なんかが出て、少し憂鬱になる。まぁ、「少し」だけだけど(汗)。これが石丸だったら相当憂鬱になるに違いない(笑)。

見直すも 削減できない オタ予算

確かにムリ。削減は美徳じゃない。と言って、消費も美徳ではない。資源の有効活用こそが美徳である!それにしても、これまでどれだけ削減計画を練ったことか。いや、特に計画なんてなくって、漠然と「○○枚以下に抑える!」とか言っているだけだからダメなのだ。ぶっちゃけ…その気がないだけだ(汗)。

そして、トドメが神de賞をゲットしたこれ。

この知識 オタクに普通 世に不通

「フルトヴェングラー?…誰でも知っているだろ?」―――――知りません!「そんなわけないじゃん」と思うよねぇ。はい、それが、「世に不通」。普通は外国の指揮者はカラヤンくらいしか知られていない。「えー、アバドくらいみんな知っているよ。学校の教科書に載ってたもん」―――――覚えていません!巨匠はアバドよりシュトレーゼマン、天才はカルロス・クライバーより千秋真一が「世に普通」。コンサート会場はムジークフェラインより武道館が「世に普通」。残念無念…悲しくなってきた。もういい!ふて寝する!(怒ww)

あ、寝る前に一応、出処を…
http://www.575.cc/

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スラットキンが昨シーズンからデトロイト交響楽団の音楽監督を務めている。なんだかんだいって、やっぱアメリカの楽団にいる方が、ホッとする。イギリスに行っても、イギリス音楽も得意なはずなのに、アメリカ音楽の仕事ばかりやっていたし。

さて、そんなスラットキンの新譜。NAXOSから新しい相棒とのラフマニノフの交響曲第2番とヴォーカリースを収めた1枚が出た。NAXOSに移籍と言うと凋落したイメージが強いんだが、どうなんだろう?実力は確かなので、このCD大不況の時代にCDが出ている分には、有り難がってもいい。人気のあるハイティンクやC.デイヴィスですらオーケストラの自主製作盤くらいしか新譜が出ない時代だ。新譜どころじゃない指揮者だって、凄く多い。メジャーレーベルを支えていた、あの人とか、あの人とか…。

ラフマニノフは、スラットキンの十八番。セントルイス交響楽団の音楽監督時代にVOXに交響曲全集を録音して、マニアを唸らせたレパートリー。この録音で、スラットキン&セントルイス交響楽団のコンビは楽壇のメジャーになった、と聞いたこともある。アメリカ音楽&イギリス音楽が得意なスラットキンがラフマニノフ?と思われそうだが、スラットキンは亡命後のラフマニノフが過ごしたロスアンゼルスの出身。準地元の作曲家なのだ。意外と意外じゃない(変な言い回しだ(笑))。

そんなわけで、新譜は再録音と言うことになる。スラットキン&デトロイト交響楽団のラフマニノフと言う超メジャー級の録音と言うだけで「隠れた名演奏家を起用する」NAXOSっぽくないんだが、なんと、これライヴ録音でもあるのだ。NAXOSでライヴ録音って珍しいよなぁ。

で、演奏がこれまたいいのだ。スラットキンファンを自称しながらセントルイス交響楽団との旧盤を聴いたことがないんだが、これを聴けばついつい旧盤も聴いてみたくなってしまう。とにかく、カッコいい。やっぱ、スマート、都会的。徹底して。あー、これぞスラットキン!!甘いメロディをドロドロと分厚く熱く歌わせずに、スタイリッシュに仕立て上げる。スヴェトラーノフと対極にあるような演奏だ。1楽章のラルゴからアレグロに変わるあたりなんか、ホント、ゾワッとくるし、3楽章のアダージョも透明感があって、果てしなく美しい。

NAXOSから名曲の名盤が出てくる時代なんだなぁ。不思議な感じだ。


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